信じられるのは誰?

ゆずる

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 アルフレッド様は、この国の第二王子で、私の婚約者。
 凛々しい顔立ちにすらりとした長身。
 勉強熱心で文武両道、人当たりもよく、学園でも人気の高い男性だ。

 そんな彼の欠点はただひとつ――妹に甘いこと。
 甘いなんてものではない。
 あの甘やかし方は、盲目といって差し支えないほどだろう。

 アルフレッド様の妹、メアリー王女は、まるで精巧な人形のような美少女としか表現できない。
 淡い金の髪はふんわりとして、陶磁器のようなミルク色の肌。
 緑色の瞳は宝石のようにきらめき、長いまつげに縁どられた大きな眼で見つめられると、私でさえ頬が熱くなってしまう。
 華奢な肩には寝間着すら重たそうで、思わず支えてあげたくなるような可憐さがあった。

 それほどまでの美少女メアリー王女は、幼い頃から病弱だった。

 あまりに美しいから神々に魅入られたのだ――そんな陳腐な言葉さえ、メアリー王女を見ていると、そういうこともあるのかもしれないと思ってしまう。

「いつも微熱があって、気怠くて、息が詰まるような気がしますの」

 ベッドの上で儚げにつぶやくメアリー王女の瞳からは、朝露のように美しい涙がこぼれていた。

 メアリー王女がそんなに綺麗な子だから、私も、恨み言は言わなかった。

 たとえアルフレッド様とのデートの当日に毎回メアリー王女の具合が悪くなって、予定が流れても。
 私の誕生日パーティーの日に、アルフレッド様が来なくても。
 国王陛下の御前で婚約披露をする最初の夜会に、何の連絡もないまま1人で送り出されても。

 あれほど美しい妹が病んでいたら、きっと私だって心配で胸がつぶれてしまうだろう。

 私が見舞いに行くと、アルフレッド様は常にメアリー王女のベッドサイドにいて、妹を気遣うような目線を向けていた。
 あの優しい視線をほんの少しだけでも私に向けてはくれないものか……と思ったことも、ないわけではない。
 しかしそんなことを口にすれば、たちまち私の立場は悪くなるだろう。

「王女殿下はあまり長生きできなさそうだから……」

 私の母は2人きりのとき、アルフレッド様の妹への溺愛を今だけ我慢するようにと言外ににおわせた。
 神々に魅入られた者は長生きできない。
 そう思ったからこそ、私も耐えられたのかもしれない。

 私とアルフレッド様が唯一2人きりになれるのは、学園の中だけ。
 しかし、国王陛下は未だに世子を決めておらず、アルフレッド様にも将来の王としての教育が施されている。
 王族のために用意された特別な授業を受けるため、アルフレッド様はいつも忙しかった。

 学園の庭でほんの少しだけ、挨拶を交わす。
 それが私たちの「逢瀬」。

 授業のない日のデートの約束は、ここ2年ほど守られたこともない。
 メアリー王女は14歳を過ぎてますます王宮にこもりがちになり、アルフレッド様はいつもその側にいた。

 それでも、学園を卒業すれば、私たちは晴れて結婚することになる。
 それまでの辛抱と思えば、つらくはない。

 でも――ある噂が広がり始めたとき、私の心はとうとう耐えられなくなってしまった。

 アルフレッド様とメアリー王女は実の兄妹ではない。
 2人は密かに互いに想い合っている。
 だからアルフレッド様は婚約者に冷たいのだ。

 根も葉もないことだ。
 だけど、火のない所に煙は立たないという。

 私は次第に追い詰められ、学友たちに心配されるほど顔色の悪い日が増えた。
 
 そしてついに、メアリー王女を直接問い詰めてしまったのだ。
 噂の真相を。
 本当に2人は相思相愛なのか。

 あのときのメアリー王女の姿を、私は一生忘れることはできない。
 ベッドから身を起こした彼女は健康そのものの姿で、しっかりと2本の足で絨毯を踏み、大きな眼を歪めて私を嘲笑した。

「やっと気づいたのね。
 あんまり鈍いからわざわざ噂を流してあげた甲斐があったこと」

 メアリー王女は、崩れ落ちた私を見下ろして、楽しげにを語った。

 すでに故人であるメアリー王女の母は、現国王の弟のお手付きだった。
 現国王は彼女が妊娠していることを知りながら自らの妻に迎え入れて、生まれてきた女児――メアリーを娘として認知した。

 つまり、メアリー王女は血縁からいえば、現国王の姪で、アルフレッド様の従妹にあたる。

 この国の法律では、当然、兄妹が結ばれることはない。
 血縁上従兄妹であっても、それは秘密の話であって、表向きは兄妹なのだ。
 だから、表向きの妻に私を据えて、その裏でメアリー王女とアルフレッド様は真実の愛を育む。

「私のお兄様よ、私のものなの。
 あなたなんて、お飾りの婚約者なんだから。
 私たち、もう何度肌を重ねたか数えられないわ。
 あなたなんて、手の甲にキスをもらうだけ。
 私は、ちょっと咳をしてみせるだけで、お兄様がすぐに飛んでくる。
 私とあなたのどちらがお兄様にとって大事かなんて、はっきりわかっているでしょう?」

 その後、どうやって自宅に帰ったのか記憶がない。
 気づけば私は半狂乱で、父にアルフレッド様との婚約解消を訴えていた。

 精神的な打撃が大きかったようで、私は高熱を発し、そのまま1週間ほど寝込んでしまった。

 ようやく体を起こせるようになった頃、アルフレッド様が見舞いにきた。
 見舞いとは表向きの理由で、実際は、婚約解消について話を聞きたいのだという。

 私は父と母に付き添われて、アルフレッド様に会った。
 アルフレッド様はまっすぐな目をして、とても義妹との不義の愛に溺れているようには見えなかった。

 アルフレッド様は、私が婚約解消を口にした理由を知りたがった。
 私は――両親にもそんな不道徳な話は打ち明けられなかったから、さすがに口ごもってしまう。
 それでもなんとか勇気を出して、
「メアリー様のことで……」
 それで察してくれと願いを込めて小さな声で、言った。

 アルフレッド様は一瞬呆然とした顔をして、大きな手で目を覆った。

「ついに知ってしまったか……噂は隠し切れないものなのだな……」

 力強くてきれいな指だな、とこの期に及んで思ってしまい、私は泣きそうになる。

「……いつかきみに打ち明けようと思っていたんだ」

 アルフレッド様はそうつぶやいて、居住まいを正して私と両親に向き直った。

「この話は、王家の恥となることなので、口外は慎んでいただきたい。
 実を言えば――メアリーは王弟の娘で、私の従妹にあたる。
 はっきり言えば、望まれぬ子だった」

 え、と父と母がつぶやいたのは同時だったかもしれない。
 王弟といえば、素行が悪く、隣国の特使として来訪していた他国の姫君に無礼を働いたかどで、王位継承権を剥奪された人物だ。
 あれは確かに大事件ではあったが、それだけで王位継承権を剥奪されたわけではなく、実際は以前から様々な悪事に及んでいたのだと噂になっていた。
 そんな人物の実の娘であるということは、誰も知らない。
 私も先日メアリー王女に聞かされるまで知らなかった。
 
 アルフレッド様は苦しそうに話を続ける。

「彼女の母親は――その――他国の王家に連なる血筋だったのだ。
 だから、実の父親である王弟が平民に落とされても、メアリーをないがしろにするわけにはいかなかった。
 その国とのつながりを守るため、父王はメアリーを密かに自分の子として迎え入れて養育した」

 だが、とアルフレッド様は紅茶で唇を湿らせて、再び口を開いた。

「彼女は生まれつき病弱で、恐らくまともな子供は望めまい。
 ゆえに、近々、隣国の王の側室となることが決まっている。
 すでに王妃に子供がいるので、出産はしなくてもよいと言ってくれている相手だ。
 メアリーほど美しいのであれば、たとえ短命でもよいと」

 私はしばらく呆けたようにその話を聞いて、やっと絞り出すように、ちょっと待ってくださいとつぶやいた。

 私は勇気を出して、学園内でささやかれていた噂と、メアリー王女に聞かされた破廉恥な話を口にした。
 両親だけでなく、アルフレッド様まで、目を大きく見開いて首を振った。

「メアリーは――病弱で、本と侍女だけがすべてだ。
 そのせいか、幼い頃から精神に異常をきたしていた。
 思春期に入った頃から私を慕うようになり、私が従わねば侍女を傷つけ、命を奪うこともあった。
 それを防ぐために、メアリーの監視をしていたのだが……
 私の恋人? ありえない。あるわけがない。あの子は義理の妹だ」

 私は体中の力が抜けるのを感じた。
 メアリー王女の話は、嘘だったのだ。

 きっと彼女は孤独の中で、物語を創り上げたのだ。
 美しい自分は、同じく美しい兄と禁断の愛に溺れて幸せに暮らすのだ、と。
 夜毎に愛し、愛されて。
 哀しい――あまりに哀しい物語だ。

 アルフレッド様はゆっくり立ち上がると、私のすぐそばで膝をついた。
 大きくて美しい手が、私の手に重なる。

「長い間不安にさせてしまって、本当にすまない。
 私が愛しているのはきみだけだし、当然、私の身は清いままだ。
 どうか――婚約を解消するなんて言わないでほしい。
 私の隣には、きみ以外の女性は考えられない」

 視界がにじむ。
 私の答えはもちろん、是、だった。

******

 メアリー王女が15歳になった年、彼女は隣国へと旅立った。
 結婚式は隣国で行われることになり、アルフレッド様ではなく、第一王子が式に参列することになった。

 出立の数日前、王女とのお別れを兼ねたパーティーで。

 化粧を直すために移動していた控室の扉を乱暴に開いて現れたのは、メアリー王女その人だった。

「私がいなくなって、嬉しいんでしょう」

 私の胸倉をつかんで、メアリー王女が獰猛な瞳で私をにらんだ。
 周囲の侍女は王女の身分を考えて手出しできず、慌てて人を呼びに行ってしまった。

 部屋に残った侍女の目を憚ったか、メアリー王女はうなるような小声で私の耳元にささやく。

「私の話したことに嘘はないわ。
 あなた、本気でアルフレッドと結婚するつもりなの?
 あの男は――私にこう言ったのよ。
 自分が王位に近づくため、1人でも継承権を放棄する人間が必要だって。
 俺を愛しているなら、誰かと結婚して継承権を放棄してほしいって。
 結婚すれば、女の王族は自動的に継承権を失うから……!
 結婚相手には老人を選ぶから、結婚生活はすぐに終わって、国に戻ってこられる。
 そうしたら、彼は私を再び愛しに来てくれるって――そう言ったのよ!」

 でも、とほとんど悲鳴のようにメアリー王女が叫んだ。

「結婚相手はまだ20代なんですって。
 私は騙されたのよ。
 彼に処女だって捧げたのに。
 いいように弄ばれて、外国に捨てられるの。
 あなたも――騙されているのよ!」

 宝石のように美しい瞳が、鮮烈に目に焼き付いた。
 この目は――まるで――

 そのタイミングで、部屋の外から王女付きの侍女たちが駆け込んできた。
 彼女たちは私からメアリー王女を引きはがし、抱えるように部屋を出ていく。

「……お嬢様、大丈夫ですか」

 私は高鳴る胸を押さえる。
 引っかかれたところが赤くなって、ネックレスも切れて落ちていた。

「今日はもう帰宅するわ……少し、疲れたみたい」

 馬車を呼び、私は侍女に支えられるように乗り込む。
 アルフレッド様がホールから駆け出してきたのは、馬車のドアが閉まる直前だった。

「アルフレッド様、お心遣いには感謝いたしますが、エスコートは不要ですわ。
 最後ですから、どうぞメアリー様のお見送りをなさってあげて……」

 私はアルフレッド様の顔を見ることができなかった。
 しかし大きな手が私の肩を掴み、ぐい、と半ば強制的にそちらを向かされてしまう。

 凛々しい瞳が、私をじっと見ていた。

「ありがとう。どうか、無理せずに休むんだよ」
「……はい。ありがとうございます」

 アルフレッド様を残して、馬車がゆっくりと走り出す。
 私は妙な悪寒に肩を抱いた。
 震えが止まらない。
 メアリー王女の瞳は正気のそれにしか見えず、対してアルフレッド様の目は――

(……考えたくない。今は、何も考えられない)

 いったい何を――誰を、信じればよいのだろう。



 メアリー王女の出立から数日後、王女の乗った馬車が横転し、王女は嫁ぎ先へたどり着くことなく、この世を去った。

 私の学園卒業まであと半年のことだった。
 未だに私は――アルフレッド様の目を見ることができないでいる。
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