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康太郎の誕生日会は、まあ、成功だったのだと思う。
彼が予備校から帰宅する1時間前、大輔がハンバーグ他の食材とケーキを両手に家にやってきた。
もちろん調理するのは大輔なのだが、優希も煙草も吸わずにレタスをちぎったり生ハムを剥がしたり、人参を切ってレンジに入れて、それなりに頑張った、と思う。
16時に康太郎が帰宅し、大輔の姿にやや怪訝な顔をしながらも、冷蔵庫から出てきたケーキにすべてを悟ったらしく、無邪気に大喜びをした。
最近は年齢の数の蝋燭よりも、数字をかたどったものが普通らしい。1と7の可愛らしい蝋燭の火を吹き消す康太郎の姿を大輔が動画に収め、プレゼントにはしゃぐ姿も写真に撮った。
なんとなく、息子の誕生日を祝う幸せな家族のような図だ、と優希は内心苦笑する。
優希自身は子供の頃、こんなふうに祝ってもらったことがない。だからこれが家族としての正解なのかもわからない。
夕食を終え、テレビを見ながら談笑しているところで、康太郎のスマートフォンが鳴る。
少年の顔が、ぱっと紅潮したように見えたのは、優希の気のせいだっただろうか。
康太郎はやや慌てたような様子で、珍しく自室へと戻って行ってしまった。
「誰からの電話だろうね」
のんびりと優希が珈琲をすすりながらつぶやくと、大輔が少しだけ呆れたような顔をこちらに向けた。
「康太郎くんと普段どんな話してんの」
「どんなって……今日何したとか、何食べたいとか、普通のことばかりだよ」
「ふぅん」
何か言いたげな大輔の視線を、優希はあえて無視する。どうせ放っておいても、この男は勝手に話し出すに違いない。
案の定、大輔はしばらく優希の反応を伺ったのち、低く抑えた声で言った。
「最近、予備校で仲のいい女の子ができたみたいだぜ、あいつ」
「へえ、やるねぇ」
それだけ? と大輔が肩をずっこけさせた。
「気にならないの、どういう子か、とか」
「うちに連れてくるようになったら考えるよ……大きな声で騒ぐタイプじゃなきゃ、問題ない」
「あのなぁ、優希」
大輔はベランダに面した窓を少し開くと、テレビ台に置いていた優希の煙草を勝手に取って火をつけた。顔と煙草を外に出したまま、彼は夜空に向けて煙を吐きだした。
「康太郎くんは、優希にそういう話を聞いてもらえないの、ちょっと寂しいと思ってるんだ」
「ああ……彼個人に興味を持てという話か」
優希も大輔の隣に腰を下ろし、半開きの窓を全開にして自らも煙草をくわえた。
やや冷えた夜風が、室内の空気を一気に入れ替えていく。
「なるべく話すようにはしてるって。ただ、そういうプライベートな話は、あの子が話したくなったら話すべきだと思うよ。一緒に暮らしている以上、根掘り葉掘り聞くもんじゃない」
それは優希の体験による言葉だ。夜な夜な素行不良な仲間と出歩く姉に業を煮やしていた祖母は、事あるごとに、思春期の優希に対し、過剰なまでの貞淑さを求めた。
ごく普通に仲の良かったクラスメイトと一緒に歩いているのを見ただけで、祖母は怒り心頭で、優希の背中を竹の物差しで引っぱたいたものだ。
「んー、まあ、そんなもん?」
「あんただって、親がしつこく『あの子は誰だ』とか『恋人はいるか』とか聞いてきたらどう?」
「どうって……うーん、うちはむしろそういう部分に関心持たない親だったから、想像つかんな」
苦笑いする大輔の口の端から、ゆっくりと煙が漏れていく。
大輔の親は、放任主義というかなんというべきか、成績さえ一定水準を維持できていれば、干渉することのない人々だったらしい。
「関心持たれたかったんだ?」
「そういうわけでも、ないけどね」
大輔の親は地元で法律事務所を開業しており、確か長男と次男が法曹の資格を取って、親と一緒に働いているはずだ。
絵に描いたような家族経営の事務所に、三男坊である大輔の居場所はない――いや、あったのかもしれないが、司法書士としてのキャリアを彼本人が蹴った時点で、それは壊滅したのだろう。
だから、彼は北陸の実家にほとんど戻らないでいる。
血の縁に恵まれないのは、優希も大輔も、そして康太郎も同じだ。
優希は親を嫌悪し、大輔は諦め、康太郎は距離を置いた。
(……もしかして、徳田が康太郎を構うのは、私と同じ理由なのかもしれないな。というか、もしかして、親と距離を置いた理由を、こいつも私に聞いてほしいって言うんじゃないだろうな)
優希はあくびを噛み殺しながら、精悍な横顔を眺めて、ふとそんなことを思う。
かつてほしかったものを、康太郎という形代へ捧げることで、報われなかった子供時代の自分を供養している。そんなイメージが頭にふわりと浮かんで、消えた。
「ああ、そういえば――ここに来るときに、変な男がマンションの前にいたのを見たんだよ」
突然、大輔がそんなことを口にした。
優希は思考の沼から引き戻され、きょとんと眼を丸くする。
「なに、不審者?」
「いや、スーツ着てるおっさん2人組。妙にぴりぴりしてたから、目についてさ」
「……ああ、もしかして」
渋い顔をした優希を、大輔が心配そうな表情で覗き込んでくる。この男はいちいち距離が近いな、と優希はさりげなく顔をそむけた。
「多分それ、警察だよ。気にしなくていい」
「警察? おまえ、尾行でもされてんの?」
「かもね」
大輔の怪訝そうな表情に、優希はしかたなく高崎瑛理の殺人事件に出くわしたことを話した。みるみるうちに大輔の顔色が変わっていく。
「知り合いの死体見たってのに、よく平気だな」
「平気じゃないよ。1週間寝込んでた」
「そういうときは頼れよ、なあ」
「……そうだねぇ、考えておくよ」
優希は煙草をもみ消して立ち上がった。同時に、康太郎の部屋の扉が開いて、見るからに機嫌のよさそうな少年が姿を見せる。
優希は少しだけ考えて、ちらりと大輔を見てから、康太郎に視線を戻し、
「彼女からの電話?」
直球で聞いた。
康太郎が石のように硬直し、大輔がしまったとばかりの表情で同じく固まる。
「……彼女、ではないです」
「まだ、ってことかな。いやあ、今が一番楽しい時期なのかな」
軽く頷きながら康太郎の肩を叩き、優希はそのままトイレへ入る。
ドアの向こうで康太郎が「話したの?!」と大輔を詰っている声が聞こえ、優希は密やかに笑いを漏らした。
彼が予備校から帰宅する1時間前、大輔がハンバーグ他の食材とケーキを両手に家にやってきた。
もちろん調理するのは大輔なのだが、優希も煙草も吸わずにレタスをちぎったり生ハムを剥がしたり、人参を切ってレンジに入れて、それなりに頑張った、と思う。
16時に康太郎が帰宅し、大輔の姿にやや怪訝な顔をしながらも、冷蔵庫から出てきたケーキにすべてを悟ったらしく、無邪気に大喜びをした。
最近は年齢の数の蝋燭よりも、数字をかたどったものが普通らしい。1と7の可愛らしい蝋燭の火を吹き消す康太郎の姿を大輔が動画に収め、プレゼントにはしゃぐ姿も写真に撮った。
なんとなく、息子の誕生日を祝う幸せな家族のような図だ、と優希は内心苦笑する。
優希自身は子供の頃、こんなふうに祝ってもらったことがない。だからこれが家族としての正解なのかもわからない。
夕食を終え、テレビを見ながら談笑しているところで、康太郎のスマートフォンが鳴る。
少年の顔が、ぱっと紅潮したように見えたのは、優希の気のせいだっただろうか。
康太郎はやや慌てたような様子で、珍しく自室へと戻って行ってしまった。
「誰からの電話だろうね」
のんびりと優希が珈琲をすすりながらつぶやくと、大輔が少しだけ呆れたような顔をこちらに向けた。
「康太郎くんと普段どんな話してんの」
「どんなって……今日何したとか、何食べたいとか、普通のことばかりだよ」
「ふぅん」
何か言いたげな大輔の視線を、優希はあえて無視する。どうせ放っておいても、この男は勝手に話し出すに違いない。
案の定、大輔はしばらく優希の反応を伺ったのち、低く抑えた声で言った。
「最近、予備校で仲のいい女の子ができたみたいだぜ、あいつ」
「へえ、やるねぇ」
それだけ? と大輔が肩をずっこけさせた。
「気にならないの、どういう子か、とか」
「うちに連れてくるようになったら考えるよ……大きな声で騒ぐタイプじゃなきゃ、問題ない」
「あのなぁ、優希」
大輔はベランダに面した窓を少し開くと、テレビ台に置いていた優希の煙草を勝手に取って火をつけた。顔と煙草を外に出したまま、彼は夜空に向けて煙を吐きだした。
「康太郎くんは、優希にそういう話を聞いてもらえないの、ちょっと寂しいと思ってるんだ」
「ああ……彼個人に興味を持てという話か」
優希も大輔の隣に腰を下ろし、半開きの窓を全開にして自らも煙草をくわえた。
やや冷えた夜風が、室内の空気を一気に入れ替えていく。
「なるべく話すようにはしてるって。ただ、そういうプライベートな話は、あの子が話したくなったら話すべきだと思うよ。一緒に暮らしている以上、根掘り葉掘り聞くもんじゃない」
それは優希の体験による言葉だ。夜な夜な素行不良な仲間と出歩く姉に業を煮やしていた祖母は、事あるごとに、思春期の優希に対し、過剰なまでの貞淑さを求めた。
ごく普通に仲の良かったクラスメイトと一緒に歩いているのを見ただけで、祖母は怒り心頭で、優希の背中を竹の物差しで引っぱたいたものだ。
「んー、まあ、そんなもん?」
「あんただって、親がしつこく『あの子は誰だ』とか『恋人はいるか』とか聞いてきたらどう?」
「どうって……うーん、うちはむしろそういう部分に関心持たない親だったから、想像つかんな」
苦笑いする大輔の口の端から、ゆっくりと煙が漏れていく。
大輔の親は、放任主義というかなんというべきか、成績さえ一定水準を維持できていれば、干渉することのない人々だったらしい。
「関心持たれたかったんだ?」
「そういうわけでも、ないけどね」
大輔の親は地元で法律事務所を開業しており、確か長男と次男が法曹の資格を取って、親と一緒に働いているはずだ。
絵に描いたような家族経営の事務所に、三男坊である大輔の居場所はない――いや、あったのかもしれないが、司法書士としてのキャリアを彼本人が蹴った時点で、それは壊滅したのだろう。
だから、彼は北陸の実家にほとんど戻らないでいる。
血の縁に恵まれないのは、優希も大輔も、そして康太郎も同じだ。
優希は親を嫌悪し、大輔は諦め、康太郎は距離を置いた。
(……もしかして、徳田が康太郎を構うのは、私と同じ理由なのかもしれないな。というか、もしかして、親と距離を置いた理由を、こいつも私に聞いてほしいって言うんじゃないだろうな)
優希はあくびを噛み殺しながら、精悍な横顔を眺めて、ふとそんなことを思う。
かつてほしかったものを、康太郎という形代へ捧げることで、報われなかった子供時代の自分を供養している。そんなイメージが頭にふわりと浮かんで、消えた。
「ああ、そういえば――ここに来るときに、変な男がマンションの前にいたのを見たんだよ」
突然、大輔がそんなことを口にした。
優希は思考の沼から引き戻され、きょとんと眼を丸くする。
「なに、不審者?」
「いや、スーツ着てるおっさん2人組。妙にぴりぴりしてたから、目についてさ」
「……ああ、もしかして」
渋い顔をした優希を、大輔が心配そうな表情で覗き込んでくる。この男はいちいち距離が近いな、と優希はさりげなく顔をそむけた。
「多分それ、警察だよ。気にしなくていい」
「警察? おまえ、尾行でもされてんの?」
「かもね」
大輔の怪訝そうな表情に、優希はしかたなく高崎瑛理の殺人事件に出くわしたことを話した。みるみるうちに大輔の顔色が変わっていく。
「知り合いの死体見たってのに、よく平気だな」
「平気じゃないよ。1週間寝込んでた」
「そういうときは頼れよ、なあ」
「……そうだねぇ、考えておくよ」
優希は煙草をもみ消して立ち上がった。同時に、康太郎の部屋の扉が開いて、見るからに機嫌のよさそうな少年が姿を見せる。
優希は少しだけ考えて、ちらりと大輔を見てから、康太郎に視線を戻し、
「彼女からの電話?」
直球で聞いた。
康太郎が石のように硬直し、大輔がしまったとばかりの表情で同じく固まる。
「……彼女、ではないです」
「まだ、ってことかな。いやあ、今が一番楽しい時期なのかな」
軽く頷きながら康太郎の肩を叩き、優希はそのままトイレへ入る。
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