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自宅から自転車で10分ほどの場所に、その予備校はある。
全国CMを打つような大手予備校で、優希も名前くらいは知っていた。
「では、保護者の方はこちらでお待ちください」
入校前の学力テストを受けるために別室に案内されていく康太郎が、やや不安そうに優希を振り返った。
優希は軽く手を振って彼を励ましてやる。優希自身には試験で緊張するという経験がないのだが、こうやって応援してくれる存在がいるのは心強いということくらいは、経験の中から知っていた。
「北條さん――西島さんの保護者の方で、お間違いないですね?」
「ええ」
「こちらへどうぞ」
事務員に案内され、狭い会議室のような場所に通される。
知らない人間とこんな狭い場所に押し込められるのは、優希にとっては少々苦痛だった。
「担当の、大田と申します」
ややあって登場したスーツ姿のサラリーマン然とした中年男性に、優希は軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。北條さんは、西島さんの、身内の方ということでお間違いないですか?」
「ええ、母方の叔父です。家庭の事情で、今は私が保護者として彼と同居しています」
「そうでしたか。もう同居されて長いのですか?」
「いえ、1月の上旬にうちに来てからですから……」
優希の話す内容を、大田がさらさらと手元の紙に書いていく。
「西島さんは、中学を卒業して、まもなく1年ですかね。学校にもお仕事にも行っていなかった」
「ええ――いや、仕事は、どうかな。私も詳しくは聞いてないので。ただ、今は無職です」
眼鏡の向こうで大田の目がきらりと光ったように見えた。
優希はやや居心地が悪くなる。締め切り前の作家と担当編集者が対峙しているときのような気持ちだ。
「本当は就職予定だったと聞いていますが、本人の意向で、高認を取って大学に進学したいと」
「ふむ――そのあたりは、親御さんのご了承もありますよね?」
「ええ、もちろんです。書面が必要でしたら、送るように伝えますが」
「いえ、それは結構ですが……」
事務員が珈琲を持って部屋に入ってきた。話が中断したすきに、優希は少しだけ息を吐く。
何故自分の将来に関係することでもないのに、こんなに妙な汗をかいているのだろう。
事務員が部屋を出ていくと同時に、大田の目がこちらを向いた。
「踏み込んだ話になってしまってすみません。西島さんのようなケースは、まったくないというわけではないのですが、よくある話でもありません。ただ、未成年で高認を取りに来るお子さんの多くが、何らかの事情を抱えていらっしゃる。高卒資格を取るだけなら、定時制高校なり、フリースクールなりといった選択をすることが普通ですから」
「……定時制高校も、検討はしたようです」
優希は珈琲を手に取った。安っぽい味が舌に突き刺さる。
「もしかして、あまりそういう話は、西島さんとはしっかりなさっていないのですか?」
「恥ずかしながら、私は受験といったものがよくわかっていないので……友人に任せきりになっていました。彼と話したうえで、康太郎本人がこちらを選択したという次第です」
「なるほど」
大田が紙に何かを追記していく。かりかりと硬い音が部屋に響いた。
「北條さんは、その、お仕事は何をなさっていらっしゃるのですか?」
「は、私ですか――現在は、自営業です」
その言葉を、大田はもしかしたら勘違いしたのかもしれない。
「そうでしたか。受験というものは、なにかと入用になってくる場面が多いです。そのあたりまで含めて、費用的な面でも、西島さんとよくお話し合いになられたほうがよいかもしれません。当校では大学受験のサポートをさせていただくことも可能ですが、それで終わる話でもなく、大学進学をして以降もそれなりにかかりますから」
「ええ、まあ、私も大学にはいったので、学費の面は何となく……ただ、こういう予備校といったものに縁がなかったもので。恐らく私の収入でも問題はないと思うのですが」
ちらりと、大田の目がこちらを見た。
「ああ、北條さんも大学には進学なさっていたのですね。失礼ながら、どちらの大学かお伺いしても?」
優希が何気なく口にした大学名に、大田は絵に描いたような二度見を披露した。
「あ、ああ、そうでしたか。では、西島さんは大変心強い先輩がそばにいるということですね」
いきなり態度が変わる大田に対して、優希の中に少々不信感が芽生えてしまう。
いわゆる高学歴に類する優希にとって、他人が肩書や経歴で態度を変えるのは、ときどき経験することだ。つまり、優希は見た目でなめられることが多い。
それでも優希はあくまで腰を低くして、大田の手元を見ながら口を開く。
「いえ、私は受験は経験していますが、その勉強といった面であまり彼の助けにはなれませんから。プロの方のご指導を頂戴できればと思っています」
「そのあたりに関しましては、我々もノウハウがありますので、どうぞご安心ください」
「それで、費用的なところですが――」
大田が慌てたように金額の一覧表をこちらに提示する。
「スクーリング……つまり、こちらへ通学する場合はこの金額で、オンラインの場合はこちら――」
(……通学の場合、国公立大学の入学金と1年分の学費くらいはかかるのか)
優希は顎をさすりながら金額表を眺める。
康太郎の計画では、1年で高認試験に合格し、次の1年で大学受験の準備をするのだという。
どの程度の大学に挑めるかはこれからの彼の頑張り次第だが、場合によっては、受験浪人という可能性も視野に入れなければならない。
(となると、100万から150万は見ておく必要があるんだな)
世の中の子供を持つ親が苦労するわけだ。大学に入る前に乗用車を買えるほどの金額が必要になるとは。
(まあ、少なくとも、今の康太郎が支払える金額じゃなさそうだ)
予備校代くらいは康太郎のバイト代から払わせるつもりでいたが、思っていたより高額になりそうだ。このあたりは出世払いにすべきか、と優希が考えたあたりで、康太郎のテストが終わったらしい。
部屋に通されてきた康太郎の目から、そっと金額表を隠して、優希は「どうだった?」と差しさわりのない言葉をかけてやった。
全国CMを打つような大手予備校で、優希も名前くらいは知っていた。
「では、保護者の方はこちらでお待ちください」
入校前の学力テストを受けるために別室に案内されていく康太郎が、やや不安そうに優希を振り返った。
優希は軽く手を振って彼を励ましてやる。優希自身には試験で緊張するという経験がないのだが、こうやって応援してくれる存在がいるのは心強いということくらいは、経験の中から知っていた。
「北條さん――西島さんの保護者の方で、お間違いないですね?」
「ええ」
「こちらへどうぞ」
事務員に案内され、狭い会議室のような場所に通される。
知らない人間とこんな狭い場所に押し込められるのは、優希にとっては少々苦痛だった。
「担当の、大田と申します」
ややあって登場したスーツ姿のサラリーマン然とした中年男性に、優希は軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。北條さんは、西島さんの、身内の方ということでお間違いないですか?」
「ええ、母方の叔父です。家庭の事情で、今は私が保護者として彼と同居しています」
「そうでしたか。もう同居されて長いのですか?」
「いえ、1月の上旬にうちに来てからですから……」
優希の話す内容を、大田がさらさらと手元の紙に書いていく。
「西島さんは、中学を卒業して、まもなく1年ですかね。学校にもお仕事にも行っていなかった」
「ええ――いや、仕事は、どうかな。私も詳しくは聞いてないので。ただ、今は無職です」
眼鏡の向こうで大田の目がきらりと光ったように見えた。
優希はやや居心地が悪くなる。締め切り前の作家と担当編集者が対峙しているときのような気持ちだ。
「本当は就職予定だったと聞いていますが、本人の意向で、高認を取って大学に進学したいと」
「ふむ――そのあたりは、親御さんのご了承もありますよね?」
「ええ、もちろんです。書面が必要でしたら、送るように伝えますが」
「いえ、それは結構ですが……」
事務員が珈琲を持って部屋に入ってきた。話が中断したすきに、優希は少しだけ息を吐く。
何故自分の将来に関係することでもないのに、こんなに妙な汗をかいているのだろう。
事務員が部屋を出ていくと同時に、大田の目がこちらを向いた。
「踏み込んだ話になってしまってすみません。西島さんのようなケースは、まったくないというわけではないのですが、よくある話でもありません。ただ、未成年で高認を取りに来るお子さんの多くが、何らかの事情を抱えていらっしゃる。高卒資格を取るだけなら、定時制高校なり、フリースクールなりといった選択をすることが普通ですから」
「……定時制高校も、検討はしたようです」
優希は珈琲を手に取った。安っぽい味が舌に突き刺さる。
「もしかして、あまりそういう話は、西島さんとはしっかりなさっていないのですか?」
「恥ずかしながら、私は受験といったものがよくわかっていないので……友人に任せきりになっていました。彼と話したうえで、康太郎本人がこちらを選択したという次第です」
「なるほど」
大田が紙に何かを追記していく。かりかりと硬い音が部屋に響いた。
「北條さんは、その、お仕事は何をなさっていらっしゃるのですか?」
「は、私ですか――現在は、自営業です」
その言葉を、大田はもしかしたら勘違いしたのかもしれない。
「そうでしたか。受験というものは、なにかと入用になってくる場面が多いです。そのあたりまで含めて、費用的な面でも、西島さんとよくお話し合いになられたほうがよいかもしれません。当校では大学受験のサポートをさせていただくことも可能ですが、それで終わる話でもなく、大学進学をして以降もそれなりにかかりますから」
「ええ、まあ、私も大学にはいったので、学費の面は何となく……ただ、こういう予備校といったものに縁がなかったもので。恐らく私の収入でも問題はないと思うのですが」
ちらりと、大田の目がこちらを見た。
「ああ、北條さんも大学には進学なさっていたのですね。失礼ながら、どちらの大学かお伺いしても?」
優希が何気なく口にした大学名に、大田は絵に描いたような二度見を披露した。
「あ、ああ、そうでしたか。では、西島さんは大変心強い先輩がそばにいるということですね」
いきなり態度が変わる大田に対して、優希の中に少々不信感が芽生えてしまう。
いわゆる高学歴に類する優希にとって、他人が肩書や経歴で態度を変えるのは、ときどき経験することだ。つまり、優希は見た目でなめられることが多い。
それでも優希はあくまで腰を低くして、大田の手元を見ながら口を開く。
「いえ、私は受験は経験していますが、その勉強といった面であまり彼の助けにはなれませんから。プロの方のご指導を頂戴できればと思っています」
「そのあたりに関しましては、我々もノウハウがありますので、どうぞご安心ください」
「それで、費用的なところですが――」
大田が慌てたように金額の一覧表をこちらに提示する。
「スクーリング……つまり、こちらへ通学する場合はこの金額で、オンラインの場合はこちら――」
(……通学の場合、国公立大学の入学金と1年分の学費くらいはかかるのか)
優希は顎をさすりながら金額表を眺める。
康太郎の計画では、1年で高認試験に合格し、次の1年で大学受験の準備をするのだという。
どの程度の大学に挑めるかはこれからの彼の頑張り次第だが、場合によっては、受験浪人という可能性も視野に入れなければならない。
(となると、100万から150万は見ておく必要があるんだな)
世の中の子供を持つ親が苦労するわけだ。大学に入る前に乗用車を買えるほどの金額が必要になるとは。
(まあ、少なくとも、今の康太郎が支払える金額じゃなさそうだ)
予備校代くらいは康太郎のバイト代から払わせるつもりでいたが、思っていたより高額になりそうだ。このあたりは出世払いにすべきか、と優希が考えたあたりで、康太郎のテストが終わったらしい。
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