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4 アホの子、ではなかったのか

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 あー、やっちまった。
 というのが雅文の感想だった。

 どうすんだこれ。
 いや、どうもこうもないんだろうけど。
 結局、後腐れない関係になってしまった。
 何か残念な気がしながら雅文はベッドに腰掛ける律を見やる。

「大丈夫か?」
 ゆっくりとした心なしかぎこちない動きでスラックスに足を通す姿に雅文は思わず声を掛けたが━━

「割と平気ですね。前に自分でやった時はもっとえらい事になりましたから」
 平然と答える律に、雅文は床に膝をつきたくなった。
 ああそうだったよッ!
 心配なんかするんじゃなかった!

 その後も。
「やっぱ生身の人間相手だと違うものですね」
 だとか。
「まさかここまで体感できるとは思っていませんでした」
 等々、一人真剣な表情で頷いている律に雅文は嫌な予感を覚える。

「これで気が済んだか?」
 満足したか、とはさすがに言わなかった。
 一瞬何か逡巡した様子のあと、律は頷く。

「はい、まぁ、一通りは」
 何だ、その間と歯切れの悪さは!
 悪態をつきたい気分で腕時計をつけながら立ち上がる雅文に、律もつられるように時間を確認する。
「こんな時間ですし、もう終電ないですよ。泊まって行きませんか」
 宿泊料金とタクシー代等を比較し、またしてもあっさりとそんな事を言い出す律に雅文は眉間をひそめた。
「お前な、もう少し警戒心持てよ。そのうちひどい目に遭うぞ」
 馬鹿かお前はと言いたいのをぐっとこらえて、雅文は年上のアドバイスとして言ってやった。

 ※ ※ ※
 部屋のドア脇にある精算機の前でクレジットカードを出そうとする律を尻目に、雅文はさっさと自分のカードを挿入した。
「ラブホの明細なんて女にバレたら面倒だぞ」
 別れたとは言っていたが、何が起こるか分からない。
 こんな痕跡など、残さないに限る。
 
 自分が頼んだのだからと財布から紙幣を出そうとする律に、雅文は「ほんとに馬鹿なやつ」と内心苦笑して受け取りを拒否した。
 ノンケが掘られて、何言ってんだか。

「お前先に降りろよ」
 エレベーターの下向きの三角印を押しながら雅文はそう告げた。
 このホテルのエレベーターはこういったホテルにありがちな造りで上りと下りが別のうえ、先客がいる時は他の階で呼ばれていても止まることはないため他の客と顔を合わすこともない。
 不思議そうな顔をする律に鼻で笑って見せる。
「男同士で出るのを見られないにこした事ないぞ。先に帰れば後をつけられる不安もないだろ。煙草吸ってから降りるわ。じゃあな」
 煙草など30になる前にとうにやめていたがそう言って雅文はひらりと手を振り、律は居心地悪げな顔をしながらも箱に乗りこんでボタンに手を伸ばす。
 それからはっと、小さく目を瞠った。
 三白眼の目はそんな時もそれほど変化がないらしい。
「ありがとうございましたっ!」
 ドアが閉まる直前、ちゃんと礼も述べていない事に気付いた律は慌てたように声を上げる。
 体育会系の部活生のようなそれに、「こんな所でそんな大声出して」と思いながら雅文はふっと笑って促すように顎をしゃくって見送ったのだった。

 数分後、あまり長居も出来まいとホテルを後にした雅文はタクシーを拾うべくそのまま大通りの方へ足を向けた。
 その先で視界に入ったのは、いかにも待ち合わせの最中といった様子の三白眼の男。
 気付かないふりをしてそのまま立ち去ろうかとも思ったが━━
「━━なにやってんの? 人がせっかく気ぃ遣ってやったってのに」
 言わずにはいられなかった。

「フミさん煙草なんて吸わないでしょ。キスしたから分かるんですよ」
 あえてからかうように言った雅文だったが、返された言葉は的外れ、かつ人の少なくなった時間帯とは言え往来で口にする事ではない。雅文は険を滲ませた表情を浮かべた。
「だから?」
 憮然として促したものの、言い足りず言葉を続ける。
「もう少し危機感を持て。警戒心とか防犯って言葉を知らないのかよ」
 今のご時世、いくら警戒しても足りないくらいだというのに、好奇心で妙なことに頭を突っ込んで取り返しのつかないことになりかねない。
 って、なんで俺がここまで面倒見ないといけないんだよ。
 こんなトコで防犯意識の必要性を説くなど、本当にどうかしている。

「持ってますよ? シャワー浴びてる間に窃盗、とかでしょ? フミさんが清算してくれたのは俺に財布の中身やカードを確認させたくなかったからで、しかも実はフミさんが使ったカードは俺のカードだったら、と思ってあの時中身は確認したし、清算の時に使ったカードも俺のじゃない」
 そこまでされていたのかと逆に雅文は動揺し、悔し紛れに思わず反論する。
「……スキミングかもしれねぇじゃねぇか」
「だったら今そんな事言わないでしょ」
 正論すぎる正論を呈して律はおかしそうに小さく笑った。

「それにあそこまでする必要ないだろうし。もともと俺、カードはIC機能付きの1枚しか持ち歩かない主義です」
 やはり頭が悪いわけではないのだ。
 むしろ抜け目のないタイプかもしれない。
 好奇心が馬鹿みたいに強いだけで。
「フミさんこそそんなにお人好しで大丈夫ですか? さっさと先に帰らないから待ち伏せられたりするんですよ。ホント呆れます」
「お前にだけは言われたくねぇな」
 心底そう思う。
「そうですか? 俺、心配性で慎重な方ですよ? 人様にも迷惑はかけたくないから富士山弾丸登山とかしないですし」
 冗談かと思うような返しを真面目な顔で言って、そのまま続ける。

「こういう時、リアルだとなんて言ったらいいんですかね。フィクションならつき合ってくれとか言えばいいんでしょけど」
 律は困ったような表情で苦笑を浮かべて小さく首をかしげる。
 本当に途方に暮れたような表情だった。

 つき合う、とは少し違う。
 かと言って本当の意味での「友達付き合い」とも違う気がする。
 自分が納得できる答えを得たいというのが律という男で、その為に彼はこの関係をここで終わらせる気は無かった。

 真剣な眼差しを真っ向から受け止めた雅文は大仰にため息をついて見せた。
 彼は律のそれを受け入れるのは簡単なことだと知っている。
 けれど一時の熱に浮かれたノンケの言葉を受け入れた所で、それこそ一時の関係にしかならないだろう事も雅文は理解していた。
「冷静になれ、ばーか。じゃあな」
 そのまま車道に近付き、タクシーを止めるべく片手を上げようとする雅文の背を律の独白が追いかけた。

「そうか、ちょっと冷静になればいいのか」
 明るい声に思わず振り返れば、どうしてそれに気付かなかったのかと頷き、心なしか顔を輝かせている。
 嫌な予感がした。

「じゃあ四週間後の金曜日、来月の9日にもう一度あの店で会いましょう」
 今日の日付とカレンダーが頭にしっかり入っているのか、律は4週間後の金曜日の日付を正確に提示して来る。

「なんで俺がそれにつき合わないといけねーんだよ」
 お前来ないだろうが。
 冷静になれば自分の行動がいかに愚かだったか思い知るだろう。

「だいたい4週間後なんて仕事の状況わからねぇだろうが」
 つい一般的な社会人の常識的なものを諭してしまってから、しまったと思った。
 律は少し目を細める。
 笑っているのだ。
 笑いながらもう一度「なるほど」というように頷く。
 
「俺は大丈夫なはずですが、そうですね。都合が悪くなった時のために連絡先交換しときましょう。袖振り合うも多生の縁と言いますし、リアル云々を抜きにしてもまたフミさんとまた話したいです」
 それはまごうことなき律の本心だった。
 律から見て雅文は余裕も常識も気遣いもある大人の男で、一般的な意味での理想的な男として見習いたいという憧れも芽生えている。  

 対して律の最後の一言に、一点とある気がかりを抱いていた雅文の心もあっさりと揺れた。
「……お前、富士山登った事あんの?」
「興味あります? 富士登山」
 憮然とした面持ちで尋ねる雅文に、煙に巻くように返して律はスマートフォンを取り出す。
 連絡先を交換した後で律は呆れたようにため息をついた。
「ほら。フミさんの方がこんな簡単に連絡先交換しちゃうじゃないですか。ホント人がいいんだから」
「早速だがブロックだな」
「いえいえ、普通に心配してるんですって。フミさん『好奇心、猫を殺す』の画像見た事あります? おススメですよ。あ、佐藤と言います。じゃあ四週間後に」
 
 嵐のようとはこの事かと雅文は思った。
 タクシーに乗ったものの、何とも納まりのつかない落ち着かない心境だった。
 一旦この状況を絶ち切りたいと、「後回しにするとすぐ忘れるしな」と『好奇心猫をも殺す』の画像を検索し、サイトが切り替わった瞬間盛大に吹き出した。

 あのヤロウ。
 運転手の存在を思い出し、覚えた恥ずかしさを律のせいにしながらスマートフォンの画面をなぞってスクロールしていくが、これ以上は耐えられないと画面を落とした。

 もーホントなんなのあいつ。
 雅文は車内の天井を仰いで大きなため息をつく。
 あいつどんな顔して猫の画像なんか見てんだよ。
 顔のつくりのせいで大抵の人間にはクールでとっつきにくい印象を持たれるであろう男。そんな彼がまさか猫の画像を進めてくるとは誰も思いもしないだろう。
 そんな事を考えていると自然と命知らずな猫達の衝撃的な画像が脳裏をチラつく。雅文は口元が笑いにひくつくのを堪えた。
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