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4、静かな酒宴

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「ユウくんビール飲まない? コップこれしかないけど」
 コタツに入り500mlの缶を開けた原田は返事を待たずにマグカップに3分の2ほど注いだ。自分は缶のままだ。
 もともと家で飲む習慣はなく、節制する身だ。夏にごくまれに気まぐれで購入する時も350ml缶だ。
 しかし今日ははじめからユウにお供えして付き合わせる気で500缶を購入してきた。そういう気分なのだ。全てがうまくいかないような、努力しても無駄なような。

 自信のあった原稿が鳴かず飛ばずだった。実は本当にかなり、久々にこれはいけると思ったのだ。それが閲覧数は伸び悩むどころか全く奮わない。
 アニメやサブカルは手っ取り早く注目を集めるジャンルだ。原田も普通に楽しむ方だが最近人気作とされる作品を目にしても面白さが理解できないことがある。単に合わないだけの話だろうが、そんな事があまりにも続くと己の感覚が世間とズレているのではないか、己が面白いと思う物は一般人には何ら受け入れられず世間のニーズに合わせられなくなっているのではないかと漠然と不安になる。
 このままでいいのか。それとももっと分かりやすい流行に迎合すべきか。しかしそれは自分の書きたいものとは大きくかけ離れてしまう。
 自分の書きたいテーマや意欲に反し、使い捨てのゴミにしかならないようなものを量産すべきか否か。

 そんな事をついぐるぐると考えてしまった。たまにあるのだ。
 要するに少し落ち込んでいて、ちょっとばかり気晴らしがしたい気分なのだ。
 ユウは原田よりは若いが成人しているように見えるし、仮に未成年でも生前飲めなかったかもしれないのだ。飲酒くらいいいだろ、もはや法律適用外だろう。そう思うとそんなに若くして? とまた心が曇る。
 最近は一人だけ食べるのも気が引けてよく声をかけていたが、ユウはすすめても食べ物に手を出そうとはしない。無視されるのは分かっていたが今夜の原田はどうしてもそうしたい気分だった。
 返事も期待していなかったがその日は違った。探し物をしている手を止めしばらくマグカップを見つめるとユウもコタツに入る。目を瞠る原田の前でユウはマグカップに手を伸ばす。
『いただく』
 ユウのそれは成人の物言いだった。原田が先に始めているので乾杯もなくユウもマグカップを口元に運ぶ。とても静かな酒だった。

『物書きか』
 しばらくして唐突に問われ、原田は少しだけ戸惑った。初めてユウに尋ねられた気がした。
「ライターだよ。ネットに出してんの。もとはジャーナリストとかルポライター志望だったんだけど、最近はなんでもやってる」
 年下に絡むのも情けないという自覚はあったが普段言いたい放題されているうえに相手はこの世のものではないときたら、口は滑るというもので。

「別に有名になりたいとか金が欲しいとかじゃなくて、ちょっとだけ世の中が生きやすくなったらなって」
 言いながら思う。
 そうだ、別に「派手に当たりたい」とかそういうのはなかったはずなんだ。
 聞いているのかいないのか分からないがユウはマグカップの中を見つめたまま『そうか。そうだな』とつぶやくような相槌をうつ。老成した、酸いも甘いも経験した人生の先輩のような態度だった。

「それなのに電波の届かない山寺で修業体験とか、風俗ルポとかばっかりでさぁ」
 ユウは傍若無人に思えたが聞き上手らしく聞くに徹している。
 日頃出せない愚痴がつらつらと口から零れ落ちるのを原田は感じる。これは相手が口外しないと分かっているからだろうか。
 ああ、違うか。
 原田はふと気付く。
 聞くに徹しているわけではなく、記憶のない彼には自分語りができないのだ。
 それに気づくとひどく申し訳ない気もした。口をつけた飲みかけの缶からユウのマグカップに注ぎ足そうと身を乗り出すが減っていない酒に気付く。差し出しかけた手を止め、不自然に自分の口に缶を運んだ。
「楽しいっちゃ楽しいんだよ? いろんなこと知れるし嫌じゃないんだけど。なにやってんのかなー、って時々思うんだよね」
 取り繕うように言うも結局失敗に終わる。時々などと強がってみたが本音を言えばしょっちゅうだ。

『きちんと朝起きて三食食べてるだけでマシだろうが』
 ユウはテーブルの中央に置かれたつまみに視線を定めたままぽつりと言った。
「えー、そんなの」
 原田は少し笑った。そんなことでマシだと言われるとは思ってもいなかった。
 意表を突かれた原田は苦笑するがユウは真剣だ。真剣なまなざしで真っ直ぐにつまみを見詰めている。
『そんな事もままならない人間は大勢いる』
 妙に達観した物言いだった。
 これは励まされているのだろうか。
 その可能性を意外に思うと同時にふと気づく。
 ユウが現れるのはいつも夕方以降だというのになぜ原田が朝のうちに起きていると断定するのか。
「ユウくん昼間って何してんの?」
『仕事してるに決まってるだろ』
 どうせならインタビューするかと面白半分で尋ねればそんな言葉が返ってきた。幽霊というものは昼間は寝ているか、いるのに明るいから見えない、そういうものだろうと思っていた原田は面食らったが、そういえば彼は死んだ自覚がないのだったと思い出す。

 ていうかやっぱ社会人なのか。
 なんとなく大学生くらいだと思っていた原田はまた驚かされる。こうして差し向かいで話してみると新たな発見と意外なことばかりだ。
「なんの仕事?」
『━━』
 日頃傍若無人でひどくえらそうなのに視線をうろつかせ、一瞬不安げで心もとない表情を浮かべるユウに原田は自分の発言を悔いた。働いたことはなんとなく分かるのだろうが、細かいことは答えられないらしい。
 原田は慌ててそれとなく話題を変えた。
「昼は仕事で夜は探し物ってユウくんずいぶん忙しいな」
『ほとんど家にいるお前とは大違いだろう?』
 気を遣っておどけて言ったのに、飲むきっかけになった現実を思い出させる手酷い返しをされた。しばし失念できていたのにと不満がないわけではないが、忘れることは何の解決にもならないという自覚もある。
 ユウの調子が戻ったならいいかとおおらかに構えることにした。

 盛り上がらないわけではないがなんとも寂しい酒だった。しかし不思議と居心地はいい。
 この日ユウは珍しく出て行けとは言わなかった。
 就寝前、ユウの消えたあと片付けるために手に取ったマグカップにはやはり注いだ時と同じ量のビールが残っている。
 悪いことをしたかもしれない。
 シンクにおいて息を詰めるとともに胸が小さく痛んだのを感じた。

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