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閑話:根強い偏見(玉藻視点)

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「いたぞ! そっちだ!」

「逃がすな! 追え!!」

 今日も最新鋭の兵器に身を包んだ兵士達が追ってくる。私を抹殺しようとしているのはただの無謀なハンターなどではない、この世界で数少ない人類をまとめている連中――国家だ。

「まったく、私は何もしてないのにどうして執拗に討伐隊を派遣してくるのかしら」

 私は森の中を走って逃げながらひとちた。

 理由は分かっている。私が金毛白面九尾の妖狐だからだ。九尾は元々人間に危害を加える獣ではなかった。だが、人間の世界で繰り返される権力争いの中で、ある伝説が生まれた。

――九本の尻尾を持つ一匹の妖狐が王を堕落させ、国家を滅亡させた。

 美女の姿で王の前に現れて寵愛ちょうあいを受け、王をそそのかしてぜいの限り、非道の限りを尽くさせたという。

 酒池肉林しゅちにくりんという言葉がそれによって生まれたのだとか。

 もちろん、そんなのは国を攻め滅ぼした側の人間が宣伝した創作だ。

 それでも、多くの人間が信じれば幽世にはそれに即したマレビトが生まれる。伝説によれば、大陸で追われた狐はこの島国にやってきて時の権力者に近づいたという。

 その名は、玉藻前。

 最終的には人間に打ち滅ぼされ、殺生石せっしょうせきと呼ばれる石になる。その石のそばに近づくと呪いの力で命を失うというのだ。実際に殺生石とされる石の周囲では野生動物が不自然に命を落としていた。原因は火山性の毒ガスによるものだが、人間が伝説を信じるには十分すぎた。

 信じる心が強ければ強いほど、マレビトの姿や能力はそれに近づいていく。

 本来人々に幸福をもたらす瑞獣ずいじゅうだった九尾の狐は、いつの間にか呪いの力を持つ人間の女の姿に変わっていったのだ。

「だからといって、元の性質が失われるわけじゃないのよ。私の存在意義は、姿を見た人間に幸福を与えること。それが変わったことはただの一度も無い」

 だけど、私を狩りにきた人間にいくらそう説明しても、聞き入れられることはなかった。

 今のこの身に宿る力を使えば、こんな人間の群れなど造作もなく片付けられるが、その気にはなれない。私は人間の幸福だけが望みなのだから。

 反撃せずにただ逃げ回る私を不思議に思い、考えを改めてくれないかと願いつつ、数限りない銃撃に耐えながらずっと走り続けてきた。

 たまに追手おってから逃れた時に、人間の能力者を頼って傷を癒すための鉱石を取りに行った。

 最近知り合った太陽の神が傷を治してくれるようになったので、これで楽になると思ったのだが、気を抜いたのが失敗だったらしい。

 彼女に誘われたネットゲームを遊ぶために街のネットカフェに滞在していたら、政府のハンターに居場所を見つけられてしまったのだ。

「ほんっと、しつこいわねぇ。なんだかよく分からない飛行機みたいなのが追ってくるし」

 森に逃げてもしつこく追ってくる人間達にうんざりしながら、それでも私は逃げ続ける。戦うわけにはいかないし、ここで死ぬわけにもいかない。

 だって、やっと仲良くしてくれる人間が現れたんだから!

「五輪ちゃんと明蓮ちゃんを幸せにしなくちゃ」

 気を許せるマレビトの仲間も出来た。私の神生じんせいはここからなのよ!

「追い詰めたぞ!」

「よし、慎重にいけよ。相手は国を滅ぼす最悪の怪物だ」

 なのに、人間の軍隊は完全に私を包囲していた。ここから誰も傷つけずに逃げ切るのは、さすがに無理か……。

「くっ、こんなところで……」

 やられるわけにはいかない。でも、人を手にかけたら二度とあの子達と遊べなくなるような気がした。半ば諦めの気持ちになりつつも、突破口を探して目を動かす。

『騒がしいぞ、人間。ここをどこだと思っているのだ?』

 突然、頭の上から威圧的な声が聞こえた。

「ひぃっ!?」

「な、なんだあれは? おい、怯むな! 立て!!」

 人間達は凄まじい神気に当てられ、まともに立ってもいられなくなる。怒鳴り声で指示を出す偉そうな男も、腰が抜けて地面にへたり込んでいた。

――凄い。

 国を滅ぼす妖怪を倒しに来たような精鋭中の精鋭達が、たったひとにらみですくみ上ってしまったのだ。私は驚きと喜びと、ある種の畏敬いけいの念を込めて、そのを見上げる。

「河伯。どうしてここに?」

『何を言っている、ここは私の寝床だぞ。まったく物騒な連中を連れてきたものだ』

 白竜の姿をした河伯は、いつもの調子で呆れたように言う。それだけで、私は心の底から安堵してしまった。もう大丈夫、彼なら絶対に何とかしてくれる。そう疑いなく信じられるほどに、彼の姿は頼もしかった。

『事情は大体分かっている。私がそいつらの記憶と国家の記録を書き換えてやろう』

 いとも簡単に、とんでもないことを言ってのける竜神。太古の文明を支えた大いなる河の神は、想い人の態度に振り回されている普段の様子からは想像もできないほどに圧倒的、超越的な存在感を放っていた。



「ありがとう、河伯」

 感謝の言葉を述べながら、これは不味いことになったと内心焦っていた。

 私は、伝説の影響を受けたせいか『強い男』に惹かれるようになっているらしい。

 女の子と見間違えるような可愛い顔をした人間の姿や、みんなを背中に乗せて得意気に知識自慢をしていた姿には何も感じなかったのに、今の彼を直視するのは辛い。胸がドキドキしてしまって、とても落ち着いていられないのだ。

 何より、この男は私のやっとできた人間の友達からも慕われている。彼の周りにいる女で彼に惹かれていないのはゲームに夢中なあの狼ぐらい。その彼女も河伯には全幅の信頼を寄せているのが言葉の端々から伝わってくる。

 今更私が参戦する余地なんてないのに。

……なのに。

――そばにいたい。

『どうした? 今日はずいぶんと大人しいな。人間との追いかけっこに疲れたのなら、少し休んでいくといい』

「え、あ、う、うん。そ、そうね、ちょっとだけ休ませてもらおうかなー、あはは」

 破裂しそうなぐらいに激しく胸を打つ心臓の音が聞こえてしまわないかとビクビクしながらも、自分の欲望に負けて彼の横に腰を下ろすのだった。
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