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私が部屋を飛び出してエントランスに着いたとき、すでにそこには誰もいなかった。急いでマンションの前の道に出る。上着を着てこなかったから戸外は寒くて震えた。乾いて冷たい冬の風が、肌に刺さるようだった。
ここは見通しがいいから、と道路を見渡したら、彼女がゆっくり歩いているのが見えた。
足首が細くて、高いヒールが似合っている。歩く姿勢もとても綺麗だ。
「桂先生!」
「あれ? えーと、戸樫さん! 偶然ね!」
「このマンションに住んでて……」
「へえ……?」
息を整えながら、自分の後ろに建っているマンションを指さしたから、彼女が首を傾げて考える仕草をした。カルテの記憶を辿ったのか「そういえば101号室って書いてあったような? 住所までは見てなかったわ」と呟いて笑った。
「八木沢さんに会いに来たんですよね? もう少し待ったら戻ってくるので……」
私がそう言いかけると、桂先生が微笑みを消した。警戒するような表情すら美しい。
「……どうしてあなたは、私が彼に会いに来たってわかるの?」
実はモニターで見ていました、なんて言いづらい。
少ししか走ってないのに動悸が激しい。手が震えるのはきっと寒いから。
どう説明しようかと言い淀んでいたら、彼女の顔が急に輝いた。
「東梧!」
喜びに満ちた声で彼女が叫ぶ。私の横を颯爽と通り抜けていく。
振り返って、視界に飛び込んで来たのは、彼女が八木沢さんに抱きつく瞬間だった。
黒髪が、陽光を弾いて踊っているみたいだ。
「会いたかった!」
「雅姫……?」
八木沢さんが戸惑っている。でも、彼女と顔を合わせた瞬間、彼は笑った。
間違いなく笑った。すぐに目をそらしたけれど、脳裏に焼き付いてしまった。
再会できてよかった。会いたかったよね。見たくない。見ていられない。
路上に駐めてある彼の車は、エンジンがかかったままだったから、道路にいた桂先生を見つけて車をおりてきたのだろう。
黙って自分の部屋に逃げようとしたら、背後から「和咲さん」と、八木沢さんが私に呼びかける声がした。振り返りたくないから、彼らに背を向けたまま立ち止まる。
「もしかして、この子、東梧の彼女なの? へえ……そうなんだ。あなた、どうして私を呼びとめたの? お人好しすぎるわよ。私なら黙ってる」
そう、黙っていればよかった。知らないふりをすればよかった。
逃げたいけれど、鍵を持っていないことに今さら気づいた。何も持たずに出てきてしまった。エントランスに入ることもできない。馬鹿すぎる。とことん馬鹿だと思う。寒くて手の震えがとまらない。
ヒールの音と人の気配に振り返ったら、桂先生が真後ろに立っていた。その視線には敵意しかない。
八木沢さんは、私と結婚するつもりはない。先日、はっきりとそう聞かされたばかり。だから、私なんかに敵意を向けなくていいのに。
彼女がゆっくり口角を上げて、妖艶に笑いながら小さな声で呟いた。
「つなぎの彼女かな?」
「……やっぱり帰ってください」
「動揺しちゃって可哀想に。ありがとう。おかげで色々分かった」
泣くのを堪えながら、もう一度「帰って」と訴えたけれど、桂先生は憐れむように笑うだけで動こうとしなかった。
ここは見通しがいいから、と道路を見渡したら、彼女がゆっくり歩いているのが見えた。
足首が細くて、高いヒールが似合っている。歩く姿勢もとても綺麗だ。
「桂先生!」
「あれ? えーと、戸樫さん! 偶然ね!」
「このマンションに住んでて……」
「へえ……?」
息を整えながら、自分の後ろに建っているマンションを指さしたから、彼女が首を傾げて考える仕草をした。カルテの記憶を辿ったのか「そういえば101号室って書いてあったような? 住所までは見てなかったわ」と呟いて笑った。
「八木沢さんに会いに来たんですよね? もう少し待ったら戻ってくるので……」
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「……どうしてあなたは、私が彼に会いに来たってわかるの?」
実はモニターで見ていました、なんて言いづらい。
少ししか走ってないのに動悸が激しい。手が震えるのはきっと寒いから。
どう説明しようかと言い淀んでいたら、彼女の顔が急に輝いた。
「東梧!」
喜びに満ちた声で彼女が叫ぶ。私の横を颯爽と通り抜けていく。
振り返って、視界に飛び込んで来たのは、彼女が八木沢さんに抱きつく瞬間だった。
黒髪が、陽光を弾いて踊っているみたいだ。
「会いたかった!」
「雅姫……?」
八木沢さんが戸惑っている。でも、彼女と顔を合わせた瞬間、彼は笑った。
間違いなく笑った。すぐに目をそらしたけれど、脳裏に焼き付いてしまった。
再会できてよかった。会いたかったよね。見たくない。見ていられない。
路上に駐めてある彼の車は、エンジンがかかったままだったから、道路にいた桂先生を見つけて車をおりてきたのだろう。
黙って自分の部屋に逃げようとしたら、背後から「和咲さん」と、八木沢さんが私に呼びかける声がした。振り返りたくないから、彼らに背を向けたまま立ち止まる。
「もしかして、この子、東梧の彼女なの? へえ……そうなんだ。あなた、どうして私を呼びとめたの? お人好しすぎるわよ。私なら黙ってる」
そう、黙っていればよかった。知らないふりをすればよかった。
逃げたいけれど、鍵を持っていないことに今さら気づいた。何も持たずに出てきてしまった。エントランスに入ることもできない。馬鹿すぎる。とことん馬鹿だと思う。寒くて手の震えがとまらない。
ヒールの音と人の気配に振り返ったら、桂先生が真後ろに立っていた。その視線には敵意しかない。
八木沢さんは、私と結婚するつもりはない。先日、はっきりとそう聞かされたばかり。だから、私なんかに敵意を向けなくていいのに。
彼女がゆっくり口角を上げて、妖艶に笑いながら小さな声で呟いた。
「つなぎの彼女かな?」
「……やっぱり帰ってください」
「動揺しちゃって可哀想に。ありがとう。おかげで色々分かった」
泣くのを堪えながら、もう一度「帰って」と訴えたけれど、桂先生は憐れむように笑うだけで動こうとしなかった。
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