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恋愛の終止符3
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荷物を積んだトラックは、先にマンション前に着いていた。急いで部屋に入り、重たい遮光カーテンを開き、「貴重品が多くあるので、指定された場所以外には絶対に荷物を置かないで欲しい」と伝えた。作業員のお兄さん二人は慣れた様子で手際よく作業して、荷入れもあっという間に終わってしまった。
終わってしまえばあっけない。
あんなに悩んで苦しんでも、終わるときはあっさり終わる。拍子抜けしそうなくらい簡単に。
洋室に整然と並んだ段ボールと少しの家具。私に残されたものはたったそれだけ。指輪もドレスもない。それを見ていると力が抜けて涙がこぼれてきた。
私の人生って、どうしてうまくいかないんだろう。
開け放した窓から、私がぼんやりと立っているリビングを通って、玄関へと風が吹き抜けていく。
ああ、業者さんが出て行ったのに、廊下の扉も玄関扉も開けっぱなしだ。ダブルオートロックとはいえ、侵入する方法はあるだろう。同じマンションの人が全員善人ではないだろうし、泥棒が入らないように閉めなくちゃ。管理も私のお仕事なのだから。
廊下から物音がしたので顔を上げて振り返ったら、八木沢さんが驚いた表情で立っていた。髪も無造作だし、スーツではなく普段着のシャツとスラックスだから、一瞬誰かわからなかった。
「トラックが出て行ったので、様子を……見にきたんです……が……」
「ありがとうございます。搬入も無事終わりました」
「……なにかトラブルでも?」
「大丈夫です。さすがプロで、骨董品には一切触れずに荷入れしてくださいました。これから荷解きして、掃除します」
「でも……」
彼が困惑と焦りの混ざった表情でこちらを見ているから、(そうだ、いま泣いていたんだ)と思い出した。
服の袖でぐいぐい顔を拭いて、玄関に向かいながら「すみません、お見苦しいところを」と謝ったが、八木沢さんは無言のまま玄関前に立ち尽くしている。
「そうしていつも、声を出さずに泣くんですか?」
問いの意味がわからず黙っていると、八木沢さんがジャケットのポケットからハンカチを取り出していたから、(ハンカチ持ち歩いてるのかぁ偉いなぁ)と、どうでも良いことに感心した。
「東京駅でも泣くのを我慢していましたよね」
「……そうでしたっけ?」
泣きたくないとは思っていた。こんなやつのために泣きたくない、と。
また風が抜けていく。私の長い髪が揺れて顔にかかったので、うっとうしいなと思った。ばっさり切ってやる。そう思いながら答えた。
「我慢するの、癖かもしれないです」
「我慢しなくていいと思います。失恋するのは誰だって辛いです」
「失恋……」
そうか、これは失恋なんだ。喪失の痛みってこれか。
両親を亡くした時、疑いもなくずっと続くと思っていた平凡な日常は突然断ち切られてしまった。幼い私は、死を理解できず、悲しいよりも寂しかった。
両親は駆け落ち同然で結婚したらしく、母方の祖父母に会ったのはお通夜が初めてだった。引き取られた当初は、居場所がなくて辛かった。思春期を家事と介護に費やして、恋愛なんかする暇がなかった。
真臣に出会って、生まれて初めて人並みに「女の子」になれた気がした。
「八木沢さん、も……失恋、したこと、ありますか?」
「ありますよ」
「泣きました、か?」
「泣きましたよ」
「悲しいのか、悔しい……のか、わからない、けど、勝手に涙がでます」
「泣いていいと思います」
「とまらない、です」
それ以上は嗚咽でしゃべれなくて、ぼたぼた涙が落ちていくのも止めることができなかった。ハンカチを差し出されても、どうしていいかわからなかった。使ったら汚してしまう。でも涙で頬が痛い。
いいのかな、と迷いつつも受け取って、結局そのハンカチをぐしゃぐしゃにしてしまった……。
うつむいた私の髪を、八木沢さんの大きな手が撫でてくれる。そうして控えめに前髪を撫でられていると、だんだん落ち着いてきた。そして、はっとした。
人前でこんなに泣いたのは初めてだ。子供みたいでみっともないから、呆れられたに違いない。
「わ、わわ、すみません! 綺麗なハンカチを汚して! ティッシュ! ティッシュどこ! ハンカチは洗って返します!」
「よろしくお願いします」
雑貨と書かれた段ボール箱を開けながら私が謝ると、八木沢さんは何事もなかったかのように笑った。
八木沢さんが優しく笑ってくれると、私の心が軽くなる。不思議。
終わってしまえばあっけない。
あんなに悩んで苦しんでも、終わるときはあっさり終わる。拍子抜けしそうなくらい簡単に。
洋室に整然と並んだ段ボールと少しの家具。私に残されたものはたったそれだけ。指輪もドレスもない。それを見ていると力が抜けて涙がこぼれてきた。
私の人生って、どうしてうまくいかないんだろう。
開け放した窓から、私がぼんやりと立っているリビングを通って、玄関へと風が吹き抜けていく。
ああ、業者さんが出て行ったのに、廊下の扉も玄関扉も開けっぱなしだ。ダブルオートロックとはいえ、侵入する方法はあるだろう。同じマンションの人が全員善人ではないだろうし、泥棒が入らないように閉めなくちゃ。管理も私のお仕事なのだから。
廊下から物音がしたので顔を上げて振り返ったら、八木沢さんが驚いた表情で立っていた。髪も無造作だし、スーツではなく普段着のシャツとスラックスだから、一瞬誰かわからなかった。
「トラックが出て行ったので、様子を……見にきたんです……が……」
「ありがとうございます。搬入も無事終わりました」
「……なにかトラブルでも?」
「大丈夫です。さすがプロで、骨董品には一切触れずに荷入れしてくださいました。これから荷解きして、掃除します」
「でも……」
彼が困惑と焦りの混ざった表情でこちらを見ているから、(そうだ、いま泣いていたんだ)と思い出した。
服の袖でぐいぐい顔を拭いて、玄関に向かいながら「すみません、お見苦しいところを」と謝ったが、八木沢さんは無言のまま玄関前に立ち尽くしている。
「そうしていつも、声を出さずに泣くんですか?」
問いの意味がわからず黙っていると、八木沢さんがジャケットのポケットからハンカチを取り出していたから、(ハンカチ持ち歩いてるのかぁ偉いなぁ)と、どうでも良いことに感心した。
「東京駅でも泣くのを我慢していましたよね」
「……そうでしたっけ?」
泣きたくないとは思っていた。こんなやつのために泣きたくない、と。
また風が抜けていく。私の長い髪が揺れて顔にかかったので、うっとうしいなと思った。ばっさり切ってやる。そう思いながら答えた。
「我慢するの、癖かもしれないです」
「我慢しなくていいと思います。失恋するのは誰だって辛いです」
「失恋……」
そうか、これは失恋なんだ。喪失の痛みってこれか。
両親を亡くした時、疑いもなくずっと続くと思っていた平凡な日常は突然断ち切られてしまった。幼い私は、死を理解できず、悲しいよりも寂しかった。
両親は駆け落ち同然で結婚したらしく、母方の祖父母に会ったのはお通夜が初めてだった。引き取られた当初は、居場所がなくて辛かった。思春期を家事と介護に費やして、恋愛なんかする暇がなかった。
真臣に出会って、生まれて初めて人並みに「女の子」になれた気がした。
「八木沢さん、も……失恋、したこと、ありますか?」
「ありますよ」
「泣きました、か?」
「泣きましたよ」
「悲しいのか、悔しい……のか、わからない、けど、勝手に涙がでます」
「泣いていいと思います」
「とまらない、です」
それ以上は嗚咽でしゃべれなくて、ぼたぼた涙が落ちていくのも止めることができなかった。ハンカチを差し出されても、どうしていいかわからなかった。使ったら汚してしまう。でも涙で頬が痛い。
いいのかな、と迷いつつも受け取って、結局そのハンカチをぐしゃぐしゃにしてしまった……。
うつむいた私の髪を、八木沢さんの大きな手が撫でてくれる。そうして控えめに前髪を撫でられていると、だんだん落ち着いてきた。そして、はっとした。
人前でこんなに泣いたのは初めてだ。子供みたいでみっともないから、呆れられたに違いない。
「わ、わわ、すみません! 綺麗なハンカチを汚して! ティッシュ! ティッシュどこ! ハンカチは洗って返します!」
「よろしくお願いします」
雑貨と書かれた段ボール箱を開けながら私が謝ると、八木沢さんは何事もなかったかのように笑った。
八木沢さんが優しく笑ってくれると、私の心が軽くなる。不思議。
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