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東京駅3
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この広い東京駅で、人を見つけるのは困難だと思っていたが、案外簡単に見つかった。なぜなら、私よりも先に到着していた真臣が、浮気相手とメロドラマを繰り広げ、山陽新幹線の南乗り換え口の人の流れが、明らかに彼らがいる場所を避けていたからだ。
私から連絡を受けたあと、武内さんと直接連絡を取り合ったのかもしれない。三年付き合った彼氏に浮気されて、もっと悲しいはずなのに。心が麻痺しているのか、それともこれを現実だと思っていないのか、彼らを見ても何だか他人事のようだった。
泣きわめく女と、肩を抱いてなだめる男。
武内七瀬と名乗った女性は、電話の声や話し方から年下を想像していたが、二十六歳の私よりも年上に見えた。実年齢は三十歳前後なのだろう。
背中の中程まである黒髪は一つに束ねてあり、私と同じくらいの長さだ。無地のワンピースにカーディガンと、服装は至ってシンプルで、服の趣味もなんとなく似ている気がした。
少し離れた場所から眺めていたら、二人が人目も気にせず抱き合った。唇が触れそうなくらいに顔を近づけて見つめ合っているので、どうやら二人の間で結論が出たらしい。おそらく私の出番はない。
私は第三者に成り果て、ただそれを眺めるしかなかった。動きたくても動けない。呆然としつつ、その時の私はなぜか、入社直後の真臣から「一目惚れしました!」と叫ぶように告白されたことを思い出していた。「あなたのことをよく知らないので」と断っても、何度も食事に誘われ、デートもした。周囲からの勧めもあって付き合い始めたが、生まれて初めての彼氏ということもあり、教えてもらうことばかりだった。
離れていても、毎日連絡をとっていたし、連休があれば必ず東京に戻ってきてくれた。一緒に住むならどこがいいか、いつも話していた。
(でも、順調にお付き合いが続いていると思っていたのは、私だけだったみたい)
私がいなくなればいい。邪魔にならないように。
彼らに一歩近づくと、私の存在にようやく気づいたらしい真臣と目が合った。さすがに気まずそうな表情になり、武内さんから少し離れようとしたが、彼女はすがるように彼の腕を放そうとはしなかった。
それはそうだろう。責任をとるべき真臣を、やっと捕まえたのだから。
すっきり別れよう。結婚式場のキャンセル料は全額、お二人に払って頂きたい。
けれど、私に向かって、真臣が発したのは、「距離を置こう」というあり得ない台詞だったのだ。
「……時間と距離を置いても解決しないよね……? そんな問題じゃないよ。本当は聞きたくないけど、説明はしてほしい。どうしてこうなったのか」
「和咲、落ち着いてほしいんだけど、違うんだよ」
この女性が本当に妊娠しているのなら、時間が経てば浮気の証拠が生まれてしまう。
自分が招いたことなのに、どうして真臣が泣きそうな顔をしているのだろう。泣きたいのは私のほうだ。
「一回だけ、なんだよ」
「……何が?」
「七瀬さんは同じ部署で仲良くしてて、引っ越しの手伝いにも来てくれてさ。それで、その……二人きりで荷造りしてた時に告白されて……最後だからって……」
一回だけ! とやたら強調していたが、想像すると吐きそうになった。
私が荷作りの手伝いに行けばよかった。年度末で忙しいから来なくていいよと言ってくれたけど、行けばよかった。私がいたら、きっとそんなことにはならなかった。血の気が引いていくようで寒気がする。
ああ、そうだ。私ちょっと貧血気味だから、今の状況ってよくないかも。そういえば春の健康診断で、去年は「経過観察」だったのに、今年は「要再検査」だった。まだ病院の予約してないや。自分が受けるわけじゃないのに「血液検査の注射針、怖いよな」と真臣が怯えて、それを見て私は笑っていた。今朝までは幸せだったな。
「彼女が『妊娠した』って伝えたら、それから連絡を無視したのは本当?」
「え? いや、無視したわけじゃないよ。昼間は仕事で忙しいし、夜は家に帰ったら和咲もいるし、ちょっと連絡とりづらくて……」
「本当なんだね」
真臣は面倒事から逃げがちで、嫌なことを後回しにする癖がある。武内さんがそんなことまで私に暴露していたと思ってなかったようで、真臣がうろたえて慌てだした。
彼女はそんな真臣を見上げると、落ち着いた声で言った。
「連絡できなかったのは、彼女さんのせい?」
「あ、うん。そう、そうだよ。ごめんね、七瀬さん」
「私のせい!?」
彼女の誘導で簡単に私を悪者にした真臣に、麻痺していた感情がさすがに動いた。私、もっと怒っていいんじゃないかな。
私から連絡を受けたあと、武内さんと直接連絡を取り合ったのかもしれない。三年付き合った彼氏に浮気されて、もっと悲しいはずなのに。心が麻痺しているのか、それともこれを現実だと思っていないのか、彼らを見ても何だか他人事のようだった。
泣きわめく女と、肩を抱いてなだめる男。
武内七瀬と名乗った女性は、電話の声や話し方から年下を想像していたが、二十六歳の私よりも年上に見えた。実年齢は三十歳前後なのだろう。
背中の中程まである黒髪は一つに束ねてあり、私と同じくらいの長さだ。無地のワンピースにカーディガンと、服装は至ってシンプルで、服の趣味もなんとなく似ている気がした。
少し離れた場所から眺めていたら、二人が人目も気にせず抱き合った。唇が触れそうなくらいに顔を近づけて見つめ合っているので、どうやら二人の間で結論が出たらしい。おそらく私の出番はない。
私は第三者に成り果て、ただそれを眺めるしかなかった。動きたくても動けない。呆然としつつ、その時の私はなぜか、入社直後の真臣から「一目惚れしました!」と叫ぶように告白されたことを思い出していた。「あなたのことをよく知らないので」と断っても、何度も食事に誘われ、デートもした。周囲からの勧めもあって付き合い始めたが、生まれて初めての彼氏ということもあり、教えてもらうことばかりだった。
離れていても、毎日連絡をとっていたし、連休があれば必ず東京に戻ってきてくれた。一緒に住むならどこがいいか、いつも話していた。
(でも、順調にお付き合いが続いていると思っていたのは、私だけだったみたい)
私がいなくなればいい。邪魔にならないように。
彼らに一歩近づくと、私の存在にようやく気づいたらしい真臣と目が合った。さすがに気まずそうな表情になり、武内さんから少し離れようとしたが、彼女はすがるように彼の腕を放そうとはしなかった。
それはそうだろう。責任をとるべき真臣を、やっと捕まえたのだから。
すっきり別れよう。結婚式場のキャンセル料は全額、お二人に払って頂きたい。
けれど、私に向かって、真臣が発したのは、「距離を置こう」というあり得ない台詞だったのだ。
「……時間と距離を置いても解決しないよね……? そんな問題じゃないよ。本当は聞きたくないけど、説明はしてほしい。どうしてこうなったのか」
「和咲、落ち着いてほしいんだけど、違うんだよ」
この女性が本当に妊娠しているのなら、時間が経てば浮気の証拠が生まれてしまう。
自分が招いたことなのに、どうして真臣が泣きそうな顔をしているのだろう。泣きたいのは私のほうだ。
「一回だけ、なんだよ」
「……何が?」
「七瀬さんは同じ部署で仲良くしてて、引っ越しの手伝いにも来てくれてさ。それで、その……二人きりで荷造りしてた時に告白されて……最後だからって……」
一回だけ! とやたら強調していたが、想像すると吐きそうになった。
私が荷作りの手伝いに行けばよかった。年度末で忙しいから来なくていいよと言ってくれたけど、行けばよかった。私がいたら、きっとそんなことにはならなかった。血の気が引いていくようで寒気がする。
ああ、そうだ。私ちょっと貧血気味だから、今の状況ってよくないかも。そういえば春の健康診断で、去年は「経過観察」だったのに、今年は「要再検査」だった。まだ病院の予約してないや。自分が受けるわけじゃないのに「血液検査の注射針、怖いよな」と真臣が怯えて、それを見て私は笑っていた。今朝までは幸せだったな。
「彼女が『妊娠した』って伝えたら、それから連絡を無視したのは本当?」
「え? いや、無視したわけじゃないよ。昼間は仕事で忙しいし、夜は家に帰ったら和咲もいるし、ちょっと連絡とりづらくて……」
「本当なんだね」
真臣は面倒事から逃げがちで、嫌なことを後回しにする癖がある。武内さんがそんなことまで私に暴露していたと思ってなかったようで、真臣がうろたえて慌てだした。
彼女はそんな真臣を見上げると、落ち着いた声で言った。
「連絡できなかったのは、彼女さんのせい?」
「あ、うん。そう、そうだよ。ごめんね、七瀬さん」
「私のせい!?」
彼女の誘導で簡単に私を悪者にした真臣に、麻痺していた感情がさすがに動いた。私、もっと怒っていいんじゃないかな。
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