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東京駅2
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私はコンサルティング会社で一般事務の仕事をしている派遣社員だ。電話を取り次ぐことはあれど、私自身に用事があって電話をかけてくる人はまずいない。それに社内の人間なら、社用の携帯電話へ直接連絡をするのが通例。
だから、福岡支店の社員で武内七瀬と名乗る人物から『戸樫和咲さんですか?』と名指しで外線電話がかかってきたこと自体が奇妙だった。
「お疲れ様です。戸樫和咲は私ですが、どういったご用件でしょうか?」
『あ、はい……あの、いまお電話……突然すみません……戸樫さんの携帯の番号とかわからなくて。メールでは言えないし……』
何か事務ミスでもあったのかと、用件を聞き出そうとしても『話しづらくて』と言い、しどろもどろで要領を得ない。表示されている番号は、おそらく個人の携帯電話。
(福岡支店とのやり取りあったかな? そもそもこの人は本当に福岡支店に在籍している人だろうか?)
そう疑い始めていた私は、ようやく告げられた電話の目的に言葉を失った。
『あの、わたし、真臣くんの子供を妊娠してるんです。だから、戸樫さんは真臣くんと別れてほしいんです』
仕事のことだとばかり思い込んでいたから、しばらく理解が追いつかなかった。
多分、私は今、ものすごく変な顔をしていると思う。
向かいの席の藤原さんがずっとこちらを見ている。私が取り次ぐ様子がないので、かかってきた電話が誰宛なのか気になるのだろう。
首をかしげた彼女から「クレーム?」と小声で聞かれたので、慌てて首を横に振った。そんなこちらの状況にはお構いなしに、電話の向こうの武内さんは話を続ける。
『お願いします。別れてくれませんか?』
真臣は私を大切にしてくれるし、勿論別れたいなんて一度も言われたことはない。
でも、真臣はこの春まで福岡支店勤務だった。
信じたいけれど、離れた場所での出来事なんて私にわかるはずもない。沈黙していると、彼女が続けた。
『真臣くんから言われたんです。妊娠したなんて、そんな嘘つくなって。でも嘘じゃないんです。本当なのに……私どうしていいかわからなくて……』
「申し訳ありませんが、プライベートな内容でしたら、退勤後でもよろしいですか? 武内さんは勤務時間中ですか?」
『え、いえ、今日は休んでて……。真臣くんがずっと電話に出てくれないから、会いに来たんです』
冷静でいようと頑張ったけれど、さすがに混乱してきた。……福岡から会いに来た?
真臣が、自分の子を妊娠したと言っている女の子を無視している?
詳しく話を聞かないことには何も判断できない。
彼女は東京に来るのは初めてで何もわからないらしく、なぜか私が東京駅の新幹線口に呼び出されることになってしまった。
私が電話を切ると、待っていたかのように藤原さんが声を掛けてきた。
「どうしたの? 戸樫さんすっごい顔してるけど、どこからの電話?」
「福岡支店です」
「春まで柴田がいたとこだね。プライベートがどーのこーの言ってたけど、結婚式の問い合わせ? 式場決まったんだっけ? お花とか祝電とか?」
藤原さんはベテランの事務担当で、噂話が大好き。だから余計な詮索をされたくなくて、「そうです。でも私じゃわからないことだったので、柴田くんに聞いてみます」と笑って誤魔化した。
真臣は東京オフィスに戻ってすぐ、大きなプロジェクトチームの一員に抜擢されていた。大企業の経営再建に関わる業務で、事業承継対策グループで事務補佐をしている私とはフロアも同じ。だから、彼が今日の夕刻まで取引先に出向いていることも知っているし、きっと電話をしても出ないだろうこともわかる。
武内さんも、連絡したが繋がらず、私のいる部署に掛けてきたのだろう。
……真臣に直接連絡したいけれど、答えを聞くのが怖い。勇気が出ない。
しばらく悩んでから、私は自分の仕事を片付けて、時間休を申請することにした。
時間休つまり時間単位の有給休暇を、派遣社員の私が申請するなんてやっぱり嫌がられるかなと怯みそうになったが、上司は案外あっさりと許可をくれた。
あと一時間とはいえ、定時前に急にいなくなるのだから迷惑だろうと思ったが、「いつも働き過ぎだから。むしろ遠慮せず、もっと有給とって」と言われてしまった。優しさに甘えるのが申し訳ないと思いつつ、身支度して会社を出てから、意を決して真臣に連絡した。
「武内七瀬という女性のことで聞きたいことがあります。東京駅に来て欲しいです」
メッセージでそう伝えると、仕事中のはずなのに『すぐ行く』との短い返事がきた。帰社途中で神田周辺にいたらしいが、彼の慌てた対応に(ああ、これって修羅場ってやつになるんだろうな……)と、その時点で半ば諦めてしまった。
離れていた三年間、もっと彼の家に行けばよかったのかな。
そもそも彼の両親は、私が両親を亡くして、経済的な援助をしてくれる人が一切いないことに難色を示していた。だから貯蓄を優先して交通費を惜しんでいたのだけど、それも含めて私が悪かったんだと思う……。
だから、福岡支店の社員で武内七瀬と名乗る人物から『戸樫和咲さんですか?』と名指しで外線電話がかかってきたこと自体が奇妙だった。
「お疲れ様です。戸樫和咲は私ですが、どういったご用件でしょうか?」
『あ、はい……あの、いまお電話……突然すみません……戸樫さんの携帯の番号とかわからなくて。メールでは言えないし……』
何か事務ミスでもあったのかと、用件を聞き出そうとしても『話しづらくて』と言い、しどろもどろで要領を得ない。表示されている番号は、おそらく個人の携帯電話。
(福岡支店とのやり取りあったかな? そもそもこの人は本当に福岡支店に在籍している人だろうか?)
そう疑い始めていた私は、ようやく告げられた電話の目的に言葉を失った。
『あの、わたし、真臣くんの子供を妊娠してるんです。だから、戸樫さんは真臣くんと別れてほしいんです』
仕事のことだとばかり思い込んでいたから、しばらく理解が追いつかなかった。
多分、私は今、ものすごく変な顔をしていると思う。
向かいの席の藤原さんがずっとこちらを見ている。私が取り次ぐ様子がないので、かかってきた電話が誰宛なのか気になるのだろう。
首をかしげた彼女から「クレーム?」と小声で聞かれたので、慌てて首を横に振った。そんなこちらの状況にはお構いなしに、電話の向こうの武内さんは話を続ける。
『お願いします。別れてくれませんか?』
真臣は私を大切にしてくれるし、勿論別れたいなんて一度も言われたことはない。
でも、真臣はこの春まで福岡支店勤務だった。
信じたいけれど、離れた場所での出来事なんて私にわかるはずもない。沈黙していると、彼女が続けた。
『真臣くんから言われたんです。妊娠したなんて、そんな嘘つくなって。でも嘘じゃないんです。本当なのに……私どうしていいかわからなくて……』
「申し訳ありませんが、プライベートな内容でしたら、退勤後でもよろしいですか? 武内さんは勤務時間中ですか?」
『え、いえ、今日は休んでて……。真臣くんがずっと電話に出てくれないから、会いに来たんです』
冷静でいようと頑張ったけれど、さすがに混乱してきた。……福岡から会いに来た?
真臣が、自分の子を妊娠したと言っている女の子を無視している?
詳しく話を聞かないことには何も判断できない。
彼女は東京に来るのは初めてで何もわからないらしく、なぜか私が東京駅の新幹線口に呼び出されることになってしまった。
私が電話を切ると、待っていたかのように藤原さんが声を掛けてきた。
「どうしたの? 戸樫さんすっごい顔してるけど、どこからの電話?」
「福岡支店です」
「春まで柴田がいたとこだね。プライベートがどーのこーの言ってたけど、結婚式の問い合わせ? 式場決まったんだっけ? お花とか祝電とか?」
藤原さんはベテランの事務担当で、噂話が大好き。だから余計な詮索をされたくなくて、「そうです。でも私じゃわからないことだったので、柴田くんに聞いてみます」と笑って誤魔化した。
真臣は東京オフィスに戻ってすぐ、大きなプロジェクトチームの一員に抜擢されていた。大企業の経営再建に関わる業務で、事業承継対策グループで事務補佐をしている私とはフロアも同じ。だから、彼が今日の夕刻まで取引先に出向いていることも知っているし、きっと電話をしても出ないだろうこともわかる。
武内さんも、連絡したが繋がらず、私のいる部署に掛けてきたのだろう。
……真臣に直接連絡したいけれど、答えを聞くのが怖い。勇気が出ない。
しばらく悩んでから、私は自分の仕事を片付けて、時間休を申請することにした。
時間休つまり時間単位の有給休暇を、派遣社員の私が申請するなんてやっぱり嫌がられるかなと怯みそうになったが、上司は案外あっさりと許可をくれた。
あと一時間とはいえ、定時前に急にいなくなるのだから迷惑だろうと思ったが、「いつも働き過ぎだから。むしろ遠慮せず、もっと有給とって」と言われてしまった。優しさに甘えるのが申し訳ないと思いつつ、身支度して会社を出てから、意を決して真臣に連絡した。
「武内七瀬という女性のことで聞きたいことがあります。東京駅に来て欲しいです」
メッセージでそう伝えると、仕事中のはずなのに『すぐ行く』との短い返事がきた。帰社途中で神田周辺にいたらしいが、彼の慌てた対応に(ああ、これって修羅場ってやつになるんだろうな……)と、その時点で半ば諦めてしまった。
離れていた三年間、もっと彼の家に行けばよかったのかな。
そもそも彼の両親は、私が両親を亡くして、経済的な援助をしてくれる人が一切いないことに難色を示していた。だから貯蓄を優先して交通費を惜しんでいたのだけど、それも含めて私が悪かったんだと思う……。
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