上 下
12 / 31

12 スージーは暗い檻の中

しおりを挟む
「……」


 その顔が思いのほか冷静で、私は違和感を覚えた。
 横顔から読み取れたのは、絶望や怒りや焦りでも恐怖でもなく、疲労。
 
 夜泣きが堪えた?

 だけど、確かに母性だけは感じたのに。
 やはり彼女は、兄に相応しい酷い娼婦、それだけのものなのか。

 がっかりしている自分に、びっくりよ。
 なにを期待していたのだろう。


「……」


 ええ、そうよ。
 赤ん坊と引き離されて泣き叫ぶ姿を、目の当たりにすると思い込んでいたのよ。

 たとえ、兄に相応しい娼婦だろうと。

 溜息をついた私の背中を、アルセニオが摩ってくれる。
 スージーを連行する役人たちは、執事が対応してくれていた。

 重苦しい空気の中で、私たちは順に大階段を下りていた。
 
 そしてついに、玄関広間の中央でスージーが足を止めた。
 縄を引かれても踏ん張り、振り向いた。

 燃えるような瞳で。


「私たちの暮らしを知ってる?」

「歩け!」


 役人が容赦なく連れて行こうとしても、スージーは踏みとどまった。そして私ではなく、まだ大階段の中腹にいたリヴィエラに叫んだ。


「あんたはいいねぇ! 殴られもしない! 蹴られもしない! ただそうやって着飾って泣いていれば守ってもらえるお貴族様が、この世の終わりみたいな顔していい気なもんだ! 私たちみたいに金で買われて股を開かなきゃ食ってけない女がさぁッ、みんな好きでやってるわけじゃないんだよッ! あんたらお貴族様が貪り食って出した糞の塊なんだよッ!!」

「黙れ!」


 ことさら強く縄を引かれ、スージーは引き摺られるようにまた歩き出した。けれど、その燃えるような目を私に据えた。


「ね、ソニア様?」

「!」


 突き刺されたような衝撃。
 私は、初めてスージーを恐いと思った。

 アルセニオが庇うように私を抱きしめた。


「伯爵様が今の代になってから、町がどこまで落ちぶれたかご存知?」

「いい加減にしろ!」


 ついに役人がスージーの頭に麻袋を被せた。
 そして担がれ、物のように運ばれていった。

 心臓がバクバクいって、汗が噴き出す。

 間違っている。
 とにかく、何か取り返しのつかない罪を犯してしまったような、そんな焦燥。


「引き留めて」


 私はアルセニオの胸を叩き、そう言っていた。


「ソニア?」

「いいから。馬車を出させないで」

「無駄だ。彼女は不敬罪で逮捕されたんだ」

「わかってるから少し待たせて!」


 アルセニオの腕から飛び出し、大階段を駆け上る。
 途中、座り込んだままスージーに目を向けるリヴィエラを追い越す。

 私は私室に走った。

 事情を把握しているらしいメイドは、頑としてカルミネを離さなかった。だから、カルミネのよだれかけを掴んだ。
 それから寝室に飛び込んで、邪魔なベッドの上かけを剥いで、シーツを掻き集めて丸めてそれを抱いてまた走った。

 大階段を駆け下り、玄関広間を駆け抜け、前庭に出る。
 囚人用の馬車が死神のようにそこにいた。

 檻の中に座るスージーは抜け殻のようだった。

 役人を引き留めていたアルセニオが、私を不安そうに見つめた。私は大股で檻の前まで行き、スージーに声をかけた。


「私よ」


 それから鉄格子の隙間に手を入れて、彼女の頭から麻袋を外した。


「いつもお優しい事で」


 スージーが鼻で笑う。
 スージーは疲れているのだ。人生に。

 
「あの日、ブランケットをかけたのはたぶんリヴィエラ」

「……」


 反応は薄い。
 私は話題を変えた。あまり時間はない。


「兄は宗教裁判ですって」


 スージーの夫であり、カルミネの父親。
 悪魔みたいな男で、不出来な領主で、それを承知で憎々しいお貴族様の胤を宿して乗り込んで来たなんて、どうして……そんな疑問が私の中で渦巻いていた。

 なにがしたかったの?

 兄がリヴィエラにしたかったように、傷つけるために貴族の血を引くこどもを産んだの?

 

 そう思うのと同時に、スージーが私を凝視した。
 私は息を呑んだ。

 あなたは棄てないでしょ、と。
 鋭い眼差しが真意を伝えてくる。

 
「……」


 恵まれずに生まれ、娼婦になるしかなかった。
 こどもがほしいけど、とても育てられない。
 だけど貴族との子なら、こどもは生きていける。

 そんなふうに考えていた人なのだと、私が勝手に思いたいだけ。

 グルグル巻きのシーツからカルミネのよだれかけを引っ張り出して、檻の中にぐいと挿し込んだ。


「!」


 スージーの仮面が、砕けた。
 スージーはよだれかけを掴むと、震える手で握りしめ、抱きしめるように胸元に寄せて、キスをした。切なそうに眉を絞り、嗚咽を洩らした。


「私がちゃんと育てる」


 返事はなかった。
 それに、時間もなかった。

 
「アルセニオ。手伝って」


 彼を呼び、檻の外側をシーツで覆う。


「見世物になんかさせないわ。あの子の母親なのよ」

「お人好しめ」


 悪態をつきながらも、アルセニオは手伝ってくれた。

 いつだってそう。
 私の望みを叶え、私のためになんでもしてくれる。

 愛されている。

 けれど……この世は不公平で、責任の一端を私も背負っている。
 そんな事を考えながら、私は、馬車を見送った。
しおりを挟む
感想 69

あなたにおすすめの小説

愛のない結婚を後悔しても遅い

空橋彩
恋愛
「僕は君を望んでいない。環境が整い次第離縁させてもらうつもりだ。余計なことはしないで、大人しく控えて過ごしてほしい。」 病弱な妹の代わりに受けた縁談で嫁いだ先の公爵家は、優秀な文官を輩出している名門だった。 その中でも、近年稀に見る天才、シリル・トラティリアの元へ嫁ぐことになった。 勉強ができるだけで、人の心のわからないシリル・トラティリア冷たく心無い態度ばかりをとる。 そんな彼の心を溶かしていく… なんて都合のいいことあるわけがない。 そうですか、そうきますか。 やられたらやり返す、それが私シーラ・ブライトン。妹は優しく穏やかだが、私はそうじゃない。そっちがその気ならこちらもやらせていただきます。 トラティリア公爵は妹が優しーく穏やかーに息子を立て直してくれると思っていたようですが、甘いですね。 は?準備が整わない?しりません。 は?私の力が必要?しりません。 お金がない?働きなさい。 子どもおじさんのシリル・トラティリアを改心させたい両親から頼みこまれたとも知らない旦那様を、いい男に育て上げます。

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

元婚約者の落ちぶれた公爵と寝取った妹が同伴でやって来た件

岡暁舟
恋愛
「あらあら、随分と落ちぶれたんですね」 私は元婚約者のポイツ公爵に声をかけた。そして、公爵の傍には彼を寝取った妹のペニーもいた。

この子、貴方の子供です。私とは寝てない? いいえ、貴方と妹の子です。

サイコちゃん
恋愛
貧乏暮らしをしていたエルティアナは赤ん坊を連れて、オーガスト伯爵の屋敷を訪ねた。その赤ん坊をオーガストの子供だと言い張るが、彼は身に覚えがない。するとエルティアナはこの赤ん坊は妹メルティアナとオーガストの子供だと告げる。当時、妹は第一王子の婚約者であり、現在はこの国の王妃である。ようやく事態を理解したオーガストは動揺し、彼女を追い返そうとするが――

処理中です...