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4 いじらしい年下の義姉

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 私が乳母車を押して部屋を出ると、すぐ赤ん坊を抱いたスージーがついてきた。
 兄とどう連絡を取り合う気か知らないけれど、できるだけ引き離し、統率を乱してやるわよ。


「それで、産まれは?」

「ひぎゃあああっ!」

「……え?」

「だから、スージー。あなたの故郷は?」

「んぎゃああああっ!」


 しかし泣くわね。
 融通の利く口の堅いメイドに、耳栓を頼もう。


「ああっ、大変! おしめです! おしめを変えないと!」


 突如、それまでの冷静さというか太々しさが嘘のように、スージーが叫んだ。

 それではぐらかしたつもり?
 逃げようったって、無駄よ。

 お手並み拝見といこうじゃないの!


「ぜひ教えてちょうだい! おしめってどう変えるの!?」

「ひぎゃあっ!」

「いいえ! ソニア様! おしめなんてそんなッ!」

「おんぎゃああっ!」

「ダメよ! あなたの代わりに私がやる日は絶対に来るもの!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」

「ソニア様っ!」

「カルミネは限界よっ! おしめを変えて! 今ここでッ!!」


 その時、スッと古いメイドが寄ってきて言った。


「臭いません。お嬢様、お腹が空いているのです」

「…………」

「ガッガッガッガッ!!」


 もはや、壊れた獣よ。
 可愛い顔して、あんよとおててを縦横無尽に打ち出す獣。


「スージー? お乳ですって」

「……年の功ですね。恐れ入りました」


 メイドの冷たい視線がスージーに注がれる。
 その色は、侮蔑一色。

 そうよね。
 私じゃなくたって、スージーの正体はわかるのよ。

 なんて女。
 そして、兄がクソ野郎すぎるわ。

 なぜ死んだのよ、お父様。
 と、お母様。


「ありがとう」


 もう大丈夫だと目配せで報せつつ、礼を告げてメイドを持ち場に返す。

 手近な扉を開けて、乳母車を廊下に残してスージーを呼んだ。
 実際、母乳を与えるとカルミネは静かになった。そしてゲップをして、スージーの胸元に吐いた。


「着替えてらっしゃい」


 スージーは不服そうだったけれど、引き下がった。
 ついさっきまでいた事すら知らなかった存在のスージー。
 どこで着替えて戻って来るか、考えるだけ無駄というものよね。


「さぁ、お坊ちゃん。お口をふきふきしましょうね」

「だぁ」


 乳母車に寝かせる。
 口周りを拭き終わると、なんとなく笑ったように見える顔をしてから、カルミネは眠った。

 乳母車の前にしゃがみ、改めて眠る甥を見てみる。


「……可愛い」


 どんな親から生まれようと関係ない。
 可愛くて、美しい命。

 本当に兄の子なら、おばちゃんが守ってあげるわ。


「?」


 私、今……なんて。

 なんて思った?


「……」


 どこともなく、数分前にスージーが歩いて行った廊下の先を、じっと見つめた。

 スージーが、兄の愛人だったのは、確かだろう。
 死を偽装してまで隠した愛人、スージーという女の正体はなんなのか。


「……関係ないわ」


 もう、私の息子になったんだもの。
 
 気を取り直し、私は私室に向かって乳母車を押し始めた。

 そして、私の部屋の中でぽつんと立ち尽くす義姉と鉢合わせたのだった。


「!」


 そうよ。
 忘れてはいなかったけれど、赤ん坊の世話が初めてで気を取られて。

 なにより深刻な問題は、彼女よ。
 私の一才年下で、兄の妻のリヴィエラ。

 彼女への非礼は、許されざる罪。


「……ソニア」


 か細い声で私を呼び、リヴィエラがふり向いた。
 まだあどけなさの残る、可愛らしい、完璧な伯爵夫人。


「あの人から聞きました……」


 え、早い。

 それとも、もうだいぶ経つ?
 赤ん坊の世話って、時が一瞬で過ぎ去るの?


「あなたが、よくない事をなさって、身篭って、婚約を破棄されたって」

「ええ」


 どうするの。
 リヴィエラは馬鹿じゃないのよ。


「その子が、そうなの……?」


 ふらふらっと。

 リヴィエラが乳母車の中の赤ん坊に目を据えて、寄って来る。


「ええ、そう……」


 とてつもない緊張に耐えていると、リヴィエラはふと笑顔を見せた。


「抱いてもいい?」


 それは、赤ん坊へ対する、只の愛情だった。
 絶望の中、瞳を輝かせた、たった一つの愛。

 私も乳母車を覗き込むと、起きていたので、リヴィエラに抱かせた。下に4人の弟妹がいるリヴィエラは、赤ん坊の抱き方が上手かった。
 

「可愛い……」


 優しい笑顔で言いながら、リヴィエラは大粒の涙を零した。


「リヴィエラ……」

「あの人の子なのね……」

「リヴィエラ、それは」

「いいのよ。だって、あなたは妊娠なんてしていなかったし、赤ちゃんはこんなにすぐ毛が生えないもの」


 滂沱の涙を流しながら、微笑みを浮かべたまま、優しくカルミネを抱いたまま、リヴィエラは現実を受け入れていく。


「ごめんなさい」


 それしか言えない。
 リヴィエラは激しく首を振った。


「いいの! あなたは悪くない。この子も悪くない。わかってる。そうよ、だってこんなに可愛いもの……っ」


 ついにリヴィエラの微笑みを悲しみが塗りつぶした。
 そして赤ん坊を私に突き出す。

 私が抱いた瞬間、カルミネはぐずり出した。


「うぎゅぁ」

「だけど、私、この子になにをしてしまうかわからない……っ!」

「あっ、んぎゃっ、ぶぁ」

「ごめんなさい……っ、あなたを責めたりしない。だけど私、この子には近づけない……私は私がどうなってしまうかわからないの……ソニア、あなたも大変なのに私なんの支えにもなってあげられない……ごめんなさい……っ」


 リヴィエラはもう充分すぎるほど混乱していた。
 それでも、愛情と善意で私の部屋を訪ねてくれたのだ。

 そんな事は、わかっている。

 私はぐずるカルミネを乳母車に寝かせ、リヴィエラを抱きしめた。壊れてしまいそうなほど震えている。泣き叫ぶわけでもないのに、とめどない涙を溢れさせて。


「あなたは何も悪くない」

「ごめんなさいっ、私っ、私……ッ!!」

「謝らないで。あなたは、あなただけは、我慢しないで」


 次の瞬間。
 リヴィエラは私にしがみつき号泣した。
 咽び泣き、絶望した。

 当然だ。


「リヴィエラ。本当にごめんなさい」


 謝る事しかできない。
 いくら彼女だけは守ると心に誓っても、それは今、口にしてはいけない。
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