婚約破棄したくせに「僕につきまとうな!」とほざきながらストーカーするのやめて?

百谷シカ

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10 永遠の別れですね

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 その日、結婚式を1ヶ月後に控えた私とロイクは、すっかり周囲に認知されたプレ夫妻としてサヴィニャック伯爵家の晩餐会に招かれていた。

 美しく年齢を重ねたサヴィニャック伯爵夫人は、孫と同じ世代の私たちを「お似合いね」と言って笑顔で眺め、「私の若い頃に似てる」とも言って抱きしめ、自身の人脈すべてに「未来のフェドー伯爵夫妻よ」と紹介してくれた。その中には王家に連なる公爵家から養子に出た末っ子の伯爵や、内政に口の利く侯爵などの有力者もいて、未来は約束されたかに思えた。
 実際、約束はされた。

 邪魔が入っただけ。


「おい、君!」


 唐突に背後から怒鳴りつけられた時、ちょうどロイクは私の手にアプリコットのタルトとフォンダンショコラを託し、次のプチフールからエクレアとババロアを獲得すべくその場を離れていた。
 
 私の口から、ポロリとタルトの欠片が落ちる。


「いい加減……ッ、僕につきまとうの、やめてくれないかッ!?」


 元婚約者で、今はどこぞの年上令嬢に幽閉されているはずの、ディディエ伯爵令息アンリ・ヴァイヤンが、目を剥いて、今にも私に掴みかかろうと息巻いていた。


「……えっ!?」


 一瞬は理解が追いつかなかった私だけれど、事態に気づき、後ずさった。
 私にはフォンダンショコラを守り通す使命を背負っている。フォンダンショコラを塗りつけるとすれば、塗った後に指で掬ってふたりで舐めて笑顔になれるような相手つまりロイクだけなのだ。

 元婚約者は違う。
 永遠に、プチフールを共にする事はない。


「無邪気な顔をして、どうせ僕に会うために来たんだろう? いいか? 僕は……そう、うん、ふっ……君は知らないから……そうかそうか、僕を……ははっ、なるほどね。そういうの迷惑だ。帰ってくれ」

「いや……、たぶんそういう事では」

「君の勘違いだ! 僕は婚約した! もう君とは終わったんだ! 僕を解放してくれ!!」


 言葉が通じない。
 返事をするだけ無駄だ。


「……」


 私は口を噤んだ。
 なぜなら、ここは安全だから。
 周囲にはたくさんの貴族がいて、何事かとこちらを気にしているし、すぐにロイクが戻って来る。私が守らなければいけないのは、また、ロイクが持ってきてくれるプチフールの宝石だけだろう。

 そう思った矢先、人垣を掻き分けて突進してきた人物がいた。ふたり。

 ひとりは、エクレアとババロアを掲げ顎をピクピクさせているロイク。
 そしてもう一人は、やせ型で背の高い、貴婦人……


「ひっ!」


 元婚約者が真っ青になって肩を竦ませる。
 

「ん?」


 ロイクが一度足を止める。


「寝言は寝てお言い遊ばせ」


 やせ型で背の高い貴婦人が剣呑な目つきで囁き、素早く腕を伸ばした。それは私の元婚約者の胸倉を無慈悲に掴むと、いとも簡単に引き寄せた。貴婦人は反対の手を対角線上に高く振り上げ、そして鋭く振り下ろす時に手の甲で私の元婚約者の頬を打った。


「!」

「……」

「……」


 沈黙。
 そして静寂。

 その静寂の間に、貴婦人の手は右と左の頬を往復。何度も。何度も。


「……」


 何度も。

 ロイクがにやりと見ようによっては人の悪い笑みを浮かべて、ゆっくりと私に寄り添った。私の口にエクレアがあてがわれた時には、貴婦人の指輪が私の元婚約者の頬に傷をつけていた。


「あれぞ手綱だな」


 ロイクは面白がっている。
 もう誰もが察していた。あのやせ型の背の高い貴婦人は、貴婦人ではなく、頭のおかしいディディエ伯爵令息を買い取って閉じ込めようという奇特な行き遅れ令嬢なのだと。

 救世主のように、彼女は神々しい。
 そしてエクレアが美味しい。


「あなたのほうが元婚約者にご執心ではございませんこと? 誰の目から見ても明らかでしてよ。今となっては私というものがありながら、未練タラタラ若い令嬢を追いかけ回し、因縁をつけて詰り、脅して、いったいどんな自尊心を慰めようとしていらっしゃるのやら。見苦しい。延いては招かれた晩餐会で恥を晒し、私の顔に泥を塗った事おわかりでなくて? この立派な頭の中には綿でも詰めていらっしゃるのかしら?」


 枯木のような細い腕は、まだ右と左を往復している。
 そこへ淡々とした静かな声が重なり、とても恐い。
 やがて私の元婚約者はぱたりと倒れた。

 次の瞬間、枯木の貴婦人もとい令嬢は晴れやかな笑みを浮かべた。そして私のほうに体を向けて、深く丁寧なお辞儀をした。


「連れが御迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。これからは私が閉じ込めて2度と余所見をさせませんので、今回の事は寛大な御配慮を戴けましたら嬉しく存じます」

「ああ、もちろんだ!」


 ロイクは乗り気。
 

「なあ!」

「ええ。もちろんです」

「ありがとうございます」


 意気投合した。


「どうかお顔をあげてください。あの……」


 彼女はすっと姿勢を正した。
 強い眼差しは、永遠に、記憶に焼き付けられた。


「申し遅れました。私はカニャール伯爵令嬢アリアーヌ・ギャイエと申します」


 彼女は無慈悲に自分の婚約者を引き摺り客室に閉じ込めて、その後も晩餐会を満喫していた。大物になる予感がした。強烈だった。

 私たちも気をとり直して晩餐会を満喫した。
 口に合わないものの事をいつまでも考え続けるなんて、時間の無駄なのだから。
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