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13 アスター伯爵夫人の世界

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 ──2年後。


 春の嵐がアスター領を包み込んだ夜。
 それでも、豪雨に打たれながらカメロン侯爵家の馬車が到着した。


「ほら来た。来れるんだ、あの人は」

「もう数日待って頂いてもよかったのに」

「なんといっても、あれだけ平坦な馬車道だからね。馬車ごと飛ばされない限り義兄上は来るし、馬車が飛ばされたら姉上は這ってでも来るよ」

「もう、シャロンったら」


 床に膝をついて、私のお腹にキスをして、彼はスッと立ち上がり出迎えに玄関広間まで下りて行った。

 私は安楽椅子に腰かけたまま、大きく膨らんだお腹に手を添えて、雨の打ち付ける暗い窓を眺めた。

 お医者様と両親は、1週間前から滞在している。
 いよいよ産まれそうだという事で、カメロン侯爵夫妻が来てくれたのだ。


「オリヴィア!」

「お義姉様」


 雨に濡れようと、義姉ヴァレンティナは美しさに凄味を増すだけ。


「ああ……私の可愛いあなたが、まさか母親になるだなんて」

「そんな事より自分を〝伯母さん〟と呼ぶ人間が身近に現れるという事に目を向けたほうがいいと思いますよ、姉上」

「オリヴィアに感謝しなさい。この子のために、あなたを殴りはしないのよ」


 低く声を絞り出しながら、ヴァレンティナが肩越しにシャロンを睨む。
 私は彼女の腕に手を添えた。


「来てくださって本当に嬉しいです。お会いしたかったの」

「いつだって呼んでちょうだいよ、オリヴィア」


 妹全員が嫁いでしまって、そのうちふたりは外国の王族だから、なかなか会えない。いちばん近くにいるのが義妹の私で申し訳ないと思うものの、彼女は私をとても大切にしてくれている。

 甘えん坊の私には、彼女の存在がとても心強かった。


「オリヴィア、おめでとう」

「お義兄様。ありがとうございます」


 妊娠初期、私は普通より体調を崩し、多大な心配をかけてしまった。
 その時に夫のシャロンと一緒にお医者様を掻き集めてくれたカメロン侯爵は、私と産まれてくる子の命の恩人だ。

 男の子だったら義兄と同じ名前にしたいと言ったら、珍しくシャロンが渋い顔をしたので、それは諦めた。

 
「ごめんなさいね。心配して待っていてくれたのでしょう? さ、寝ましょう。着替えたら私が朝までついていてあげるから、安心してね」

「姉上は正直、義兄上よりオリヴィアが好きですよね」

「ええ。そう。悪い?」


 あたたかな愛に包まれて、翌朝、私は元気な女の子を産んだ。
 初期の体調不良が嘘のように、母子ともに健康で、肥立ちもよく、1ヶ月もすると私は娘のローズを抱いて温室で鼻歌を歌っていた。

 ずっと滞在して私の世話をしてくれた母とヴァレンティナが帰ると、シャロンがほっとしたように溜息をついて、私を抱きしめた。


「愛してるよ、オリヴィア」

「私も」

「ありがとう」

「ええ。私も、いつもそう思っているわ」


 その頃、社交界ではアスター伯爵家に女の子が生まれたという報せと同時に、ある令嬢の結婚が報じられていた。
 彼女は婚期を逃し、わずかな持参金で格下の子爵家へと嫁いだらしい。
 久しぶりに彼女の事を思い出したけれど、私の心は、穏やかだった。
 それから少しして、子爵夫妻がそれぞれに愛人を作って享楽に耽っているという醜聞が届いて来たけれど、私は耳を塞ぎ、心の扉を閉めた。
 他人の、聞くに堪えない話だから。

 小さなローズを抱いて、温室で青空や雨を眺める。
 この子にはできるだけ美しいものを見て、強く、生きていってほしい。


「本当にここが好きだね、オリヴィア」


 ベンチの背に手を掛けて彼が屈みこみ、私に、そして小さな娘の額にキスをする。


「この子も好きになるわ。もう少し大きくなったら、池で水遊びを覚えてもらうの。私は泳げないけれど、あなたは、得意だから」

「まあ、大いに素質はあるね」

「可愛いわ」

「君も可愛いよ」

「あなたもね」


 彼は目を細め、輝く笑顔で私を見つめた。
 きっと私も同じように、光を放つような笑みを浮かべているのだろう。

 だって、こんなにも幸せなのだから。

 世界は美しく、愛に満ち溢れている。
 本当に、素晴らしい世界。


                              (終)
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