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11 ひょうたん型の中州で愛を叫ぶ

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「オリヴィアァ~~~」

「……」


 父の漕ぐボートから、母が手を振っている。


「ハハハッ! デラクール伯爵夫人! 池は如何ですか!?」

「素敵ですわぁ~♪」

「……」


 恥ずかしい。
 アスター伯爵の御屋敷に招かれて、素晴らしい晩餐のあと一晩休んで、今日は朝食後に葡萄園へと案内された。
 そして母は、伯爵ご自慢の極上の葡萄酒をカプカプ呑んだ。
 

「ご機嫌でなによりぃぃぃぃっ!」

「愛してるぅー!」

「えっ!?」


 もう、池に飛び込みたい。
 私は熱くなる頬を押さえて、アスター伯爵に詫びた。


「申し訳ありません。母が、羽目を外していて……」

「楽しんでもらうためにお連れしたんだから、大満足さ。それにね、僕はなぜ君の母上が浮かれているかよくわかっている」

「……葡萄酒」

「光栄だ。でも、なにより、あんな事のあとで君が元気に過ごしているのが嬉しいんだよ。ほら、手を振ってあげなさい」

「……」


 私は、渋々、母に手を振り返した。


「愛してるわぁーっ、私の可愛いオリヴィアァ~っ!!」


 父がボートを離していく。
 あんなに必死に体を動かす父を、見た事がない。


「オオオォォォリヴィァァァァ……──」

「ね。愛されるべき君は、きちんと愛されているんだよ」

「……はい。そうですね」


 励ましてくれるアスター伯爵の優しさが嬉しくて、つい微笑んでしまう。

 深い緑を映し込んだ湖の、澄み渡る水面が揺れる。
 鴨の親子があちらこちらで泳いでいて、可愛い。

 風が、心地いい。

 水の音が、心を癒してくれる。


「美しいだろう?」

「はい」

「君を連れて来たいと思った。夢が叶った。ありがとう」


 お礼を言うのはこちらであるべきなのに、アスター伯爵は、本当に優しい。
 
 この湖とアスター伯爵は、少し似ている。
 澄み渡り、冴え渡り、冷たいようで、とても優しい。

 そして美しいから、目が離せなくなる。


「……」


 私は水面に手を下ろした。
 冷たい。

 ボードが進むのに合わせて、私の指が水面を撫でる。


「気持ちいいかい?」

「はい」

「そういえば、君は泳げるの?」

「いえ」


 私は慌てて首を振った。
 アスター伯爵はただ、穏やかな微笑みで私を正面から見つめていた。


「うん。やはり、取り越し苦労でも追いかけてよかった。さぁ、着くよ」


 振り向くと、たしかに陸地が迫っている。
 でも、その形まではわからない。


「ひょうたん型、なんですか……?」


 ごつん、と舳先が陸地にあたる。
 アスター伯爵が先に立って、ひらりと跳んだ。ボートが揺れて、水しぶきを浴びて、縁に掴まって縮こまる私に、アスター伯爵が手を逃してくれる。


「おいで」


 私は彼の手を掴んだ。

 ぐっと力強く引き寄せられると、ボートも一緒に、陸地に着く。
 もう片方の手も差し出され、私は両手を繋ぎ、力をこめて飛んだ。


「よーし! 上手だ」


 私が中州に立つと、彼は手早くボートを引き摺り上げ、オールをまとめて中に寝かせる。様子から慣れているとわかる。
 しゃがんでロープで固定している姿は、伯爵というより水兵のよう。

 そして立ち上がると、スラリと背の高い彼は、水面が弾く光を浴びてとても綺麗。


「地面が恋しくなったかな。さて、歩こうか」

「はい」


 並んで歩き出す。
 草と土の感触は、揺れるボートのあとだからこその安心感を与えてくれる。

 アスター伯爵はお喋り好きで、表情も豊かなので、聞いているだけで楽しい。でも時折、私がどう思うか、私ならどうするかを尋ねてくれる。

 私の隣にはいつも、別の人がいた。
 その人たちはもう、私の人生からは去った。

 だけど思い出してしまったのは、アスター伯爵とのお喋りが、いちばん、心が弾んだから。


「オリヴィアァァァッ!」

「!?」


 また母の声。

 驚いて振り向くと、なんと母が漕いでいる。


「……えっ?」

「おや、これは」


 父が、お腹を出して寝ていた。


「アスター卿と仲良くするのよぉぉっ!」

「任せてください! シャロンと呼んで!!」

「はぁ~い♪ シャロォ~ンッ♪」

「ごめんなさい……っ」


 私は再び顔を覆った。

 母が、お酒が入ると陽気になるのはわかっていたけど、酷い浮かれよう。


「ほら、オリヴィア」


 伯爵に、手首を掴まれた。
 強引ではないけれど、顔をあげる。


「?」

「なんて顔してるんだい。愛してくれる人に、愛を返してあげるべきだ。母上を愛しているだろう?」

「え? あ、はい」

「ほら」

「……」


 母のボートが近づいてくる。
 アスター伯爵が、煌めく笑顔で待ち構えている。

 こうなるともう、逃げ場はなかった。
 彼には抗えない。ふしぎな魅力と、力に満ち溢れているから。


「おっ、お母様……!」

「もっと大きな声で」

「お母様! ──」


 口に手を当てて、私は中州で愛を叫んだ。
 そして気づくと、声をあげて笑っていた。
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