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17 愛のすべて(※ジェルマン視点)

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「やあ! 船長さん、先に始めてるよ!」

「……」


 カジミール・デュモンは無言で僕を見つめた。
 それから少し戸惑った様子で席の間を歩いて来て、僕の向かいに座る。


「やぁあ! 待っていたよ! おすすめ頂いた通りだ。マダム・コロワのお抱え料理人は素晴らしいね! このエビ!! エビなんて、この辺りでは取れないよ。あなたの功績だねぇ! さささ、あなたもっ、どうだいっ?」

「いつも食ってます」

「そうだよねえ!」


 彼の額に書いてある文字は『困惑』だ。
 彼のような人間は、恋に破れて心が打ち砕かれたとしても、我を失って酒に溺れる事も、こうして後に醜態だったと悔やむような姿を人目に晒したりする事もないのだろう。


「あなたはひとり静かに飲むタイプだ。そう見える」

「宴は好きですよ。随分……出来上がってますね。ルベーグ伯爵」

「ジェルマンと呼んでくれたまえ!!」


 彼の肩を友好的に叩こうとしたが、手が届かなかった。


「俺はけじめをつけるのが好きなんです。じゃなきゃ商売は務まりませんよ。

「うむ、まあ、無理強いはできないな。しかし僕はあなたを、信頼と友情の意を込めてカジミールと呼ぶよ!!」

「勘弁してくれ……」

「えっ!?」

「いいえ。お気持ち光栄です、


 そこへ件の素晴らしい女主マダム・コロワ、ベルト・デュ・コロワがやってきた。当然だ。常連で、この新しいドルイユの陰の立役者であるカジミール・デュモンが席についたのだから。


「おかえり、船長さん」


 友愛と信頼を込めて呼びかけつつ、マダム・コロワが酒瓶を置いた。
 ブランデーか。ロマンチックな舌をお持ちだ。


「……だから俺を『船長さん』なんて呼ぶのか……」

「いいじゃない、悪い人じゃないんだから。頼んでいい?」

「ああ」


 僕が困った客だと思われているのも当然だ。
 もう4時間、ここで飲んでる。


「マダム・コロワ! あなたの宿は最高だ!!」

「ありがとうございます、ルベーグ伯爵。ごゆっくり」


 彼女は女主として、完璧だった。

 後ろ姿を手を振って見送っている間に、我らがカジミールは自分の酒を注いだ。我が家のように寛いでいる様子は、躍動的でありながら貫禄があり、実に素晴らしい。

 大した男だ。


「聞いてくれ、友よ」

「はい」

「僕は今朝、バルバラに求婚したんだ」

「……はい。それで?」

「断られた」

「ふむ」

「頬を叩かれた」

「ブッ」


 カジミールがブランデーを噴き出した。
 そして噎せた。ああ、可哀相に。僕はナプキンを差し出した。彼は手振りで感謝の意を伝えると、何度か咳をしながら口元と食卓を拭いた。
 僕はエビに薄くスライスされた玉ねぎを乗せた。


「彼女は変わった……とても魅力的な女性にね! 昔のバルバラが魅力的じゃなかったって意味じゃあないよ? バルバラは、朝露に咲く百合の花のように嫋やかで優しい雰囲気の、可愛らしい娘だった。あなたに見せたいよ」

「そうでしょうね」

「彼女は花開いたんだ!! ああ……バルバラ、愛してる。僕にとって君は、永遠の……しかし、僕は気付いてしまったんだ」

「ええ」

「彼女を傍で支え続けた男が、僕ではなく、あなただという事にね」

「毎年この季節だけですよ。レディ・ドルイユには領主としての才能が──」

「それとセシャン!」

「ああ、そうですね」

「エビをどうぞ。召し上がれ」


 一口分を差し出したが、カジミールは釘を刺すような目線を返した。
 実に分別のある男だ。
 僕がエビを食べた。


「ふしぎだなぁ。塩漬けにして運ぶのかい?」

「ええ。天然の防腐剤と併せて密封する事で日持ちするんですよ」

「へえ!」

「あと、養殖しています」

「えっ!? ここで!?」

「はい」

「そうかぁ……あなたは天才だ!!」


 僕が感動していると、彼は僕の額を指差して言った。


「その傷は? まさかレディ・ドルイユじゃないでしょう?」

「ああ、これかい?」


 僕は気恥ずかしくて目を逸らした。


「聞いてくれ。なんと彼女は南国の神秘的な動物を飼育しているんだ。グングンと呼んでいた」

「……ええ」

「グングンの飼育係の少女がバルバラを水遊びに誘ったんだねぇ。水浸しだったよ」

「それで?」

「グングンが僕をお気に召したみたいで追いかけ回したんだ。あれが食欲に任せてじゃあないとはわかっているけど、びっくりしたよぉ! それで転んだんだ」

「……無事でしたか?」

「グングンかい? 飼育係の少女が実に見事な口笛で連れ帰ったよ!!」


 実に神秘的で貴重な経験だった。
 今も思い出すと胸が躍る。不整脈じゃない。


「あなたは素晴らしいよ、カジミール。バルバラに相応しいのは、あなただ」


 実に胸が萎む事実だ。
 だが項垂れている場合じゃない。

 伝えなくては。


「僕は、わかったんだ。僕はあの日……あの夜、彼女の人生から退場した男なんだって。僕はね、父が勝手に婚約を破棄したと知って、覚悟を決めたんだ。意外だろうけど本当だよ。嵐の中、馬を走らせた。彼女を連れて世界のどこにでも行けるって信じていたんだ。でも、彼女は泣いた。泣いて僕に謝った。『私まで駆け落ちなんてできない』って」

「若いふたりには、辛い決断でしたね」

「ああ。だけど、彼女はわかっていたんだよ。互いの責任をね。僕は幼稚だった。今日も言われたよ、『大人になりなさい』って。まったくだ」

「純粋な疑問なんですが……なぜ12年も黙っていたんです? あなたは彼女を愛している。爵位を継ぐ前だって、やれる事はあったでしょう。この12年、あなたの影もなかった。今更出て来て、実に、不可解だ」


 彼の疑問は尤もだ。


「彼女を失った人生に意味なんてない。僕は、軍隊に入ったんだよ」

「え?」

「彼女のために生きる事ができないなら、国王陛下のために死のうと思った」

「……えっ?」

「意外だろう? 自分でもなぜ生きているか、ふしぎだぁ。だから僕はもう一度だけ、バルバラに求婚するよ」

「え、ええ……」


 おかしな話だ。
 彼女を無言で愛し続けている男に、負け犬の僕が愛を語るなんて。

 それでも、いい。
 カジミールは信頼できる。この男なら、僕が彼女を心から愛しているという事を、理解してくれる。
 

「あの時、僕は逃げた。傷つく事から逃げてしまった。だから、僕は、今こそバルバラに愛のすべてを捧げるんだ。たとえ叶わない愛でもね」


 彼は答えなかった。

 構わない。
 それでいい。

 金のために開き、愛のために閉ざされている口なのだから。

 これでもう、悔いはない。
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