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11 カジミール・デュモン(※ジェルマン視点)

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「ドルイユへようこそ、ルベーグ伯爵」

「……!」


 僕は、息を呑んだ。
 ビーズが鏤められた漆黒のドレスを纏うバルバラは、息を呑むほど美しかった。レースの襟が慎ましさと誘惑を兼ね備え、曲線の豊かなシルエットが魅力を跳ね上げている。

 愛らしい乙女だったバルバラ。
 魅力的な大人の女性になった。それも、世界一美しい女性に。


「なにか飲み物は? ブランデーはいかが?」

「あ……ああ。頂くよ」


 なんてことだ。
 まともに挨拶さえできなかった。

 僕はまぬけか。


「どうなさったの? 魚みたいに口をパクパクして」

「いや……君が、あまりにも」

「老けていて驚いた?」

「そんな! まさか、違うよ。ずっと想像したんだ。君が素敵な女性になっただろうって。だけど、想像以上だった。それで驚いてしまったんだ」

「さあ、どうぞ」


 慌てふためいて釈明していたら、もう僕の手にはグラスがあった。


「あ、ありがとう」

「長旅お疲れ様でした。でもその価値はありましたよ。この時期は嵐も少ないですし、収穫したばかりのそら豆がとても美味しいんです。ぜひマダム・コロワの宿にお立ち寄りください。気のいい女主人で、私と料理人を取り合うくらいに素晴らしい食堂を仕切っているんですよ。そら豆のシチュー」

「ああ、ぜひ。頂くよ。楽しみだ」

「もうすぐイチジクの収穫です。それまでいらっしゃる? マダム・コロワの作るジャムは、それはもうとてもとても美味しいんですよ」

「いや、そんなに長くは」

「あら残念。宿はお決めになりましたの? もちろんとっておきのお部屋を準備させていただきましたけれど、このドルイユも様変わりしましたでしょう? 面白いところがたくさんありますよ。ここは丘の上ですから、観光でしたら断然マダム・コロワの宿が便利ですの」

「ああ、えっと……」


 僕はやっと気づいた。
 大人になったバルバラ──レディ・ドルイユは、社交的で、親切で、そしてとても他人行儀だという事に。すっきりと結い上げた髪は知的でありながら、後れ毛が心をくすぐる。そんな浮ついた気持ちを跳ねのけるような、けれど不快にはならない絶妙な距離感。

 彼女は一方的に婚約を破棄されたのだ。
 僕を恨んでいたとしても、なんら不思議ではない。

 覚悟の上だ。


「突然の訪問を快く迎えてくれて感謝します、レディ・ドルイユ」

 改めて、伯爵として挨拶をした。
 けれど見つめ返されれば、僕はすっかり、ただの恋するひとりの男に戻ってしまった。

 控えめでいて煌びやかな微笑みに、魅せられる。


「バルバラ。会いたかった」

「ジェルマン」


 見慣れない微笑みのまま、彼女が僕の名を呟く。
 次の瞬間、バルバラは身を翻した。


「あなたにご紹介したい方がいますの。もうじき着くはずですわ」

「え?」


 彼女は窓辺に寄り、枠に手を掛けて前庭を眺めた。
 

「あなたに会いたがってた。お気をつけ下さいましね、ルベーグ伯爵。油断すると、大金を毟り取られますわよ」

「……」


 歓迎されない事も、その人物の存在も、なにもかも覚悟の上だった。
 だが彼女の様子から、その心が完全にを頼りにしているのがわかってしまい、動揺した。


「噂は聞いているよ。君の、お友達の事」

「ええ。ほら、来ましたわ」


 身振りで誘われ窓辺に並ぶ。
 豪奢な馬車が前庭について、ひとりの男が飛び降りた。大柄で身形の整った、少し派手な若い男。彼はセシャンと目配せを交わして、視界を駆け抜けて消えた。


「まあ。よっぽどあなたに会いたいんだわ、あの人」


 僕は想像以上の歓喜の直後に、想像以上の焦燥に震えていた。

 駄目だ。
 駄目だよ、バルバラ。

 あんな男は、君に相応しくない。


「そうですわ、お詫びしなくては」

「えっ?」


 彼女が声のトーンを落としたので、なにか改まった話が始まるとわかった。
 身構えた僕に、バルバラは思いやりの篭った眼差しを、すぐ傍から注いでくる。


「昨年は御葬儀に行かなくて、ごめんなさい。昔の事とはいえ、まだ歓迎される身分ではないと思ったから」


 父の事だ。
 僕らの婚約を、酷い侮辱を浴びせ一方的に破棄した、忌々しい男。

 だが、父親だった。
 憎んだとしても、憎みきる事はできなかった。

 愛していた。


「いや、いいんだ。こちらこそ、すまなかった」


 ああ、そうだ。
 まず言わなければいけなかったのは、心からの謝罪のはずだったのに。

 僕は……


「立派な方だったわ」


 それが皮肉ではなく、心からの言葉だというのは明らかだった。
 彼女は、僕より先に大人になっていたのだ。


「随分ご無沙汰してしまったから、その……」

「ああ。まあ、少し、いや、だいぶ痩せはしたけど……胃を悪くしたからね。でも充分に準備できたし、眠っている間に召されたんだ。苦しまなかったよ」

「そう」


 扉を叩く音が、空気を変えた。
 彼女がレディ・ドルイユの顔に戻る。そうなってから、たった今、ほんの一瞬、僕のバルバラがあの頃と同じように心を開いてくれた、その一時が終わったのだと思い知った。

 バルバラが急ぎ足で扉に向かう。
 そして扉を開けて、応接室に招き入れた。


「ご紹介しますわ、ルベーグ伯爵」


 あれほど大急ぎで走っていたというのに、息ひとつ乱していない。
 それどころか、余裕たっぷりの微笑みさえ湛えて……


「私のとても仲良しのお友達、カジミール・デュモンよ」

「はじめまして、ルベーグ伯爵」


 この男が、彼女を変えた。
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