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15 誓いの接吻(※モーリス視点)

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「モーリス」


 名を呼ばれ、心が沸き立つ。
 

「すまない。見惚れていた」


 乾いた傷口を放置するなど、酷すぎた。
 手早く軟膏を塗布し、ガーゼを当てる。

 
「私は」


 少し硬い声でそう洩らすと、シビルは伏目がちに、肩越しに振り向く仕草を見せた。その僅かに向けられた頬が陰り、表情が見えない。傷口に灯りが集中するよう準備したのだから、当然だが。


「身を固めるべきだと思う?」


 結婚の話だ。
 婚約者に裏切られた心の傷は、簡単には癒えないだろう。
 自身がそれをひた隠し、気丈で快傑な姿を見せたとしても、生涯つきまとう。信頼を裏切らない誠実な人格であるからこそ、在り得ない痛手だ。それだけに完全に割り切るのは難しいのではないだろうか。


「ああ」

「……」

「忘れるほどの絶え間ない幸福や誇りを齎す、信頼に足る相手を見つけるといい。そういう男が溢れているわけではないが、いない事はない」

「私は、軍部の要人って言ったでしょう?」

「事実だ」

「利用したがる人間が、これから寄ってくるかしら」

「ああ。そうだろう」

「自信がないわ」

「君は若く、強く、美しい。君が、選ぶ側だ」

「私の目は節穴なのよ。父親と妹に、死ねばいいと思われていた事にも気づかなかったんだもの」


 語尾が少し、震えている。
 目をあげると、唇も震えていた。

 彼女が、泣き出しそうだ。
 私は驚愕し、混乱に陥り、手を止めた。


「シビル」


 なぜか名を呼んでしまう。
 それが効果的であると、本能的に判断したのか。


「君が、善い人だからだ」

「あなたが、選んでくれない?」


 シビルは弱っている。
 限定的に、今日、この時、意気消沈しているだけだ。承知している。

 それでも、この口が告げるべき言葉は只一つだった。

 傷に触れないよう、右の肩甲骨の窪みに誓いの口づけをして、唇を煌めく肌に押し当てたまま囁いた。


「私がいる」


 時が止まる。

 その沈黙に、不安が首を擡げる。
 私は唇を離し、平静を装って続けた。


「君が相手を間違えようと、私は見破る。君が陥れられる前に、敵を挫く。残されたこの右目は、君が不得意とする悪の餞別に関して──」


 天使の背中が遠ざかり、私が焦燥に囚われた瞬間。
 シビルが椅子の背に手を掛けて、ぐるりと体の向きを変えた。


「──」


 美しい乳房に、釘付けになる。
 息を止めた私へしなやかな腕がのびてくると、左目を覆う眼帯が外され、それが落下する微かな音が聞こえた。

 冷たい指が頬に触れる。
 シビルが引き寄せるままに、顔を寄せる。
 そして彼女が身を撓らせて、首筋を晒し、私の潰れた左目に甘い口づけを施した。

 天使が、私の祈りを、聞き届けた。

 喜びで胸が張り裂ける事があるのだと、知った。

 彼女の細い体を抱きしめる。
 どちらともなく熱い口づけを交わし、互いに友愛を越えた情熱が暴かれると、吐息も、囁きも、すべてが愛の媚薬となって身も心も蕩けさせた。


「愛してる。君を」

「私も……あなたを、愛してるの。いけない事よ」

「否。君が選ぶなら、それが真理だ」

「モーリス……!」


 傷に障る。
 悪評が立つ。

 だから、彼女と交わるには至らない。
 私の天使には、相応しい地位と名誉、そして待遇というものがある。

 互いに傷を晒し、熱い吐息を分かち合いながら、熱く長い口づけを交わした。シビルの目が熱情に潤むように、私自身も欲望を宿していた。
 だが、高潔な愛が、私たちを包んで離さなかった。

 口づけのあと、処置を施し、シビルを隣の部屋に送り届けた。
 誓いの言葉も抱擁も口づけも、必要なかった。

 眼差しと、瞬き。
 それで充分だった。

 約束された未来が、ふたりの間に輝いている。
 
 熱く。
 激しく。

 鼓動のように。
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