14 / 20
14 英雄の背中(※モーリス視点)
しおりを挟む
シビルが横向きで椅子に座る。
「あいたたた」
背中の釦を柔軟な肩の関節により迅速に外すと、肩を晒し、反対の肩も晒し、あっという間に背中を晒した。
「どうなってる?」
「……」
綺麗で、目が眩み、声が出ない。
「……やだ。そんなに酷いの?」
「いいや」
顔より声から襤褸が出るものだ。
だが、私はその辺りも心得ていた。
シビルが直々に並べた処置の道具が、脇のテーブルにある。まずは手指を消毒する。そしてシビルが直々に置いた私のための椅子に腰を下ろした。
ランプの灯が揺れる。
橙色のなめらかな影が、美しい項や肩を舐める。
「……」
「消毒の直前に言ってね。覚悟するから」
言いながら、シビルが包帯を解いていく。
これで彼女は、上半身裸だ。
だが邪な感情は瞬く間に立ち消えた。
英雄の背中。
白い肌に斜線を切る、赤い裂傷。
勲章の神々しさに、信仰に似た感動を覚える。
感嘆の溜息を小さく洩らし、私は告げた。
「思ったより酷くない」
「そう。よかった」
「ガーゼに、わずかに血が滲んでいるくらいだ」
彼女は慣れた手つきで包帯ごとガーゼを手繰り寄せ、
「フン」
と鼻息のような頷き方で納得している。
「……っ」
思いがけない事が起きた。
治癒が進み、不遇な事故によって後退した彼女の裂傷を目の当たりにした私は、ニザルデルンの渦中に帰っていた。
失った左目の光。
それを遥かに上回る、輝きを、知る前に。
深い絶望があった。
気丈なシビルが意識を手放し、死体のように意志を持ち得ない体を抱えた。死が目前に迫った。私の天使が、私を庇って、命を落としてしまう。
一瞬。
私はひとりの男だった。
責務や誇りなど、打ち砕かれ、消えた。
だが直前にシビルから鼓舞されていた事が幸いしたのか、性格なのか、すぐ我に返った。彼女の名を叫び、救助に勤めた。シビルが死ぬはずがないと、強く信じた。それと同時に、不安に苛まれ続けた。
シビルは今、生きている。
私と共に。
「モーリス?」
「……改めて」
少し声が掠れた。
「君が、救った命の意味を考えさせられた」
クスリと笑うシビルの肩が、併せてわずかに揺れる。
肩甲骨の影が揺らいだ。
……なんて可愛い声だ、天使よ。
手が戦慄くではないか。
「私って悪女かも」
「え?」
「あなたを操ってる」
「……」
言い得て妙だ。
だが心を操り過ぎて、看護の手が疎かになってしまいそうなのだから、期待に反して悪手だぞ、天使よ。
「でも、いいでしょ? もうあなたしかいないの」
「?」
急に破棄を失くしてシビルが俯いた。
気丈にふるまっていても、意気消沈しているはずだ。
救うべき命を前に、憐憫を先延ばしできただけに過ぎない。
彼女の受けた仕打ちは、人格や人生を破壊するだけの力がある。
高潔で強いシビルであっても、傷ついた。当然だ。いくら強かろうと、シビルは19才の令嬢で、愛情深い心を抱えている。
その心は、家族によって砕かれた。
孤独と絶望に呑み込まれても、ふしぎではない。
「君は〈ニザルデルンの英雄〉だ。君を讃え、慕い、これから先は君に憧れる者も溢れる。君は独りではない」
「でも、私は……あなたしか信じられないのよ……」
弱っている。
「では私の傍で、世界が君の味方である事を日々確かめて過ごすといい」
「モーリス」
「消毒する」
彼女は息を止め、そしてゆっくりと深く息を吐き始めた。
丁寧に消毒する。
「名誉な事だ。私は今、英雄の背中に癒しを施している」
「とてつもなく痛いけどね」
「その痛みを思い返すたびに君の功績を誇れ。私は、軽々しく英雄と呼ばない」
「……そうよね」
消毒液に濡れた傷が、瞬く間に乾く。
痛みを思えばこの胸も軋み、同時に尊さに感動が沸き起こる。
この傷痕は、消えないだろう。
「君が与えられる勲章は、国民の総意としてその手に在り続ける」
「ええ」
「そしてこの傷が刻まれたように、私の体にも、君への友愛と信頼が刻まれている。消える事のない、日ごとに輝きを増す光として、君を想う心が、永遠に」
「……」
勇気付けようなどという雑念は、最早ない。
シビルという天使への、私の、個人的な、信仰の告白だった。
「あいたたた」
背中の釦を柔軟な肩の関節により迅速に外すと、肩を晒し、反対の肩も晒し、あっという間に背中を晒した。
「どうなってる?」
「……」
綺麗で、目が眩み、声が出ない。
「……やだ。そんなに酷いの?」
「いいや」
顔より声から襤褸が出るものだ。
だが、私はその辺りも心得ていた。
シビルが直々に並べた処置の道具が、脇のテーブルにある。まずは手指を消毒する。そしてシビルが直々に置いた私のための椅子に腰を下ろした。
ランプの灯が揺れる。
橙色のなめらかな影が、美しい項や肩を舐める。
「……」
「消毒の直前に言ってね。覚悟するから」
言いながら、シビルが包帯を解いていく。
これで彼女は、上半身裸だ。
だが邪な感情は瞬く間に立ち消えた。
英雄の背中。
白い肌に斜線を切る、赤い裂傷。
勲章の神々しさに、信仰に似た感動を覚える。
感嘆の溜息を小さく洩らし、私は告げた。
「思ったより酷くない」
「そう。よかった」
「ガーゼに、わずかに血が滲んでいるくらいだ」
彼女は慣れた手つきで包帯ごとガーゼを手繰り寄せ、
「フン」
と鼻息のような頷き方で納得している。
「……っ」
思いがけない事が起きた。
治癒が進み、不遇な事故によって後退した彼女の裂傷を目の当たりにした私は、ニザルデルンの渦中に帰っていた。
失った左目の光。
それを遥かに上回る、輝きを、知る前に。
深い絶望があった。
気丈なシビルが意識を手放し、死体のように意志を持ち得ない体を抱えた。死が目前に迫った。私の天使が、私を庇って、命を落としてしまう。
一瞬。
私はひとりの男だった。
責務や誇りなど、打ち砕かれ、消えた。
だが直前にシビルから鼓舞されていた事が幸いしたのか、性格なのか、すぐ我に返った。彼女の名を叫び、救助に勤めた。シビルが死ぬはずがないと、強く信じた。それと同時に、不安に苛まれ続けた。
シビルは今、生きている。
私と共に。
「モーリス?」
「……改めて」
少し声が掠れた。
「君が、救った命の意味を考えさせられた」
クスリと笑うシビルの肩が、併せてわずかに揺れる。
肩甲骨の影が揺らいだ。
……なんて可愛い声だ、天使よ。
手が戦慄くではないか。
「私って悪女かも」
「え?」
「あなたを操ってる」
「……」
言い得て妙だ。
だが心を操り過ぎて、看護の手が疎かになってしまいそうなのだから、期待に反して悪手だぞ、天使よ。
「でも、いいでしょ? もうあなたしかいないの」
「?」
急に破棄を失くしてシビルが俯いた。
気丈にふるまっていても、意気消沈しているはずだ。
救うべき命を前に、憐憫を先延ばしできただけに過ぎない。
彼女の受けた仕打ちは、人格や人生を破壊するだけの力がある。
高潔で強いシビルであっても、傷ついた。当然だ。いくら強かろうと、シビルは19才の令嬢で、愛情深い心を抱えている。
その心は、家族によって砕かれた。
孤独と絶望に呑み込まれても、ふしぎではない。
「君は〈ニザルデルンの英雄〉だ。君を讃え、慕い、これから先は君に憧れる者も溢れる。君は独りではない」
「でも、私は……あなたしか信じられないのよ……」
弱っている。
「では私の傍で、世界が君の味方である事を日々確かめて過ごすといい」
「モーリス」
「消毒する」
彼女は息を止め、そしてゆっくりと深く息を吐き始めた。
丁寧に消毒する。
「名誉な事だ。私は今、英雄の背中に癒しを施している」
「とてつもなく痛いけどね」
「その痛みを思い返すたびに君の功績を誇れ。私は、軽々しく英雄と呼ばない」
「……そうよね」
消毒液に濡れた傷が、瞬く間に乾く。
痛みを思えばこの胸も軋み、同時に尊さに感動が沸き起こる。
この傷痕は、消えないだろう。
「君が与えられる勲章は、国民の総意としてその手に在り続ける」
「ええ」
「そしてこの傷が刻まれたように、私の体にも、君への友愛と信頼が刻まれている。消える事のない、日ごとに輝きを増す光として、君を想う心が、永遠に」
「……」
勇気付けようなどという雑念は、最早ない。
シビルという天使への、私の、個人的な、信仰の告白だった。
43
お気に入りに追加
1,739
あなたにおすすめの小説

幼馴染の親友のために婚約破棄になりました。裏切り者同士お幸せに
hikari
恋愛
侯爵令嬢アントニーナは王太子ジョルジョ7世に婚約破棄される。王太子の新しい婚約相手はなんと幼馴染の親友だった公爵令嬢のマルタだった。
二人は幼い時から王立学校で仲良しだった。アントニーナがいじめられていた時は身を張って守ってくれた。しかし、そんな友情にある日亀裂が入る。

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。

婚約を解消してくれないと、毒を飲んで死ぬ? どうぞご自由に
柚木ゆず
恋愛
※7月25日、本編完結いたしました。後日、補完編と番外編の投稿を予定しております。
伯爵令嬢ソフィアの幼馴染である、ソフィアの婚約者イーサンと伯爵令嬢アヴリーヌ。二人はソフィアに内緒で恋仲となっており、最愛の人と結婚できるように今の関係を解消したいと考えていました。
ですがこの婚約は少々特殊な意味を持つものとなっており、解消するにはソフィアの協力が必要不可欠。ソフィアが関係の解消を快諾し、幼馴染三人で両家の当主に訴えなければ実現できないものでした。
そしてそんなソフィアは『家の都合』を優先するため、素直に力を貸してくれはしないと考えていました。
そこで二人は毒を用意し、一緒になれないなら飲んで死ぬとソフィアに宣言。大切な幼馴染が死ぬのは嫌だから、必ず言うことを聞く――。と二人はほくそ笑んでいましたが、そんなイーサンとアヴリーヌに返ってきたのは予想外の言葉でした。
「そう。どうぞご自由に」

妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放されました。でもそれが、私を虐げていた人たちの破滅の始まりでした
水上
恋愛
「ソフィア、悪いがお前との婚約は破棄させてもらう」
子爵令嬢である私、ソフィア・ベルモントは、婚約者である子爵令息のジェイソン・フロストに婚約破棄を言い渡された。
彼の隣には、私の妹であるシルビアがいる。
彼女はジェイソンの腕に体を寄せ、勝ち誇ったような表情でこちらを見ている。
こんなこと、許されることではない。
そう思ったけれど、すでに両親は了承していた。
完全に、シルビアの味方なのだ。
しかも……。
「お前はもう用済みだ。この屋敷から出て行け」
私はお父様から追放を宣言された。
必死に食い下がるも、お父様のビンタによって、私の言葉はかき消された。
「いつまで床に這いつくばっているのよ、見苦しい」
お母様は冷たい言葉を私にかけてきた。
その目は、娘を見る目ではなかった。
「惨めね、お姉さま……」
シルビアは歪んだ笑みを浮かべて、私の方を見ていた。
そうして私は、妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放された。
途方もなく歩いていたが、そんな私に、ある人物が声を掛けてきた。
一方、私を虐げてきた人たちは、破滅へのカウントダウンがすでに始まっていることに、まだ気づいてはいなかった……。

家族に裏切られて辺境で幸せを掴む?
しゃーりん
恋愛
婚約者を妹に取られる。
そんな小説みたいなことが本当に起こった。
婚約者が姉から妹に代わるだけ?しかし私はそれを許さず、慰謝料を請求した。
婚約破棄と共に跡継ぎでもなくなったから。
仕事だけをさせようと思っていた父に失望し、伯父のいる辺境に行くことにする。
これからは辺境で仕事に生きよう。そう決めて王都を旅立った。
辺境で新たな出会いがあり、付き合い始めたけど?というお話です。

婚約者を奪われた私が悪者扱いされたので、これから何が起きても知りません
天宮有
恋愛
子爵令嬢の私カルラは、妹のミーファに婚約者ザノークを奪われてしまう。
ミーファは全てカルラが悪いと言い出し、束縛侯爵で有名なリックと婚約させたいようだ。
屋敷を追い出されそうになって、私がいなければ領地が大変なことになると説明する。
家族は信じようとしないから――これから何が起きても、私は知りません。

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。
しげむろ ゆうき
恋愛
姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。
全12話

【完結】不倫をしていると勘違いして離婚を要求されたので従いました〜慰謝料をアテにして生活しようとしているようですが、慰謝料請求しますよ〜
よどら文鳥
恋愛
※当作品は全話執筆済み&予約投稿完了しています。
夫婦円満でもない生活が続いていた中、旦那のレントがいきなり離婚しろと告げてきた。
不倫行為が原因だと言ってくるが、私(シャーリー)には覚えもない。
どうやら騎士団長との会話で勘違いをしているようだ。
だが、不倫を理由に多額の金が目当てなようだし、私のことは全く愛してくれていないようなので、離婚はしてもいいと思っていた。
離婚だけして慰謝料はなしという方向に持って行こうかと思ったが、レントは金にうるさく慰謝料を請求しようとしてきている。
当然、慰謝料を払うつもりはない。
あまりにもうるさいので、むしろ、今までの暴言に関して慰謝料請求してしまいますよ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる