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13 燃える瞳(※モーリス視点)
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旅行者向けの食堂で夕食を済ませ、店を出たところで、少年がシビルに衝突する事故が起きた。隣にいたにも関わらず、防ぐ事ができなかった。
「……!」
後ろから駆けて来た少年はシビルの背中にぶつかり、そのために塞がりきらない傷を殴打し、さらには抉った可能性もある。
「ごっ、ごめんなさい!」
少年は、咎めるのも気の毒なほど悲痛な声で振り向いた。
だが体は後ろ向きに、今にも走り去ろうとしている。
やはり、厳しく咎めるべきだ。
シビルが前のめりに崩れ落ち、膝をついたのでそれどころではなくなったが。
支えたこの腕を、彼女は強く意思を込めて握った。
「いいのよ」
それは私ではなく、少年に向けられた言葉だった。
「どうしたの? とても、辛そうね」
辛いのは自分のはずだが、シビルは私を支えに立ちあがると少年を気遣った。
まだ8才程度の顔立ちで、場合によっては大人の助けが必要かもしれない。
だが、このくらいの年齢から、つまり自我が芽生えさえすれば悪人は悪人として育ち始める。
盗みでも働いたのか、それとも憐れむべき事情で切迫しているのか、現段階では判別不可能な上に大切なシビルの傷口を開いた。
この瞬間、私は冷たい大人として、ともに在った。
「母さんが倒れたって、報せが来たんです……! それでっ、御主人が行っていいって言ってくれたので……っ」
ソーンダイク伯爵家ではないはずだから、商家で働いている。
貧しい者から命を落とす。それがこの世の戦場だ。
「行くわ」
シビルが断言した。
少年は立ち去りたい心情を如実に表す足踏みをやめ、縋るように今しがた衝突した人物を見あげている。
「私は看護婦なの。お医者様がみえるまで、力になれる」
「いいの……?」
「ええ。どう倒れたの? よくある事?」
彼女は容態を尋ねながら少年の肩を抱き込み、やや体重をかけ、そして私の肘を力強く掴んだ。なにを促されているか、わからない私ではない。
私の天使がそれを望むなら、叶えずにはいられない。
開いたであろう傷か気掛りだが、止めて聞く彼女ではないのだ。
少年は、ともすれば彼女が守る領民となり得た者。
彼女の命が燃える音を聞いた。
力強い、天使の歌声を。
「乗りなさい」
少年を馬車に乗せ、自宅まで案内させる途中で医者を手配し、倒れた母親に処置を施すシビルの指示に従う。ひどく汗をかいているのでそれとなく背中に触れたが、血が滲み出てはいなかった。
少年の名はペーター。姉のエラと妹のレーネがいた。
母親の名はアルマ。癲癇の発作だった。かかりつけの医者などはおらず、度々倒れて痙攣していたが、今回は泡を吹いたのでエラがペーターが呼び戻したそうだ。
一家は死を覚悟していた。
「ひとまず、大丈夫よ」
小さなレーネがペーターにしがみつき泣いている中で、シビルはエラに適切な看護を教え、医者の到着を待った。貧しく小さな家に渋々入ってきた若い医者は、それでも私の顔を見て態度を改めた。
年長のエラは治療費を支払えないという焦りが顔に出ている。
代わりにペーターが、少しずつでも必ず払うと、幼い口で言い募った。
彼らは強く生きていかなければならない。
博愛主義者のように甘やかしてやっても、その場しのぎにすらならない。
彼らは彼らの人生を、その足で踏みしめて歩くしかないのだ。
だが、シビルの瞳が炎を宿し、小さな家族を救おうとしていた。
この町には、貧しい者でも受け入れられる病院が必要だ。
それが、私が天使から与えられた啓示だった。
「ありがとう」
通りへ出ると、シビルは疲れた声で言った。
「この命は君のために燃やすと誓った」
「そうだったわね」
達成感の滲む笑いを洩らしていても、彼女は力を込めてこの腕に掴まってくる。
「痛むか?」
「かなりね」
「さっきの医者をなぜ返した」
「若すぎる」
「君だって何人もの若い兵士を裸にしただろう。あれは男ではない。医者だ」
「ええ。応急処置ならあなたで充分」
私の腕を支えにして体重をかけているにも関わらず、励ますように叩いてくる。
「応急処置?」
「ええ。とにかく、宿に着いたらすぐ看て頂戴」
「……」
「私の裸を見るのは初めてじゃあないでしょう?」
「……」
「妙な事を考えてないで、看て。痛いのよ」
信頼を寄せられて嬉しいが、ここは戦場ではない。
シビルは意識があり、一刻を争う重傷でもなく、医者も手配できる。
「承ろう」
私は慇懃に頷き、あたかも国賓を持成すような丁重さで彼女を宿へと導いた。
「……!」
後ろから駆けて来た少年はシビルの背中にぶつかり、そのために塞がりきらない傷を殴打し、さらには抉った可能性もある。
「ごっ、ごめんなさい!」
少年は、咎めるのも気の毒なほど悲痛な声で振り向いた。
だが体は後ろ向きに、今にも走り去ろうとしている。
やはり、厳しく咎めるべきだ。
シビルが前のめりに崩れ落ち、膝をついたのでそれどころではなくなったが。
支えたこの腕を、彼女は強く意思を込めて握った。
「いいのよ」
それは私ではなく、少年に向けられた言葉だった。
「どうしたの? とても、辛そうね」
辛いのは自分のはずだが、シビルは私を支えに立ちあがると少年を気遣った。
まだ8才程度の顔立ちで、場合によっては大人の助けが必要かもしれない。
だが、このくらいの年齢から、つまり自我が芽生えさえすれば悪人は悪人として育ち始める。
盗みでも働いたのか、それとも憐れむべき事情で切迫しているのか、現段階では判別不可能な上に大切なシビルの傷口を開いた。
この瞬間、私は冷たい大人として、ともに在った。
「母さんが倒れたって、報せが来たんです……! それでっ、御主人が行っていいって言ってくれたので……っ」
ソーンダイク伯爵家ではないはずだから、商家で働いている。
貧しい者から命を落とす。それがこの世の戦場だ。
「行くわ」
シビルが断言した。
少年は立ち去りたい心情を如実に表す足踏みをやめ、縋るように今しがた衝突した人物を見あげている。
「私は看護婦なの。お医者様がみえるまで、力になれる」
「いいの……?」
「ええ。どう倒れたの? よくある事?」
彼女は容態を尋ねながら少年の肩を抱き込み、やや体重をかけ、そして私の肘を力強く掴んだ。なにを促されているか、わからない私ではない。
私の天使がそれを望むなら、叶えずにはいられない。
開いたであろう傷か気掛りだが、止めて聞く彼女ではないのだ。
少年は、ともすれば彼女が守る領民となり得た者。
彼女の命が燃える音を聞いた。
力強い、天使の歌声を。
「乗りなさい」
少年を馬車に乗せ、自宅まで案内させる途中で医者を手配し、倒れた母親に処置を施すシビルの指示に従う。ひどく汗をかいているのでそれとなく背中に触れたが、血が滲み出てはいなかった。
少年の名はペーター。姉のエラと妹のレーネがいた。
母親の名はアルマ。癲癇の発作だった。かかりつけの医者などはおらず、度々倒れて痙攣していたが、今回は泡を吹いたのでエラがペーターが呼び戻したそうだ。
一家は死を覚悟していた。
「ひとまず、大丈夫よ」
小さなレーネがペーターにしがみつき泣いている中で、シビルはエラに適切な看護を教え、医者の到着を待った。貧しく小さな家に渋々入ってきた若い医者は、それでも私の顔を見て態度を改めた。
年長のエラは治療費を支払えないという焦りが顔に出ている。
代わりにペーターが、少しずつでも必ず払うと、幼い口で言い募った。
彼らは強く生きていかなければならない。
博愛主義者のように甘やかしてやっても、その場しのぎにすらならない。
彼らは彼らの人生を、その足で踏みしめて歩くしかないのだ。
だが、シビルの瞳が炎を宿し、小さな家族を救おうとしていた。
この町には、貧しい者でも受け入れられる病院が必要だ。
それが、私が天使から与えられた啓示だった。
「ありがとう」
通りへ出ると、シビルは疲れた声で言った。
「この命は君のために燃やすと誓った」
「そうだったわね」
達成感の滲む笑いを洩らしていても、彼女は力を込めてこの腕に掴まってくる。
「痛むか?」
「かなりね」
「さっきの医者をなぜ返した」
「若すぎる」
「君だって何人もの若い兵士を裸にしただろう。あれは男ではない。医者だ」
「ええ。応急処置ならあなたで充分」
私の腕を支えにして体重をかけているにも関わらず、励ますように叩いてくる。
「応急処置?」
「ええ。とにかく、宿に着いたらすぐ看て頂戴」
「……」
「私の裸を見るのは初めてじゃあないでしょう?」
「……」
「妙な事を考えてないで、看て。痛いのよ」
信頼を寄せられて嬉しいが、ここは戦場ではない。
シビルは意識があり、一刻を争う重傷でもなく、医者も手配できる。
「承ろう」
私は慇懃に頷き、あたかも国賓を持成すような丁重さで彼女を宿へと導いた。
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