13 / 20
13 燃える瞳(※モーリス視点)
しおりを挟む
旅行者向けの食堂で夕食を済ませ、店を出たところで、少年がシビルに衝突する事故が起きた。隣にいたにも関わらず、防ぐ事ができなかった。
「……!」
後ろから駆けて来た少年はシビルの背中にぶつかり、そのために塞がりきらない傷を殴打し、さらには抉った可能性もある。
「ごっ、ごめんなさい!」
少年は、咎めるのも気の毒なほど悲痛な声で振り向いた。
だが体は後ろ向きに、今にも走り去ろうとしている。
やはり、厳しく咎めるべきだ。
シビルが前のめりに崩れ落ち、膝をついたのでそれどころではなくなったが。
支えたこの腕を、彼女は強く意思を込めて握った。
「いいのよ」
それは私ではなく、少年に向けられた言葉だった。
「どうしたの? とても、辛そうね」
辛いのは自分のはずだが、シビルは私を支えに立ちあがると少年を気遣った。
まだ8才程度の顔立ちで、場合によっては大人の助けが必要かもしれない。
だが、このくらいの年齢から、つまり自我が芽生えさえすれば悪人は悪人として育ち始める。
盗みでも働いたのか、それとも憐れむべき事情で切迫しているのか、現段階では判別不可能な上に大切なシビルの傷口を開いた。
この瞬間、私は冷たい大人として、ともに在った。
「母さんが倒れたって、報せが来たんです……! それでっ、御主人が行っていいって言ってくれたので……っ」
ソーンダイク伯爵家ではないはずだから、商家で働いている。
貧しい者から命を落とす。それがこの世の戦場だ。
「行くわ」
シビルが断言した。
少年は立ち去りたい心情を如実に表す足踏みをやめ、縋るように今しがた衝突した人物を見あげている。
「私は看護婦なの。お医者様がみえるまで、力になれる」
「いいの……?」
「ええ。どう倒れたの? よくある事?」
彼女は容態を尋ねながら少年の肩を抱き込み、やや体重をかけ、そして私の肘を力強く掴んだ。なにを促されているか、わからない私ではない。
私の天使がそれを望むなら、叶えずにはいられない。
開いたであろう傷か気掛りだが、止めて聞く彼女ではないのだ。
少年は、ともすれば彼女が守る領民となり得た者。
彼女の命が燃える音を聞いた。
力強い、天使の歌声を。
「乗りなさい」
少年を馬車に乗せ、自宅まで案内させる途中で医者を手配し、倒れた母親に処置を施すシビルの指示に従う。ひどく汗をかいているのでそれとなく背中に触れたが、血が滲み出てはいなかった。
少年の名はペーター。姉のエラと妹のレーネがいた。
母親の名はアルマ。癲癇の発作だった。かかりつけの医者などはおらず、度々倒れて痙攣していたが、今回は泡を吹いたのでエラがペーターが呼び戻したそうだ。
一家は死を覚悟していた。
「ひとまず、大丈夫よ」
小さなレーネがペーターにしがみつき泣いている中で、シビルはエラに適切な看護を教え、医者の到着を待った。貧しく小さな家に渋々入ってきた若い医者は、それでも私の顔を見て態度を改めた。
年長のエラは治療費を支払えないという焦りが顔に出ている。
代わりにペーターが、少しずつでも必ず払うと、幼い口で言い募った。
彼らは強く生きていかなければならない。
博愛主義者のように甘やかしてやっても、その場しのぎにすらならない。
彼らは彼らの人生を、その足で踏みしめて歩くしかないのだ。
だが、シビルの瞳が炎を宿し、小さな家族を救おうとしていた。
この町には、貧しい者でも受け入れられる病院が必要だ。
それが、私が天使から与えられた啓示だった。
「ありがとう」
通りへ出ると、シビルは疲れた声で言った。
「この命は君のために燃やすと誓った」
「そうだったわね」
達成感の滲む笑いを洩らしていても、彼女は力を込めてこの腕に掴まってくる。
「痛むか?」
「かなりね」
「さっきの医者をなぜ返した」
「若すぎる」
「君だって何人もの若い兵士を裸にしただろう。あれは男ではない。医者だ」
「ええ。応急処置ならあなたで充分」
私の腕を支えにして体重をかけているにも関わらず、励ますように叩いてくる。
「応急処置?」
「ええ。とにかく、宿に着いたらすぐ看て頂戴」
「……」
「私の裸を見るのは初めてじゃあないでしょう?」
「……」
「妙な事を考えてないで、看て。痛いのよ」
信頼を寄せられて嬉しいが、ここは戦場ではない。
シビルは意識があり、一刻を争う重傷でもなく、医者も手配できる。
「承ろう」
私は慇懃に頷き、あたかも国賓を持成すような丁重さで彼女を宿へと導いた。
「……!」
後ろから駆けて来た少年はシビルの背中にぶつかり、そのために塞がりきらない傷を殴打し、さらには抉った可能性もある。
「ごっ、ごめんなさい!」
少年は、咎めるのも気の毒なほど悲痛な声で振り向いた。
だが体は後ろ向きに、今にも走り去ろうとしている。
やはり、厳しく咎めるべきだ。
シビルが前のめりに崩れ落ち、膝をついたのでそれどころではなくなったが。
支えたこの腕を、彼女は強く意思を込めて握った。
「いいのよ」
それは私ではなく、少年に向けられた言葉だった。
「どうしたの? とても、辛そうね」
辛いのは自分のはずだが、シビルは私を支えに立ちあがると少年を気遣った。
まだ8才程度の顔立ちで、場合によっては大人の助けが必要かもしれない。
だが、このくらいの年齢から、つまり自我が芽生えさえすれば悪人は悪人として育ち始める。
盗みでも働いたのか、それとも憐れむべき事情で切迫しているのか、現段階では判別不可能な上に大切なシビルの傷口を開いた。
この瞬間、私は冷たい大人として、ともに在った。
「母さんが倒れたって、報せが来たんです……! それでっ、御主人が行っていいって言ってくれたので……っ」
ソーンダイク伯爵家ではないはずだから、商家で働いている。
貧しい者から命を落とす。それがこの世の戦場だ。
「行くわ」
シビルが断言した。
少年は立ち去りたい心情を如実に表す足踏みをやめ、縋るように今しがた衝突した人物を見あげている。
「私は看護婦なの。お医者様がみえるまで、力になれる」
「いいの……?」
「ええ。どう倒れたの? よくある事?」
彼女は容態を尋ねながら少年の肩を抱き込み、やや体重をかけ、そして私の肘を力強く掴んだ。なにを促されているか、わからない私ではない。
私の天使がそれを望むなら、叶えずにはいられない。
開いたであろう傷か気掛りだが、止めて聞く彼女ではないのだ。
少年は、ともすれば彼女が守る領民となり得た者。
彼女の命が燃える音を聞いた。
力強い、天使の歌声を。
「乗りなさい」
少年を馬車に乗せ、自宅まで案内させる途中で医者を手配し、倒れた母親に処置を施すシビルの指示に従う。ひどく汗をかいているのでそれとなく背中に触れたが、血が滲み出てはいなかった。
少年の名はペーター。姉のエラと妹のレーネがいた。
母親の名はアルマ。癲癇の発作だった。かかりつけの医者などはおらず、度々倒れて痙攣していたが、今回は泡を吹いたのでエラがペーターが呼び戻したそうだ。
一家は死を覚悟していた。
「ひとまず、大丈夫よ」
小さなレーネがペーターにしがみつき泣いている中で、シビルはエラに適切な看護を教え、医者の到着を待った。貧しく小さな家に渋々入ってきた若い医者は、それでも私の顔を見て態度を改めた。
年長のエラは治療費を支払えないという焦りが顔に出ている。
代わりにペーターが、少しずつでも必ず払うと、幼い口で言い募った。
彼らは強く生きていかなければならない。
博愛主義者のように甘やかしてやっても、その場しのぎにすらならない。
彼らは彼らの人生を、その足で踏みしめて歩くしかないのだ。
だが、シビルの瞳が炎を宿し、小さな家族を救おうとしていた。
この町には、貧しい者でも受け入れられる病院が必要だ。
それが、私が天使から与えられた啓示だった。
「ありがとう」
通りへ出ると、シビルは疲れた声で言った。
「この命は君のために燃やすと誓った」
「そうだったわね」
達成感の滲む笑いを洩らしていても、彼女は力を込めてこの腕に掴まってくる。
「痛むか?」
「かなりね」
「さっきの医者をなぜ返した」
「若すぎる」
「君だって何人もの若い兵士を裸にしただろう。あれは男ではない。医者だ」
「ええ。応急処置ならあなたで充分」
私の腕を支えにして体重をかけているにも関わらず、励ますように叩いてくる。
「応急処置?」
「ええ。とにかく、宿に着いたらすぐ看て頂戴」
「……」
「私の裸を見るのは初めてじゃあないでしょう?」
「……」
「妙な事を考えてないで、看て。痛いのよ」
信頼を寄せられて嬉しいが、ここは戦場ではない。
シビルは意識があり、一刻を争う重傷でもなく、医者も手配できる。
「承ろう」
私は慇懃に頷き、あたかも国賓を持成すような丁重さで彼女を宿へと導いた。
33
お気に入りに追加
1,727
あなたにおすすめの小説
妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放されました。でもそれが、私を虐げていた人たちの破滅の始まりでした
水上
恋愛
「ソフィア、悪いがお前との婚約は破棄させてもらう」
子爵令嬢である私、ソフィア・ベルモントは、婚約者である子爵令息のジェイソン・フロストに婚約破棄を言い渡された。
彼の隣には、私の妹であるシルビアがいる。
彼女はジェイソンの腕に体を寄せ、勝ち誇ったような表情でこちらを見ている。
こんなこと、許されることではない。
そう思ったけれど、すでに両親は了承していた。
完全に、シルビアの味方なのだ。
しかも……。
「お前はもう用済みだ。この屋敷から出て行け」
私はお父様から追放を宣言された。
必死に食い下がるも、お父様のビンタによって、私の言葉はかき消された。
「いつまで床に這いつくばっているのよ、見苦しい」
お母様は冷たい言葉を私にかけてきた。
その目は、娘を見る目ではなかった。
「惨めね、お姉さま……」
シルビアは歪んだ笑みを浮かべて、私の方を見ていた。
そうして私は、妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放された。
途方もなく歩いていたが、そんな私に、ある人物が声を掛けてきた。
一方、私を虐げてきた人たちは、破滅へのカウントダウンがすでに始まっていることに、まだ気づいてはいなかった……。
両親から謝ることもできない娘と思われ、妹の邪魔する存在と決めつけられて養子となりましたが、必要のないもの全てを捨てて幸せになれました
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたユルシュル・バシュラールは、妹の言うことばかりを信じる両親と妹のしていることで、最低最悪な婚約者と解消や破棄ができたと言われる日々を送っていた。
一見良いことのように思えることだが、実際は妹がしていることは褒められることではなかった。
更には自己中な幼なじみやその異母妹や王妃や側妃たちによって、ユルシュルは心労の尽きない日々を送っているというのにそれに気づいてくれる人は周りにいなかったことで、ユルシュルはいつ倒れてもおかしくない状態が続いていたのだが……。
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの。
朝霧心惺
恋愛
「リリーシア・ソフィア・リーラー。冷酷卑劣な守銭奴女め、今この瞬間を持って俺は、貴様との婚約を破棄する!!」
テオドール・ライリッヒ・クロイツ侯爵令息に高らかと告げられた言葉に、リリーシアは純白の髪を靡かせ高圧的に微笑みながら首を傾げる。
「誰と誰の婚約ですって?」
「俺と!お前のだよ!!」
怒り心頭のテオドールに向け、リリーシアは真実を告げる。
「わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの」
妹と婚約者が結婚したけど、縁を切ったから知りません
編端みどり
恋愛
妹は何でもわたくしの物を欲しがりますわ。両親、使用人、ドレス、アクセサリー、部屋、食事まで。
最後に取ったのは婚約者でした。
ありがとう妹。初めて貴方に取られてうれしいと思ったわ。
【完結】我儘で何でも欲しがる元病弱な妹の末路。私は王太子殿下と幸せに過ごしていますのでどうぞご勝手に。
白井ライス
恋愛
シャーリー・レインズ子爵令嬢には、1つ下の妹ラウラが居た。
ブラウンの髪と目をしている地味なシャーリーに比べてラウラは金髪に青い目という美しい見た目をしていた。
ラウラは幼少期身体が弱く両親はいつもラウラを優先していた。
それは大人になった今でも変わらなかった。
そのせいかラウラはとんでもなく我儘な女に成長してしまう。
そして、ラウラはとうとうシャーリーの婚約者ジェイク・カールソン子爵令息にまで手を出してしまう。
彼の子を宿してーー
幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。
妹に魅了された婚約者の王太子に顔を斬られ追放された公爵令嬢は辺境でスローライフを楽しむ。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
マクリントック公爵家の長女カチュアは、婚約者だった王太子に斬られ、顔に醜い傷を受けてしまった。王妃の座を狙う妹が王太子を魅了して操っていたのだ。カチュアは顔の傷を治してももらえず、身一つで辺境に追放されてしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる