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9 誰よりも相応しい私

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 私の毎日は、春の花のように甘く、そして夜の星のように、鮮明に輝き始めた。
 優しくて大人の博士は、私が言葉を詰まらせてしまっても、穏やかな微笑みを浮かべて待ってくれる。気を紛らわせるために、私がわかる範囲で興味深い研究の話をしてくれる。

 只ひとつ気掛りなのは、私が一度は婚約を破棄された事のある、後ろ暗い恥を背負った人間という事だ。そして彼は、私の不安を見逃しはしなかった。

 ある日の午後。

 
「なぜはクライヴ伯爵との婚約を?」


 研究所から大学を繋ぐ前庭と並木道を散歩しながら、単刀直入に彼は言った。
 その口調には一切の含みもなく、強いて言えば、まるで研究資材の出処を確認するかのような些細な知的好奇心だけが感じられた。

 私の不安は、彼にとって、取るに足らない過去なのだと思った。


「母は私が3才の頃に病気で亡くなったのですが、父は私が母と同じように病弱になるのを恐れていました」

「うむ」

「実際、子供の頃は風邪をひきやすく、治りも遅くて、とても心配をかけていたと思います。今は元気です。父があの求婚を受け入れた大きな理由のひとつには、気候がありました」

「なるほど」

「アデラインは穏やかな街ですが、やはり都会なので空気が好ましくないと考えていたようです。その点、クライヴ領は豊かな自然に恵まれた穏やかな土地です。別荘地や保養所も多く、あの地での休養を進めるお医者様も多いと聞きます」

「あなたの健康を気遣っての事だったのか」

「はい。先代のクライヴ伯爵は堅実な方だったそうですし、それに、ローガン領とクライヴ領は平地を挟んでの地続きなので、馬車道も整備されていて、いざという時に道が塞がる事もなく、行き来するにも懸念が少ないと言っていました」

「その通りだ」


 博士は納得したようだった。

 思い返し、私は、自らの都合のよさに、少なからず罪悪感を覚えた。
 貴族の結婚に愛は必ずしも必要ではない。けれど、私はジェフリー卿に好意を抱いていたのではなく、ジェフリー卿の備えた好都合な要素について、好ましく思っていただけなのかもしれない。

 私は彼に、恋をした。
 そう思っていた。
 けれどそれは、恋に恋をし、好都合な結婚に喜んでいただけ。

 彼自身を見ていたわけではなかった。

 浅はかな私が、愛情を示すあの子に負けるのは、当然だったのだ。
 貴族としてそれが正しいかと言われれば一概には言えないけれど、少なくとも、私は彼を愛してはいなかった。

 私は、私を、愛していた。


「では私は申し分ないな」

「え?」


 宙を見あげて人差し指を立てる博士の横顔を、私は見あげた。


「君の安全についてはもちろん、健康について配慮し、対処すべき箇所には適切に対処できる。気晴らしと調査を兼ねた旅行もいいだろう。君を退屈させず、疲れすぎにもさせず、心身ともに健康を増進できるよう努めるよ。なんなら、医学の講義を受けてもいいしね」

「博士」

「知的好奇心が愛の役に立つなら、解き放つまでだ」


 彼の眼鏡が太陽を弾き、私は反射的に瞼を閉じた。

 刹那。
 右手が掬い上げられて、手の甲に短い口づけを受ける。

 驚いて目を開けた私が見たのは、愛しい人の優しい微笑みだった。
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