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3 便宜上の結婚

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「なっ、なんだと……!? えっ!?」


 いくら狂人めいていても、フィリップ卿はイスフェルト侯爵令息だ。紋章の力は絶大だったようで、後ずさって蒼褪めた。
 
 私はあまりの事態に、頭が真っ白。
 ただ、外側からがっしりと掴まれた腕の感触は、嫌ではなかった。


「その情熱は最たるものだが、好ましくはない。聞けばシェルヴェン伯爵邸には招かれてさえいないそうではないか。すると忍び込んだか、賊のように。恥を知れ。なにより、私の妻になる娘に手を出すなど無礼にも程がある。どういうつもりだ」

「どっ、どうもなにも……! ルートは僕と結婚するはずなんです! 忍び込んだのは、彼女の父親が僕とルートの仲を引き裂こうとばかりするからです!! あ、あなあなあなたと結婚するだなんて、なにかの間違いですッ!!」

「否、間違いではない」

「嘘だぁッ!!」


 フィリップ卿が髪を掻き毟りながら泣き出した。
 悍ましい。

 でも、苦しむ姿を見たら胸がスッとした。
 そんな自分に驚いた。


「嘘ではない。今後、私の妻となるこのルートに邪な気持ちで近づきこの体に触れたなら、公的に処罰を下す。そして私の家族となるシェルヴェン伯爵への無礼を働いた責任は取ってもらうぞ。覚悟したまえ」

「違う……嫌だっ、こんなのおかしいッ!! ルート! ルート!! なんとか言ってくれ!! 僕を愛しているんだよね!? 僕と結婚するために、あの忌々しい男との婚約を破談にしたんだろうッ!? 閣下はなにか誤解をなさっているんだ! きっ、君からきちんと説明してくれよッ!!」

「……」


 私は、言葉を発するために大きく息を吸い込んだ。
 そんな私を、公爵閣下が押し止める。私は口を噤んだ。そして、私が言いたかった言葉が閣下の口から告げられた。


「先の婚約が破談になったのは貴殿のためではない。貴殿のせいで破談になったのだ。その思い上がった執着心と愚かな行いのせいでルート・ユングクヴィストの名誉を傷つけた。これを言うのは二度目だが、恥を知れ。そして立ち去り、二度とその姿を現すな」

「い……いやだ……っ、嫌だぁっ!!」


 兄がフィリップ卿を掴み引き摺り始める。


「さ、フィリップ卿。こちらへ。これから結婚式の打ち合わせがありますので、申し訳ないがお帰り下さい」

「嘘だあぁぁぁッ!!」


 その叫びがあってやっと父が書斎から飛び出した。
 そして目を丸くして、立ち竦んだ。


「な、なんだ……いったい、これは……!?」


 気持ちはよく理解できた。
 兄に引き摺られていくフィリップ卿の叫びは、まったく理解できなかったけれど。


「ルートは僕のものだ! 僕と結婚するんだぁッ!!」

「黙れ無礼者!!」

「!」


 閣下が声を荒げたので、私も飛び上がる。


「ルート! ルート!! 大丈夫だ、きっと助けに行くからね! だから、待っていてくれ。絶対に早まるんじゃない。なにがなんでも純潔を守り抜くんだ! いいね!! 愛してる! 愛してるよ、ルートォォォォッ!!」


 最後まで悍ましい事を喚いていた。
 けれど、兄は構わずフィリップ卿を連れて行った。考えられない事だった。まるで、本当に、公爵閣下の後ろ盾を得たかのように……


「愚かな」


 頭の上で閣下が低く洩らす。


「!」


 私は驚いて再び跳ねた。
 そして、ついに頭の片隅で理解した。

 ランデル公爵閣下ともあろう方を前にしている。
 泣いている場合ではなかった。


「あっ」


 身を離すそぶりを感じ取り、閣下はすぐに解放してくれた。
 そして向かい合い、その厳かな御尊顔を仰ぎ、私はまた違った意味で息を呑んだ。雲の上の人が目の前にいて、助けてくれたのだ。地獄から救ってくれた。


「あ、ありがとうございました。その、お助け下さり、本当に……」

「ランデル公爵閣下……?」


 父も戸惑いを隠せないようだ。


「シェルヴェン卿、急な事ですまない。シャーリーと話はついている」

「む、息子と……?」

「貴殿の娘であるルートの身の安全を守るため、伴侶として申し出た」

「えっ!?」

「えっ!?」


 父と一緒に驚きの声を上げ、どちらともなく身を寄せ合う。

 今さっき、閣下はフィリップ卿を追い払ってくれた。
 私と結婚するというのは、そのための方便だった。はずだ。

 でも、たしかに兄の態度はあまりに強気で、腑に落ちない部分もあった。
 もし本当にシェルヴェン伯爵家がランデル公爵家と縁戚になるとすれば、納得しないでもない。


「……」


 だからって、私が、ランデル公爵閣下の、妻に?
 それはあまりにも突飛で、在り得ない、ある意味ではおとぎ話のような……


「安心してほしい、ルート。これは便宜上の結婚だ。もし恋をするなら、誰とでもしたらいい。跡継ぎが生まれなければ親族から相続人を選ぶまでの話だ」

「な、なぜ……」


 つい口に出てしまう。


「単純な人助けだ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」


 信じられない話だった。
 けれど、これが始まりだった。私は本当にランデル公爵夫人になった。
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