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9 レイラ・ペンリー
しおりを挟む「……!」
あまりの事に、辺りがしんと鎮まり返る。
沈黙を破ったのもまた、レディ・レイラだった。
「調子に乗るんじゃないわよ!!」
「ひっ」
恐かったので、つい小さな悲鳴をあげて飛び跳ねる。すかさずフローレンスが抱きしめてくれたけれど、それはつまり、互いに互いを抱きしめて縋りつきあっているのだった。
「他人様の国で王太子殿下の花嫁になるかもしれないレディに危害を加える権利があるとでも思ってるの!? 総督令嬢が聞いて呆れるわ!! あんたが仕掛けたのは戦争よ! 立派な役職もらったママは政略結婚させようって娘に外交のマナーさえ教えないわけ!? ええっ!? どうなのよッ!!」
「……」
年上というのもあり、加えて威厳も風格もあり、まさかレディ・レイラがこんなにも直情的な性格とは思っていなかったので、私の意識は完全に驚きだけにすり替わった。
「う」
と呻り、カリプカ総督令嬢は真っ赤な顔で涙を零すと、獣のようにレディ・レイラに掴みかかった。レディ・レイラがすらりと交わす。見事な身の熟しに思わず見入る。すぐに態勢を立て直したカリプカ総督令嬢が、自国の言葉で喚き散らしながらまた掴みかかろうとした。そこへ双方の推薦人が駆けつけ、ヘブリナ伯爵がカリプカ総督令嬢を羽交い絞めにして私たちに詫びた。
「ちゃんと躾けなさいよ!!」
レディ・レイラの怒りは収まらない。
「申し訳ございませんっ!」
ヘブリナ伯爵の声は上ずり、大汗をかいている。姪にあたるカリプカ総督令嬢とは似ても似つかない、温厚そうな恰幅のいい人物だ。
彼はグニムート侯爵、レディ・レイラ、ゼント卿、それから私、そしてフローレンスの順で謝罪を叫んだ後、カリプカ総督令嬢に早口でなにか言った。文脈はわからなかったけれど、その中にはメルーという単語があった。カリプカ総督令嬢が硬直して蒼褪める。どうやら彼女は、ゼント卿がメルー侯爵令息である事を知らなかったようだ。だとしたら当然、第二王子の側近という事も知らないだろう。
カリプカ総督令嬢は青い顔でこちらを凝視して、口をパクパクさせている。
ゼント卿がふり向いて、私の肩に手を乗せた。
「大丈夫か?」
今ではもう、単純に、レディ・レイラの勢いに驚いているだけだった。ただ声は出なかったので、私は大きく頷いた。──と、その時。レディ・レイラの細い腕がゼント卿を押し退けた。
「!?」
「!」
ゼント卿がよろけ、フローレンスと私が互いに抱きあう。
レディ・レイラはカリプカ総督令嬢から剥ぎ取った美しい布地を丸め、卵の割れた殻や液体の上にふさりと落とした。そして踏んだ。
恐ろしい。
ところが次の瞬間、背の高いレディ・レイラはまるでゼント卿がそうするように少し屈んで、優しい目をして私の顔を覗き込んできた。
「大丈夫? やれるわね?」
「……っ」
咄嗟に高速で頷いて答える。
レディ・レイラは続けてフローレンスにも目線で同意を求めた。フローレンスは私から手を離し、素早くお辞儀で答え、そこでやっと胸元の卵液に気づいたようだ。
「……」
言葉を失っている。
私を抱きしめたせいで、フローレンスのドレスまで汚れてしまったのだ。再び、私の胸は張り裂けた。
レディ・レイラが私の腕を掴んで歩き出した。
「来て、フローレンス。ちょうど話がしたかったの」
連れているのは私。互いの目を見て困惑を分かち合い、フローレンスが小走りについてくる。
「グニムート卿! 入場を1時間遅らせて! 私がお腹痛い事にして今あった事件はなかった事にしておいてちょうだい! ゼント卿はなにやってるの、来なさいよ。あなたが来ないと始まらないでしょ!」
「はいっ、はいっ!」
ゼント卿がすっかり恐縮して飛んできたので、その姿が少し面白くて笑ってしまう。フローレンスが目でゼント卿に問いかけるけれど、ゼント卿は力強く頷き、真意はなにも伝わってこなかった。
ふいに、レディ・レイラが私を見おろした。笑顔だった。
「よかった。落ち込んでる時間なんてないわよ」
やっと、私は理解した。
着替えるために連れ出してくれたのだ。
「……はい!」
胸に希望が溢れて、私ははっきりと返事をした。
私にはゼント卿がいる。フローレンスがいる。
本当に優しい人たちが存在するのだと身を以て知った。だからレディ・レイラが優しい気持ちで助けてくれているのだと、信じる事ができた。
ドレスはフローレンスの分と合わせて2着、駄目にしてしまった。
それでも、私はわくわくして足を速めた。
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