上 下
9 / 17

9 レイラ・ペンリー

しおりを挟む
 
「……!」


 あまりの事に、辺りがしんと鎮まり返る。
 沈黙を破ったのもまた、レディ・レイラだった。


「調子に乗るんじゃないわよ!!」

「ひっ」


 恐かったので、つい小さな悲鳴をあげて飛び跳ねる。すかさずフローレンスが抱きしめてくれたけれど、それはつまり、互いに互いを抱きしめて縋りつきあっているのだった。


「他人様の国で王太子殿下の花嫁になるかもしれないレディに危害を加える権利があるとでも思ってるの!? 総督令嬢が聞いて呆れるわ!! あんたが仕掛けたのは戦争よ! 立派な役職もらったママは政略結婚させようって娘に外交のマナーさえ教えないわけ!? ええっ!? どうなのよッ!!」

「……」


 年上というのもあり、加えて威厳も風格もあり、まさかレディ・レイラがこんなにも直情的な性格とは思っていなかったので、私の意識は完全に驚きだけにすり替わった。


「う」


 と呻り、カリプカ総督令嬢は真っ赤な顔で涙を零すと、獣のようにレディ・レイラに掴みかかった。レディ・レイラがすらりと交わす。見事な身の熟しに思わず見入る。すぐに態勢を立て直したカリプカ総督令嬢が、自国の言葉で喚き散らしながらまた掴みかかろうとした。そこへ双方の推薦人が駆けつけ、ヘブリナ伯爵がカリプカ総督令嬢を羽交い絞めにして私たちに詫びた。


「ちゃんと躾けなさいよ!!」


 レディ・レイラの怒りは収まらない。


「申し訳ございませんっ!」


 ヘブリナ伯爵の声は上ずり、大汗をかいている。姪にあたるカリプカ総督令嬢とは似ても似つかない、温厚そうな恰幅のいい人物だ。
 彼はグニムート侯爵、レディ・レイラ、ゼント卿、それから私、そしてフローレンスの順で謝罪を叫んだ後、カリプカ総督令嬢に早口でなにか言った。文脈はわからなかったけれど、その中にはメルーという単語があった。カリプカ総督令嬢が硬直して蒼褪める。どうやら彼女は、ゼント卿がメルー侯爵令息である事を知らなかったようだ。だとしたら当然、第二王子の側近という事も知らないだろう。
 カリプカ総督令嬢は青い顔でこちらを凝視して、口をパクパクさせている。

 ゼント卿がふり向いて、私の肩に手を乗せた。


「大丈夫か?」


 今ではもう、単純に、レディ・レイラの勢いに驚いているだけだった。ただ声は出なかったので、私は大きく頷いた。──と、その時。レディ・レイラの細い腕がゼント卿を押し退けた。


「!?」

「!」


 ゼント卿がよろけ、フローレンスと私が互いに抱きあう。
 レディ・レイラはカリプカ総督令嬢から剥ぎ取った美しい布地を丸め、卵の割れた殻や液体の上にふさりと落とした。そして踏んだ。

 恐ろしい。

 ところが次の瞬間、背の高いレディ・レイラはまるでゼント卿がそうするように少し屈んで、優しい目をして私の顔を覗き込んできた。


「大丈夫? やれるわね?」

「……っ」


 咄嗟に高速で頷いて答える。
 レディ・レイラは続けてフローレンスにも目線で同意を求めた。フローレンスは私から手を離し、素早くお辞儀で答え、そこでやっと胸元の卵液に気づいたようだ。


「……」


 言葉を失っている。
 私を抱きしめたせいで、フローレンスのドレスまで汚れてしまったのだ。再び、私の胸は張り裂けた。

 レディ・レイラが私の腕を掴んで歩き出した。


「来て、フローレンス。ちょうど話がしたかったの」


 連れているのは私。互いの目を見て困惑を分かち合い、フローレンスが小走りについてくる。


「グニムート卿! 入場を1時間遅らせて! 私がお腹痛い事にして今あった事件はなかった事にしておいてちょうだい! ゼント卿はなにやってるの、来なさいよ。あなたが来ないと始まらないでしょ!」

「はいっ、はいっ!」


 ゼント卿がすっかり恐縮して飛んできたので、その姿が少し面白くて笑ってしまう。フローレンスが目でゼント卿に問いかけるけれど、ゼント卿は力強く頷き、真意はなにも伝わってこなかった。
 ふいに、レディ・レイラが私を見おろした。笑顔だった。


「よかった。落ち込んでる時間なんてないわよ」


 やっと、私は理解した。
 着替えるために連れ出してくれたのだ。


「……はい!」


 胸に希望が溢れて、私ははっきりと返事をした。

 私にはゼント卿がいる。フローレンスがいる。
 本当に優しい人たちが存在するのだと身を以て知った。だからレディ・レイラが優しい気持ちで助けてくれているのだと、信じる事ができた。

 ドレスはフローレンスの分と合わせて2着、駄目にしてしまった。
 それでも、私はわくわくして足を速めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。

完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。

婚約者の私には何も買ってはくれないのに妹に好きな物を買い与えるのは酷すぎます。婚約破棄になって清々しているので付き纏わないで

珠宮さくら
恋愛
ゼフィリーヌは、婚約者とその妹に辟易していた。どこに出掛けるにも妹が着いて来ては兄に物を強請るのだ。なのにわがままを言って、婚約者に好きな物を買わせていると思われてしまっていて……。 ※全5話。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

【完結】「今日から私は好きに生きます! 殿下、美しくなった私を見て婚約破棄したことを後悔しても遅いですよ!」

まほりろ
恋愛
婚約者に浮気され公衆の面前で婚約破棄されました。 やったーー! これで誰に咎められることなく、好きな服が着れるわ! 髪を黒く染めるのも、瞳が黒く見える眼鏡をかけるのも、黒か茶色の地味なドレスを着るのも今日で終わりよーー! 今まで私は元婚約者(王太子)の母親(王妃)の命令で、地味な格好をすることを強要されてきた。 ですが王太子との婚約は今日付けで破棄されました。 これで王妃様の理不尽な命令に従う必要はありませんね。 ―――翌日―――  あら殿下? 本来の姿の私に見惚れているようですね。 今さら寄りを戻そうなどと言われても、迷惑ですわ。 だって私にはもう……。 ※他サイトにも投稿しています。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。

幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。 ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。

婚約者が浮気相手にプロポーズしています

おこめ
恋愛
シトリンには2歳年上の婚約者がいる。 学園を卒業してすぐに結婚する予定だったのだが、彼はシトリンではない別の女にプロポーズをしていた。 婚約者を差し置いて浮気相手にプロポーズするバカを切り捨てる話。 ご都合主義。

処理中です...