6 / 17
6 準備期間
しおりを挟む
王家主催の舞踏会にむけて設けられた3ヶ月の準備期間。
私は、ゼント卿が受け持つもうひとりの令嬢フローレンスの生家、レーテルカルノ伯爵家に滞在し猛特訓を受けた。
主に礼節とダンス、それに話術、あと王家の歴史。
私はどれも劣等生だった。伯爵家に生まれてそれなりに教育を受けてきたけれど、洗練されたフローレンスは格上の英才教育を受けていたし、そのフローレンス用に計画された準備期間は、私にとってかなり厳しいものだった。
最初の3日は。
「落ち込まないで、ローズマリー。一緒に頑張りましょう」
フローレンスが励ましてくれた。
彼女は初日の一件以来、驚くほど優しく、面倒見がよかった。私に呆れる事も、見下す事もしなかった。それに一緒に訓練を受けているので、私が躓いたあらゆる箇所について深く理解していた。
たとえば、ダンスレッスンで酷評を受けた夜。フローレンスは私の部屋にやってくると、徐に寝間着を脱ぎ下着姿になって言った。
「あなたも脱いで」
「え……っ?」
こちらが戸惑っている間に、彼女は姿見の角度を調節し、その前に立って私を呼んだ。
「関節を理解すれば綺麗に踊れるはず。ほら、来て」
「……あ、はぃ」
彼女の美しさに圧され、私も下着姿になって彼女に並んだ。
思わず目がいってしまう完璧で神秘的な体形のフローレンスが、真顔でポーズをとる。そして鏡越しに話しかけてきた。
「あなたは姿勢が悪いのではないのよ。よく見て。そして意識して、真似をして」
「……」
見惚れていた。
そして我に返って、ポーズをとった。
次の瞬間、彼女は私の背後に回った。眉間に縦皴を刻み、私の脳天から爪先まで観察すると、肩を掴み、背中を突き、腰を捻り、顎を上げさせて角度を整え、また肩を押し下げた。それだけで、私のポーズは見違えるほどよくなったので、驚いた。
フローレンスは私の左手首を掴んで鏡越しに目を合わせた。
「あなたの手は、肩と肘と手首の3ヶ所が曲がるの?」
「え? ええ」
「だったら意識してみて。あなたの手は、肩と肘の間に10、肘と手首の間に10の関節があるの。そのひとつひとつを意識して動かすようにすれば、なめらかに動くから。手首から先はひとつではなく、関節毎にそれぞれが動くのよ。意識して」
私は必死で頷いた。
彼女も鏡越しに頷いた。
「それと、あなたの腕は肩からじゃなくて、肩甲骨の下からよ。足も、背筋から。それを意識して動いてみて」
情報量が多すぎて、まともな返事ができない。
でも頷いて報せると、彼女もまた頷いて私の斜め前に戻った。
「意識してね。せーの。タララララ、タラン♪」
「!」
信じられない事が起きた。
鏡の中で、私はわりと素敵に踊り始めた。
「……!」
「ね。関節を意識するの。あと、あなたの四肢は目で見えているより奥からで、長いのよ。頭も、脳天から細い糸で吊られていると思って。足は大地に根を張っているの。わかった?」
「はい」
「ねえ、どうして小指を離すの?」
「え?」
フローレンスが踊るのをやめ、振り向いた。
それから、掌を私に向ける。指先まで本当に美しい。
「あなたの手は、小指が少し離れるでしょう?」
「……あ」
美しい指先を意識して手を構えてみても、確かに私の小指は、薬指に沿い切らず少し浮く。
「ご、ごめ……」
「謝る事じゃないわ。悪い癖よ」
彼女は私の手を両手でとり、揉んだり角度を変えたりして理由を探しているようだった。
「手が、小さいからかしら」
「中心に揃えるようにしているのだけど……」
「ああ……なるほど、小指だけ抵抗が弱いのね」
「き、筋力……?」
「そうだろうけれど、今から小指の筋肉を鍛えるっていうのも、腕が変になるかも」
私の手を離し、今度は自分の手を揉んだり指をひっぱったりし始める。そして数秒、掌の形を試行錯誤したあと、力強く頷いた。
「わかった」
「えっ?」
「あなた、手の中心を中指ではなく薬指にしてみて」
「……」
言われて通りにすると、私の手首から先がピンッと洗練されたような形になった。
「!」
但し、そうすると親指がはぐれる。
でも親指は小指と比べたら断然扱い易くて、揃える事ができた。
「うん。いい感じになった」
フローレンスの美しい顔に、笑みが広がる。
それ自体にも感動しながら、私も嬉しくて笑みが零れた。
そして、自ら踊り始める。
鏡に映る私は、フローレンスには遠く及ばないとしても、かなり素敵に踊っていた。まるで私ではないようだった。
「ああ、とてもいいわ。素敵よ、ローズマリー」
これがきっかけで私の姿勢が各段によくなり、ダンスだけでなく様々なシーンで見栄えがよくなったのは事実だ。それは私に自信をくれた。意欲が沸いた。
加えてフローレンスは朝晩の軽い体操を教えてくれた。
私たちは就寝前や空いた時間、互いに相手役を務めて踊ったりしていたのだけれど、フローレンスは身長差があったほうがいいと考えて踵の高いブーツを用意してくれた。それだけは失敗で、私はもちろん、フローレンスまで不格好に踊る羽目になり、ふたりで笑い転げてしまった。
準備期間を経て、私は自分でも信じられないくらい、見違えるほど成長した。
軟化した教師たちの態度がそれを証明していた。
そんな私を見る度に、いつも支えてくれたフローレンスとゼント卿がとても喜んでくれた。それがなにより嬉しかった。
私は、ゼント卿が受け持つもうひとりの令嬢フローレンスの生家、レーテルカルノ伯爵家に滞在し猛特訓を受けた。
主に礼節とダンス、それに話術、あと王家の歴史。
私はどれも劣等生だった。伯爵家に生まれてそれなりに教育を受けてきたけれど、洗練されたフローレンスは格上の英才教育を受けていたし、そのフローレンス用に計画された準備期間は、私にとってかなり厳しいものだった。
最初の3日は。
「落ち込まないで、ローズマリー。一緒に頑張りましょう」
フローレンスが励ましてくれた。
彼女は初日の一件以来、驚くほど優しく、面倒見がよかった。私に呆れる事も、見下す事もしなかった。それに一緒に訓練を受けているので、私が躓いたあらゆる箇所について深く理解していた。
たとえば、ダンスレッスンで酷評を受けた夜。フローレンスは私の部屋にやってくると、徐に寝間着を脱ぎ下着姿になって言った。
「あなたも脱いで」
「え……っ?」
こちらが戸惑っている間に、彼女は姿見の角度を調節し、その前に立って私を呼んだ。
「関節を理解すれば綺麗に踊れるはず。ほら、来て」
「……あ、はぃ」
彼女の美しさに圧され、私も下着姿になって彼女に並んだ。
思わず目がいってしまう完璧で神秘的な体形のフローレンスが、真顔でポーズをとる。そして鏡越しに話しかけてきた。
「あなたは姿勢が悪いのではないのよ。よく見て。そして意識して、真似をして」
「……」
見惚れていた。
そして我に返って、ポーズをとった。
次の瞬間、彼女は私の背後に回った。眉間に縦皴を刻み、私の脳天から爪先まで観察すると、肩を掴み、背中を突き、腰を捻り、顎を上げさせて角度を整え、また肩を押し下げた。それだけで、私のポーズは見違えるほどよくなったので、驚いた。
フローレンスは私の左手首を掴んで鏡越しに目を合わせた。
「あなたの手は、肩と肘と手首の3ヶ所が曲がるの?」
「え? ええ」
「だったら意識してみて。あなたの手は、肩と肘の間に10、肘と手首の間に10の関節があるの。そのひとつひとつを意識して動かすようにすれば、なめらかに動くから。手首から先はひとつではなく、関節毎にそれぞれが動くのよ。意識して」
私は必死で頷いた。
彼女も鏡越しに頷いた。
「それと、あなたの腕は肩からじゃなくて、肩甲骨の下からよ。足も、背筋から。それを意識して動いてみて」
情報量が多すぎて、まともな返事ができない。
でも頷いて報せると、彼女もまた頷いて私の斜め前に戻った。
「意識してね。せーの。タララララ、タラン♪」
「!」
信じられない事が起きた。
鏡の中で、私はわりと素敵に踊り始めた。
「……!」
「ね。関節を意識するの。あと、あなたの四肢は目で見えているより奥からで、長いのよ。頭も、脳天から細い糸で吊られていると思って。足は大地に根を張っているの。わかった?」
「はい」
「ねえ、どうして小指を離すの?」
「え?」
フローレンスが踊るのをやめ、振り向いた。
それから、掌を私に向ける。指先まで本当に美しい。
「あなたの手は、小指が少し離れるでしょう?」
「……あ」
美しい指先を意識して手を構えてみても、確かに私の小指は、薬指に沿い切らず少し浮く。
「ご、ごめ……」
「謝る事じゃないわ。悪い癖よ」
彼女は私の手を両手でとり、揉んだり角度を変えたりして理由を探しているようだった。
「手が、小さいからかしら」
「中心に揃えるようにしているのだけど……」
「ああ……なるほど、小指だけ抵抗が弱いのね」
「き、筋力……?」
「そうだろうけれど、今から小指の筋肉を鍛えるっていうのも、腕が変になるかも」
私の手を離し、今度は自分の手を揉んだり指をひっぱったりし始める。そして数秒、掌の形を試行錯誤したあと、力強く頷いた。
「わかった」
「えっ?」
「あなた、手の中心を中指ではなく薬指にしてみて」
「……」
言われて通りにすると、私の手首から先がピンッと洗練されたような形になった。
「!」
但し、そうすると親指がはぐれる。
でも親指は小指と比べたら断然扱い易くて、揃える事ができた。
「うん。いい感じになった」
フローレンスの美しい顔に、笑みが広がる。
それ自体にも感動しながら、私も嬉しくて笑みが零れた。
そして、自ら踊り始める。
鏡に映る私は、フローレンスには遠く及ばないとしても、かなり素敵に踊っていた。まるで私ではないようだった。
「ああ、とてもいいわ。素敵よ、ローズマリー」
これがきっかけで私の姿勢が各段によくなり、ダンスだけでなく様々なシーンで見栄えがよくなったのは事実だ。それは私に自信をくれた。意欲が沸いた。
加えてフローレンスは朝晩の軽い体操を教えてくれた。
私たちは就寝前や空いた時間、互いに相手役を務めて踊ったりしていたのだけれど、フローレンスは身長差があったほうがいいと考えて踵の高いブーツを用意してくれた。それだけは失敗で、私はもちろん、フローレンスまで不格好に踊る羽目になり、ふたりで笑い転げてしまった。
準備期間を経て、私は自分でも信じられないくらい、見違えるほど成長した。
軟化した教師たちの態度がそれを証明していた。
そんな私を見る度に、いつも支えてくれたフローレンスとゼント卿がとても喜んでくれた。それがなにより嬉しかった。
61
お気に入りに追加
1,684
あなたにおすすめの小説
幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。
完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。
そう言うと思ってた
mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。
※いつものように視点がバラバラします。
妹と婚約者が結婚したけど、縁を切ったから知りません
編端みどり
恋愛
妹は何でもわたくしの物を欲しがりますわ。両親、使用人、ドレス、アクセサリー、部屋、食事まで。
最後に取ったのは婚約者でした。
ありがとう妹。初めて貴方に取られてうれしいと思ったわ。
虐げられていた姉はひと月後には幸せになります~全てを奪ってきた妹やそんな妹を溺愛する両親や元婚約者には負けませんが何か?~
***あかしえ
恋愛
「どうしてお姉様はそんなひどいことを仰るの?!」
妹ベディは今日も、大きなまるい瞳に涙をためて私に喧嘩を売ってきます。
「そうだぞ、リュドミラ!君は、なぜそんな冷たいことをこんなかわいいベディに言えるんだ!」
元婚約者や家族がそうやって妹を甘やかしてきたからです。
両親は反省してくれたようですが、妹の更生には至っていません!
あとひと月でこの地をはなれ結婚する私には時間がありません。
他人に迷惑をかける前に、この妹をなんとかしなくては!
「結婚!?どういうことだ!」って・・・元婚約者がうるさいのですがなにが「どういうこと」なのですか?
あなたにはもう関係のない話ですが?
妹は公爵令嬢の婚約者にまで手を出している様子!ああもうっ本当に面倒ばかり!!
ですが公爵令嬢様、あなたの所業もちょぉっと問題ありそうですね?
私、いろいろ調べさせていただいたんですよ?
あと、人の婚約者に色目を使うのやめてもらっていいですか?
・・・××しますよ?
ここはあなたの家ではありません
風見ゆうみ
恋愛
「明日からミノスラード伯爵邸に住んでくれ」
婚約者にそう言われ、ミノスラード伯爵邸に行ってみたはいいものの、婚約者のケサス様は弟のランドリュー様に家督を譲渡し、子爵家の令嬢と駆け落ちしていた。
わたくしを家に呼んだのは、捨てられた令嬢として惨めな思いをさせるためだった。
実家から追い出されていたわたくしは、ランドリュー様の婚約者としてミノスラード伯爵邸で暮らし始める。
そんなある日、駆け落ちした令嬢と破局したケサス様から家に戻りたいと連絡があり――
そんな人を家に入れてあげる必要はないわよね?
※誤字脱字など見直しているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
婚約したがっていると両親に聞かされ大事にされること間違いなしのはずが、彼はずっととある令嬢を見続けていて話が違いませんか?
珠宮さくら
恋愛
レイチェルは、婚約したがっていると両親に聞かされて大事にされること間違いなしだと婚約した。
だが、その子息はレイチェルのことより、別の令嬢をずっと見続けていて……。
※全4話。
【完結】私から全てを奪った妹は、地獄を見るようです。
凛 伊緒
恋愛
「サリーエ。すまないが、君との婚約を破棄させてもらう!」
リデイトリア公爵家が開催した、パーティー。
その最中、私の婚約者ガイディアス・リデイトリア様が他の貴族の方々の前でそう宣言した。
当然、注目は私達に向く。
ガイディアス様の隣には、私の実の妹がいた--
「私はシファナと共にありたい。」
「分かりました……どうぞお幸せに。私は先に帰らせていただきますわ。…失礼致します。」
(私からどれだけ奪えば、気が済むのだろう……。)
妹に宝石類を、服を、婚約者を……全てを奪われたサリーエ。
しかし彼女は、妹を最後まで責めなかった。
そんな地獄のような日々を送ってきたサリーエは、とある人との出会いにより、運命が大きく変わっていく。
それとは逆に、妹は--
※全11話構成です。
※作者がシステムに不慣れな時に書いたものなので、ネタバレの嫌な方はコメント欄を見ないようにしていただければと思います……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる