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6 準備期間

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 王家主催の舞踏会にむけて設けられた3ヶ月の準備期間。
 私は、ゼント卿が受け持つもうひとりの令嬢フローレンスの生家、レーテルカルノ伯爵家に滞在し猛特訓を受けた。

 主に礼節とダンス、それに話術、あと王家の歴史。
 私はどれも劣等生だった。伯爵家に生まれてそれなりに教育を受けてきたけれど、洗練されたフローレンスは格上の英才教育を受けていたし、そのフローレンス用に計画された準備期間は、私にとってかなり厳しいものだった。

 最初の3日は。

 
「落ち込まないで、ローズマリー。一緒に頑張りましょう」


 フローレンスが励ましてくれた。
 彼女は初日の一件以来、驚くほど優しく、面倒見がよかった。私に呆れる事も、見下す事もしなかった。それに一緒に訓練を受けているので、私が躓いたあらゆる箇所について深く理解していた。

 たとえば、ダンスレッスンで酷評を受けた夜。フローレンスは私の部屋にやってくると、徐に寝間着を脱ぎ下着姿になって言った。


「あなたも脱いで」

「え……っ?」


 こちらが戸惑っている間に、彼女は姿見の角度を調節し、その前に立って私を呼んだ。


「関節を理解すれば綺麗に踊れるはず。ほら、来て」

「……あ、はぃ」


 彼女の美しさに圧され、私も下着姿になって彼女に並んだ。
 思わず目がいってしまう完璧で神秘的な体形のフローレンスが、真顔でポーズをとる。そして鏡越しに話しかけてきた。


「あなたは姿勢が悪いのではないのよ。よく見て。そして意識して、真似をして」

「……」


 見惚れていた。
 そして我に返って、ポーズをとった。
 次の瞬間、彼女は私の背後に回った。眉間に縦皴を刻み、私の脳天から爪先まで観察すると、肩を掴み、背中を突き、腰を捻り、顎を上げさせて角度を整え、また肩を押し下げた。それだけで、私のポーズは見違えるほどよくなったので、驚いた。

 フローレンスは私の左手首を掴んで鏡越しに目を合わせた。


「あなたの手は、肩と肘と手首の3ヶ所が曲がるの?」

「え? ええ」

「だったら意識してみて。あなたの手は、肩と肘の間に10、肘と手首の間に10の関節があるの。そのひとつひとつを意識して動かすようにすれば、なめらかに動くから。手首から先はひとつではなく、関節毎にそれぞれが動くのよ。意識して」


 私は必死で頷いた。
 彼女も鏡越しに頷いた。 


「それと、あなたの腕はここからじゃなくて、肩甲骨の下こ こからよ。足も、背筋ここから。それを意識して動いてみて」


 情報量が多すぎて、まともな返事ができない。
 でも頷いて報せると、彼女もまた頷いて私の斜め前に戻った。


「意識してね。せーの。タララララ、タラン♪」

「!」


 信じられない事が起きた。

 鏡の中で、私はわりと素敵に踊り始めた。


「……!」

「ね。関節を意識するの。あと、あなたの四肢は目で見えているより奥からで、長いのよ。頭も、脳天から細い糸で吊られていると思って。足は大地に根を張っているの。わかった?」

「はい」

「ねえ、どうして小指を離すの?」

「え?」


 フローレンスが踊るのをやめ、振り向いた。
 それから、掌を私に向ける。指先まで本当に美しい。


「あなたの手は、小指が少し離れるでしょう?」

「……あ」


 美しい指先を意識して手を構えてみても、確かに私の小指は、薬指に沿い切らず少し浮く。


「ご、ごめ……」

「謝る事じゃないわ。悪い癖よ」


 彼女は私の手を両手でとり、揉んだり角度を変えたりして理由を探しているようだった。


「手が、小さいからかしら」

「中心に揃えるようにしているのだけど……」

「ああ……なるほど、小指だけ抵抗が弱いのね」

「き、筋力……?」

「そうだろうけれど、今から小指の筋肉を鍛えるっていうのも、腕が変になるかも」


 私の手を離し、今度は自分の手を揉んだり指をひっぱったりし始める。そして数秒、掌の形を試行錯誤したあと、力強く頷いた。


「わかった」

「えっ?」

「あなた、手の中心を中指ではなく薬指にしてみて」

「……」


 言われて通りにすると、私の手首から先がピンッと洗練されたような形になった。


「!」

 
 但し、そうすると親指がはぐれる。
 でも親指は小指と比べたら断然扱い易くて、揃える事ができた。


「うん。いい感じになった」


 フローレンスの美しい顔に、笑みが広がる。
 それ自体にも感動しながら、私も嬉しくて笑みが零れた。

 そして、自ら踊り始める。
 鏡に映る私は、フローレンスには遠く及ばないとしても、かなり素敵に踊っていた。まるで私ではないようだった。


「ああ、とてもいいわ。素敵よ、ローズマリー」


 これがきっかけで私の姿勢が各段によくなり、ダンスだけでなく様々なシーンで見栄えがよくなったのは事実だ。それは私に自信をくれた。意欲が沸いた。
 加えてフローレンスは朝晩の軽い体操を教えてくれた。

 私たちは就寝前や空いた時間、互いに相手役を務めて踊ったりしていたのだけれど、フローレンスは身長差があったほうがいいと考えて踵の高いブーツを用意してくれた。それだけは失敗で、私はもちろん、フローレンスまで不格好に踊る羽目になり、ふたりで笑い転げてしまった。

 準備期間を経て、私は自分でも信じられないくらい、見違えるほど成長した。
 軟化した教師たちの態度がそれを証明していた。

 そんな私を見る度に、いつも支えてくれたフローレンスとゼント卿がとても喜んでくれた。それがなにより嬉しかった。
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