15 / 16
15 他人の幸せ
しおりを挟む
目を血走らせた令嬢に因縁をつけられてから、2年弱経った。
すごく昔の事のような、つい昨日のような、ふしぎな感じがする。
なぜそんな事を考えているかというと、今日ついにフレイヤが旅立つから。
「君は目を瞑っていたほうがいい」
「奥様は心が広いというより、最低限の壁すら聳えていらっしゃらないのでは?」
夫の愛情とオリガの冷徹な配慮にそれぞれ微笑んで、背後のテューネの圧にも微笑む。
「みんなの気遣いを無碍にして悪いけれど、見ておきたいのよ。これが最後になるんだから」
私たちは私の故郷エーケダール伯領の港に来ている。
フレイヤはイモ用の麻袋に赤ちゃんを入れて、下働きの少年を装って船に乗り込む予定だ。出産後ふっきれたフレイヤは母性が芽生え、たったひとりの肉親を守り生きていく人生に燃えているらしい。オリガは誰よりも長くフレイヤと過ごしたけれど、まったく情というものが湧いた気配がない。
オリガはやはり、フレイヤの存在が命取りとなり得るから、本当に厄介払いをしたいのだろうか。何度も疑った。でも、オリガはどこかしら、自らの母親とフレイヤを重ねているはずだ。そしてジャガイモに扮したフレイヤの赤ちゃんに、自分自身を……
「そう願います。イモが御子息に成り代わろうと現れるかもしれないですし、あらぬ誤解を招く未来が予測されますからね」
「あなたよりましでしょう」
「ええ。自分と伯爵のご家族の命も握っていますからね」
「喧嘩しないで」
夫とオリガを軽く叩いて、搬入に目を走らせる。
「新しいフレイヤの調子はどうですか?」
「素直な子なので、母が喜んでいます」
会話は多いのに、なかなか仲良くならないふたり。
私は黙って聞いてるだけで情報収集になる。
「実際のところ、パルムクランツ卿は妹君をどうするつもりだったんですかね。あなたの御母上とはまったく境遇が違うし、あなた方母子とは気が合わないし」
「パーナムを貴族に仕立て上げて結婚させるつもりだったのだとは思いますが、所詮は神に背くような男ですからね。当然の結果です。過去の成功体験が奢りを招いたんでしょう。甘いんですよ、養父は」
そうは言いながら、オリガがパルムクランツ卿を慕い愛しているのは明らかだ。
神殿を守り抜いた実父と、その亡命を助けた祖父、そして養父。父性と統率力をしっかり引き継いだオリガだからこそ、今、こんな感じなのだから。
そこへ母親ゆずりの美貌も手伝って、彼女が侍らせている聖騎士たちは完全にオリガを崇拝している。本気で天使だと思っている。流れで私たちも守ってもらえているので、本当にありがたい事だ。
「宗教裁判となれば恋人を棄てて、延いては貴族に成り代わろうだなんて。なぜあの場で首を切り落としてはいけなかったのか、今でも納得がいきません。あの時はそれが正しいように思われましたが、私が被った迷惑を考えれば、私があの場で……」
「一瞬で楽にしてどうするんですか」
「私は拷問に立ち会わせてもらえませんでした」
「当たり前でしょう。我儘も程々にしなさい。血筋を明かさない限りあなたは私生児なんですよ。なんでも特別扱いされると思ったら大間違いです」
騎士と言えば……
ニコリともしない夫の顔つきを眺める機会が増えて、実は少し喜んでいたりする。幼い頃は一緒に川辺でヘビを追いかけて遊んだりしたけれど、成長するにつれて彼は過保護になった。彼の優しい微笑みは愛を感じるけれど、フレイヤとオリガが現れてから、彼が騎士か英雄に見える日が度々ある。
それに、彼の嫌味なんてとても貴重だし。
なかなかいいコンビだと、私は楽しんでいる。いいコンビなのは事実で、それが証拠にオリガの聖騎士の皆さんは、夫をとても疎ましがっている。
「大丈夫よ。彼は私一筋だから」
と、言っても、
「そういう問題ではありません。姫が人間の男にあれほど心を開くなんて」
という返事をもらってしまう始末。
私は敢えて、オリガもひとりの愛らしい令嬢である点を指摘しないでおいた。彼らを眺めていると、楽しい。
「いつまでも死んだ男の事で文句を垂れていないで、新しいフレイヤを大切にしてあげてください。こんな大それた秘密に付き合わせて。露見すれば真っ先に始末されますよ」
「女優から貴族になったのです。妹は満足しています」
「得る物も大きいが、代償も大きい」
「なぜ私がしくじるという前提で釘を刺すんです?」
「パルムクランツ卿が人選をしくじったからですよ。あなたも同じ轍を踏む可能性は充分にある」
「伯爵」
「あと、あなたに意見してあげられる大人がいない」
「私が男だったらあなたから奥様を奪い去りたい」
「喧嘩しないで。ほら、彼女よ。見納めなんだから」
私がふたりの肩を叩いて注意を引くのと同時に、少年に扮したフレイヤが船に乗り込んだ。
パーナムのせいで罪深さが跳ね上がり、どうにもこうにも言い逃れができなくなりそうだったので、私たちは計画を立てた。そして、すべてパーナムの妄想だったという事にして、彼が秘密結婚しようとしていたフレイヤは幻で、パルムクランツ伯爵令嬢のフレイヤは実在する無関係の人物という設定を貫く事にしたのだ。
パーナムのこどもを産んだフレイヤには新しい人生が必要だった。
大罪を犯した死刑囚にこどもがいるとわかれば、必ず命を狙う者が現れる。
だから旅立っていく。
とはいっても、代々取引のある土地なので、なにかあれば助けられる。
「元気でね」
牛が待ってるわ。
夫が視界を遮るように回り込み、額に優しいキスをする。
もう終わった事だと念を押すように。彼をこれ以上心配させるのは本望ではない。彼の幸せが、私の幸せなのだから。
私たちは出航を待たずに港を後にした。
何度も振り返るテューネの背中を撫でながら、私は、フレイヤの幸せを祈っていた。
(終)
すごく昔の事のような、つい昨日のような、ふしぎな感じがする。
なぜそんな事を考えているかというと、今日ついにフレイヤが旅立つから。
「君は目を瞑っていたほうがいい」
「奥様は心が広いというより、最低限の壁すら聳えていらっしゃらないのでは?」
夫の愛情とオリガの冷徹な配慮にそれぞれ微笑んで、背後のテューネの圧にも微笑む。
「みんなの気遣いを無碍にして悪いけれど、見ておきたいのよ。これが最後になるんだから」
私たちは私の故郷エーケダール伯領の港に来ている。
フレイヤはイモ用の麻袋に赤ちゃんを入れて、下働きの少年を装って船に乗り込む予定だ。出産後ふっきれたフレイヤは母性が芽生え、たったひとりの肉親を守り生きていく人生に燃えているらしい。オリガは誰よりも長くフレイヤと過ごしたけれど、まったく情というものが湧いた気配がない。
オリガはやはり、フレイヤの存在が命取りとなり得るから、本当に厄介払いをしたいのだろうか。何度も疑った。でも、オリガはどこかしら、自らの母親とフレイヤを重ねているはずだ。そしてジャガイモに扮したフレイヤの赤ちゃんに、自分自身を……
「そう願います。イモが御子息に成り代わろうと現れるかもしれないですし、あらぬ誤解を招く未来が予測されますからね」
「あなたよりましでしょう」
「ええ。自分と伯爵のご家族の命も握っていますからね」
「喧嘩しないで」
夫とオリガを軽く叩いて、搬入に目を走らせる。
「新しいフレイヤの調子はどうですか?」
「素直な子なので、母が喜んでいます」
会話は多いのに、なかなか仲良くならないふたり。
私は黙って聞いてるだけで情報収集になる。
「実際のところ、パルムクランツ卿は妹君をどうするつもりだったんですかね。あなたの御母上とはまったく境遇が違うし、あなた方母子とは気が合わないし」
「パーナムを貴族に仕立て上げて結婚させるつもりだったのだとは思いますが、所詮は神に背くような男ですからね。当然の結果です。過去の成功体験が奢りを招いたんでしょう。甘いんですよ、養父は」
そうは言いながら、オリガがパルムクランツ卿を慕い愛しているのは明らかだ。
神殿を守り抜いた実父と、その亡命を助けた祖父、そして養父。父性と統率力をしっかり引き継いだオリガだからこそ、今、こんな感じなのだから。
そこへ母親ゆずりの美貌も手伝って、彼女が侍らせている聖騎士たちは完全にオリガを崇拝している。本気で天使だと思っている。流れで私たちも守ってもらえているので、本当にありがたい事だ。
「宗教裁判となれば恋人を棄てて、延いては貴族に成り代わろうだなんて。なぜあの場で首を切り落としてはいけなかったのか、今でも納得がいきません。あの時はそれが正しいように思われましたが、私が被った迷惑を考えれば、私があの場で……」
「一瞬で楽にしてどうするんですか」
「私は拷問に立ち会わせてもらえませんでした」
「当たり前でしょう。我儘も程々にしなさい。血筋を明かさない限りあなたは私生児なんですよ。なんでも特別扱いされると思ったら大間違いです」
騎士と言えば……
ニコリともしない夫の顔つきを眺める機会が増えて、実は少し喜んでいたりする。幼い頃は一緒に川辺でヘビを追いかけて遊んだりしたけれど、成長するにつれて彼は過保護になった。彼の優しい微笑みは愛を感じるけれど、フレイヤとオリガが現れてから、彼が騎士か英雄に見える日が度々ある。
それに、彼の嫌味なんてとても貴重だし。
なかなかいいコンビだと、私は楽しんでいる。いいコンビなのは事実で、それが証拠にオリガの聖騎士の皆さんは、夫をとても疎ましがっている。
「大丈夫よ。彼は私一筋だから」
と、言っても、
「そういう問題ではありません。姫が人間の男にあれほど心を開くなんて」
という返事をもらってしまう始末。
私は敢えて、オリガもひとりの愛らしい令嬢である点を指摘しないでおいた。彼らを眺めていると、楽しい。
「いつまでも死んだ男の事で文句を垂れていないで、新しいフレイヤを大切にしてあげてください。こんな大それた秘密に付き合わせて。露見すれば真っ先に始末されますよ」
「女優から貴族になったのです。妹は満足しています」
「得る物も大きいが、代償も大きい」
「なぜ私がしくじるという前提で釘を刺すんです?」
「パルムクランツ卿が人選をしくじったからですよ。あなたも同じ轍を踏む可能性は充分にある」
「伯爵」
「あと、あなたに意見してあげられる大人がいない」
「私が男だったらあなたから奥様を奪い去りたい」
「喧嘩しないで。ほら、彼女よ。見納めなんだから」
私がふたりの肩を叩いて注意を引くのと同時に、少年に扮したフレイヤが船に乗り込んだ。
パーナムのせいで罪深さが跳ね上がり、どうにもこうにも言い逃れができなくなりそうだったので、私たちは計画を立てた。そして、すべてパーナムの妄想だったという事にして、彼が秘密結婚しようとしていたフレイヤは幻で、パルムクランツ伯爵令嬢のフレイヤは実在する無関係の人物という設定を貫く事にしたのだ。
パーナムのこどもを産んだフレイヤには新しい人生が必要だった。
大罪を犯した死刑囚にこどもがいるとわかれば、必ず命を狙う者が現れる。
だから旅立っていく。
とはいっても、代々取引のある土地なので、なにかあれば助けられる。
「元気でね」
牛が待ってるわ。
夫が視界を遮るように回り込み、額に優しいキスをする。
もう終わった事だと念を押すように。彼をこれ以上心配させるのは本望ではない。彼の幸せが、私の幸せなのだから。
私たちは出航を待たずに港を後にした。
何度も振り返るテューネの背中を撫でながら、私は、フレイヤの幸せを祈っていた。
(終)
82
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
【完結】冷遇・婚約破棄の上、物扱いで軍人に下賜されたと思ったら、幼馴染に溺愛される生活になりました。
えんとっぷ
恋愛
【恋愛151位!(5/20確認時点)】
アルフレッド王子と婚約してからの間ずっと、冷遇に耐えてきたというのに。
愛人が複数いることも、罵倒されることも、アルフレッド王子がすべき政務をやらされていることも。
何年間も耐えてきたのに__
「お前のような器量の悪い女が王家に嫁ぐなんて国家の恥も良いところだ。婚約破棄し、この娘と結婚することとする」
アルフレッド王子は新しい愛人の女の腰を寄せ、婚約破棄を告げる。
愛人はアルフレッド王子にしなだれかかって、得意げな顔をしている。

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。
window
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。
幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。
一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。
ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。

母が病気で亡くなり父と継母と義姉に虐げられる。幼馴染の王子に溺愛され結婚相手に選ばれたら家族の態度が変わった。
window
恋愛
最愛の母モニカかが病気で生涯を終える。娘の公爵令嬢アイシャは母との約束を守り、あたたかい思いやりの心を持つ子に育った。
そんな中、父ジェラールが再婚する。継母のバーバラは美しい顔をしていますが性格は悪く、娘のルージュも見た目は可愛いですが性格はひどいものでした。
バーバラと義姉は意地のわるそうな薄笑いを浮かべて、アイシャを虐げるようになる。肉親の父も助けてくれなくて実子のアイシャに冷たい視線を向け始める。
逆に継母の連れ子には甘い顔を見せて溺愛ぶりは常軌を逸していた。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。

あなたが「ハーレムを作ろうと思うんだが」なんていうから。
古堂すいう
恋愛
勇者─ダエル
それが私─カルミアの夫。
幼い頃から共に苦難を乗り越えて、生きてきた。だけどあの日、聖剣を引き抜いたあの時から、あなたは燦然と輝く「勇者」になってしまった。
あなたの元には、見目麗しい女達─治癒師、魔女、聖女、王女、剣士、村娘が集まって、協力し合い激戦の末に魔王を討伐した。
あなたは国の英雄になった。
そんなあなたは私に言ったの。
「ハーレムを作ろうと思うんだが……」
「……そう」
私は頷いた。納得したからじゃない。
「ダエル……さようなら」
その日の夜。私は王都を去った。お腹の子と共に。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない
おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。
どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに!
あれ、でも意外と悪くないかも!
断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。
※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる