「前世の記憶がある!」と言い張る女が、私の夫を狙ってる。

百谷シカ

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15 他人の幸せ

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 目を血走らせた令嬢に因縁をつけられてから、2年弱経った。
 すごく昔の事のような、つい昨日のような、ふしぎな感じがする。

 なぜそんな事を考えているかというと、今日ついにフレイヤが旅立つから。


「君は目を瞑っていたほうがいい」

「奥様は心が広いというより、最低限の壁すら聳えていらっしゃらないのでは?」


 夫の愛情とオリガの冷徹な配慮にそれぞれ微笑んで、背後のテューネの圧にも微笑む。


「みんなの気遣いを無碍にして悪いけれど、見ておきたいのよ。これが最後になるんだから」


 私たちは私の故郷エーケダール伯領の港に来ている。
 フレイヤはイモ用の麻袋に赤ちゃんを入れて、下働きの少年を装って船に乗り込む予定だ。出産後ふっきれたフレイヤは母性が芽生え、たったひとりの肉親を守り生きていく人生に燃えているらしい。オリガは誰よりも長くフレイヤと過ごしたけれど、まったく情というものが湧いた気配がない。

 オリガはやはり、フレイヤの存在が命取りとなり得るから、本当に厄介払いをしたいのだろうか。何度も疑った。でも、オリガはどこかしら、自らの母親とフレイヤを重ねているはずだ。そしてジャガイモに扮したフレイヤの赤ちゃんに、自分自身を……


「そう願います。イモが御子息に成り代わろうと現れるかもしれないですし、あらぬ誤解を招く未来が予測されますからね」

「あなたよりましでしょう」

「ええ。自分と伯爵のご家族の命も握っていますからね」

「喧嘩しないで」


 夫とオリガを軽く叩いて、搬入に目を走らせる。


「新しいフレイヤの調子はどうですか?」

「素直な子なので、母が喜んでいます」


 会話は多いのに、なかなか仲良くならないふたり。
 私は黙って聞いてるだけで情報収集になる。


「実際のところ、パルムクランツ卿は妹君をどうするつもりだったんですかね。あなたの御母上とはまったく境遇が違うし、あなた方母子とは気が合わないし」

「パーナムを貴族に仕立て上げて結婚させるつもりだったのだとは思いますが、所詮は神に背くような男ですからね。当然の結果です。過去の成功体験が奢りを招いたんでしょう。甘いんですよ、養父は」


 そうは言いながら、オリガがパルムクランツ卿を慕い愛しているのは明らかだ。
 神殿を守り抜いた実父と、その亡命を助けた祖父、そして養父。父性と統率力をしっかり引き継いだオリガだからこそ、今、こんな感じなのだから。
 そこへ母親ゆずりの美貌も手伝って、彼女が侍らせている聖騎士たちは完全にオリガを崇拝している。本気で天使だと思っている。流れで私たちも守ってもらえているので、本当にありがたい事だ。


「宗教裁判となれば恋人を棄てて、延いては貴族に成り代わろうだなんて。なぜあの場で首を切り落としてはいけなかったのか、今でも納得がいきません。あの時はそれが正しいように思われましたが、私が被った迷惑を考えれば、私があの場で……」

「一瞬で楽にしてどうするんですか」

「私は拷問に立ち会わせてもらえませんでした」

「当たり前でしょう。我儘も程々にしなさい。血筋を明かさない限りあなたは私生児なんですよ。なんでも特別扱いされると思ったら大間違いです」


 騎士と言えば……

 ニコリともしない夫の顔つきを眺める機会が増えて、実は少し喜んでいたりする。幼い頃は一緒に川辺でヘビを追いかけて遊んだりしたけれど、成長するにつれて彼は過保護になった。彼の優しい微笑みは愛を感じるけれど、フレイヤとオリガが現れてから、彼が騎士か英雄に見える日が度々ある。

 それに、彼の嫌味なんてとても貴重だし。
 なかなかいいコンビだと、私は楽しんでいる。いいコンビなのは事実で、それが証拠にオリガの聖騎士の皆さんは、夫をとても疎ましがっている。


「大丈夫よ。彼は私一筋だから」


 と、言っても、


「そういう問題ではありません。姫が人間の男にあれほど心を開くなんて」


 という返事をもらってしまう始末。
 私は敢えて、オリガもひとりの愛らしい令嬢である点を指摘しないでおいた。彼らを眺めていると、楽しい。


「いつまでも死んだ男の事で文句を垂れていないで、新しいフレイヤを大切にしてあげてください。こんな大それた秘密に付き合わせて。露見すれば真っ先に始末されますよ」

「女優から貴族になったのです。は満足しています」

「得る物も大きいが、代償も大きい」

「なぜ私がしくじるという前提で釘を刺すんです?」

「パルムクランツ卿が人選をしくじったからですよ。あなたも同じ轍を踏む可能性は充分にある」

「伯爵」

「あと、あなたに意見してあげられる大人がいない」

「私が男だったらあなたから奥様を奪い去りたい」

「喧嘩しないで。ほら、彼女よ。見納めなんだから」


 私がふたりの肩を叩いて注意を引くのと同時に、少年に扮したフレイヤが船に乗り込んだ。

 パーナムのせいで罪深さが跳ね上がり、どうにもこうにも言い逃れができなくなりそうだったので、私たちは計画を立てた。そして、すべてパーナムの妄想だったという事にして、彼が秘密結婚しようとしていたフレイヤは幻で、パルムクランツ伯爵令嬢のフレイヤは実在する無関係の人物という設定を貫く事にしたのだ。

 パーナムのこどもを産んだフレイヤには新しい人生が必要だった。
 大罪を犯した死刑囚にこどもがいるとわかれば、必ず命を狙う者が現れる。
 だから旅立っていく。
  
 とはいっても、代々取引のある土地なので、なにかあれば助けられる。


「元気でね」


 牛が待ってるわ。
 
 夫が視界を遮るように回り込み、額に優しいキスをする。
 もう終わった事だと念を押すように。彼をこれ以上心配させるのは本望ではない。彼の幸せが、私の幸せなのだから。

 私たちは出航を待たずに港を後にした。
 何度も振り返るテューネの背中を撫でながら、私は、フレイヤの幸せを祈っていた。



                                  (終)
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