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9 青い楽園

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「ねえ、ずっと考えていたんだけど……ふたりをそれとなく亡命させるというのは、どう?」


 パルムクランツ伯爵令嬢オリガ・ハリアンの訪問に向けて、それとなく慌ただしい雰囲気の中、夫を呼び止めて言ってみた。
 夫パールは只ならぬ雰囲気を醸し出して、数秒背中で語ってから振り向いた。背中が語った通り、それとなく怒った顔で。


「ヴェロニカ」


 絞り出すように呼ぶ私の名前に、彼のすべてが込められている。
 私はすかさず首をふって否定し、彼に寄り添った。


「違うわ、善意からじゃないの。危険だからこそ、遠ざけたほうがいいんじゃないかって。エーケダールは交易の要所よ。積み荷に紛れ込ませてもいいし、変装させたっていい。聖職者が妻帯できる国は実際にあるし、追い詰めて恨まれるよりずっといいかも」

「なに言ってるんだ。僕に任せて」

「そうなのだけど、あなたが心配なの」

「僕が?」

「ええ、パール。恨まれているのは私だけど、狙われているのはあなたよ。できるだけ遠くへ行ってもらったほうが、私たち安心して暮らしていける。日常を取り戻せる」

「それを、今日、彼女に提案しろって?」

「ええ」


 私は大真面目に頷いた。
 パールがこちらに向き直り、私の両肩に手を置いて目を覗き込んでくる。


「君を脅した女だぞ。しかも君を脅した女は教皇庁のお尋ね者だ。君は大罪人の逃亡の手助けをしようって言うのか?」

「見方によってはね」

「おい」

「でも本心は違う。助けたいんじゃないわ。遠くへ追い払いたいの。穏便に」

「……」


 私もパールの目を覗き込んだ。

 彼は必死に隠しているけれど、恐れている。
 私を愛しているから、私を喪うのが恐い。私も同じ気持ちだからわかる。彼を喪うのが恐い。


「パール。フレイヤに理屈は通じない。レディ・オリガがなにかまともに取り決めや決意をしても、その通りになるとは限らないのよ。だったら望むものを与えて、満足してもらって、勝手に幸せに暮らしてもらったほうが安全だわ」

「望むもの? 僕?」

「違う。修道士よ。どこかにいるはず。探し出して──」

「生きているとは限らないよ」


 パールが身を屈めて声を潜める。
 キスできそうなほど近くに顔を寄せて。


「彼女は異常だ。元々そういう性格という可能性もある。だけど僕は違うと思っている。ヴェロニカ。彼女は気が狂うほどの衝撃に打ちのめされて壊れたんだ。目の前で恋人を殺された。秘密結婚するはずだった男が死に、僕はきっと、その男にどこか似ているんだろう。だから彼女の中で僕との筋書きが出来上がったんだ。こら、何を笑って──」


 キスできそうなほど近かったので、私は微笑んでキスをして、彼を黙らせた。


「私たち同じ事を考えているのね」

「……」


 パールはまだ少し怒っている。
 

「私も、フレイヤのお相手とあなたが似ているんだと思った。だから在るべき形に戻して、遠ざけて、あなたを守りたいのよ。私たち仲良しね」

「僕はそいつが死んだと思っているんだけど?」

「私は生きていると思ってる。だって」


 キスもしたし、私は彼の胸に顔を埋めて、甘えるように抱きしめた。すると彼も優しく腕の中に収める。使用人たちにはオリガの来訪を前に私が弱気になって、彼に甘えているように見えるだろう。そして彼が私を、優しく慰め、守ろうとしているように。

 仲睦まじい夫婦には、誰もさわらない。
 

「パルムクランツ伯爵がふたりを逃がそうとしたのよ。どこかに隠している。生きているはずだわ。レディ・オリガが冷静なのは結末を知っているから。追放されるふたりを新しい楽園に送り届ければ、すべて終わる。お手伝いしましょう。あの方、きっともう来るわ」


 改めて私の目を覗き込んだパールの瞳には、まだ不安が色濃く居座っていた。

 でも彼は、知っている。
 私が実は頑固だという事を。


「わかった」


 彼は私の後頭部に手を添えて、額にキスをして、また私を抱きしめた。


「話してみよう」

「彼女のためじゃないわ」


 愛する人のために、策略を。
 亡きパルムクランツ伯爵の心の内を、少しだけ覗いたような気がした。
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