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8 疑惑の聖人
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穏やかな日々が戻っても、ある種の緊張感が拭えないまま過ごしていたある日。
義両親、先代のメランデル伯爵夫妻から手紙が届いた。
「……!」
筆不精のパールではなく、義母と私が手紙のやりとりをするのはいつもの事。
旅先の様子や、見聞きした珍事や事件などを伝えてくれる手紙に、驚くべき事が書かれていた。
私は一度、手紙を置いて虚空を見つめた。
そして再び読み直した。
『愛するヴェロニカ、お元気かしら? ~(中略)~──……で、その大聖堂には急遽、教皇庁から聖騎士団の調査が入って、腐敗を正し穢れを浄めるため閉鎖になったそうなの。それは立派な大聖堂なのに、残念というか恐ろしいというか……主教様が修道士と孤児を秘密結婚させようなんてとんでもないわよね。世も末だわぁ~』
「……」
問題は、その後。
『罪深いふたりは逮捕直前に姿を消してしまったそうなのだけど、どうも、あの物好きなパルムクランツ伯爵が関わっているって噂なの。曰くありげな侯爵令嬢を娶ったと思ったら、今度はとんだ色キチガイ沙汰に首を突っ込んで。いやねぇ。でもあの方、つい先日亡くなったわよね? 聞き違いかしら。まあいずれにしても、あなたたちが平和に出会って平和に育って、平和に結婚してくれて、本当に幸せだわ。神様に感謝! 本当に立派な大聖堂なのよ! ヴェロニカ、あなたに見せてあげたい!! 入れないけど、外見で充分。一見の価値ありよ!!』
私はマリサを伴い、夫の執務室に駆け込んだ。
夫は読み終えた手紙を机に置いたまま、口に手を当てて呻った。
「すると、あの血文字令嬢は教皇庁のお尋ね者で、宗教裁判にかけられそうな身の上という事か……」
「あの方、匿うおつもりかしら」
オリガが気の毒すぎて……
「少なくともパルムクランツ伯爵はそのつもりだったんだろう。道半ばにして死んだが……」
「投げ出したというよりは老衰ですけどね」
マリサが冷静に言い添える。
「自分の年も考えず大事に手を出したな。ある見方をすれば善き人だったのだろうが、その責務をすべてレディ・オリガが引き継ぐというのはさすがに酷だ」
私もパールと同じ意見。
「そうよね……でも、まだ、そうと決まったわけではないものね」
私は、オリガが気の毒すぎて、つい夢を見てしまった。
「十中八九、この件だろう」
パールはとても現実的。
「参りましたね。知ってしまった以上、メランデル伯爵家としては告発の義務が生じるかと。どうなさいます? 御主人様」
執事が声を潜める。
「頭のおかしい女を訴えるだけで済むならよかったんですけど、修道士を惑わしたとなっては、最悪、魔女として処刑されますからねぇ……ちょっと後味がねぇ。奥様、どうなさいたいですか?」
マリサが私を見つめた。
だいぶ、気の毒そうな目をして。
「……え?」
大事になってしまった、とは、思ったのだ。
その決定権が自分に回ってくるとは、思っていなかった。
「……」
考えがまとまらず言いあぐねていると、パールが立ちあがり、素早く手紙を暖炉に放り込んだ。手紙は燃えて、黒い塵になった。
「君が悩む必要はない」
「パール……」
「レディ・オリガもそのつもりで早々に対応したんだろう。我々は知らなかった。我々に告発の義務はない。母の手紙は届かなかった。メランデル伯爵家は、この件に一切関わらない」
「だけど、パール……」
知らぬ存ぜず、素知らぬふり。
それが冷酷とも不道徳とも一口では言えないけれど、私には迷いがあった。答えのない迷いが。
パールがこちらに歩いてきて、私の頬にふれた。
「忘れるんだ。ヴェロニカ」
「……」
私を守ろうとしている。
それだけは、はっきりと理解できた。
けれど、その時に生じたしこりは、執念深く胸の奥に居座り続けた。
彼女がパールを選んだ理由。
それが、あるはずなのだと……私はまだ、不安の正体に気づいてさえいなかった。
義両親、先代のメランデル伯爵夫妻から手紙が届いた。
「……!」
筆不精のパールではなく、義母と私が手紙のやりとりをするのはいつもの事。
旅先の様子や、見聞きした珍事や事件などを伝えてくれる手紙に、驚くべき事が書かれていた。
私は一度、手紙を置いて虚空を見つめた。
そして再び読み直した。
『愛するヴェロニカ、お元気かしら? ~(中略)~──……で、その大聖堂には急遽、教皇庁から聖騎士団の調査が入って、腐敗を正し穢れを浄めるため閉鎖になったそうなの。それは立派な大聖堂なのに、残念というか恐ろしいというか……主教様が修道士と孤児を秘密結婚させようなんてとんでもないわよね。世も末だわぁ~』
「……」
問題は、その後。
『罪深いふたりは逮捕直前に姿を消してしまったそうなのだけど、どうも、あの物好きなパルムクランツ伯爵が関わっているって噂なの。曰くありげな侯爵令嬢を娶ったと思ったら、今度はとんだ色キチガイ沙汰に首を突っ込んで。いやねぇ。でもあの方、つい先日亡くなったわよね? 聞き違いかしら。まあいずれにしても、あなたたちが平和に出会って平和に育って、平和に結婚してくれて、本当に幸せだわ。神様に感謝! 本当に立派な大聖堂なのよ! ヴェロニカ、あなたに見せてあげたい!! 入れないけど、外見で充分。一見の価値ありよ!!』
私はマリサを伴い、夫の執務室に駆け込んだ。
夫は読み終えた手紙を机に置いたまま、口に手を当てて呻った。
「すると、あの血文字令嬢は教皇庁のお尋ね者で、宗教裁判にかけられそうな身の上という事か……」
「あの方、匿うおつもりかしら」
オリガが気の毒すぎて……
「少なくともパルムクランツ伯爵はそのつもりだったんだろう。道半ばにして死んだが……」
「投げ出したというよりは老衰ですけどね」
マリサが冷静に言い添える。
「自分の年も考えず大事に手を出したな。ある見方をすれば善き人だったのだろうが、その責務をすべてレディ・オリガが引き継ぐというのはさすがに酷だ」
私もパールと同じ意見。
「そうよね……でも、まだ、そうと決まったわけではないものね」
私は、オリガが気の毒すぎて、つい夢を見てしまった。
「十中八九、この件だろう」
パールはとても現実的。
「参りましたね。知ってしまった以上、メランデル伯爵家としては告発の義務が生じるかと。どうなさいます? 御主人様」
執事が声を潜める。
「頭のおかしい女を訴えるだけで済むならよかったんですけど、修道士を惑わしたとなっては、最悪、魔女として処刑されますからねぇ……ちょっと後味がねぇ。奥様、どうなさいたいですか?」
マリサが私を見つめた。
だいぶ、気の毒そうな目をして。
「……え?」
大事になってしまった、とは、思ったのだ。
その決定権が自分に回ってくるとは、思っていなかった。
「……」
考えがまとまらず言いあぐねていると、パールが立ちあがり、素早く手紙を暖炉に放り込んだ。手紙は燃えて、黒い塵になった。
「君が悩む必要はない」
「パール……」
「レディ・オリガもそのつもりで早々に対応したんだろう。我々は知らなかった。我々に告発の義務はない。母の手紙は届かなかった。メランデル伯爵家は、この件に一切関わらない」
「だけど、パール……」
知らぬ存ぜず、素知らぬふり。
それが冷酷とも不道徳とも一口では言えないけれど、私には迷いがあった。答えのない迷いが。
パールがこちらに歩いてきて、私の頬にふれた。
「忘れるんだ。ヴェロニカ」
「……」
私を守ろうとしている。
それだけは、はっきりと理解できた。
けれど、その時に生じたしこりは、執念深く胸の奥に居座り続けた。
彼女がパールを選んだ理由。
それが、あるはずなのだと……私はまだ、不安の正体に気づいてさえいなかった。
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