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15 一瞬の光

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「なんでお前の慰謝料のほうが高いんだ! ふざけるな!!」

「!」


 兄が激高して飛び掛かってきた。
 寸でのところで父が止めてくれたけれど、怒りの力は凄まじく、今にも父の腕をふり解いて襲ってきそうだ。私は慌てて壁際に逃げた。

 そのとき、ノックもなく扉が開いた。


「!?」


 闖入者を睨みつけた兄は、相手を見て顔色を変えた。
 ドミニク卿は滑るように歩いてくると、まるでカーテンを触るような手つきで兄の腕を掴んだ。そして穏やかな物腰のまま、微笑んだままで、静かに言った。


「ルシアには二度と暴力をふるわないように」

「……っ!?」


 兄は困惑と驚愕が混ざったような顔をして、見開いた目でドミニク卿を見つめている。


「いいね?」


 ドミニク卿が念を押した。
 私にそうしてくれた時のような、優しい声だった。

 一瞬の張り詰めた空気を裂いたのは、母だった。


「まあまあ、見苦しいところをお見せしてしまいましたわね! あなた! さあ、エドウィン。ドミニク卿にお礼を申し上げて?」


 父を叱り、兄を促し、母は興奮した笑顔を向ける。
 ドミニク卿が兄の腕を離すのと同時に、父も兄から離れた。

 ドミニク卿の姿を目にして、あまりにも安堵してしまって、それが逆に恐くなる。今日はドミニク卿に救われた。今も、守ってくれた。けれど、私たちの生活は続いていく。その生活にドミニク卿はいない。

 
「ウィッカム伯爵。例の件、お許しを」


 ドミニク卿から父への一言は、唐突だった。
 父はハッとして、


「はい!」


 と返した。
 なんの事かと首をかしげたのは、私だけではなく、母も兄もそう。

 するとドミニク卿が踵を返し、早足で私のほうへと向かってきた。ほんの3歩くらいに見えた。


「ルシア、来て」

「え?」


 戸惑う私の腕にそっと触れて、ドミニク卿が促す。
 私は父の顔を確かめてから、ドミニク卿に従って部屋を出た。

 
「噴水は好き?」


 廊下に出てすぐ、ドミニク卿はまた唐突に言った。けれど優しく微笑みかけられたのが嬉しくて、私は何度が頷きながら、はいと答えた。
 ドミニク卿は私を静かな中庭に案内した。そこは季節の花の間に白い石畳の道がのびる美しい庭園で、中央の噴水はひときわ目を引く美しさだった。天使か女神と思われる3体の彫刻が背を向け合い、それぞれが持つ甕の口から水が溢れている。


「わぁ……」


 つい、口から洩れた。
 ドミニク卿がクスリと笑って、傍まで誘ってくれる。

 水の流れる心地よい音と、美しい風景。
 私は見惚れていた。それに、心が洗われるようだった。まるで祝福を受けて生まれ変わったような錯覚までしてしまったその時、ドミニク卿が私の手を掬いあげた。


「?」


 噴水の事をすっぱり忘れる。
 ドミニク卿が、私の手を恭しく包んで、跪いた。


「……」


 水の音は、遠くに聞こえた。
 低い位置に下りてしまったドミニク卿の優しそうな微笑みを、呆然と見つめるしかない。


「ルシア」


 その人は優しく、私を呼んだ。


「君を、守りたい」

「……」


 夢を、見ているのだろうか。


「生涯をかけて君を愛すると誓う。どうか、僕の夢を叶えてほしい。君を幸せにする権利を、僕にください」

「……」


 これは、求婚だ。
 私が知る限り、間違いなく、求婚だった。


「ほ、本当ですか……?」


 そんな事、在り得るのだろうか。
 だって私は、泣き虫で、弱くて、いつも誰かに迷惑をかけてばかりの、婚約者に棄てられて間もない傷物だ。


「どうして……え……?」


 混乱した。
 揶揄われているのだと思った。

 けれど、ドミニク卿は私の手の甲に、祈るように額をあてた。
 それがあまりに美しくて、私は息を呑んだ。


「君の痛みを癒し、喜びを分かち合い、そして君が笑っていられるような毎日を作りたい。君の悲しみを、今日この時を以て僕に預けて忘れてしまえるように、君のために生きていきたい。僕と、僕の傍で、生きてみてはくれないだろうか。ルシア」

「……」


 はいと答えるべきだ。
 立場を考えれば、私に、断る権利なんてない。

 だけど、なにかの間違いだとしたら?
 ドミニク卿の、気の迷いだとしたら?

 私は、また、棄てられてしまうの?

 
「私より、素敵な方が……たくさんいらっしゃるのに……」


 怖気づく私の心が伝わったせいか、ドミニク卿の額が、手の甲から浮いた。
 けれど、まだ、ドミニク卿は跪いている。

 
「君は泣いていた。それでも、君という輝きは確かなものだった。そしてその光は、僕の心にだけ届くよう隠されていたんだ。君は現れた。僕にはそれで充分だった。充分、わかった。君が生涯をかけて愛する人だと」

「……」

「君にとっては辛い日だった。それも、よくわかっている。これは正式な求婚だから、答えは、君の好きな時でいい」


 とてもとても大切なものを慈しむように、ドミニク卿が私の手を包む。


「何度でも申し込むよ。君の心が溶けるまで」

「……っ」


 ふいに涙がこみあげ、私はわかってしまった。
 まるでおとぎ話みたいに、私は愛されるかもしれないと。

 好きな人に。


「…………ます……っ」


 ぜんぜん声にならなかった。
 胸がふるえすぎて、うまく話せない。


「ルシア?」


 ドミニク卿が私を見あげた。
 微笑んではいない、真剣な顔をしていた。

 涙が溢れた。


「お願いします……っ、傍に、いさせてください……!」


 次の瞬間、ドミニク卿に抱きしめられていた。
 とても、あたたかかった。
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