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第六章

第六章 「一等星」

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 午前九時の海を、二人を乗せて高速艇が発進した。風はさほど強くなく、静まり返った海面を高速艇が勢いよく進む様子は、まるで青色のシルクに思いきり裁ち鋏を滑らせているようである。
「……」
 高速艇のデッキに座り込みながら、マウリアは離れていく町をぼんやりと眺めていた。
「マウリア」
 ラニの声がした。
「何?」
「どうかしたの?」
「……え」
「呼んでも全然反応しないから……。七回も呼んだのよ?」
「え……そうだったの。ごめん……」
 心配そうな目でこちらを見るラニに、マウリアは答える。
「もしかして、さっきの事……」
「うん……」
 cordコードフィフティーンの事だ。あの場を離れた時に切り替えたつもりでも、時間が解決してくれるようなものではなかった。
 ふと脳裏に過るものに抗おうとするが、そんな事をしても、誤魔化せるどころかむしろ鮮明に蘇る。
 彼女の存在が、何度も頭を過っては離れない。
「感情特化メモリを失っていたから、きっとあの時に心が通じたのも、一時的な事だったのかもしれない。そう言い切ってしまえば、きっとそれまでである事も分かるよ。でも、そうだったとしてもあの時間は……。あの人が笑っていてくれたあの時間は……。偽物だったなんて片付ける事は、私には凄く嫌な事に思えるんだ……」
 俯いて、そう口にする。自分達が葬った相手があまりにも人間味に溢れていたからなのか、それとも彼女の見せた笑顔が人形のような冷たい物ではなく、優しい温かさに包まれた物だったからなのか、理由がどうであったとしても彼女に定められていた運命に、抗えなかった事がマウリアの心を確かに締め付けていた。
「でも……」
 ラニが口を開く。
「それでも、貴方のおかげで、cordコードフィフティーンは救われたと思うわ」
「……」
「最後の彼女の態度に、少なくとも後悔や悲観は感じられなかった。あの時、ドクトルが私にアルバムを預けた時のような、迷いよりも希望や喜び……とは違うかもしれないけれど、とにかく後ろ向きな感情よりも明らかに前向きな感情で満ちているようだった」
「あ……」
「きっと、貴方の心は伝わっている。思いを、心の中のすべてを真っすぐに伝えれば、きっと分かってくれる。彼女にはそれが理解できる心が確かにあったと、私には信じられるわ」
 ……きっと、それを「友情」と言うのではないだろうか?
 マウリアは顔を上げて、ラニの目を見る。悲しみや、寂しさが消えている訳ではなかったが、その目の中にはマイナスな感情だけが渦巻いている訳ではないように見えた。自分の言った事が、マウリアがcordコードフィフティーンに対して行った行動が意味のあったものであると、断言するような、信じ抜くような、強い芯のようなものが感じられた。
 ……これを、多分「信頼」と言うのではないだろうか?
「そうだね。あの人は自分の運命を受け入れても、笑っていたものね。なのに、私が、彼女に勝利して、今を生きている私が、 悲しんでいるばかりでは、あの人の人生に申し訳が立たないよね」
(そうだ。私は、彼女の犠牲を通してここにいる。彼女がその誇り高き魂を以って送り出してくれたのだ)
 彼女を、大切な「友達」を殺してまで守っているこの命で進み続けなければ、それこそ、彼女の死が無駄になる。
「背負って生きていくわ……。もっと生きる事が、できる限り生き続ける事が、きっと今の私にできる最良の行動だと思う」
「マウリア……」
「彼女の為にも生き抜くわ。cordコードエイトに屈したりしない」
 今度こそ、乗り越える事ができた気がした。さっきとは明らかに違う目でラニを見る。
「そうね。なんとしても、貴方を守るわ」
 マウリアの目から、決して風化する事はないであろうものを感じ取ったのか、そう言ってラニも顔を上げて、遠く離れていく町を見た。
「一緒に頑張ろう。私達の友達の優しさに応えるために」
「そうね」
 はたから見れば、支離滅裂な責任転嫁に見えるだろう。
(……だが、それがどうした?)
 自分たちが殺した相手の存在の大きさから、逃げているように見えるだろう。
(でも、それが正しいと言い切る意志は曲げないつもりだ)
 今となっては真実が確かめようのない出来事に、自分の都合のいいように模範解答を定めているにすぎないだろう。
(それでも、信じて進む準備はできた……!)
「私の正義は、友達の為に生き抜く事なのだから……」
 見つめる先の景色の中で眠る友達の姿を思い浮かべながら、マウリアは口にする。
 これをきっと、「覚悟」と言うのだろう。
 段々と小さくなっていく景色を、マウリアはずっと見つめていた。

(……イライラする)
 胸の上で手を組んで横たわるアンドロイドを見下ろし、cordエイトは舌打ちする。
「口だけならば、誰でも言えるのよ?」
 脳から引き出した情報から判明した、マウリア達の目的地。それを伝えた途端に自分に任せるように言って、作戦を立てていた奴が、自分が到着した時には満足気に目を閉じている。その事実にcordコードエイトは憤慨する。
「主人の期待にも応えられない負け犬が、何故そんな顔ができる?」
 後悔のない人生を生きたような安らかな表情に虫唾が走る。cordコードエイトからして見れば、信用して作戦を任せた相手が、失敗した上に、死亡し、その事について悔いていないという態度を見せてきているので無理もなかった。
 そう彼女の中の思考は判断する。
「私がいない間に、あなたは一体どんな事柄に遭遇し、どんなものを見たのかしら?」
 目の前の遺体を見下ろし、問いかける。当然返事など返って来る事はないのだが、cordコードエイトは気にせずに続ける。
「そして、どんな事を思ったら、あなたは、Haruzionハルジオンはそんな顔を浮かべるの?」
(……考えたって一生分からないだろうし、答えも期待していない)
 思った事を口に出してみるが、目の前の景色が変わる訳ではない。意味のない疑問文を紡ぎ続けるcordコードエイトの眼前では、依然cordコードフィフティーンが安らかな表情を浮かべて眠っている。それを見て、ただただcordコードエイトの怒りが増していく。
「やっぱり、直接見てみないと分からないのかしら?」
 cordコードフィフティーンが何故こんな顔ができるのかは分からない。
 しかし、この表情が作られた背景に自身と敵対する二人が関わっている事は間違いがなかった。
(……いいや、それはそこまで重要ではない)
 cordコードエイトは被りを振って展開されかけた思考を閉じる。
 「重要なのは、この笑顔が、そして、この笑顔のきっかけとなったマウリア・ジェルミナが、私を今までで一番不快にした事だわ……」
(そうだ、最も重要なのはイライラの元凶をまだ潰していないという事だ)
 頭の中を過っていた数多くの思考を押し退けて現れた考えを、cordコードエイトは結論にする事を決める。

 イライラの元凶は徹底的に潰さないと気が済まない。そんな性格をデザインされた時点で、cordコードエイトの頭がその考えを優先するのは自然な事なのである。
「難しい事をごちゃごちゃと展開するのはかったるいわね。いつも通り気に入らないものは潰せばいいや」
 しかし、目の前で横たわるアンドロイドを見れば、cordコードエイトの手元には、もう手駒がない事は明らかだった。
(……イライラする)
「結局、私が動かなければいけないじゃないの……」
 ゴキゴキと首を鳴らしながらcordコードエイトは悪態を吐く。
(本当に、イライラする)
「まあ、いいわ。あいつらの目的地は分かっている。さっさと見つけ出してぶっ殺してやる」
 そう言うと同時に、底知れぬ殺意が周囲の空間を支配する。本能的に危険な空気を察したのか、近くにいた鳥たちが一斉に飛び去った。それくらいに濃密な殺気を、cordコードエイトは滾らせて、纏っている。
「私にここまで不快な思いをさせたんだ。マウリア・ジェルミナ、そして、忌々しいガーディアン……。簡単には死ねない事を覚悟するがいいわ」
 cordコードエイトは横たわる遺体に手を伸ばす。その目には、この世のものとは思えない程のドス黒い感情に支配された、狂気的な暴力性が迸っていた。

 2

「私達が向かっているのはどんなところなの?」
 椅子の背もたれに軽く寄り掛かりながら、マウリアはラニに尋ねる。机の上に用意されたトーストとローズヒップティーが香っている。高速艇とは言え、到着までは相当な時間が掛かるらしく、それを考慮して船に用意してあった物だ。
 家で出されるような食事まではいかないだろうが、父の細かい配慮はありがたい。
 「実は、私も最低限の情報を与えられているだけで、あまり詳しくは分からないわ」
 バターナイフをマウリアに手渡しながらラニは答えた。マウリアの期待には応えられない返答をする事になったので、少し申し訳なさそうな表情をしている。
「そうなの?」
「ええ。ドクトルが所有する研究所の中でも安全な場所であるとは聞いているけれど、そこにどんな物があるのか、cordコードエイトの襲撃を防ぐためにどんな対策を用意しているのかは、ドクトルは教えてくれなかったわ。行ってみないと分からないわね……」
「そうなんだ」
 トーストを一口齧り、マウリアは言った。
「ただ、仮にcordコードエイトが攻めてきても、マウリアの命を確実に守り抜くための物が用意されているらしいわ。ドクトルの自爆攻撃でcordコードエイトが死んだ事を願いたいけれど、その可能性はあまり高くないでしょうから、ドクトルは大方それを見越していたわ」
 それを聞いてマウリアの顔が曇る。あまり想像したくないが、cordコードエイトが攻撃してくるという可能性が消えていない以上、ラニがマウリアの命を最優先せざるを得ない状況が訪れるかもしれないという事だ。
 その分ラニに負担が掛かってしまうのが、マウリアには良い気分はしなかった。
「けれど、ドクトルが情報を消していたから、cordコードエイトが研究所に辿り着くのは難しいと思うわ。私達に辿り着けなければ、cordコードエイトの性格上、かなり強引な手段で私達を探そうとするだろうから、その過程で恐らく多くの敵を作るんじゃないかしら。世界規模で名の知れた存在であるドクトルを手に掛けたアンドロイド兵器を世間が放っておく筈がないでしょうしね。とにかく逃げ切りさえすれば、私達の勝利と言えるわ。彼女の手駒はもう残っていないし、自爆攻撃で死なないにしろ、戦力を削がれた状態では、世界中を敵に回せば流石の彼女でも無事では済まない筈よ」
 確かに理に適っている方法だが、かなり気長な作戦である。
 そんな悠長に構えて対処できるような存在を相手にしている訳ではない。
 「まあ、察しの通りこれは、cordコードエイトの脅威をあまり考慮に入れていない物で現実的ではない。どんな方法であれ、彼女が研究所を見つける可能性はとても高い。だから、到着したら、彼女が死ぬまで耐え忍ぶのではなく、研究所の武装やドクトルの対策を使って彼女を迎撃する事を覚悟しておく方が現実的ね」
「そう……」
 ラニの口にする内容はマウリアの不安を駆り立てる。
「でも、あくまでこれは私の想像上の話。研究所に到着しない限りは、どうするのが最適かは何とも言えないわ。やっぱり、到着した時に考えるのがいいかもしれないわね」
「まあ、そうなるよね……」
 かなりリアルな想像に足が竦むが、情報が少ない以上、どうする事も出来ないのも事実。ラニの言う通り到着しないと明確な答えは出せないだろう。マウリアは深く考えるのはやめる事にした。
「もう少し教えてくれても良かったのにね」
 少しだけ口を尖らせてマウリアは言う。
「仕方ないわ。cordコードエイトはそれだけの相手だもの、どんなに気を付けても、ちょっとしたきっかけで手の内が知られてしまっては、殆ど勝ち目を失ってしまうわ」
 話を聞く程自分の相手にしている存在の恐ろしさにマウリアは戦慄する。そんな相手と戦う事を決めて、果たして生き抜く事ができるのかと不安になる。次から次へと過る後ろ向きな想像にマウリアの表情は曇っていく。
「大丈夫よ……」
 すると、静かにラニの手がマウリアの頬を撫でた。
「ラニ……」
 彼女の顔はとても落ち着いているようだった。
「例え、この想像が現実になってcordコードエイトと戦う事になったとしても、貴方は絶対に死なないわ。何度も言っているから、しつこいと感じるかもしれないけれど、私はどんな事が起ころうと、貴方の事は絶対に守る。それが私の正義であって、それは絶対に変わる事はないのだから。だから、信じて私に守られなさい」
 そう言って、彼女は力強くも優しい笑顔を見せる。cordコードエイトや、来るかもしれない最悪の展開への不安が簡単にはなくならない。しかし、この笑顔を見ると、不思議と最悪の未来をも乗り越えられるような気がするのだ。
「うん。わかったわ」
 そう言って、マウリアも微笑んだ。
「さあ、今はゆっくり休んで。到着は明日だわ」
 ラニはマウリアの頭を撫でるとブリッジの方へ歩いて行った。ラニの背を見送り、ティーカップに口を付ける。
 少しだけ冷めた紅茶が、静かに心を落ち着かせてくれた。

 マウリアが食事をする部屋のドアを閉めて、ラニは口を開く。
「ごめんなさい。マウリア……」
 自身を笑顔で見送っていた彼女の姿にラニは胸が締め付けられるのを感じた。自分を信じるように彼女に言った事と、それを素直に受け入れる彼女の姿を見ていれば、そう思わずにはいられなかった。
(一つだけ、嘘を吐いた……)
 マウリアの問いに「詳しい事は分からない」と答えたが、ラニは一つだけ知っている事がある。
 ドクトルが情報をインプットしてくれた時に、同時にその情報は提供された。
cordコードエイトが攻めて来れば、きっとマウリアのペンダントを使う事になる……」
 その情報とは、マウリアのペンダントの使い道だった。オーバーロードでも、傘でも、ラニの力ではcordコードエイトには敵わない事を想定した、cordコードエイトを葬り去るための本当の最終手段、言わば「切り札」となる物。
 それがマウリアのペンダントであるらしい。そしてそれは、研究所で真価を発揮するらしい。ラニはそれだけ知っていた。
(マウリアは、怒るだろうか……?)
 そんな考えが過る。cordコードエイトに研究所を突き止められる事を前提としたような対策である。
 それは、「マウリアを守るためにはドクトルが絶対に死ぬ運命にあった」という、マウリアが望まない考えを、百パーセント肯定する事になる。マウリアは進む事を決意してくれたが、その部分は考えないように濁していたのだ。
「そして、最も重要なのは……」
 ペンダントを使うにあたって忘れてはいけない事が一つあり、ラニはそれを意識して顔を曇らせる。
 それこそ、マウリアが最も嫌がる事と思われる内容が思考の中に現れる。
(……マウリアを守るためならば、何をしても良いのだろうか?)
「ペンダントの使用には、あの子の心や意志が全く考慮に入っていない……」
 ドクトルの作戦は、マウリアの命だけを重視しているように感じる。
「あの子には、誰よりも優しい心があるのに……」
 だからこそ、マウリアは傷付きやすい。特に、大切な存在に関わる事には顕著である。
(……それでも、私は進み続けなければいけないのだろうか?)
 迷いが生まれ、溜め息を吐く。俯くラニの視線の先では、何も知らないマウリアがいつものように食事を楽しんでいる。
「……」
 その姿を見て再び理解する。彼女は普通の女の子なのだ。そんな子に押し付けなければいけない現実は、ラニには残酷な物としか思えなかった。最後の「切り札」は、果たして「最良」と言えるのか。ラニの思考はたちまち滞る。

 暫くして、口からふと言葉が漏れる。
「やめておこう……。私が、もっと強くあれば問題ない……」
 そう言って、ラニは考えるのをやめた。その代わり、体中に力が満ちるのを感じた。
 確実に訪れるであろう戦いの時を覚悟したラニの心に呼応するように、無意識下でオーバーロードが発動したのだ。
「絶対に負けない。マウリアが悲しむ状況は、もう作らない」
 頬を叩いて、切り替える。もう一度マウリアの方へ視線を向けて静かに微笑むと、ラニはそのままブリッジに向かって歩き出した。

 3

「……ん」
 温かい日の光を浴びながら、マウリアは目を覚ます。すると、すぐに自室のドアからノックの音が聞こえる。
「おはよう。マウリア」
 そして、一人の女性が入って来る。
「……え」
「どうしたの……?」
 不思議そうな顔でその人は覗き込んでくる。マウリアの髪に髪色がよく似ている天然のウェーブがかかったロングヘアがふわりと揺れた。
「あ……」
「マウリア?」
 翡翠色の瞳は静かにマウリアを見つめている。その目を見ると不思議と心が安らぐのだ。
「……ううん、何でもないよ」
 マウリアが微笑むと、その人も同じように微笑んだ。
「おいで……。マウリア」
 そして、その人が腕を広げる。マウリアはベッドから離れ、その人の方へ歩き出す。
「お母さん……」
 そして、彼女に思いきり抱き着いた。

「……あ」
 自身の腕の温度を感じて、マウリアが行った「抱き着く」動作が空を切った事を理解すると、マウリアはようやく周囲の状況に気付く。高速艇の一室、窓の外に広がる海だけの景色、自身が身に付けている着慣れない寝巻。
(……夢だ)
 ベッドの横にある小さな机の上。その上に置いてある電波時計は午前三時を告げている。午後十一時に床に就いたので、睡眠時間は約四時間。流石にまだ眠り足りなくてマウリアは目を擦る。
「ん……?」
 壁に掛けられたワンピースに目を向けると、その真下に何かが落ちていた。拾い上げると、スカートのポケットに入れていたアルバムだった。何らかの拍子に落ちてしまったらしい。
「……!」
そして、どんな落ち方をすればそうなるのかは今となっては分からないが、アルバムの中から母の写真が出てしまったようで、マウリアのベッドの近くに一枚落ちていた。
「ああ。この写真は……」
 今は瓦礫になってしまったであろう、マウリアの家の一室で、彼女を抱きながら優しく微笑む母が写っていた。
「私を、抱いている……」
(……さっき、お母さんに抱きしめてもらう夢を見たのは、この写真が落ちていたからなのかもしれないな)
 どこの国の話かは忘れたが、誰かの写った写真を自身が眠る場所の近くに置いておくと、そこに写る人が夢の中に現れるというおまじないがあると聞いた事がある。信憑性は分からないが、マウリアには効果があったらしい。
「お母さん……」
 マウリアはその写真をもとのページにしまうと、再びスカートのポケットに入れた。
(今はどのくらい進んだのだろう?)
 窓の外を見てみるが、一面が暗闇と海面なのでよく分からなかった。
「……」
 暫く窓の外を見ていたが、目が冴えて暫く眠れそうになかったので、マウリアは寝巻を脱ぎ捨てた。
「っ……!」
 夏とは言え、この時間帯で下着だけになるのは流石に冷える。体を震わせながら、マウリアは急いでワンピースに袖を通した。

 午前三時の空をぼんやりと眺めながら、高速艇のデッキでラニは風に当たっていた。周囲には何もなく、ただただ高速艇が海上を進む音だけが聞こえる。沢山の星が輝く空を見つめてラニはずっとその音を聞いていた。
「人間は死んだら、何処に行くのです?」
 誰もいない空間に、ラニは独り言を投げかける。
 死んだ人間は天へ昇り、その後「お星様」となって夜空に輝き、残してきた者達を見守っていると、以前何処かで聞いた事がある。
「本当なのか……?」
 昔から、多くの人達が語り継いできたおとぎ話のような情報。それを見つけ出し、人々に伝えたのは、いつの時代を生きた、どんな人なのだろう?
 ラニはずっと空を見上げながら考える。
「もしもそれが本当ならば、ドクトルはもう、そちらにいらっしゃるのでしょうか?」
(そして、ずっと前に亡くなった、マウリアのお母様も、そこからこちらを見下ろしているのだろうか?)
「ドクトル……」
 夜空を見つめるラニの背に、扉の開く音がぶつかった。
「マウリア?」
「あ……ラニ」
 マウリアは寝巻ではなくワンピースを着ていた。その姿にラニは少しだけ驚く。
「まだ、暫く着かないわよ。寝ていていいのよ?」
「うん。そうだけどちょっと目が覚めちゃって……。少しだけ外の空気を吸おうかなって。ラニが嫌じゃなければ、私も暫くここにいてもいい?」
 そう言って、マウリアは近付いてきた。
「ええ。好きなだけいればいい。その、私は別に嫌とは思わないし」
「そう。ありがとう」
 マウリアは微笑むと、ラニが立つ場所の左側に腰を下ろした。
「ラニも座りなよ。ちょっとは休憩になるんじゃない?」
「私は立っていても別に……」
「いいから」
「……?」
 立っていようが、座っていようが、アンドロイドであるラニにはさほど関係ない事だったが、断る理由もないので、彼女の指示に従った。
「ねえ、どんな事を考えていたの?」
 ラニが座ると、マウリアは聞いてきた。
「……え」
「よく聞こえなかったけど、さっき何か言っていたじゃない」
「それは……」
「気になるじゃないの」
 それから、暫くラニは喋り続けた。ふと、疑問に思った「おとぎ話」ついてマウリアに話し続けた。
「ドクトルは今、私達を見ているのかなと。もしもそうであるのなら、今、どんな事を思って私達の事を見ているのだろうと、ずっと考えていたわ」
「フフッ」
 暫く話を聞いているだけだったマウリアが笑いだす。
「え……?」
「いや、ラニもそういう話を信じる事があるんだなって」
 マウリアの顔は面白がっていた。その反応にラニは結論を出した。
「作り話だったのね?」
 しかし、マウリアはラニが想像していなかった答えを返した。
「本当だよ。その話は本当」
「え……」
 戸惑うラニにマウリアが続ける。
「私が笑ったのは、ラニがそれをくだらない作り話とは判断しないで、真面目に考察していた事。いつもクールなラニが、初めて子供っぽいところを見せたのが新鮮でついね……」
「……」
 それを聞いて、少し照れくさくなる。
「それで、本当とは?」
少しだけ赤くなった頬を誤魔化すようにラニは話題を戻した。
「ラニの言う通り、人は死んだらお星様になるの。でも、ラニが思っているみたいにすぐにお星様になる訳じゃないんだよ」
「そうなの?」
 少しだけ、興味が出てくる。自分がさっきまで「真面目に考察していた」内容だからなのか、これ程までに好奇心がくすぐられたのは初めてだった。
「空には、いいや、空の向こうには例え大気圏を超えようと、宇宙の外側へ出ようと、絶対に見えない、だけど必ず存在する天国っていう特別な世界があって、人が死ぬとまずはそこに行くの。私達みたいな生きている存在には決して辿り着く事は出来ないけれど、死んだ人は不思議とその世界を見つける事ができるようになるの」
「天国……」
(知らない言葉だ。そんな場所があるのか……)
 夢中になって話を聞くラニの姿を楽しみながら、マウリアは続けた。
「そして天国には、神様っていうとても偉い人がいて、死んだ人は神様にお願いをするの」
「何を?」
「残してきてしまった人に会いたいって。でも、それはとても難しい事なの。天国に行ってしまった人と、その天国を見る事ができない人が会う事。それをお願いしているのだから」
 確かにその通りである。それはどんなに願っても叶わない願いだと思う。
「でもね」
 マウリアは微笑んで続ける。
「その願いを叶える方法があるの。天国は、全部ではないけれど、その一部分だけが、ある時間帯になると生きている人にも見えるようになるからね。死んだ人達はそこに一斉に飛び出して、会いたい人に自分の居場所を伝えるの。どんなに離れていても、声も届かないくらい途方もない距離があったとしても、その人に見つけてもらえるように、思いきり輝いて……」
 そこまで聞いて、ラニは理解した。
「それが、お星様……?」
 マウリアは笑って頷いた。
「では、ドクトルは……」
「ほら、あそこを見て!」
「え……?」
 マウリアが勢いよく指を刺した。
「あそこに一際大きく光る星があるでしょう?」
「……?」
 言われた場所へ視線を向けると、確かにとても大きな星があった。
「あれは、一等星って言うの。人の目で見える一番暗い星を六等星と言うけれど、その百倍明るい星が一等星。六等星は沢山あるけれど、一等星は数えるくらいしかないの。どうしてか分かる?」
「どうして?」
「私達が会いたいと思っている人が、今、数えるくらいしかいないから。私達が会いたいと強く願って、星となった人もまた、私達に会いたいと思ってくれて、その思いがお互いにとても強くなった時に、初めて一等星は現れるのよ」
「じゃあ、あの星は……」
「きっと、お父さんね」
「ドクトル……」
 マウリアの話を聞いて、ラニは再び一等星を見つめた。
(やはりドクトルは、私達を見ているのか……。私達が生きている限り……)
「……! マウリア、あの星は?」
「ん……?」
 ラニが指刺した先に一等星がもう一つあった。父に例えたのはアルタイルだが、ラニはデネブを指刺していた。
「なら……きっとあれは十五号さんね」
「そうか。アンドロイドも……お星様になるのね」
「そうだよ。私達が友達だからね」
 マウリアがそう言った時に、一筋の光が水平線に向かって駆けていった。
「あれは……消えてしまったわよ?」
「ああ。それはね……とても悲しい事だわ……」
「……え?」
(どういう事だろう?)
 マウリアの反応に、ラニは少しだけ戸惑った。
「忘れられたら、星は消えちゃうの……」
「忘れる?」
「会いたいと思う人が、同じく死んでしまったり、いなくなったら、光る意味がなくなってしまうから……」
「あ……」
 マウリアの言葉でラニはハッとする。そして、この話をどんな結論に持って行くのが最良なのか、それが自ずと理解できた。
「だから、私達は生きないといけないわ。私は、お父さんと十五号さんにずっと輝いていて欲しいから。それに、せっかく見守ってくれているのに、死に顔は見せたくないでしょう?」
 マウリアの言葉に、ラニは頷く。
「そうね。それがきっと、お星様の願いよね……」
 勇気と決意が二人の心に燃え上がった事を感じ取る。自身を見つめるエメラルド色の瞳に覚悟で染めた表情で応えると、ラニはマウリアを抱き締めた。するとマウリアは、満足気に微笑んだ。
「こうして欲しかったから……」
 腕の中でマウリアが呟く。
「……そう言えばいいじゃないの」
 苦笑いを浮かべて、ラニは今後マウリアが隣に腰かけた時は自分も座る事を静かに決めた。

 暫く星を眺めていたが、マウリアは欠伸をした。
「おかげで少し、眠くなってきたわ」
「まだ暫くかかるから、眠るといい。到着したら、起こしてあげるわよ」
「そうね……」
 目を擦りながら、マウリアは答える。
「部屋まで送るわ。ゆっくりと……」
「おやすみなさい」
「……え」
 ラニが話している途中に、彼女の膝にマウリアが頭を乗せた。初めての行動にラニはかなり動揺した。
「マウリア……ちゃんとベッドで寝ないと……」
「いいじゃないの」
 そう言って、マウリアは目を閉じる。
「風邪ひいてしまうわ……」
 今にも眠ってしまいそうなマウリアを見て、ラニはおろおろと目を泳がせる。
「大丈夫よ。ラニの体、温かいし」
「っ……!」
 恥ずかしい。この体制がとてもくすぐったい……
「さっき、お母さんの夢を見た。一瞬で終わってしまったけれど、とても安心したわ」
 混乱するラニに、マウリアは目を閉じたまま、静かに言う。
「……!」
 ラニは取り乱すのをやめて、耳を傾ける。そうする事が最良であると判断する前に、無意識にそうしていた。
「だけど、夢だから……温かくないの。夢だから……触れないの。夢だから……目が覚めた時、途轍もなく、寂しくなったの」
「マウリア……」
 少しだけ彼女の声が震えているのを感じた。
「お母さんの一等星は、今日は雲に隠れていたの。とても、寂しかったわ……」
「……」
「ごめんなさい。顔が似ていても、ラニは違うのに。こんな事をされて困る事も知ってるよ。でも、今は、今日だけは……」
「大丈夫……もういいわ」
 スカートが少しだけ滲んだ事に気付き、ラニはマウリアの頭を撫でた。
(この数日で、この子は何度も辛い目に遭ったわ……)
「眠ったら、ベッドまで運んであげるわ……。今だけは、貴方の夢になってあげる」
 そう言って、彼女の手を握る。
「ごめんね……。今だけは、貴方に甘えさせて……」
 小さく彼女が口にした。
(……私は、貴方の友達だから)
「貴方が辛い思いに苦しむならば、私は貴方の為に傍にいるわ」
「ありがとう。ラニ」
 自身の手を握る友達の手に一度だけキスをして、マウリアは眠りに就いた。

 徐々に周囲が明るくなり、星が少しずつ見えなくなっていく空を見ながら、穏やかな表情で寝息を立てるマウリアを抱き上げる。
「……!」
 ある物に、ラニの目は止まった。
「三つ目の、一等星……」
 マウリアが言っていた、「雲に隠れていたお母さんの一等星」に間違いなかった。
 雲が晴れた空にあるそれは、一際大きく、輝いて見えた。
「マウリアは……どこまでも、愛されているのね……」
 そう口にした時、ラニはどうして一等星が最高の輝きを見せるのかを解釈した。
「残してしまった存在を守りたいという思いを、私に託しているのね……」
 明るくなっていく空に消されそうな三つの光をラニは見つめる。
(……もうすぐ、天国が見えなくなる。そうすれば、また夜が来るまでマウリアの事を見守る事はできなくなるだろう。その夜が来た時に、その見守る相手が死んでいる。それだけは絶対に阻止しなければいけない!)
「ドクトル、十五号、そして、マウリアのお母様……。どうか安心して、今夜もマウリアの一等星になって会いに来てあげてください。私が、絶対に彼女を守り抜きます……!」
 決意に満ちた表情で、空を見上げると、ラニはマウリアを連れて船内に入っていった。

 そんな彼女の背を見送るように、ベガは大きく輝いていた。

 4

「起きてマウリア。到着したわよ」
「……!」
 ラニの声で目を覚ます。高速艇は停止しており、窓の外に目をやると、陸のような物が見えた。
 ラニの言う通り目的地に到着したらしい。電波時計は午前八時を示していた。
「遂に……」
「さあ、準備して。貴方の覚悟が決まったら、早速上陸しましょう。デッキで待っているわ」
 そう言ってラニは部屋を出ていった。
「……」
 寝巻からワンピースに着替えると、マウリアはポケットからアルバムを取り出し、ページを捲る。
 見たい写真が入ったページで指の動きを止めた。
「お父さん……お母さん……」
 父と母が一緒に写っている唯一の写真。昨日もこの写真を出発前に見た。
(二人とも、幸せそうだ……)
 写真の中で抱かれるマウリアを、一目で分かる愛情が包んでいる。これを見ると、自分は生きる事を望まれた存在であると、自信を持つ事ができた。
 その望みに応えなければと、生きる意志が湧き上がってくるのだ。
「どうか見守っていて。私は、生き抜くから」
 覚悟を胸にマウリアはアルバムをしまい込むと、勢いよく部屋を飛び出した。

「大きくて、静かな場所ね……」
 目の前の建物を見ながらマウリアは言った。研究所と言うよりは、まるで要塞のような見た目に圧倒される。
 その不思議な緊張感に反して、周囲の波の音しか聞こえない程の静寂は、マウリアの心をより一層圧迫した。
「ここが、お父さんの研究所なのね?」
「そうね。入りましょうか」
 扉を開き、歩いていくラニの言葉にマウリアも従い、歩き出す。
「思っていたよりも、薄暗い……」
「この先の部屋に電源があるのかも……。進んでみないと分からないわね」
「何だか不安だわ……」
 長々と続く無機質な空間に寒気を感じる。安全な場所にいる筈なのに、どうもマウリアは安心できなかった。
「……」
 それから二人は暫く無言で歩き続け、遂に一つの部屋の前に辿り着いた。実際はそこまで長距離を歩いた訳ではないのだが、正常とは言い難い精神状態で歩く廊下はとても長く感じた。
「……!」
「っ……!」
 扉の前に立つなり、二人は同時に身構える。
「マウリア……」
「分かっているよ……。私ですら感じ取れたんだから……」
 扉の向こうから鋭く危険な雰囲気が漂っていた。体が反射的に震えだす。どれだけ強固に意志を固めても、本能に逆らう事はできないらしい。
「貴方の覚悟が決まったら……。開けるわよ……」
 ラニが言う。彼女も覚悟をしているのか、少しだけ声が強張っていた。
「……大丈夫。行きましょう」
 ラニはマウリアの言葉に頷くと、思いきり扉を開いた。

 目の前の光景に戦慄する。酷く破壊された部屋、大破し、山積みになった戦闘アンドロイドやロボット、そして、
 その中心で不敵に微笑む……最大の敵。
「私も油断していたと、今となっては反省しているわ……」
 驚愕するマウリアをよそに彼女は口を開く。
「爆炎に包まれながらも情報を守り抜いたものの、かなり手痛い攻撃を受けてしまってね……。予想以上に深刻な痛手を被ったわ」
「それは……?」
 ラニが尋ねた。あくまでクールだったが、その目は完全に警戒態勢だった。
「中の部品がかなりやられてしまって、十分程しか全力が出せなくなってしまったのよ。動けば動く程ボディが過剰に発熱するし、その熱でメモリに負担が掛かって冷静じゃいられなくなってしまう……。制限時間を超えたら、きっと取り返しがつかなくなるでしょうね」
「……」
 ラニは黙って聞いている。
「それに、ここに来た瞬間に、大量の防衛システムによる熱烈な歓迎と来たわ。流石の私もかなり焦ったわよ」
 困ったような表情で話し続ける彼女を、ラニはただ黙って睨み付けていた。
「どうして、ここが分かったの?」
 マウリアは尋ねた。依然恐怖や驚きは消えなかったが、自分でも驚くくらいに冷静さを保っていた。
「ドクトルの脳から情報を奪い取ったわ。大分損傷していたから大した物は得られなかったけれど、この場所とあなた達の高速艇が使うルートは何とか取り出せたわ。ラッキーだったわね」
「……」
cordコードシックスティーン。貴方は尾行者に用心して遠回りするルートを選んだのね。おかげで私は最短のルートを使って五時間前くらいにここに来れたわ。確かに防衛システムは厄介だったけれど、五時間もあれば全部潰すのは訳ない」
「……!」
 微笑む彼女の雰囲気が変わったのを感じて、マウリアは身構える。
「あなた達を殺すのに、私の障害となる物はもうないわ。そして、休む事ができたおかげで私は最初から全力でいける。さあ、覚悟はいいかしら?」
 そう言って、彼女は臨戦態勢を整える。袖の中から鎖に繋がれたブレードが現れた。鏡のような刃に、マウリアの姿が映る。
「マウリア……。下がっていなさい。今回は私の近くにいたら巻き込んでしまうわ……」
「うん……」
 ラニの事を見ながらマウリアは後退する。
「心配せずとも、あなたを殺してからその子を殺すわよ。こんな体になった以上、もはやあなた達の幸運を軽視したくないからね。我慢比べになるかしら。十分間私を止められたら、あなたの勝ちよ。まあ、私の力の前じゃあ、抗うだけ無駄でしょうけどね」
「やってみないと分からないでしょう?」
 ラニは傘を開き、オーバーロードを発動させる。翡翠色の瞳が闘志で輝いた。
「遺言はそれだけかしら? 三分くらいは耐えなさいよ?」
 それに呼応するように、琥珀色の瞳に殺意が宿る。
「私は負けないわ。絶対に……!」
 その刹那、漆黒の熱風が、青い烈風と激突した。
「殺す……!」
「守る……!」
 ラニとcordコードエイトの戦いが始まった。



第六章 「一等星」
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