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第2話 レインコートに雨宿り
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ヴァルダスは直ぐに後悔した。
「苦い」
顔をしかめてカップを手にしたままうずくまると、拳を握る。毒は直ぐに身体を駆け巡るだろう。誰かは分からぬが、出来た使役を送ったものだ。
「あら、そうでしたか」
ミルフィは困った顔になって、ヴァルダスの顔を覗き込んだ。
「濃い方が良いと思って、分けた時にヴァルダスさんのお茶を二杯目にしたのですが」
「そこまで差が出るなんて、思っていませんでした」
「ごめんなさい」
ミルフィはその体勢のまま動かないヴァルダスに言った。
「良かったら、こちらに換えますか?」
「もう遅い」
遅い?とミルフィは首を傾げた。
「やるものだな」
「俺としたことがすっかり騙されてしまった」
ヴァルダスの言葉にミルフィはぽかんとした。
「誰にですか」
ヴァルダスがお前にだ、とミルフィを睨んだので、ミルフィは思わず自分のカップを落としてしまった。
「わたし、何か失礼なことしましたか」
「ごめんなさい」
茶をまともに浴びて、先ほどぬぐったにもかかわらず、またもしっかり濡れてしまった膝のまま、ミルフィは俯いた。今しがたヴァルダスが口にしたものは決してぬるくはなかったのに、ミルフィは両手で顔を覆ったまま微動だにしない。静寂の中、カップは悲しく転がっている。
ヴァルダスは言葉を失ってしまった。とても悪いことをしたと思った。勿論、自分の身体に異変など起こっていない。
「いや、すまない」
ヴァルダスは入り口に置いておいた、先ほどミルフィが使った布をすぐさま手に取り、渡そうとした。ミルフィが顔を上げた。泣いている。
「お前は何もしていない」
「俺が悪いのだ」
咄嗟に言った。何がです、とミルフィはやっと声を絞り出した。涙がまだ頬を伝っていたので、ヴァルダスはミルフィの正面に屈み込むと、ミルフィの顔を布でぬぐった。それは、さっき強く自分の身体をこすっていた同じ人物から出たとは思えない優しい触れ方だった。そしてそのままとんとん、とミルフィの膝に布を当ててから、空っぽになって転がった彼女のカップを拾い上げた。
次に自分のカップに残っていた茶を勢い良く飲み干すと、それを地面に置いた。カン、という音がした。
「旨かった」
「また飲ませてくれ」
「それと、お前の茶を無駄にして悪かった」
ミルフィはやっと泣き止んで、言った。
「なら良かったです」
「お茶ならまた淹れられますから」
「それより、先ほどの騙されたって言うのは」
「ほんとうに何でもないのだ」
「忘れてくれ」
ヴァルダスが気まずそうに顔を背けたので、ミルフィは何とも言えない顔で黙っていたが、
「直ぐに泣いてしまってごめんなさい」
布で再度顔をぬぐう。
「情けないとは思うのですが、何だか涙が溢れてしまうんです」
「ヴァルダスさんの前だと」
ヴァルダスはミルフィに視線を戻すと、屈んだまま言った。
「泣くな」
「大丈夫だから」
その静かな言い様にミルフィはまた涙が溢れてしまったので、両手で強く自分の瞳を布で押さえた。
ヴァルダスは参ってしまった。味はともかく、差し出された茶の、甘い香りがまだ鼻に残っている。全身があたたかい。身体に駆け巡ったのは毒などではなかった。それより…
ヴァルダスは軽く首を振って立ち上がる。そのようなはずがない。まだ出会ったばかりだ。
「ようやく止んだか」
ヴァルダスの声に布から手を離すと、入り口のほうから陽が差し込んできている。ミルフィはやっと涙が止まって、赤くなっている自分の膝に気付いたが、痛みなど全く感じなかった。さっきの、とんとん、だけが残っている。
ヴァルダスの背中を見た。
彼の身体はもうだいぶんと乾いて、柔らかさを取り戻そうとしていた。
第2話 おわり
「苦い」
顔をしかめてカップを手にしたままうずくまると、拳を握る。毒は直ぐに身体を駆け巡るだろう。誰かは分からぬが、出来た使役を送ったものだ。
「あら、そうでしたか」
ミルフィは困った顔になって、ヴァルダスの顔を覗き込んだ。
「濃い方が良いと思って、分けた時にヴァルダスさんのお茶を二杯目にしたのですが」
「そこまで差が出るなんて、思っていませんでした」
「ごめんなさい」
ミルフィはその体勢のまま動かないヴァルダスに言った。
「良かったら、こちらに換えますか?」
「もう遅い」
遅い?とミルフィは首を傾げた。
「やるものだな」
「俺としたことがすっかり騙されてしまった」
ヴァルダスの言葉にミルフィはぽかんとした。
「誰にですか」
ヴァルダスがお前にだ、とミルフィを睨んだので、ミルフィは思わず自分のカップを落としてしまった。
「わたし、何か失礼なことしましたか」
「ごめんなさい」
茶をまともに浴びて、先ほどぬぐったにもかかわらず、またもしっかり濡れてしまった膝のまま、ミルフィは俯いた。今しがたヴァルダスが口にしたものは決してぬるくはなかったのに、ミルフィは両手で顔を覆ったまま微動だにしない。静寂の中、カップは悲しく転がっている。
ヴァルダスは言葉を失ってしまった。とても悪いことをしたと思った。勿論、自分の身体に異変など起こっていない。
「いや、すまない」
ヴァルダスは入り口に置いておいた、先ほどミルフィが使った布をすぐさま手に取り、渡そうとした。ミルフィが顔を上げた。泣いている。
「お前は何もしていない」
「俺が悪いのだ」
咄嗟に言った。何がです、とミルフィはやっと声を絞り出した。涙がまだ頬を伝っていたので、ヴァルダスはミルフィの正面に屈み込むと、ミルフィの顔を布でぬぐった。それは、さっき強く自分の身体をこすっていた同じ人物から出たとは思えない優しい触れ方だった。そしてそのままとんとん、とミルフィの膝に布を当ててから、空っぽになって転がった彼女のカップを拾い上げた。
次に自分のカップに残っていた茶を勢い良く飲み干すと、それを地面に置いた。カン、という音がした。
「旨かった」
「また飲ませてくれ」
「それと、お前の茶を無駄にして悪かった」
ミルフィはやっと泣き止んで、言った。
「なら良かったです」
「お茶ならまた淹れられますから」
「それより、先ほどの騙されたって言うのは」
「ほんとうに何でもないのだ」
「忘れてくれ」
ヴァルダスが気まずそうに顔を背けたので、ミルフィは何とも言えない顔で黙っていたが、
「直ぐに泣いてしまってごめんなさい」
布で再度顔をぬぐう。
「情けないとは思うのですが、何だか涙が溢れてしまうんです」
「ヴァルダスさんの前だと」
ヴァルダスはミルフィに視線を戻すと、屈んだまま言った。
「泣くな」
「大丈夫だから」
その静かな言い様にミルフィはまた涙が溢れてしまったので、両手で強く自分の瞳を布で押さえた。
ヴァルダスは参ってしまった。味はともかく、差し出された茶の、甘い香りがまだ鼻に残っている。全身があたたかい。身体に駆け巡ったのは毒などではなかった。それより…
ヴァルダスは軽く首を振って立ち上がる。そのようなはずがない。まだ出会ったばかりだ。
「ようやく止んだか」
ヴァルダスの声に布から手を離すと、入り口のほうから陽が差し込んできている。ミルフィはやっと涙が止まって、赤くなっている自分の膝に気付いたが、痛みなど全く感じなかった。さっきの、とんとん、だけが残っている。
ヴァルダスの背中を見た。
彼の身体はもうだいぶんと乾いて、柔らかさを取り戻そうとしていた。
第2話 おわり
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