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エピローグ
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奈津美先輩がフランスに旅立ってから、七年が過ぎた。
浅場南高校を卒業した僕は、そのまま隣県の大学で図書館情報学を学び、念願の司書資格を取った。
司書というのは、資格を取るまでなら割と簡単だ。単位さえ揃えれば、誰でも資格をもらえる。問題は、その先の就職。少ない枠を、多くの有資格者で奪い合うことになる。
そんな中、僕は幸運にも、地元浅場市の司書採用試験に一発合格することができた。大学に入ってからの四年間、寝食も忘れて必死に勉強してきた甲斐があったというものだ。
今では叔父さんが上司、陽菜乃さんは同じ係の先輩職員となっている。就職してから一年半、みっちりしごかれたおかげで、今ではようやく一端の仕事ができるようになってきた。
そして今日は、僕にとって初めての大仕事――主担当として企画したワークショップの当日だ。企画内容は子供向けの製本講座となっている。ワークショップの会場となっている多目的室では、参加者の子供たちが始まる時を今か今かと待ちわびている。
ただ……そんな子供たちの様子を部屋の外から見つつ、僕の心は焦燥で満ちていた。
「まったく、あの人はどうしていつもこうなのかな……!」
頭をガシガシと掻きながら、腕時計で時間を確認する。
時刻はさっき見た時とほぼ変わらず、午後一時十五分。ワークショップの開始十五分前だ。
それなのに、講師がいまだに到着していない。午前中にトラブルで少し到着が遅れるとメールが来ていたけど、まさかここまで遅れるとは……。
諸事情が重なって、今日フランスから帰国し、そのまま講師をやりに来るって言っていたけど……本当にあの人は、いつも僕をやきもきさせてくれる。こういうところは、まったく成長していないんだから。
「どうする、一ノ瀬君。子供たちに、ワークショップの開始時間が少し遅れるってアナウンスしとく?」
「いや、あと五分だけ待ちます。二十分になっても来ないようなら、アナウンスしましょう」
心配そうに声を掛けてきた陽菜乃さんに、もう少しだけ待ってもらえるように頼んでおく。いつもと違い、今日は僕が陽菜乃さんに指示を出す側だ。しっかりしなくてはならない。
ちなみに、課長である叔父さんは僕らの隣で苦笑している。この状況でも焦っていないところは、年季の違いというやつだろう。
すると、その時だ。僕らの背後から慌ただしい足音と、キャリーケースのキャスターが転がる音が聞こえてきた。
「すみません、遅くなりました! 空港でちょっと迷ってしまって……」
足音が止まり、後ろから荒い息遣いとともに、彼女の声が僕の鼓膜を打つ。
同時に、僕の胸が大きく高鳴った。焦燥感も一気に吹っ飛んでいく。
顔がにやけてしまいそうになるのを必死に堪え、背後へ振り返る。そこには、あの頃よりも少し大人びた最愛の人の姿があった。
「遅いですよ、奈津美先輩!」
「ごめんね、悠里君!」
憮然とした表情で文句を言う僕に、奈津美先輩は顔の前で手を合わせながら何度も「ごめん!」と謝ってきた。
姿は成長しても、性格はまったく変わっていない。そんなところが奈津美先輩らしくて、僕の胸の中がより一層温かくなってくる。
「私たち、先に中で準備しているから。こっちは任せておいて」
そう言って、陽菜乃さんと叔父さんは、多目的室の中に入っていった。多目的室の中で、子供たちに「もうすぐ始まりますよ。席について待っていてくださいね」とアナウンスをしている。
廊下には、僕と奈津美先輩だけが残された。
講座の打ち合わせとして何度もメールでやり取りをしたが、顔を見るのも、声を聞くのすらも七年ぶり。あえて顔を見たり声を聞いたりしないようにしてきたのだ。
去年、先輩が向こうで新人賞的なものを受賞したと聞いた時でさえも、「おめでとうございます!」と言いに行きたい気持ちをグッと堪えた。
すべては、奈津美先輩に見合う男となって再会するため……。
そして今、ようやくこの最愛の人の前まで辿り着けた。
「改めまして……久しぶりね、悠里君」
「ええ。七年ぶりですね、先輩」
息を整えた奈津美先輩は、七年前と同じ陽だまりのような笑顔を見せてくれた。
その笑顔に、僕も精一杯の笑みでもって応える。
「私、製本家になったわよ」
「僕も司書になりました」
交わされる短い言葉の中に、僕らのすべてが詰まっている。司書と製本家。それぞれが夢見た道を、僕らは歩き始めた。それはつまり、子供の頃の約束と七年前の願いを叶えるという果てのない道が、ようやく始まったということだ。
「あ、そうだ! 宿題の方も、ちゃんとやってきましたよ」
ワイシャツの上から付けていたエプロンのポケットから、虹色の本を取り出す。七年間ずっと持ち続けていた本は、表紙のクロスがこなれて、とても良い風合いを醸し出している。
そんな虹色の本を目にして、奈津美先輩はうれしそうに顔をほころばせた。
「中は講座が終わってから見てください。この七年間の出来事を、色々書いておきましたよ。――書籍部の復活と躍進とかね」
「そう……。それは楽しみだわ」
思いを馳せるように声を発した奈津美先輩は、続けて僕に期待の眼差しを向けた。
「それで、この子の名前はちゃんと決めてくれた?」
「もちろん!」
穏やかな笑みを浮かべ、軽く息を吸い込む。
そして僕は、ゆっくりとこの本の名前を口にした。
「この本の名前は……『パスレル』です」
僕の声が、図書館の廊下に木霊する。
パスレル。フランス語で、『架け橋』という意味の言葉だ。僕と先輩が離れていた七年間を埋め、これからの僕たちをつないでくれる、小さな虹の架け橋。それこそが、僕がこの本に与えた名前だ。
僕が考えた名前を気に入ってくれたのか、先輩はまたうれしそうに微笑んでくれた。そんな先輩の白くて小さな手に、『パスレル』をしっかりと手渡す。
「さて、子供たちが待ちくたびれています。そろそろ行きましょうか」
「ええ! 私、今日は頑張っちゃうわよ!」
互いの顔を見つめ合い、柔らかく笑みを交わす。
僕と奈津美先輩は並び立ち、光の差す扉をくぐっていった。
〈了〉
浅場南高校を卒業した僕は、そのまま隣県の大学で図書館情報学を学び、念願の司書資格を取った。
司書というのは、資格を取るまでなら割と簡単だ。単位さえ揃えれば、誰でも資格をもらえる。問題は、その先の就職。少ない枠を、多くの有資格者で奪い合うことになる。
そんな中、僕は幸運にも、地元浅場市の司書採用試験に一発合格することができた。大学に入ってからの四年間、寝食も忘れて必死に勉強してきた甲斐があったというものだ。
今では叔父さんが上司、陽菜乃さんは同じ係の先輩職員となっている。就職してから一年半、みっちりしごかれたおかげで、今ではようやく一端の仕事ができるようになってきた。
そして今日は、僕にとって初めての大仕事――主担当として企画したワークショップの当日だ。企画内容は子供向けの製本講座となっている。ワークショップの会場となっている多目的室では、参加者の子供たちが始まる時を今か今かと待ちわびている。
ただ……そんな子供たちの様子を部屋の外から見つつ、僕の心は焦燥で満ちていた。
「まったく、あの人はどうしていつもこうなのかな……!」
頭をガシガシと掻きながら、腕時計で時間を確認する。
時刻はさっき見た時とほぼ変わらず、午後一時十五分。ワークショップの開始十五分前だ。
それなのに、講師がいまだに到着していない。午前中にトラブルで少し到着が遅れるとメールが来ていたけど、まさかここまで遅れるとは……。
諸事情が重なって、今日フランスから帰国し、そのまま講師をやりに来るって言っていたけど……本当にあの人は、いつも僕をやきもきさせてくれる。こういうところは、まったく成長していないんだから。
「どうする、一ノ瀬君。子供たちに、ワークショップの開始時間が少し遅れるってアナウンスしとく?」
「いや、あと五分だけ待ちます。二十分になっても来ないようなら、アナウンスしましょう」
心配そうに声を掛けてきた陽菜乃さんに、もう少しだけ待ってもらえるように頼んでおく。いつもと違い、今日は僕が陽菜乃さんに指示を出す側だ。しっかりしなくてはならない。
ちなみに、課長である叔父さんは僕らの隣で苦笑している。この状況でも焦っていないところは、年季の違いというやつだろう。
すると、その時だ。僕らの背後から慌ただしい足音と、キャリーケースのキャスターが転がる音が聞こえてきた。
「すみません、遅くなりました! 空港でちょっと迷ってしまって……」
足音が止まり、後ろから荒い息遣いとともに、彼女の声が僕の鼓膜を打つ。
同時に、僕の胸が大きく高鳴った。焦燥感も一気に吹っ飛んでいく。
顔がにやけてしまいそうになるのを必死に堪え、背後へ振り返る。そこには、あの頃よりも少し大人びた最愛の人の姿があった。
「遅いですよ、奈津美先輩!」
「ごめんね、悠里君!」
憮然とした表情で文句を言う僕に、奈津美先輩は顔の前で手を合わせながら何度も「ごめん!」と謝ってきた。
姿は成長しても、性格はまったく変わっていない。そんなところが奈津美先輩らしくて、僕の胸の中がより一層温かくなってくる。
「私たち、先に中で準備しているから。こっちは任せておいて」
そう言って、陽菜乃さんと叔父さんは、多目的室の中に入っていった。多目的室の中で、子供たちに「もうすぐ始まりますよ。席について待っていてくださいね」とアナウンスをしている。
廊下には、僕と奈津美先輩だけが残された。
講座の打ち合わせとして何度もメールでやり取りをしたが、顔を見るのも、声を聞くのすらも七年ぶり。あえて顔を見たり声を聞いたりしないようにしてきたのだ。
去年、先輩が向こうで新人賞的なものを受賞したと聞いた時でさえも、「おめでとうございます!」と言いに行きたい気持ちをグッと堪えた。
すべては、奈津美先輩に見合う男となって再会するため……。
そして今、ようやくこの最愛の人の前まで辿り着けた。
「改めまして……久しぶりね、悠里君」
「ええ。七年ぶりですね、先輩」
息を整えた奈津美先輩は、七年前と同じ陽だまりのような笑顔を見せてくれた。
その笑顔に、僕も精一杯の笑みでもって応える。
「私、製本家になったわよ」
「僕も司書になりました」
交わされる短い言葉の中に、僕らのすべてが詰まっている。司書と製本家。それぞれが夢見た道を、僕らは歩き始めた。それはつまり、子供の頃の約束と七年前の願いを叶えるという果てのない道が、ようやく始まったということだ。
「あ、そうだ! 宿題の方も、ちゃんとやってきましたよ」
ワイシャツの上から付けていたエプロンのポケットから、虹色の本を取り出す。七年間ずっと持ち続けていた本は、表紙のクロスがこなれて、とても良い風合いを醸し出している。
そんな虹色の本を目にして、奈津美先輩はうれしそうに顔をほころばせた。
「中は講座が終わってから見てください。この七年間の出来事を、色々書いておきましたよ。――書籍部の復活と躍進とかね」
「そう……。それは楽しみだわ」
思いを馳せるように声を発した奈津美先輩は、続けて僕に期待の眼差しを向けた。
「それで、この子の名前はちゃんと決めてくれた?」
「もちろん!」
穏やかな笑みを浮かべ、軽く息を吸い込む。
そして僕は、ゆっくりとこの本の名前を口にした。
「この本の名前は……『パスレル』です」
僕の声が、図書館の廊下に木霊する。
パスレル。フランス語で、『架け橋』という意味の言葉だ。僕と先輩が離れていた七年間を埋め、これからの僕たちをつないでくれる、小さな虹の架け橋。それこそが、僕がこの本に与えた名前だ。
僕が考えた名前を気に入ってくれたのか、先輩はまたうれしそうに微笑んでくれた。そんな先輩の白くて小さな手に、『パスレル』をしっかりと手渡す。
「さて、子供たちが待ちくたびれています。そろそろ行きましょうか」
「ええ! 私、今日は頑張っちゃうわよ!」
互いの顔を見つめ合い、柔らかく笑みを交わす。
僕と奈津美先輩は並び立ち、光の差す扉をくぐっていった。
〈了〉
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