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第五章 宝探し
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文化祭が終わった二日後、奈津美先輩は予定通り高校を中退し、さらにその三日後にフランスへと旅立った。
僕は……奈津美先輩の見送りには行かなかった。行くべきではないと、わかっていたからだ。
見送りに行った真菜さんの話だと、奈津美先輩は『アルカンシエル』の一冊であるオレンジの文集を手に、とても晴れやかな顔で旅立っていったらしい。
僕が見送りに行かなかったことについて真菜さんが聞いたら、「もしここに来たら、ほっぺたを引っ叩いてやるところでした」と即答していたそうだ。真菜さんからのメールを読みながら、奈津美先輩らしいと笑ってしまった。
文化祭後、僕は正式に書籍部部長を引き継ぎ、最初の仕事をすることになった。書籍部の文集である『アルカンシエル』を、みんなに配る仕事だ。
真菜さんも、陽菜乃さんも、叔父さんも、九條先生も、渋谷先輩も、みんな喜んで文集を受け取ってくれた。大切にするよ、と言ってくれたみんなの言葉は、今も胸に残っている。ほんの少しだけど、先輩との約束の第一歩を踏み出せた気がした。
特に、久しぶりに会った渋谷先輩とは、話が弾んだ。奈津美先輩がフランスに旅立ったことを告げると、「栃折さんらしい」と苦笑していた。奈津美先輩の選んだ道を心配しつつも心から応援しているところが、渋谷先輩らしかった。
「栃折さんに負けないよう、一ノ瀬君も頑張って。部長の仕事も、それに君の夢のことも」
別れ際、渋谷先輩はそうやって僕にもエールを送ってくれた。去っていく渋谷先輩を見ながら、この人が僕の先輩で良かったと、素直に思えた。
そんないくつかの変化に慣れる間に、暦はいつの間にか十月となっていた。
資料室の窓からは、心地よい風が吹き込み、カーテンを揺らしている。昔はひとりになればプライベートスペースが持てるとか思っていたけど、ひとりの資料室は何だか静か過ぎて落ち着かなかった。僕もすっかり奈津美先輩に毒されてしまったということだろう。やれやれだ。
「やっぱり、来年の部員集めはしっかりやらないとな。今のまま、あと一年過ごすのは寂しいし」
部室を見回しながら、独り言を漏らす。
陽菜乃さんから始まり、真菜さんや渋谷先輩を経て、奈津美先輩から僕へと託された書籍部。その灯を絶やしてしまうのは、今では忍びなく感じる。
少ない人数でもいい。信頼できる後輩を見つけて、この灯を、未来へつなげていきたいと思う。それが多くの先輩たちから託された、僕の使命だと思うから。
「さてと! それじゃあ、家に帰って勧誘の作戦でも練るとしようかな。他の部に負けないような、派手な作戦を」
奈津美先輩が言い出しそうなことを口にしつつ、ソファーから立ち上がる。荷物をカバンに詰め、窓とカーテンを閉めた僕は、テーブルの上に目を落とした。
テーブルには、青い表紙の文集と虹色の表紙の小さな本が重ねて置いてある。僕は上に載せてあった虹色の本を手に取り、とあるページを開いた。奈津美先輩と勝負した日、付箋が貼られていたページだ。
そこには奈津美先輩が僕に宛てて書いてくれた、短いメッセージがあった。
【悠里君へ
昔、悠里君は私に『素敵な本をたくさん作ってね』と言いましたよね。私はこれから、悠里君との約束を果たすために、たくさん修業してきます。そして、立派な一人前の製本家になって、必ずここに――一人前の司書になった悠里君の隣に戻って来ます。だって、悠里君の隣が私にとって本当にいたい場所だから……。
それでね、私がフランスに行っている間、悠里君にひとつ宿題を出そうと思います!
悠里君、この本は私がいない間、私の代わりに悠里君と共に過ごしてほしいと思って作りました。製本家・栃折奈津美が、誰かひとりのことだけを想って作った最初の作品です。
だけど、この本の中身はまだ白紙。名前もありません。だから、私が戻ってくるまでに、この本にあなたの物語を綴ってください。小説でも、日記でも、詩でも、何でもいいの。あなたの言葉を記して、この本を本物の〝素敵な本〟にして、私に届けてください!
あなたが本当に私の本をみんなに届けられる人になったか、それでテストします。
次に会う時、立派な司書になったあなたがこの本を届けてくれることを、心の底から願っています!
栃折奈津美】
奈津美先輩のメッセージをもう一度読み返して、思わず苦笑してしまう。
本当に最後の最後まで、責任重大な宿題を残してくれたものだ。司書になるだけでも大変なのに、後輩遣いが荒いったらありゃしない。
でも――。
「任せてください、先輩」
旅立ったあの人に向けて、僕は手向け代わりに了承の言葉を贈る。
先輩だけじゃない。僕だって、もう覚悟は決めたんだ。自分も夢を叶えた上で、どこまでだってあの人と一緒に歩いていくって。まあこの宿題が、その第一歩ってところだ。
虹色の本を閉じて、青の文集と一緒にカバンへしまい、資料室を後にする。
ここからは、またしばらくひとりで歩く道だ。
でも、不安はない。この道の先で、必ずまたあの人に会えるってわかっているから。
あの人と同じように胸を張って、僕は最初の一歩を踏み出した――。
僕は……奈津美先輩の見送りには行かなかった。行くべきではないと、わかっていたからだ。
見送りに行った真菜さんの話だと、奈津美先輩は『アルカンシエル』の一冊であるオレンジの文集を手に、とても晴れやかな顔で旅立っていったらしい。
僕が見送りに行かなかったことについて真菜さんが聞いたら、「もしここに来たら、ほっぺたを引っ叩いてやるところでした」と即答していたそうだ。真菜さんからのメールを読みながら、奈津美先輩らしいと笑ってしまった。
文化祭後、僕は正式に書籍部部長を引き継ぎ、最初の仕事をすることになった。書籍部の文集である『アルカンシエル』を、みんなに配る仕事だ。
真菜さんも、陽菜乃さんも、叔父さんも、九條先生も、渋谷先輩も、みんな喜んで文集を受け取ってくれた。大切にするよ、と言ってくれたみんなの言葉は、今も胸に残っている。ほんの少しだけど、先輩との約束の第一歩を踏み出せた気がした。
特に、久しぶりに会った渋谷先輩とは、話が弾んだ。奈津美先輩がフランスに旅立ったことを告げると、「栃折さんらしい」と苦笑していた。奈津美先輩の選んだ道を心配しつつも心から応援しているところが、渋谷先輩らしかった。
「栃折さんに負けないよう、一ノ瀬君も頑張って。部長の仕事も、それに君の夢のことも」
別れ際、渋谷先輩はそうやって僕にもエールを送ってくれた。去っていく渋谷先輩を見ながら、この人が僕の先輩で良かったと、素直に思えた。
そんないくつかの変化に慣れる間に、暦はいつの間にか十月となっていた。
資料室の窓からは、心地よい風が吹き込み、カーテンを揺らしている。昔はひとりになればプライベートスペースが持てるとか思っていたけど、ひとりの資料室は何だか静か過ぎて落ち着かなかった。僕もすっかり奈津美先輩に毒されてしまったということだろう。やれやれだ。
「やっぱり、来年の部員集めはしっかりやらないとな。今のまま、あと一年過ごすのは寂しいし」
部室を見回しながら、独り言を漏らす。
陽菜乃さんから始まり、真菜さんや渋谷先輩を経て、奈津美先輩から僕へと託された書籍部。その灯を絶やしてしまうのは、今では忍びなく感じる。
少ない人数でもいい。信頼できる後輩を見つけて、この灯を、未来へつなげていきたいと思う。それが多くの先輩たちから託された、僕の使命だと思うから。
「さてと! それじゃあ、家に帰って勧誘の作戦でも練るとしようかな。他の部に負けないような、派手な作戦を」
奈津美先輩が言い出しそうなことを口にしつつ、ソファーから立ち上がる。荷物をカバンに詰め、窓とカーテンを閉めた僕は、テーブルの上に目を落とした。
テーブルには、青い表紙の文集と虹色の表紙の小さな本が重ねて置いてある。僕は上に載せてあった虹色の本を手に取り、とあるページを開いた。奈津美先輩と勝負した日、付箋が貼られていたページだ。
そこには奈津美先輩が僕に宛てて書いてくれた、短いメッセージがあった。
【悠里君へ
昔、悠里君は私に『素敵な本をたくさん作ってね』と言いましたよね。私はこれから、悠里君との約束を果たすために、たくさん修業してきます。そして、立派な一人前の製本家になって、必ずここに――一人前の司書になった悠里君の隣に戻って来ます。だって、悠里君の隣が私にとって本当にいたい場所だから……。
それでね、私がフランスに行っている間、悠里君にひとつ宿題を出そうと思います!
悠里君、この本は私がいない間、私の代わりに悠里君と共に過ごしてほしいと思って作りました。製本家・栃折奈津美が、誰かひとりのことだけを想って作った最初の作品です。
だけど、この本の中身はまだ白紙。名前もありません。だから、私が戻ってくるまでに、この本にあなたの物語を綴ってください。小説でも、日記でも、詩でも、何でもいいの。あなたの言葉を記して、この本を本物の〝素敵な本〟にして、私に届けてください!
あなたが本当に私の本をみんなに届けられる人になったか、それでテストします。
次に会う時、立派な司書になったあなたがこの本を届けてくれることを、心の底から願っています!
栃折奈津美】
奈津美先輩のメッセージをもう一度読み返して、思わず苦笑してしまう。
本当に最後の最後まで、責任重大な宿題を残してくれたものだ。司書になるだけでも大変なのに、後輩遣いが荒いったらありゃしない。
でも――。
「任せてください、先輩」
旅立ったあの人に向けて、僕は手向け代わりに了承の言葉を贈る。
先輩だけじゃない。僕だって、もう覚悟は決めたんだ。自分も夢を叶えた上で、どこまでだってあの人と一緒に歩いていくって。まあこの宿題が、その第一歩ってところだ。
虹色の本を閉じて、青の文集と一緒にカバンへしまい、資料室を後にする。
ここからは、またしばらくひとりで歩く道だ。
でも、不安はない。この道の先で、必ずまたあの人に会えるってわかっているから。
あの人と同じように胸を張って、僕は最初の一歩を踏み出した――。
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