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第四章 展示会と先輩の決意
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「先輩……?」
僕の視線の先で、奈津美先輩は儚い微笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。眉をハの字にして、困ったような、寂しいような、そんな色々な感情を混ぜた笑みで佇んでいた。
「先輩、どうかしたんですか? もしかして僕の誘い、ウザかったですか?」
「ううん、違うの」
やっぱりやり過ぎだったかと思って聞いてみると、奈津美先輩はすぐさま首を振った。
それが本心なのか、僕を気遣っての嘘なのか、その表情からははっきりしない。
僕がどうすればいいか迷っていると、奈津美先輩は「嘘じゃないわ」と続けて優しく声を掛けてくれた。
「誘ってくれて、すごくうれしいわ。今日だって、悠里君と一緒に展示を見ることができて、すごく楽しかったもの。またいっしょに来ることができたら、きっと今日よりも楽しいでしょうね」
「それじゃあ、何でそんな悲しそうに笑っているんですか?」
まるで今にも消えてしまいそうに、そんな儚く……。
口に出かけた言葉を、僕は必死に飲み込んだ。なぜかはわからないけど、嫌な予感がしたのだ。これを口に出してしまったら、良くないことが現実になってしまうような、そんな嫌な予感が……。
けれど、神様は残酷だ。言葉を飲み込んだ僕を嘲笑うかのように、時計の針を前へ前へと進めていく。
「……悠里君に、大事な話があるの」
「大事な……話……?」
表情を引き締めた奈津美先輩が、僕を正面から見つめた。
奈津美先輩の澄み切った瞳に、僕の顔が映り込む。迷子になってしまった子供のように情けない顔だ。動揺し、狼狽えている。
そんな僕の姿を見て、心を痛めたのだろうか。奈津美先輩が、少し辛そうに唇を噛んだ。
しかし、すぐにひとつ深呼吸をして、改めて僕の目を見据えた。
「悠里君の誘い、とてもうれしかったわ。でも、ごめんなさい。それを受けることはできないの」
「どうして……ですか?」
擦れた声で、奈津美先輩に尋ね返す。
頭の中では、警鐘が絶え間なく鳴り響いていた。虫の知らせというやつだ。これ以上先に進んだら、取り返しのつかないことになる。
それでも、聞かずにはいられなかった。
僕の眼前で、奈津美先輩は押し黙っている。理由を告げることを躊躇っている様子だ。
けれど、意を決したのだろう。
奈津美先輩は、僕にとって最悪の知らせを口にした。
「……文化祭のすぐ後に、私は高校を中退するわ。それで、フランスにいる祖父の知り合いのもとへ修行に行くの。だから……もう悠里君とお出掛けすることはできないの」
奈津美先輩の言葉が、僕の全身を稲妻のように駆け抜けた。
いや、むしろこれが本物の稲妻で、僕のことを一気に焼き尽くしてくれていたら、どんなに楽だっただろう。
呆然と立ち尽くしている僕に向かって、奈津美先輩は言葉を続ける。
要約すると、僕が市立図書館のイタズラの顛末を告げたあの日、奈津美先輩のお祖父さんのところに来客があったそうだ。その人はフランスで工房を開いている製本家で、お祖父さんの古くからの知り合いだったらしい。日本へ観光旅行に来たその人は、旧知の仲であるお祖父さんのところへ挨拶に来たのだ。
そして、工房でお祖父さんと話をしていた製本家は、一冊の本に目を止めた。
それは、奈津美先輩が二年前の文化祭で作った文集だった……。
『君の孫、高校卒業後は製本家になるための修行するつもりなんだよね。だったら、ぜひ僕の弟子として雇わせてくれないか。こんな素敵な本を作る子なら、育て甲斐がありそうだ。何なら高校卒業後なんて言わず、今すぐに来てもらってもいい!』
製本家は、お祖父さんへ熱心にそう申し出たらしい。
相手は本場フランスで活躍する、一流の製本家だ。孫を預ける先としては申し分ない。それに日本語も話せる人だから、言語面での障害も少ない。正に最高の修行先だ。
お祖父さんは、すぐに奈津美先輩へ電話を掛けた。これが、あの時の電話だ。
お祖父さんと製本家から話を聞いた奈津美先輩は、お盆休みの間に一生懸命考えたらしい。そして――フランスへ渡ることを決めたのだ。
僕の視線の先で、奈津美先輩は儚い微笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。眉をハの字にして、困ったような、寂しいような、そんな色々な感情を混ぜた笑みで佇んでいた。
「先輩、どうかしたんですか? もしかして僕の誘い、ウザかったですか?」
「ううん、違うの」
やっぱりやり過ぎだったかと思って聞いてみると、奈津美先輩はすぐさま首を振った。
それが本心なのか、僕を気遣っての嘘なのか、その表情からははっきりしない。
僕がどうすればいいか迷っていると、奈津美先輩は「嘘じゃないわ」と続けて優しく声を掛けてくれた。
「誘ってくれて、すごくうれしいわ。今日だって、悠里君と一緒に展示を見ることができて、すごく楽しかったもの。またいっしょに来ることができたら、きっと今日よりも楽しいでしょうね」
「それじゃあ、何でそんな悲しそうに笑っているんですか?」
まるで今にも消えてしまいそうに、そんな儚く……。
口に出かけた言葉を、僕は必死に飲み込んだ。なぜかはわからないけど、嫌な予感がしたのだ。これを口に出してしまったら、良くないことが現実になってしまうような、そんな嫌な予感が……。
けれど、神様は残酷だ。言葉を飲み込んだ僕を嘲笑うかのように、時計の針を前へ前へと進めていく。
「……悠里君に、大事な話があるの」
「大事な……話……?」
表情を引き締めた奈津美先輩が、僕を正面から見つめた。
奈津美先輩の澄み切った瞳に、僕の顔が映り込む。迷子になってしまった子供のように情けない顔だ。動揺し、狼狽えている。
そんな僕の姿を見て、心を痛めたのだろうか。奈津美先輩が、少し辛そうに唇を噛んだ。
しかし、すぐにひとつ深呼吸をして、改めて僕の目を見据えた。
「悠里君の誘い、とてもうれしかったわ。でも、ごめんなさい。それを受けることはできないの」
「どうして……ですか?」
擦れた声で、奈津美先輩に尋ね返す。
頭の中では、警鐘が絶え間なく鳴り響いていた。虫の知らせというやつだ。これ以上先に進んだら、取り返しのつかないことになる。
それでも、聞かずにはいられなかった。
僕の眼前で、奈津美先輩は押し黙っている。理由を告げることを躊躇っている様子だ。
けれど、意を決したのだろう。
奈津美先輩は、僕にとって最悪の知らせを口にした。
「……文化祭のすぐ後に、私は高校を中退するわ。それで、フランスにいる祖父の知り合いのもとへ修行に行くの。だから……もう悠里君とお出掛けすることはできないの」
奈津美先輩の言葉が、僕の全身を稲妻のように駆け抜けた。
いや、むしろこれが本物の稲妻で、僕のことを一気に焼き尽くしてくれていたら、どんなに楽だっただろう。
呆然と立ち尽くしている僕に向かって、奈津美先輩は言葉を続ける。
要約すると、僕が市立図書館のイタズラの顛末を告げたあの日、奈津美先輩のお祖父さんのところに来客があったそうだ。その人はフランスで工房を開いている製本家で、お祖父さんの古くからの知り合いだったらしい。日本へ観光旅行に来たその人は、旧知の仲であるお祖父さんのところへ挨拶に来たのだ。
そして、工房でお祖父さんと話をしていた製本家は、一冊の本に目を止めた。
それは、奈津美先輩が二年前の文化祭で作った文集だった……。
『君の孫、高校卒業後は製本家になるための修行するつもりなんだよね。だったら、ぜひ僕の弟子として雇わせてくれないか。こんな素敵な本を作る子なら、育て甲斐がありそうだ。何なら高校卒業後なんて言わず、今すぐに来てもらってもいい!』
製本家は、お祖父さんへ熱心にそう申し出たらしい。
相手は本場フランスで活躍する、一流の製本家だ。孫を預ける先としては申し分ない。それに日本語も話せる人だから、言語面での障害も少ない。正に最高の修行先だ。
お祖父さんは、すぐに奈津美先輩へ電話を掛けた。これが、あの時の電話だ。
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