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第四章 展示会と先輩の決意
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書籍部の文集作りは、おおむね予定通りに進んだ。
お盆明けには僕も奈津美先輩も担当部分の原稿を書き上げ、今は製本の作業に入っている。ただでさえ狭い書籍部の部室は、奈津美先輩が家から持ってきた製本用の器具類や材料でいっぱいだ。さすがにこの中で作業することはできないので、今はひとつ上の階にある技術室が主な活動場所となっている。
もちろん、奈津美先輩の宿題についても滞りはない。模造紙にでかでかと書いた進捗表を部室に貼り付け、毎日進行状況を記入させている。本人は「恥ずかしい~」と毎日涙目だが、ここで甘やかしたりはしない。そんなことをすれば、割を食うのは僕だから。
そう。すべては順調、視界良好で問題なし……なんだけど……。
「悠里君、そこの三角定規取って」
言われた通り三角定規を手に取り、奈津美先輩に差し出す。
奈津美先輩が三角定規に手を触れた瞬間、その指が僕の指に当たった。
――ビクッ!
瞬間、僕は飛び退くようにサッと手を引っ込めた。
あの日以来、ずっとこんな感じだ。奈津美先輩を見ていると顔が赤くなる。少しでも触れようものなら、体が硬直する。完全に挙動不審だ。
「悠里君、どうかしたの?」
「いえ、別に……。ほら、作業を続けましょう?」
「ん~?」
おかげで、今みたいに奈津美先輩から訝しげな目で見られることも、しばしばだ。とりあえず、視線がかち合わないように逸らしておく。
今までこんなことなかったのに、僕は一体どうしてしまったのだろう。ああ、恥ずかし過ぎて、穴を掘って埋まりたい。
ただ、おかしいのは僕だけではない。奈津美先輩も、ここのところおかしいのだ。
あ、いや、奈津美先輩がおかしいのは、いつものことだけれども。むしろ、おかしくない時を探す方が大変だけれども。
それはさておき、ちょうど僕と時を同じくして、奈津美先輩の挙動もどこか変になった。
時折、遠くを見たり、何か考え込んでいたり、僕の方を見てソワソワしたり……。こちらも明らかに挙動不審だ。文集作りと宿題はちゃんとこなしているので、特に問題はないけど。
というわけで、現在の僕らは、傍から見るとかなり怪しいふたり組となっていた。
「ところで悠里君」
「え? あ、はい!」
考え事をしていたところで、不意に奈津美先輩が声を掛けてきた。
やばい。今の、かなり声が裏返っていた気がする。
もっとも、奈津美先輩は僕の動揺なんて気にしていない様子だ。というか、よく見たら奈津美先輩の方が僕よりも緊張しているっぽい。なんか油が切れたブリキ人形のようにギクシャクした動きだ。
「明日の金曜日なんだけどね、悠里君、暇?」
「明日ですか? 特に用事はないので、暇と言えば暇ですけど……」
「――ッ! そ、そうっ! だったら!」
勢いよく立ち上がった奈津美先輩が、僕に迫る。
突然のことに驚きながら見上げると、奈津美先輩は僕に向かって一枚のチラシを差し出した。
「明日、一緒にこれを観に行かない?」
勢いに押されるままにチラシを受け取り、目を通す。
それは、駅ビルで開催されている古書の展示即売会のチラシだった。
「その展示即売会ね、〝近代印刷の三大美書〟も展示されているの。だから、ぜひ観に行きたいと思っているんだけど……悠里君もどうかな~って思って」
髪の襟足を指にクルクル巻きながら、奈津美先輩が言う。
なるほど、〝近代印刷の三大美書〟か。確か、ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』、アシェンデン・プレスの『ダンテ著作集』、ダヴズ・プレスの『欽定英訳聖書』のことだったかな? 前に何かの本で読んだことがある。
実物をこの目で見られるのなら、それは見てみたい。他にも歴史に名を残す銘品が多く展示されるみたいだし、なかなかおもしろそうだ。
「いいですよ。僕もこれ、興味あります」
「ほ、ホント!」
僕が頷くと、奈津美先輩の顔色がパッと華やいだ。
そうまで喜ばれると、なんだか心がくすぐったくなる。
「それじゃあ、明日の午後一時に駅前集合ね」
「わかりました。先輩、真菜さんのところへ行った時みたいに、遅刻しないでくださいよ」
僕がからかい交じりに言うと、奈津美先輩が「今度は大丈夫よ」と腰に手を当てて胸を張った。
本当に大丈夫かな、この人。こうやって自信満々な時は、大抵失敗するフラグなんだけど……。
まあ、今回は完全に私用なわけだし、多少遅刻しても問題ないか。僕も「じゃあ信じます」と返しておいた。
古書の展示即売会か。そういった催しに行くのは初めてだけど、楽しみだ。
僕は製本の作業を進めながら、展示されているであろう芸術的な本に思いを馳せた。
お盆明けには僕も奈津美先輩も担当部分の原稿を書き上げ、今は製本の作業に入っている。ただでさえ狭い書籍部の部室は、奈津美先輩が家から持ってきた製本用の器具類や材料でいっぱいだ。さすがにこの中で作業することはできないので、今はひとつ上の階にある技術室が主な活動場所となっている。
もちろん、奈津美先輩の宿題についても滞りはない。模造紙にでかでかと書いた進捗表を部室に貼り付け、毎日進行状況を記入させている。本人は「恥ずかしい~」と毎日涙目だが、ここで甘やかしたりはしない。そんなことをすれば、割を食うのは僕だから。
そう。すべては順調、視界良好で問題なし……なんだけど……。
「悠里君、そこの三角定規取って」
言われた通り三角定規を手に取り、奈津美先輩に差し出す。
奈津美先輩が三角定規に手を触れた瞬間、その指が僕の指に当たった。
――ビクッ!
瞬間、僕は飛び退くようにサッと手を引っ込めた。
あの日以来、ずっとこんな感じだ。奈津美先輩を見ていると顔が赤くなる。少しでも触れようものなら、体が硬直する。完全に挙動不審だ。
「悠里君、どうかしたの?」
「いえ、別に……。ほら、作業を続けましょう?」
「ん~?」
おかげで、今みたいに奈津美先輩から訝しげな目で見られることも、しばしばだ。とりあえず、視線がかち合わないように逸らしておく。
今までこんなことなかったのに、僕は一体どうしてしまったのだろう。ああ、恥ずかし過ぎて、穴を掘って埋まりたい。
ただ、おかしいのは僕だけではない。奈津美先輩も、ここのところおかしいのだ。
あ、いや、奈津美先輩がおかしいのは、いつものことだけれども。むしろ、おかしくない時を探す方が大変だけれども。
それはさておき、ちょうど僕と時を同じくして、奈津美先輩の挙動もどこか変になった。
時折、遠くを見たり、何か考え込んでいたり、僕の方を見てソワソワしたり……。こちらも明らかに挙動不審だ。文集作りと宿題はちゃんとこなしているので、特に問題はないけど。
というわけで、現在の僕らは、傍から見るとかなり怪しいふたり組となっていた。
「ところで悠里君」
「え? あ、はい!」
考え事をしていたところで、不意に奈津美先輩が声を掛けてきた。
やばい。今の、かなり声が裏返っていた気がする。
もっとも、奈津美先輩は僕の動揺なんて気にしていない様子だ。というか、よく見たら奈津美先輩の方が僕よりも緊張しているっぽい。なんか油が切れたブリキ人形のようにギクシャクした動きだ。
「明日の金曜日なんだけどね、悠里君、暇?」
「明日ですか? 特に用事はないので、暇と言えば暇ですけど……」
「――ッ! そ、そうっ! だったら!」
勢いよく立ち上がった奈津美先輩が、僕に迫る。
突然のことに驚きながら見上げると、奈津美先輩は僕に向かって一枚のチラシを差し出した。
「明日、一緒にこれを観に行かない?」
勢いに押されるままにチラシを受け取り、目を通す。
それは、駅ビルで開催されている古書の展示即売会のチラシだった。
「その展示即売会ね、〝近代印刷の三大美書〟も展示されているの。だから、ぜひ観に行きたいと思っているんだけど……悠里君もどうかな~って思って」
髪の襟足を指にクルクル巻きながら、奈津美先輩が言う。
なるほど、〝近代印刷の三大美書〟か。確か、ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』、アシェンデン・プレスの『ダンテ著作集』、ダヴズ・プレスの『欽定英訳聖書』のことだったかな? 前に何かの本で読んだことがある。
実物をこの目で見られるのなら、それは見てみたい。他にも歴史に名を残す銘品が多く展示されるみたいだし、なかなかおもしろそうだ。
「いいですよ。僕もこれ、興味あります」
「ほ、ホント!」
僕が頷くと、奈津美先輩の顔色がパッと華やいだ。
そうまで喜ばれると、なんだか心がくすぐったくなる。
「それじゃあ、明日の午後一時に駅前集合ね」
「わかりました。先輩、真菜さんのところへ行った時みたいに、遅刻しないでくださいよ」
僕がからかい交じりに言うと、奈津美先輩が「今度は大丈夫よ」と腰に手を当てて胸を張った。
本当に大丈夫かな、この人。こうやって自信満々な時は、大抵失敗するフラグなんだけど……。
まあ、今回は完全に私用なわけだし、多少遅刻しても問題ないか。僕も「じゃあ信じます」と返しておいた。
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