37 / 62
第三章 書架の暗号
4
しおりを挟む
図書館での職業体験と取材を終えて、二日後。
僕と奈津美先輩は、書籍部の部室で原稿の執筆作業に取り掛かっていた。
「あう~。文章を書くのって、どうしてこんなに難しいの~」
対面に座る奈津美先輩が、今日何度目になるかわからない弱音を漏らす。
書籍部夏の風物詩〝嘆きの奈津美先輩〟だ。去年もずっとこんな感じだったから、僕ももう慣れた。
「口じゃなくて、手を動かしてください。そんなんじゃあ、スケジュール通りに原稿を上げられませんよ」
「むぅ~。大丈夫よ。去年だって、何だかんだ言ってスケジュールは守ったじゃない」
「そうでしたね。代わりに宿題にまったく手をつけていなくて、僕が手伝う羽目になりましたが……」
夜中に泣きながら電話してきたから何事かと思ったら、「宿題手伝って~!」だ。
おかげで僕は、夏休みラスト三日間、部室で奈津美先輩の宿題を手伝わされる羽目になった。
「今年は宿題を手伝う気はないので、原稿と一緒に計画的に進めてくださいね」
「……悠里君、言い方がトゲトゲしているわ。嫌な感じ~」
「後輩に宿題をやらせるどこかの先輩より、よっぽど良心的で優しいと思いますけどね」
「むぅ~~~~」
不服そうに唸った奈津美先輩が、ふくれっ面で原稿用紙に向かう。
耳を澄ましてみれば、「宿題も原稿もひとりで終わらせて、目にもの見せてやるんだから」という恨み節が聞こえてきた。
あのですね、先輩。それ、当たり前のことですからね。僕だってひとりで原稿を終わらせますし、宿題だって七月中に終えていますからね。
はぁ……。まったく、この人は。
この間の図書館の件で、少しは見直していたのにな。奈津美先輩は、やっぱり奈津美先輩だ。
「あ、そうだ。そういえば昨日、叔父さんから電話がありました。例のイタズラの件で」
ふと思い出してつぶやくと、奈津美先輩がピクリと反応して顔を上げた。
黒く澄んだ瞳が僕を見つめる。続きを聞かせてほしいとせがんでいるようだ。
「陽菜乃さん、僕らが帰った後、あの棚にちょっとした細工をしたそうです。『本で暗号を送るのもいいけど、大切なことは言葉にしてあげてね』って、棚の奥にカードを貼り付けたんだとか」
イタズラがされていたのは、書架の最下段。そこの奥に仕掛けられたカードは、棚を覗き込まなければ見ることはできない。つまり、犯人にだけ届く図書館からのメッセージになるのだ。
「で、どうなったの?」
「最後のイタズラは、行われなかったみたいです。けど、代わりにイタズラの犯人がふたり揃って謝りに来てくれたそうですよ。事情を聞いたら、先輩の推理そのままの真相だったらしいです」
叔父さんの話を思い出しながら、事の顛末を奈津美先輩に伝えていく。
きちんと謝りに来た子供たちに対して、陽菜乃さんは僕らとの約束を守ってくれたそうだ。厳しく叱ることはなく、子供たちに「謝ってくれてありがとう」と優しく語りかけていた、と叔父さんは言っていた。
「そう……。良かった」
奈津美先輩がうれしそうに、そしてどこか安心したように笑う。
その笑顔を見ていると心が妙にくすぐったくなって、僕はちょっとからかうように声を掛けた。
「うれしそうですね、先輩。推理が当たっていて、得意満面って感じですか?」
「ん? ん~、そうね。推理が当たっていたことは正直どうでもいいけど、子供たちが仲直りできたことは、素直にうれしいわ。それに……」
「それに?」
僕が首を傾げると、奈津美先輩は木漏れ日のように温かく微笑んだ。
「私の当てずっぽうな推理を信じてくれた悠里君を、悲しませずに済んで良かったな~って」
若干恥ずかし気に頬を掻きながら、奈津美先輩が心の内を明かしてくれる。
瞬間、僕の胸が大きく高鳴った。顔がどんどん熱く火照っていくのを感じる。必死に胸を押さえつけても、鼓動が治まらない。
なんだ? 一体どうしたんだ?
思わぬ体の反応に、戸惑いを覚える。その間にも体の熱は高まっていき、鼓動はどこまでも大きくなっていく。胸が締め付けられているみたいなのに、どこかくすぐったく温かい。これまでに感じたことがない妙な感覚に、僕は困惑した。
と、その時だ。
奈津美先輩のカバンから軽快な音楽が鳴り響いた。
「悠里君、ごめんね。ちょっと外に出てくるわ」
「あ、はい。いってらっしゃい」
僕の動揺など露知らず、奈津美先輩はスマホを片手に書架の森に消えていく。
その後ろ姿を、僕は呆然と見送ることしかできなかった。
僕と奈津美先輩は、書籍部の部室で原稿の執筆作業に取り掛かっていた。
「あう~。文章を書くのって、どうしてこんなに難しいの~」
対面に座る奈津美先輩が、今日何度目になるかわからない弱音を漏らす。
書籍部夏の風物詩〝嘆きの奈津美先輩〟だ。去年もずっとこんな感じだったから、僕ももう慣れた。
「口じゃなくて、手を動かしてください。そんなんじゃあ、スケジュール通りに原稿を上げられませんよ」
「むぅ~。大丈夫よ。去年だって、何だかんだ言ってスケジュールは守ったじゃない」
「そうでしたね。代わりに宿題にまったく手をつけていなくて、僕が手伝う羽目になりましたが……」
夜中に泣きながら電話してきたから何事かと思ったら、「宿題手伝って~!」だ。
おかげで僕は、夏休みラスト三日間、部室で奈津美先輩の宿題を手伝わされる羽目になった。
「今年は宿題を手伝う気はないので、原稿と一緒に計画的に進めてくださいね」
「……悠里君、言い方がトゲトゲしているわ。嫌な感じ~」
「後輩に宿題をやらせるどこかの先輩より、よっぽど良心的で優しいと思いますけどね」
「むぅ~~~~」
不服そうに唸った奈津美先輩が、ふくれっ面で原稿用紙に向かう。
耳を澄ましてみれば、「宿題も原稿もひとりで終わらせて、目にもの見せてやるんだから」という恨み節が聞こえてきた。
あのですね、先輩。それ、当たり前のことですからね。僕だってひとりで原稿を終わらせますし、宿題だって七月中に終えていますからね。
はぁ……。まったく、この人は。
この間の図書館の件で、少しは見直していたのにな。奈津美先輩は、やっぱり奈津美先輩だ。
「あ、そうだ。そういえば昨日、叔父さんから電話がありました。例のイタズラの件で」
ふと思い出してつぶやくと、奈津美先輩がピクリと反応して顔を上げた。
黒く澄んだ瞳が僕を見つめる。続きを聞かせてほしいとせがんでいるようだ。
「陽菜乃さん、僕らが帰った後、あの棚にちょっとした細工をしたそうです。『本で暗号を送るのもいいけど、大切なことは言葉にしてあげてね』って、棚の奥にカードを貼り付けたんだとか」
イタズラがされていたのは、書架の最下段。そこの奥に仕掛けられたカードは、棚を覗き込まなければ見ることはできない。つまり、犯人にだけ届く図書館からのメッセージになるのだ。
「で、どうなったの?」
「最後のイタズラは、行われなかったみたいです。けど、代わりにイタズラの犯人がふたり揃って謝りに来てくれたそうですよ。事情を聞いたら、先輩の推理そのままの真相だったらしいです」
叔父さんの話を思い出しながら、事の顛末を奈津美先輩に伝えていく。
きちんと謝りに来た子供たちに対して、陽菜乃さんは僕らとの約束を守ってくれたそうだ。厳しく叱ることはなく、子供たちに「謝ってくれてありがとう」と優しく語りかけていた、と叔父さんは言っていた。
「そう……。良かった」
奈津美先輩がうれしそうに、そしてどこか安心したように笑う。
その笑顔を見ていると心が妙にくすぐったくなって、僕はちょっとからかうように声を掛けた。
「うれしそうですね、先輩。推理が当たっていて、得意満面って感じですか?」
「ん? ん~、そうね。推理が当たっていたことは正直どうでもいいけど、子供たちが仲直りできたことは、素直にうれしいわ。それに……」
「それに?」
僕が首を傾げると、奈津美先輩は木漏れ日のように温かく微笑んだ。
「私の当てずっぽうな推理を信じてくれた悠里君を、悲しませずに済んで良かったな~って」
若干恥ずかし気に頬を掻きながら、奈津美先輩が心の内を明かしてくれる。
瞬間、僕の胸が大きく高鳴った。顔がどんどん熱く火照っていくのを感じる。必死に胸を押さえつけても、鼓動が治まらない。
なんだ? 一体どうしたんだ?
思わぬ体の反応に、戸惑いを覚える。その間にも体の熱は高まっていき、鼓動はどこまでも大きくなっていく。胸が締め付けられているみたいなのに、どこかくすぐったく温かい。これまでに感じたことがない妙な感覚に、僕は困惑した。
と、その時だ。
奈津美先輩のカバンから軽快な音楽が鳴り響いた。
「悠里君、ごめんね。ちょっと外に出てくるわ」
「あ、はい。いってらっしゃい」
僕の動揺など露知らず、奈津美先輩はスマホを片手に書架の森に消えていく。
その後ろ姿を、僕は呆然と見送ることしかできなかった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
漫画のつくりかた
右左山桃
ライト文芸
サトちゃんの隣に居座るためなら何にだってなれる。
隣の家の幼なじみでも、妹みたいな女の子でも、漫画家のプロアシスタントにだって!
高校生の日菜子は、幼馴染で6つ年上の悟史のことが大大大好き。
全然相手にされていないけど、物心つく頃からずっと切ない片思い。
駆け出しの漫画家の悟史を支えたくて、プロアシスタントの道を志す。
恋人としてそばにいられなくても、技術者として手放せない存在になればいいんじゃない!?
打算的で一途過ぎる、日菜子の恋は実るのか。
漫画馬鹿と猪突猛進娘の汗と涙と恋のお話。
番外編は短編集です。
おすすめ順になってますが、本編後どれから読んでも大丈夫です。
番外編のサトピヨは恋人で、ほのぼのラブラブしています。
最後の番外編だけR15です。
小説家になろうにも載せています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる