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第三章 書架の暗号

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 図書館での職業体験と取材を終えて、二日後。
 僕と奈津美先輩は、書籍部の部室で原稿の執筆作業に取り掛かっていた。

「あう~。文章を書くのって、どうしてこんなに難しいの~」

 対面に座る奈津美先輩が、今日何度目になるかわからない弱音を漏らす。
 書籍部夏の風物詩〝嘆きの奈津美先輩〟だ。去年もずっとこんな感じだったから、僕ももう慣れた。

「口じゃなくて、手を動かしてください。そんなんじゃあ、スケジュール通りに原稿を上げられませんよ」

「むぅ~。大丈夫よ。去年だって、何だかんだ言ってスケジュールは守ったじゃない」

「そうでしたね。代わりに宿題にまったく手をつけていなくて、僕が手伝う羽目になりましたが……」

 夜中に泣きながら電話してきたから何事かと思ったら、「宿題手伝って~!」だ。
 おかげで僕は、夏休みラスト三日間、部室で奈津美先輩の宿題を手伝わされる羽目になった。

「今年は宿題を手伝う気はないので、原稿と一緒に計画的に進めてくださいね」

「……悠里君、言い方がトゲトゲしているわ。嫌な感じ~」

「後輩に宿題をやらせるどこかの先輩より、よっぽど良心的で優しいと思いますけどね」

「むぅ~~~~」

 不服そうに唸った奈津美先輩が、ふくれっ面で原稿用紙に向かう。
 耳を澄ましてみれば、「宿題も原稿もひとりで終わらせて、目にもの見せてやるんだから」という恨み節が聞こえてきた。

 あのですね、先輩。それ、当たり前のことですからね。僕だってひとりで原稿を終わらせますし、宿題だって七月中に終えていますからね。

 はぁ……。まったく、この人は。
 この間の図書館の件で、少しは見直していたのにな。奈津美先輩は、やっぱり奈津美先輩だ。

「あ、そうだ。そういえば昨日、叔父さんから電話がありました。例のイタズラの件で」

 ふと思い出してつぶやくと、奈津美先輩がピクリと反応して顔を上げた。
 黒く澄んだ瞳が僕を見つめる。続きを聞かせてほしいとせがんでいるようだ。

「陽菜乃さん、僕らが帰った後、あの棚にちょっとした細工をしたそうです。『本で暗号を送るのもいいけど、大切なことは言葉にしてあげてね』って、棚の奥にカードを貼り付けたんだとか」

 イタズラがされていたのは、書架の最下段。そこの奥に仕掛けられたカードは、棚を覗き込まなければ見ることはできない。つまり、犯人にだけ届く図書館からのメッセージになるのだ。

「で、どうなったの?」

「最後のイタズラは、行われなかったみたいです。けど、代わりにイタズラの犯人がふたり揃って謝りに来てくれたそうですよ。事情を聞いたら、先輩の推理そのままの真相だったらしいです」

 叔父さんの話を思い出しながら、事の顛末を奈津美先輩に伝えていく。
 きちんと謝りに来た子供たちに対して、陽菜乃さんは僕らとの約束を守ってくれたそうだ。厳しく叱ることはなく、子供たちに「謝ってくれてありがとう」と優しく語りかけていた、と叔父さんは言っていた。

「そう……。良かった」

 奈津美先輩がうれしそうに、そしてどこか安心したように笑う。
 その笑顔を見ていると心が妙にくすぐったくなって、僕はちょっとからかうように声を掛けた。

「うれしそうですね、先輩。推理が当たっていて、得意満面って感じですか?」

「ん? ん~、そうね。推理が当たっていたことは正直どうでもいいけど、子供たちが仲直りできたことは、素直にうれしいわ。それに……」

「それに?」

 僕が首を傾げると、奈津美先輩は木漏れ日のように温かく微笑んだ。

「私の当てずっぽうな推理を信じてくれた悠里君を、悲しませずに済んで良かったな~って」

 若干恥ずかし気に頬を掻きながら、奈津美先輩が心の内を明かしてくれる。
 瞬間、僕の胸が大きく高鳴った。顔がどんどん熱く火照っていくのを感じる。必死に胸を押さえつけても、鼓動が治まらない。

 なんだ? 一体どうしたんだ?

 思わぬ体の反応に、戸惑いを覚える。その間にも体の熱は高まっていき、鼓動はどこまでも大きくなっていく。胸が締め付けられているみたいなのに、どこかくすぐったく温かい。これまでに感じたことがない妙な感覚に、僕は困惑した。

 と、その時だ。
 奈津美先輩のカバンから軽快な音楽が鳴り響いた。

「悠里君、ごめんね。ちょっと外に出てくるわ」

「あ、はい。いってらっしゃい」

 僕の動揺など露知らず、奈津美先輩はスマホを片手に書架の森に消えていく。
 その後ろ姿を、僕は呆然と見送ることしかできなかった。
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