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第二章 書籍部の先輩
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てなわけで、夏休み初日。
「先輩、こっちです! 急いでください!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと家を出るのが遅くなっちゃって……」
すったもんだと色々あったけど、無事にこの日を迎えられた僕たちは、浅場駅隣接のバスターミナルで合流した。
と言っても、奈津美先輩は五分の遅刻だけど。駅から走ってきたのか、息を切らした奈津美先輩は、膝に手をついて呼吸を整えている。……と思ったら、立ち止まったことで一気に疲れが襲ってきたのか、その場にへたり込んでしまった。
駅からここまで、二百メートルもないはずなんだけどなぁ。まあ、階段があるから、高低差は多少あるけど。それにしたって、体力がなさ過ぎることに変わりはない。本当に奈津美先輩は、文化系の象徴のような人だ。
「ほら、これでも飲んで、落ち着いてください」
「あ、ありがとう……」
買ったばかりのお茶のペットボトルを、奈津美先輩に差し出す。
奈津美先輩はそれを震える手で受け取り、蓋を開けようとしたけど……力が入らなくてうまく開けられないらしい。
仕方ないので、もう一度ペットボトルを預かり、蓋を開けて渡してあげる。
そうしたら、奈津美先輩は一息で三分の一ほどのお茶を飲んでしまった。
「ふぅ……。ありがとう、悠里君。おかげで助かったわ」
「いえいえ。お役に立てたようで何よりです」
ペットボトルの蓋を締めながら、ようやく回復したらしい奈津美先輩が立ち上がる。
今日は学校ではないので、奈津美先輩の装いは見慣れた制服ではなく、白の半袖ブラウスに七分丈のデニム、白のスニーカーという出で立ちだ。背中には紺色のおしゃれなリュックを背負っている。今日の取材と職場体験を考慮して、動きやすい服装にしてきたのだろう。髪もふたつに束ねておさげにしている。
何となくだけど、今の先輩は制服の時よりも大人っぽく見える気がする。制服マジックという言葉は聞いたことがあるけれど、私服マジックもあり得るのだと、僕はたった今知った。
「ん? どうかしたの、悠里君?」
「あ、いえ、別に……」
普段とは違う奈津美先輩の服装が珍しくて、思わず見入っていました。とは、さすがに言えない。いや、言いたくない。絶対つけあがるし、何より恥ずかしいから。よって、僕は曖昧に誤魔化して、奈津美先輩から目を逸らした。
よくよく考えてみれば、奈津美先輩と休みの日に会うのは、小学生の時以来だ。ふたりきりなのは部室でも同じなのに、今は少し緊張する。顔が火照っているのは、日差しの強さのせいだけではないだろう。
「そんなことより、さっさと行きましょう。到着が遅れたら、向こうの人たちに失礼です」
「うん、そうね」
ちょうどやって来た目的地行きのバスに乗り込む。
奈津美先輩の遅刻+回復時間で、すでに集合時間から十分が経過していた。
しかし、僕だって伊達に奈津美先輩と一年以上行動を共にしてはいない。こんなこともあろうかと、集合時間そのものを十五分早めに設定しておいたのだ。今ならまだ、先方に遅刻することはないだろう。
バスは、定刻通りにターミナルを出発した。向かう先は北。浅場市の山間部地域だ。
バスに揺られながら、奈津美先輩はこれから訪ねる真菜先輩や、真菜先輩が勤めている会社のことを教えてくれた。
「真菜さんが勤めている会社の社長さんは坂野一って方でね、紙資料の修復の名手として有名なの。この道五十年の大ベテランで、国宝クラスの掛け軸とかの修復も任される、本当にすごい職人なのよ」
「あ、その人なら、前に新聞のインタビュー記事で写真を見たことがあります。確か、人間国宝級の技術の持ち主だとか……。今日お世話になるのって、そんなすごい人の会社なんですか?」
緊張が手のひらに伝わり、じんわりと汗が浮かぶ。体も一気にカチコチだ。
人間国宝級の職人か……。そんなすごい人の会社に、僕らみたいな高校生がお邪魔して、本当に良いのだろうか。
「うふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。坂野先生は確かに仕事に厳しい人だけど、普段は優しい方だから」
「先輩、坂野先生とも知り合いなんですか?」
「うちのおじいちゃんと坂野先生は古くからの友人でね。小さい頃は、お正月にお年玉なんかもらっていたわ。真菜さんとも、私が中三の時に、坂野先生を通じて知り合ったの」
奈津美先輩と真菜先輩が知り合ったのは、今からちょうど三年前。夏休みに奈津美先輩が、お祖父さんのところへ遊びに来ていた時のことだそうだ。
当時、奈津美先輩は埼玉に住んでいて、高校から親元を離れてお祖父さんのところに引っ越す予定だったらしい。理由はもちろん、製本家としての修業を開始するためだ。
ただ、奈津美先輩は小学生の時に浅場市から引っ越したため、こちらの高校のことなどをよくわかっていなかった。そこで相談相手として、坂野先生が高校を卒業したばかりの真菜先輩を紹介してくれたそうだ。
奈津美先輩と真菜先輩は、会ってすぐに意気投合。今では一緒にお出掛けしたりする仲らしい。
「先輩、こっちです! 急いでください!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと家を出るのが遅くなっちゃって……」
すったもんだと色々あったけど、無事にこの日を迎えられた僕たちは、浅場駅隣接のバスターミナルで合流した。
と言っても、奈津美先輩は五分の遅刻だけど。駅から走ってきたのか、息を切らした奈津美先輩は、膝に手をついて呼吸を整えている。……と思ったら、立ち止まったことで一気に疲れが襲ってきたのか、その場にへたり込んでしまった。
駅からここまで、二百メートルもないはずなんだけどなぁ。まあ、階段があるから、高低差は多少あるけど。それにしたって、体力がなさ過ぎることに変わりはない。本当に奈津美先輩は、文化系の象徴のような人だ。
「ほら、これでも飲んで、落ち着いてください」
「あ、ありがとう……」
買ったばかりのお茶のペットボトルを、奈津美先輩に差し出す。
奈津美先輩はそれを震える手で受け取り、蓋を開けようとしたけど……力が入らなくてうまく開けられないらしい。
仕方ないので、もう一度ペットボトルを預かり、蓋を開けて渡してあげる。
そうしたら、奈津美先輩は一息で三分の一ほどのお茶を飲んでしまった。
「ふぅ……。ありがとう、悠里君。おかげで助かったわ」
「いえいえ。お役に立てたようで何よりです」
ペットボトルの蓋を締めながら、ようやく回復したらしい奈津美先輩が立ち上がる。
今日は学校ではないので、奈津美先輩の装いは見慣れた制服ではなく、白の半袖ブラウスに七分丈のデニム、白のスニーカーという出で立ちだ。背中には紺色のおしゃれなリュックを背負っている。今日の取材と職場体験を考慮して、動きやすい服装にしてきたのだろう。髪もふたつに束ねておさげにしている。
何となくだけど、今の先輩は制服の時よりも大人っぽく見える気がする。制服マジックという言葉は聞いたことがあるけれど、私服マジックもあり得るのだと、僕はたった今知った。
「ん? どうかしたの、悠里君?」
「あ、いえ、別に……」
普段とは違う奈津美先輩の服装が珍しくて、思わず見入っていました。とは、さすがに言えない。いや、言いたくない。絶対つけあがるし、何より恥ずかしいから。よって、僕は曖昧に誤魔化して、奈津美先輩から目を逸らした。
よくよく考えてみれば、奈津美先輩と休みの日に会うのは、小学生の時以来だ。ふたりきりなのは部室でも同じなのに、今は少し緊張する。顔が火照っているのは、日差しの強さのせいだけではないだろう。
「そんなことより、さっさと行きましょう。到着が遅れたら、向こうの人たちに失礼です」
「うん、そうね」
ちょうどやって来た目的地行きのバスに乗り込む。
奈津美先輩の遅刻+回復時間で、すでに集合時間から十分が経過していた。
しかし、僕だって伊達に奈津美先輩と一年以上行動を共にしてはいない。こんなこともあろうかと、集合時間そのものを十五分早めに設定しておいたのだ。今ならまだ、先方に遅刻することはないだろう。
バスは、定刻通りにターミナルを出発した。向かう先は北。浅場市の山間部地域だ。
バスに揺られながら、奈津美先輩はこれから訪ねる真菜先輩や、真菜先輩が勤めている会社のことを教えてくれた。
「真菜さんが勤めている会社の社長さんは坂野一って方でね、紙資料の修復の名手として有名なの。この道五十年の大ベテランで、国宝クラスの掛け軸とかの修復も任される、本当にすごい職人なのよ」
「あ、その人なら、前に新聞のインタビュー記事で写真を見たことがあります。確か、人間国宝級の技術の持ち主だとか……。今日お世話になるのって、そんなすごい人の会社なんですか?」
緊張が手のひらに伝わり、じんわりと汗が浮かぶ。体も一気にカチコチだ。
人間国宝級の職人か……。そんなすごい人の会社に、僕らみたいな高校生がお邪魔して、本当に良いのだろうか。
「うふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。坂野先生は確かに仕事に厳しい人だけど、普段は優しい方だから」
「先輩、坂野先生とも知り合いなんですか?」
「うちのおじいちゃんと坂野先生は古くからの友人でね。小さい頃は、お正月にお年玉なんかもらっていたわ。真菜さんとも、私が中三の時に、坂野先生を通じて知り合ったの」
奈津美先輩と真菜先輩が知り合ったのは、今からちょうど三年前。夏休みに奈津美先輩が、お祖父さんのところへ遊びに来ていた時のことだそうだ。
当時、奈津美先輩は埼玉に住んでいて、高校から親元を離れてお祖父さんのところに引っ越す予定だったらしい。理由はもちろん、製本家としての修業を開始するためだ。
ただ、奈津美先輩は小学生の時に浅場市から引っ越したため、こちらの高校のことなどをよくわかっていなかった。そこで相談相手として、坂野先生が高校を卒業したばかりの真菜先輩を紹介してくれたそうだ。
奈津美先輩と真菜先輩は、会ってすぐに意気投合。今では一緒にお出掛けしたりする仲らしい。
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