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第一話 ~春~ 再就職先は地獄でした。――いえ、比喩ではなく本当に。

首輪を持ってくるべきでした。

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「まあいいか。確かにここまで来てくれる人がいただけでも、有り難いことだ。それに獄卒達を相手にするのなら、これくらいの胆力があった方が良いかもしれんしな。――おーい、兼定かねさだ君、兼定くーん!」

 大きな手を打ち鳴らし、閻魔様が城の奥に向かって声を張り上げます。
 すると、カツカツという規則正しい足音と共に一人の男性――いえ、男性の姿をした鬼が出てきました。
 オールバックにした黒髪に、清潔感のある端正で優しげな顔立ち。身に付けた執事服がとてもよく似合う美青年です。
 見た目はほとんど人間と変わりませんけど、さらけ出された額に生える一本角と尖った耳が、彼を人外の者であると示していますね。

「お呼びですか、閻魔様」

 涼やか笑みを浮かべた執事さんは、定規で測ったかのように綺麗な礼をしながら、閻魔様に問い掛けます。
 今の所作一つ見ただけで、彼がいかに有能な人材かを推し量ることができますね。あれは、一朝一夕でできるものではありません。

「おお、兼定君。新しい司書の子が決まったのでな。これから地獄裁判所の案内と仕事の説明に行くから、付き合ってくれ」

「御意」

 もう一度閻魔様にお辞儀をした執事さんは、颯爽と私の方へやってきました。
 閻魔様の隣に立っていたので気づきませんでしたが、なかなか背が高いですね。百八十センチくらいはありそうです。

「あなたが、地獄分館の新たな司書ですね。初めまして、兼定と申します。閻魔大王の秘書官を務めております」

「ご丁寧にどうも。私は天野宏美と申します。この度、こちらの図書館の司書に就任させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします、兼定さん」

「ハハハ。あなたのような礼儀正しくお美しい方と仕事ができて、身に余る光栄です。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」

 兼定さんが差し出した右手を、しっかりと握り返します。嫌味や下心を感じさせずに女性を褒めるとは、さらにポイントが高いですね。やはりこの人、かなりのやり手です。
 ――などと私が一通りの分析をしていたら、キラリと白い歯を見せた兼定さんが付け足すように言いました。

「それと宏美さん、私のことを呼ぶ時は、どうぞ気軽に『豚』もしくは『ポチ』とお呼びください。蔑んだ風に言っていただけると、さらにうれしいです」

「花も恥じらう清廉潔白な乙女に、あなたは何を強要しているのです? そんなSMプレイじみたこと、恥ずかしくてできるわけがないじゃないですか。そこの煮えたぎる温泉で頭を煮沸消毒してきなさい、サノバビッチ」

「イエスッ! 喜んで!」

 輝く笑顔で小首を傾げながら返答してあげたら、兼定さんは躊躇わずに熱湯へダイブしました。
 とりあえず先程の分析は撤回することにいたしましょう。
 この執事、ただの残念変態イケメンでした。それも、超弩級のM。もう地獄に落ちればいいのに……。――って、ここが地獄でしたね。もうとっくに落ちていましたか。残念です。

 どうやら変態は、地獄でも治せないようですね。
 いえ、むしろ地獄に来ると変態をこじらせてしまうようです。なんたって、地獄のトップとその秘書官が揃ってメルヘン&ドMという度し難い変態なわけですから……。
 いやはや、勉強になりました。

(仕方ありません。私だけは地獄の良心として、常にまともであり続けるようにしましょう)

 心の中で固く誓います。
 その時、話の流れを見守っていた石上さんが、私の肩をポンポンと叩きました。

「話はまとまったようですね。では、小生は天国の方へ戻ります」

「ええ。ご案内いただき、ありがとうございました」

「いえいえ、お礼を言うのはこちらの方ですよ。――それでは宏美殿、御武運を。またお会いしましょう」

 最後に握手を交わし、石上さんは天国庁へ続くエレベーターの方へ去っていきました。
 思えば、あの世に来てから出会った人の中で、あの方が一番まともでしたね。 首輪でもつけて、使えるコマとして拉致っておくべきだったかもしれません。

 小さくなる石上さんの背中を見つめながら、私は惜しい人を帰してしまったと悔やむのでした。
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