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魂が叫んでるらしい

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「ああ……んっ……んんっ、ダメよ、エリカ! あなたにはヒカリがいるじゃな……あんっ! んっ……! そ、そこ……ダメって言って……あっ、も、もももうダメえええぇぇぇ! やめっ、ひゃっ! やめってぇえぇ!」


 やめってぇえぇ! じゃないのよ。
 なんだこれ。

 小さい「ぇ」と大きい「え」で遠近法を演出するな。

 ていうかがっつり百合本じゃねーか。
 いやノーマルを期待してたわけじゃないが。

 俺は、家に帰ってから田辺の同人誌を開いていた。
「熱き魂の叫び」とまで田辺は豪語してるんだ。

 一体何をそんなに叫んでいるんだと思って、試しに開いてみる事にした。
 そしたら本当に叫んでいた。キスナが。

 ページの上から下を、しおふ、いや吹き出しが貫いている。
 貫くほどの叫びらしい。

 まあ、こんな同人誌を読む必要なんてないんだが、無駄に表紙がよく描けてるからな。
 机の中でずっと眠らせててもあれだし、少しだけ興味もあった。
 魔が差したって事にしとこう。

「キスナさんっ! わ、私も、もうダメです……あぁっ、あっ⁉」

 でもこれ、本当に最後まで読んで大丈夫か?

「うっ……だ、大丈夫! わ、私はまだ大丈夫だからぁぁ‼」

 全然大丈夫じゃねーだろ。
 何言ってんだ。
 そして、俺にこういう趣味はないです。

「ほら、……はぁ……はぁ、キスナさんの、すごい事になってますよ……」

 本当だ、すごい事になってる。

「いや、やめよう……」

 俺は同人誌を閉じることにした。
 やめだよ、やめやめ。
 キスナは、大丈夫だからぁ!と叫んでいたが、全然大丈夫じゃないだろ。
 脱水症状になりそうだったぞ、あいつら。

 人間、あんなに水分出したらカラッカラになるだろ。
 サハラ砂漠でやってみろ。(?)


 その日は、大変寝つきが悪かった。
 たぶん、田辺のせいだ。
 明日は日直三日目。まだあと木曜も金曜もある。
 一週間てこんな長かったか?


 翌日になって学校へ行くと、すでに教室に田辺がいた。

「おはよう、木下」
「おう」
「どうしたの、木下。目の下に、濃いクマできてるけど大丈夫? 殴られた?」
 誰にだよ。
「大体お前のせいだ」
「?」

 今でも思い出しそうだった。
 やめってぇえぇ! じゃないのよ。
 朝から想像したくない。

「あ! もしかして~、私の魂の叫びを聞いたの?」
「ああ、そのもしかして、だ」
「へぇ~! あれをちゃんと最後まで読めるだなんて、木下には才能があるね!」
「いや最後まで読んでねーよ……」

 何の才能だよ。
 あってもいらねーよ。

「ええ⁉ なんで⁉ 一ページ目から熱い展開だったでしょ?」
「いや、わかんねーけど……とりあえず悪夢みたいなひと時だったわ」

 田辺は、ねぇなんで!と俺の制服を引っ張っりながら言った。
 伸びるからやめろ。

「とりあえず、今カバンに入ってるから、返しとくわ」
「まぁ、いいけどさ。それで、感想は?」

 キスナ様激熱な表紙の同人誌をカバンから抜き取り、田辺に差し出す。

「感想っていうか、とんでもないぞ、あれ」
「でしょ⁉ やっぱり私の力作はすごいんだよな~」

 そっちに勘違いできるのも、ある意味才能だな。

「いや、冒頭から山場持ってきてて、わけわからなかったわ」
「え~、それが斬新なんじゃん」

 田辺は溜め息をつきながら、黒板消しを綺麗にしていた。
 すごい。ちゃんと日直の仕事を理解してる。
 ちゃんと仕事してくれてて俺は嬉しいよ。

「斬新って、ある程度基本抑えないと使えないものじゃねーの」
「基本て?」
「ほら、起承転結とか、序破急みたいな」
「なるほどね~。ていうか、それ、この前お店で話してたあの木下が言う言葉なの?w」

 あ、まぁ、それ言われると痛いけど。

「けど読んでる人が混乱するような書き方はよくないだろ。何のために書いてんだよ」
「え~。私そんなに混乱させてたかなぁ?」
「まず、俺に前提知識が無いからな。それもあるのかもしれないが」
「あれ、本編見てればわかるんだけどなぁ~」

「どういうところからの話だったんだ? ていうか、そもそもあれ、if(イフ)ルート物なのか?」
「そうだね~。まぁ、本編のifって感じかな? これ話すと長くなっちゃうけど」
「いいや、話は今度な」

 ここで、なんで俺は断らないんだろうな。
 俺も、俺がよくわからない。

 今度な、とか言うと、妙に次回話してくれって言ってるように聞こえる。
 別に田辺に話してほしいとか、望んだ覚えないのにな。

「え? じゃあ今日ちょっと放課後、美術室きてよー」
「は⁉」

 なんで美術室?
 あ、そういえばこいつ美術部員だったっけ。

「嫌なんだ?」
「他の生徒いるんだろ。嫌だし、それは」
「……」

 なんだ。
 なんで黙ってるんだ。

「大体、この前喫茶店で話したのだって、学校で見られると良くないからって理由だっただろ」
「大丈夫だよー、今日だめでも明日は美術部おやすみだし!」

 それを先に言いなさい。

「そうか。じゃあ、そうするか」
「かっかっか! 私は先に美術室で待っているのだよ、木下君っ!」
「同じクラスだからホームルーム終わるの一緒だし、先もクソもねーけどな」

 授業途中でバックれるなら、先にっていうのもわかるけど。
 別にこいつはそんな事しないだろうし。

 それから俺達は急いで朝の日直の仕事を終わらせた。
 そういえば俺は美術室に行った事なかったんだ。

 うちの学校は、芸術科目が選択式で、そのうち俺が美術を選んだ事なんて一度もなかったからだ。
 選んでいれば、田辺とももっと早く出会ってしまっていたんだろうな。

 別の科目を選んでいたから、これだけ出会いが遅くなったんだ。

 よかったよかった。
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