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些細なおはなし 3

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「み、美咲! 夏弥ぁ!」
「二人とも大丈夫⁉」

 木の下に落下した二人だったが、なんとか無事だった。
 なぜなら、夏弥がとっさに手を引き寄せて彼女の下敷きになったからだ。

「なつ兄! なつ兄しっかりして⁉」

「おい! ど、どうしたんだ⁉」

「うぅ……うっぐ……ふえぇぇ……」

 未だ怖くて泣き止まない美咲。
 そのすぐそばで夏弥は仰向けに倒れたままだった。

 秋乃が駆け寄って夏弥に声をかけ続けるも、返事はない。
 打ちどころが悪かったのか意識を失っているらしい。

 それから間もなく、洋平が登っていた木から降りてきてすぐさま夏弥に駆け寄る。

「おい! 夏弥! 夏弥‼ 大丈夫か⁉ おい‼」

「なつ兄‼ 死んじゃヤダよ! 死なないで‼ 目を開けてぇぇぇー!」

 夏弥の安否が確かめられなくて、洋平にも秋乃にも不安が募る。
 不安の大きさに比例してひたすら必死に声をかける。

 でも、夏弥がそれに答えてくれることはなくて。

 しん……とした不気味な静けさが三人と一人のあいだに漂ったかと思うと、秋乃が感情を爆発させる。

「み、美咲ちゃんのせいだ! こんなことになったのは美咲ちゃんのせいなんだからね⁉」

「――――ふぇ……?」

「無茶して登って、降りられなくなったりして! 美咲ちゃんを助けるためになつ兄は上に登っていったんだよ⁉ ぜんぶ美咲ちゃんが悪いんだ‼」

 秋乃は涙目になりながら美咲に怒りをぶちまけていく。

 苦手なら初めから木登りなんてしないでほしかった。そうすれば少なくとも、自分の大好きなお兄ちゃんがこんな目に遭うことはなかった。

 そう感じていたのかもしれない。

「おい、夏弥! おい!」

 一方で、洋平はそのまま夏弥の肩を叩いたり、もう一度声をかけ続けていた。


「うっう…………うぐ……」

「なつ兄がこのまま目を覚まさなかったらどうすんの⁉ ひどいよこんなの!」

「うわぁぁぁぁん!」

 美咲の泣く声がまたしてもその場に大きく響いた。その時だった。

「あ、秋乃…………か、勝手に死んだことに……しないでくれよ……」

「な、夏弥⁉」
「なつ兄‼ だ、だだ大丈夫⁉」

 気絶していた夏弥が、苦しそうに目を覚ましたのだ。

「俺は生きて……るよ」

「無理に起きないほうがいいって!」

 洋平の制止を振り切り、夏弥は上体をゆっくりと起こす。

「そ、そうだよ、なつ兄! それに、腕から血が出てるじゃん! ……で、でもよかった……う、う、うわぁぁぁあああ! なづにいぃぃぃ‼」

 秋乃は嬉しすぎてポロポロと涙を流した。
 そのまま夏弥の胸へとダイブする。

「わっ……あっはは。ど、どうしたんだよ秋乃。お前まで美咲ちゃんみたいに泣き虫になったのか?」

「だっでぇー! だってごわがっだんだよぉ~~~‼ な、なつ兄がじんじゃうっておぼっだらぁぁぁ‼」

「あははは。だから死んでないって。この通り、生きてるってば」

 秋乃はわんわんと泣いた。
 夏弥のTシャツが秋乃の涙でどんどん濡れていく。
 無論、もともとシャツは汗で湿っていたのだけれど。

「な、夏弥……ごめんな? 美咲が、その……」

「ううん。いいんだよ」

 洋平に応えてから、夏弥はゆっくりと美咲に目を向けた。

「…………」

 美咲は夏弥の顔を見つめていたけれど、かける言葉が見つからないようだった。
 無理もないだろう。

 自分のせいで夏弥が失神し、死んでしまったのかと思えば、今度はその夏弥がちゃんと目を覚ましてくれた。

 極度の罪悪感から解放され、今度は極度の安堵だ。気持ちの端から端までを休みなく振り回されたような感覚で、ほとんど放心状態だった。

 どうしていいのかわからない。
 だから美咲は、そのあと夏弥から目をそらして顔を俯かせるしかなかった。
 それから、また再び涙腺が緩みだしてきて、

「うっう……あっぐ……」

「――美咲ちゃんも、もう泣かないでよ」

 そんな美咲の感情を子供ながらに夏弥は察したのか、ゆっくりと彼女のそばに歩み寄っていった。

 木から落ちたばかりなので、夏弥の身体はまだあちこち痛い。
 ただそれを顔に出すことはなかった。

「うっ……うう……」

「涙、ふいたら?」

 俯いていた美咲はとても申し訳なさそうに顔をあげる。
 かわいいその顔に、瞳からこぼれた涙の跡が残っていた。
 ゆれる木漏れ日にその透明な涙の道が白く光っている。

「ご、ごめんなざい……ほんとに、ごめんなざいぃぃ……」

「謝らないでよ。下敷きになったのは、俺がとっさに腕を伸ばして引き寄せちゃったからなんだ」

「へ……?」

 透きとおるくらい無垢な表情だ。
 そんな美咲に、夏弥はなんだかとても切なくなってしまう。

 その時、夏弥は気が付いてしまったのかもしれない。
 妹の秋乃と同じくらい美咲のことを大切に思い始めている、そんな自分に。

「そ、それに、カブトムシが捕れたのは美咲ちゃんのおかげなんだから――」

 そう言いながら、夏弥が美咲の頭を優しくなでてあげた。
 すぐそばに美咲の虫かごがあった。
 中にはもちろんさっき捕まえたカブトムシが入っている。

「――だからもっと笑っていいんだ。俺は笑ってる時の美咲ちゃんが好きだよ?」

「っ!」

「美咲ちゃんは、泣いてるときの自分が好き?」

「う、ううん……嫌い」

 夏弥は美咲のつややかな髪をそのまま優しくなでてあげた。
 すると、彼女は涙をサッとふいて言った。

「わ、笑うようにする。あたしも笑ってる時の自分が好き!」

「あははは! そっか。俺と気が合うね」

「ふふっ、あはは! あはははは!」


「はぁ~。とりあえず、夏弥が元気そうでよかった~」
「なつ兄……よかったぁ……」
 笑う二人に、洋平も秋乃もほっと胸をなでおろしていた。

 結局、この時カブトムシは一匹しか捕まえられなかった。
 世間から見ればなんてことはない小さなころの思い出である。
 でもそれは本人達からすれば特別なものかもしれない。

 少なくとも、こんな風にちょっとしたアクシデントが起きると、思い出として心に深く刻まれるもので。

 木々のすき間から見える飛行機雲が、水色の空に溶けだしていた。
 降り注ぐセミの声も、生い茂る葉の音も、夏の思い出に結び付く風物詩だ。

 小学生だった四人は、この夏がいつまでも続くような、そんな気がしていた。




※あとがき
 今回の挿話はこれにておしまいです。
 お読みいただきありがとうございました!
 次の投稿までお待ちください。
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