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「いや、普通に廊下とか、そういう所から洋平を見るのじゃダメなのかよ?」

「え? 二年生の教室がある廊下に、一年生の女子一人で行けっていうんですか……? そんなの絶対無理じゃないですか~。猛獣の檻に小鹿を投げ入れるようなものですよそれは」

「言えてるけど……。上級生の教室って、部活とか委員会の用事じゃなきゃ近寄れないよな。そういう空気があるのはわかる。俺も三年生の教室とか百パー行けないし」

「ですよねっ! あっ、ベランダに出てきました! 鈴川先ぱ……い……」

 芽衣は、視線の先に見える二階のベランダをまたしても指差した。
 指差した直後、彼女の言葉は尻すぼみになる。

「洋平……らしいな。アレは」

 同じ光景を目にした夏弥も、やや尻すぼみの弱弱しいセリフを吐く。

 それもそのはずで、ベランダにいたのは洋平だけじゃなかったのだ。
 クラスメイトの女子達もそこに一緒にいたのである。

 昼食を食べ終え、外の風に当たる洋平と一緒にわちゃわちゃと何か戯れているらしい。
 楽しげに笑う彼らの姿は、普段洋平と話す夏弥ですら眩しく見えた。

 青春を謳歌している真っ最中。アオハルストーリーのワンシーンに相応しい眩しさだ。
 夏弥は、その光景を見てしまった芽衣に、どう声をかけるべきか少しだけ悩んでいた。

(あれくらいは俺からすれば日常的な風景なんだけどな。高校で洋平を初めて知った芽衣からすると、少しショックが強いのかもしれない)

「気にするなよ、戸島。あれは平常運転。鈴川洋平は本日も通常通り営業しておりますって感じだ」

「うう……やっぱりモテモテですよね、鈴川先輩……」

「そうな」

「藤堂先輩、早くウチに恋愛指南をしてくださいっ。……あの! あのベランダで仲良く戯れてる二年生女子の先輩方に勝てるくらい! 有力な恋愛指南をっ!」

「うわっ」

 ベランダにいる女子達に指を差し、芽衣は大きく声を張り上げた。

 もし昼休みに体育館で遊ぶ生徒がいれば、その声はハッキリと聞こえていたことだろう。そのくらいバカでかい声だった。

「あ、ああ。協力な……。何か手を考えないでもないんだけど……。見返りの件はちゃんと準備できてるのか?」

 忘れてはいけない。これは夏弥のボランティア等の慈善活動なんかではなく、ある種の取引のようなもの。
 行きすぎた博愛主義者の聖人君子エピソードじゃない。
 そんなものは丸めて可燃ごみの日にでも出したほうが良い。

 打算に打算で答えると決めていた夏弥らしい返事だった。けれど、

「見返り、ですか。あのー、その件なんですけど……」

「ん?」

 芽衣が急に大人しくなる。
 しおしおとしぼみ始め、それまでの威勢の良さが嘘のようだった。
 手に持った巾着袋を左右に振り、言い出しづらい事情でも抱えているかのような素振りまで見せ始めている。

「……えっと、どうしたんだよ?」

「ご、ごめんなさいっ! ウチの知り合いみんなに午前中確認してみたんですど、全員やっぱり鈴川先輩が良いって言うんです!」

「う……。まぁ、そうだよね。うん」

 決して誰かにフラれたというわけでもないのに、夏弥の目の前は一瞬にして真っ白になった。

 これが神のすることなのか? 否、この世に神なんていやしない。
 
 そうして夏弥は改心して悟りの境地を開くべく頭を丸めてさあ出家。
 というわけにもいかない。

 もはや夏弥もこの程度の扱いには慣れている。けれど一度チャンスを見せられたため、その期待を裏切る芽衣の発言は効果バツグンだった。上げて落とすとはまさにこの事だ。

「あの……す、すみません……それで、ですね……」

 女子を紹介すると言い切っていた手前、芽衣はものすごく申し訳なさそうな顔で話を続けていた。

「お詫びの品っていうとアレなんですけど、よかったらウチのお弁当、食べますか?」

「……え?」

 あっけらかんとする夏弥の前で、芽衣は恥ずかしげに巾着袋のヒモをゆるめたのだった。


 特にスポーツに力を入れているわけでもない一般的な県立高校。
 体育館のギャラリーには座席なんて用意されてなくて、直接そのギャラリーの床に座るしかなかった。

 埃っぽい匂い。しんとした空気。
 そのひんやりとした無機質な床に直接腰をおろしていた男子生徒と女子生徒。
 それは無論、藤堂夏弥と戸島芽衣だ。

 芽衣が手にしていた巾着袋をゆっくりと開くと、中から可愛らしいオレンジ色の弁当箱が顔を出す。

「ど、どうぞ!」

「ほんとに、いいのか?」

 差し出された弁当箱を前にして、夏弥は少しためらいを見せた。

「大丈夫ですよ! 毒が入ってるとかじゃないので!」

「いやそういう問題じゃ……でもまぁ、いっか。交換条件がうまくいかなかった分てことで、ありがたくいただいておこうかな」

「さ、どうぞ」

 ぱかっと軽い音をさせて、夏弥はその弁当箱のフタを持ち上げた。
 見た目通りの女子お手製感たっぷりお弁当――かと思ったら全然そんなことはなかった。

「は? なんで……?」

「あのー、あははは!」

「いや笑ってごまかすな」

 夏弥の問いに、芽衣は一瞬目を背けた。
 開けられたオレンジ色の弁当箱には、入っている。

 どんな経緯で彼女の弁当箱にドーナツが敷き詰められていたのか。
 夏弥の頭を悩ませるには、十分すぎるカオスがそこにはあった。


 ◇ ◇ ◇


「実はウチの母がミスドで働いてるんですよね~」

 えへへ、とおてんば娘のような空気を出しながら芽衣はそう説明した。

「はぁ。で、お昼の中身が全部ドーナツ……?」

「はい! でも藤堂先輩って、ドーナツ好きなんですよね? みちゃんから聞きましたっ」

「いやいや。そういうあだ名が横行してただけって話で――」

「お願いします! そ、その、今先輩が持ってるパンと、このドーナツ。交換してください! いや、むしろドーナツだけ差し上げます!」

「……もしかして、母親がいっぱい持って帰ってくるせいで、もうドーナツ食べたくないって事かな……?」

 夏弥の問いに対し、芽衣はゆっくりと首を縦にふる。

「うーん。そんな言われてもなぁ……。俺も、嫌いじゃないけどたくさん食べるほど好きってわけじゃないし」

「うう……」

 迷える子羊なんて表現が似合いそうなくらい、芽衣の表情は不安に満ちている。

 よほど情のカケラもない男子ならこの子を見捨てるのだろうけれど、夏弥にだって情はある。そんな夏弥の情に、芽衣の表情はいちいち訴えかけてくるようで。

「あ、もしかしたらだけど、有効に使える良い方法があるよ」

「え、なんですかっ⁉」


 ――夏弥の提案に芽衣は目を丸くさせた。

 それは、夏弥が洋平と知り合った小学生時代のことを思えばなんてことはない話だった。

「ふむふむっ。なるほど。……ありがとうございますっ! その案いただきました! ごちそうさまですっ。早速明日にでも試してみます! また今日も母が新しいドーナツ持って帰ってくると思うので!」

「お役に立てたみたいでよかった。まぁ、交換条件ありきのつもりでいたんだけどね。ベランダにいるあんな楽しそうな洋平見ちゃったらなぁ……辛いよな、お前も」

「あ、憐れまないでくださいよ! 惨めになるじゃないですかぁ、そんなの!」

 そう拒まれても、夏弥は心のなかで彼女を憐れむことをやめなかった。
 洋平の件もそうだけれど、彼女については美咲の件も含めて憐れまずにはいられないのだ。

 表では友達のような立ち振る舞いをされていながら、裏では文字通り心無い扱いを受けていたりするのだから。

「それにしても、とっても有益な情報ですねこれ。やっぱり外堀の藤堂先輩から責めるのは正解でしたかっ」

「……正解だけど。戸島って、したたかな恋愛するタイプだったのか」

 夏弥は、自分が予想していた通りだったのかと確信を得る。

「外から攻めるのは恋愛のセオリーじゃないっすかぁ~」

「じゃあ美咲と話すようになったのも、そのセオリー?」

「え? いや~、みちゃんは違いますよ! みちゃんと話すようになってから鈴川先輩と兄妹なんだって知りましたし。あっ、ちゃんとこれ食べてください、ドーナツ! せめてこのチョコチップ多いのだけでも!」

「チョコチップが苦手なんだ?」

 芽衣に指をさされ、夏弥は久しぶりにチョコチップドーナツを口にした。
 弁当箱に押し込められていただけあって、形がゼロみたいに変形している。

「最初は好きでしたけどね。でもこういうデコり過ぎてるのって、割とすぐ飽きちゃうもんなんですよ。それよりもシンプルなドーナツのほうが、長くずっと食べてられるんです!」

「んぐっ……。なるほどな。それは一理あるのかも。というか、ドーナツは別に嫌いじゃないけど、やっぱり口とか喉の水分根こそぎ持ってかれるよな」

「ドーナツ屋さんが何言ってるんですか。ふふっ」

「そんな言うならもう食べない」

「あ、ちょっと⁉ Cの形でそっと戻さないでください⁉ それでもドーナツ屋さんですか⁉」

「これ全部Cにしたろか」

「じょ、冗談じゃないですか、藤堂せんぱ~い!」
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