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◇ ◇ ◇
夏弥は、夜道を芽衣と二人で歩いて帰ることになった。
暗い中で、あちこちに街明かりが見える。
お母さんが晩ごはんの支度をするための明かりか、仕事から帰ったお父さんがお風呂に浸かるための明かりか、宿題をする子供のための明かりか。
それぞれ、いろんな役目を持つ街の明かり達が、夏弥と芽衣の視界を彩っていた。
「藤堂先輩って、みちゃんと幼馴染なんですよね?」
夏弥の横を歩く芽衣が、特徴的なサイドテールの黒髪をゆらしながら訊いてくる。
そのゆれた髪は、街灯を過ぎるたびに前から後へと照らし出されていた。
「ああ。ほとんど、な。小学校までの付き合いだったけど」
「小学校までの」
「中学は顔合わせてなくて、高校一年の時も別に会う機会なかったから」
「なるー。みちゃんも言ってました。期間が空いちゃったんだって」
夏弥は、ちらりと彼女の顔を見た。
美咲とは違う系統の、可愛いらしい顔立ち。
ぱっちりとした瞳と、あどけなさの残る唇。
よく見ると、髪をサイドに束ねている赤色のフリルシュシュも、良いアクセントカラーになっている。
街灯を通り過ぎてしまうと、それらは薄暗さのせいで見えにくくなるのだけれど。
「あの、藤堂先輩」
「ん?」
「鈴川先輩と変な関係だって噂、ほんとですか?」
「……は?」
突然の質問に、夏弥は開いた口が塞がらなかった。
危うく、五月の夜をさまよう羽虫が口に入ってしまいそうになった。
「え、変な関係って、何……?」
「一部の女子のあいだで、鈴川先輩と藤堂先輩がソッチの方で怪しいんじゃないかって噂になってて……」
「いやいや。全然そういうの無いから!」
「そ、そうなんですか? でもいつも一緒ですよね?」
「そりゃあ友達だからね? 事実無根です。普通に男友達なだけなんだけど……?」
「あはははっ! そうだったんですね。ごめんなさい! じゃあ、すごく仲が良いんですね~」
「まぁ、腐れ縁ってやつだけどな……ははっ」
乾いた笑い声をあげる夏弥の様子を、芽衣は横目でじっと見る。
「藤堂先輩。こんなこと急にって思うかもしれないんですけど……」
「何?」
「ウ、ウチと連絡先、交換してくれませんか?」
「え、どうして?」
「あ、あの。実はウチ、鈴川先輩が……す、好きなんです!」
芽衣は、わざわざ夏弥が察しているその事実を恥ずかしそうに告白してきたのだった。
(洋平に対する想いが強いせいなのか? 気が動転しているっぽいな)
「あ、ああ。それは朝の一件があったから知ってんだけど……?」
「あっ、そうでした! すみません、朝の時のこと、ウチあんまり覚えてなくって……。で、そ、その……藤堂先輩に、協力してほしいなって思ったんです!」
「あ~……」
夏弥は考えを巡らせる。
この手の相談は、昔から鈴川洋平の友達を務める上でよく起きる出来事なのだ。
洋平がモテるせいで「まずは外堀を埋めよう作戦」を実行してくる女子が一定数いる。
外堀。つまり、夏弥や美咲のことである。
(ひょっとして、芽衣が美咲と仲良くしているのも外堀のうちなんじゃないのか……?)
こうした疑心暗鬼に頭を悩ませるのも、イケメン君と親しい間柄ならではの貴重な体験かもしれない。いや、貴重な体験というより、これは、もっと別種の何かだ。
本当は、もっと黒くて、どろどろとしているもの。
初めから目的地がはっきりとしていて、そこまでの線路をつなぐための作業。
そう。人はこれを「打算」と呼ぶ。
けれど、はっきりお願いしてきている分、芽衣はずっと真摯な女の子かもしれない。
わざわざ夏弥が察しているその事実を、恥ずかしそうに告白している点は、彼の中でもかなり好印象だった。
「協力できることなんて、別にないと思うんだけど」
「あ、ああありますよっ!」
「そう? あるなら、まぁ、暇つぶしにやろっかな……」
「うっ……そんな、スマホアプリを始めようかな的なノリで言わないでくださいよ……」
「だってさ、俺にメリットなくない? 芽衣ちゃんにはあるだろうけど」
「じゃ、じゃあ! ウチの友達、誰か紹介しますっ!」
「え?」
芽衣が予想外の言葉を口にしたので、夏弥は思わずその横顔を見つめた。
相変わらず、歩くたびに黒髪がゆれている。
「ウチのクラスの子、上級生と付き合いたいって子多いんですよね! まぁ大体、鈴川先輩なんですけど……」
「へぇ……さすがだな、洋平……」
「あははっ。あ、もしかして今、先輩って彼女さんとかいました?」
「いや、いないけど」
「え、じゃあいいじゃないですか!」
芽衣の言うように、夏弥が拒む理由なんて何ひとつなかった。
自分にもようやく、女子と付き合えそうなチャンスが回ってきたのだ。
今まで散々、洋平のアオハルストーリーの箸休め的存在として非モテライフを勤め上げてきた。勤め上げたくもなかったのに。
夏弥はそう自虐しつつ、目の前のチャンスをむんずとつかんでみることにした。
「それは……いいかもしれない。うん。いいな!」
「じゃあ契約成立、ですね。成立記念に、ライン交換しちゃいましょ? そっちのほうが何かと連絡取りやすいので!」
「ああ、それもそうだな!」
これは夏弥にとっても、芽衣にとっても、合理的な取引だった。
「打算」には「打算」を交換条件に。
それから夏弥は、芽衣とラインを交換した。
彼はあまり意識していなかったが、これが高校生になってから始めて女子と連絡先を交換した瞬間だった。(※秋乃を除く)
交換後、視線を前に戻しながら芽衣が話題を切り替える。
「あと、ちょっと思ったんですけど」
「ん?」
「藤堂先輩って、実は結構女の子に意識されるタイプなんじゃないですか?」
「え? なんで?」
「えっとー……ですねぇ……。ちょっとウチの名前、呼んでみてもらえます?」
促されるだけ嫌な予感しかしない夏弥だったけれど、その名前を声に出す。
「……芽衣ちゃん?」
「ほら! それですよ! どうしていきなり下の名前呼んじゃってるんですか~」
「えっと……?」
「普通、苗字にさん付けじゃないですか? それじゃあ、変に意識させちゃいますよ?」
「え、あっ、確かに……。と、「戸島さん」か。まぁでも、美咲のことを前まで美咲ちゃんって呼んでたからなぁ……。年下の子にはそう呼ぶのが当たり前になってて……ていうか、そうじゃないとむしろ俺の中では違和感があったりして」
「自然とそんな風に呼んじゃうんですね……」
「自然……だね。自然体」
「あははっ。直したほうがいいと思いますよ?「意識させる」って言っても、良いほうじゃなくて、馴れ馴れしいって嫌われるパターンのほうなので!」
「なるほど……。勉強になります」
どっちが手助けする立場なのかわからないな、と夏弥は苦笑した。
「じゃあ、そんなおもしろい先輩に、今後の協力を期待しておくということで! 今日はここで失礼します~」
芽衣の帰り道に合わせて歩いてきた夏弥だったけれど、気が付けばT字路に到着していて、芽衣にお別れを告げられたのだった。
「ああ、じゃあな」
「送ってくれてありがとうございました、藤堂先輩! 恋愛相談、ちゃんとお願いしますね?」
「ああ。帰り道、気を付けてな」
「おやすみなさーい」
「おやすみ」
可愛げのある後輩の、小さなその後ろ姿を見送る。
帰り道を歩く芽衣の背中に、夏弥はしばらく手を振っていた。
これまでずっと洋平のモテっぷりを間近で見てきたせいか、自分が誰かと恋愛だなんて、考えてもみなかった夏弥だった。
それが、ここへ来て急にその兆しを見せられてしまったような気がしていた。
妙な気分のまま手を振り続けていると、意志とは無関係に腹のむしが鳴った。
(帰って早く晩ごはん食べよう……)
夏弥は、夜道を芽衣と二人で歩いて帰ることになった。
暗い中で、あちこちに街明かりが見える。
お母さんが晩ごはんの支度をするための明かりか、仕事から帰ったお父さんがお風呂に浸かるための明かりか、宿題をする子供のための明かりか。
それぞれ、いろんな役目を持つ街の明かり達が、夏弥と芽衣の視界を彩っていた。
「藤堂先輩って、みちゃんと幼馴染なんですよね?」
夏弥の横を歩く芽衣が、特徴的なサイドテールの黒髪をゆらしながら訊いてくる。
そのゆれた髪は、街灯を過ぎるたびに前から後へと照らし出されていた。
「ああ。ほとんど、な。小学校までの付き合いだったけど」
「小学校までの」
「中学は顔合わせてなくて、高校一年の時も別に会う機会なかったから」
「なるー。みちゃんも言ってました。期間が空いちゃったんだって」
夏弥は、ちらりと彼女の顔を見た。
美咲とは違う系統の、可愛いらしい顔立ち。
ぱっちりとした瞳と、あどけなさの残る唇。
よく見ると、髪をサイドに束ねている赤色のフリルシュシュも、良いアクセントカラーになっている。
街灯を通り過ぎてしまうと、それらは薄暗さのせいで見えにくくなるのだけれど。
「あの、藤堂先輩」
「ん?」
「鈴川先輩と変な関係だって噂、ほんとですか?」
「……は?」
突然の質問に、夏弥は開いた口が塞がらなかった。
危うく、五月の夜をさまよう羽虫が口に入ってしまいそうになった。
「え、変な関係って、何……?」
「一部の女子のあいだで、鈴川先輩と藤堂先輩がソッチの方で怪しいんじゃないかって噂になってて……」
「いやいや。全然そういうの無いから!」
「そ、そうなんですか? でもいつも一緒ですよね?」
「そりゃあ友達だからね? 事実無根です。普通に男友達なだけなんだけど……?」
「あはははっ! そうだったんですね。ごめんなさい! じゃあ、すごく仲が良いんですね~」
「まぁ、腐れ縁ってやつだけどな……ははっ」
乾いた笑い声をあげる夏弥の様子を、芽衣は横目でじっと見る。
「藤堂先輩。こんなこと急にって思うかもしれないんですけど……」
「何?」
「ウ、ウチと連絡先、交換してくれませんか?」
「え、どうして?」
「あ、あの。実はウチ、鈴川先輩が……す、好きなんです!」
芽衣は、わざわざ夏弥が察しているその事実を恥ずかしそうに告白してきたのだった。
(洋平に対する想いが強いせいなのか? 気が動転しているっぽいな)
「あ、ああ。それは朝の一件があったから知ってんだけど……?」
「あっ、そうでした! すみません、朝の時のこと、ウチあんまり覚えてなくって……。で、そ、その……藤堂先輩に、協力してほしいなって思ったんです!」
「あ~……」
夏弥は考えを巡らせる。
この手の相談は、昔から鈴川洋平の友達を務める上でよく起きる出来事なのだ。
洋平がモテるせいで「まずは外堀を埋めよう作戦」を実行してくる女子が一定数いる。
外堀。つまり、夏弥や美咲のことである。
(ひょっとして、芽衣が美咲と仲良くしているのも外堀のうちなんじゃないのか……?)
こうした疑心暗鬼に頭を悩ませるのも、イケメン君と親しい間柄ならではの貴重な体験かもしれない。いや、貴重な体験というより、これは、もっと別種の何かだ。
本当は、もっと黒くて、どろどろとしているもの。
初めから目的地がはっきりとしていて、そこまでの線路をつなぐための作業。
そう。人はこれを「打算」と呼ぶ。
けれど、はっきりお願いしてきている分、芽衣はずっと真摯な女の子かもしれない。
わざわざ夏弥が察しているその事実を、恥ずかしそうに告白している点は、彼の中でもかなり好印象だった。
「協力できることなんて、別にないと思うんだけど」
「あ、ああありますよっ!」
「そう? あるなら、まぁ、暇つぶしにやろっかな……」
「うっ……そんな、スマホアプリを始めようかな的なノリで言わないでくださいよ……」
「だってさ、俺にメリットなくない? 芽衣ちゃんにはあるだろうけど」
「じゃ、じゃあ! ウチの友達、誰か紹介しますっ!」
「え?」
芽衣が予想外の言葉を口にしたので、夏弥は思わずその横顔を見つめた。
相変わらず、歩くたびに黒髪がゆれている。
「ウチのクラスの子、上級生と付き合いたいって子多いんですよね! まぁ大体、鈴川先輩なんですけど……」
「へぇ……さすがだな、洋平……」
「あははっ。あ、もしかして今、先輩って彼女さんとかいました?」
「いや、いないけど」
「え、じゃあいいじゃないですか!」
芽衣の言うように、夏弥が拒む理由なんて何ひとつなかった。
自分にもようやく、女子と付き合えそうなチャンスが回ってきたのだ。
今まで散々、洋平のアオハルストーリーの箸休め的存在として非モテライフを勤め上げてきた。勤め上げたくもなかったのに。
夏弥はそう自虐しつつ、目の前のチャンスをむんずとつかんでみることにした。
「それは……いいかもしれない。うん。いいな!」
「じゃあ契約成立、ですね。成立記念に、ライン交換しちゃいましょ? そっちのほうが何かと連絡取りやすいので!」
「ああ、それもそうだな!」
これは夏弥にとっても、芽衣にとっても、合理的な取引だった。
「打算」には「打算」を交換条件に。
それから夏弥は、芽衣とラインを交換した。
彼はあまり意識していなかったが、これが高校生になってから始めて女子と連絡先を交換した瞬間だった。(※秋乃を除く)
交換後、視線を前に戻しながら芽衣が話題を切り替える。
「あと、ちょっと思ったんですけど」
「ん?」
「藤堂先輩って、実は結構女の子に意識されるタイプなんじゃないですか?」
「え? なんで?」
「えっとー……ですねぇ……。ちょっとウチの名前、呼んでみてもらえます?」
促されるだけ嫌な予感しかしない夏弥だったけれど、その名前を声に出す。
「……芽衣ちゃん?」
「ほら! それですよ! どうしていきなり下の名前呼んじゃってるんですか~」
「えっと……?」
「普通、苗字にさん付けじゃないですか? それじゃあ、変に意識させちゃいますよ?」
「え、あっ、確かに……。と、「戸島さん」か。まぁでも、美咲のことを前まで美咲ちゃんって呼んでたからなぁ……。年下の子にはそう呼ぶのが当たり前になってて……ていうか、そうじゃないとむしろ俺の中では違和感があったりして」
「自然とそんな風に呼んじゃうんですね……」
「自然……だね。自然体」
「あははっ。直したほうがいいと思いますよ?「意識させる」って言っても、良いほうじゃなくて、馴れ馴れしいって嫌われるパターンのほうなので!」
「なるほど……。勉強になります」
どっちが手助けする立場なのかわからないな、と夏弥は苦笑した。
「じゃあ、そんなおもしろい先輩に、今後の協力を期待しておくということで! 今日はここで失礼します~」
芽衣の帰り道に合わせて歩いてきた夏弥だったけれど、気が付けばT字路に到着していて、芽衣にお別れを告げられたのだった。
「ああ、じゃあな」
「送ってくれてありがとうございました、藤堂先輩! 恋愛相談、ちゃんとお願いしますね?」
「ああ。帰り道、気を付けてな」
「おやすみなさーい」
「おやすみ」
可愛げのある後輩の、小さなその後ろ姿を見送る。
帰り道を歩く芽衣の背中に、夏弥はしばらく手を振っていた。
これまでずっと洋平のモテっぷりを間近で見てきたせいか、自分が誰かと恋愛だなんて、考えてもみなかった夏弥だった。
それが、ここへ来て急にその兆しを見せられてしまったような気がしていた。
妙な気分のまま手を振り続けていると、意志とは無関係に腹のむしが鳴った。
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