上 下
31 / 65
第三章 ブランジェさん家

008 ただの同僚

しおりを挟む
 ルーシャは部屋のベッドに腰掛け、ヒスイと夕食を頂いた。
 こちらの部屋のベッドに横になるのはここへ来てからまだ二度目。この部屋にも、例のアレが出ないようにヒスイに魔法をかけてもらったけれど、結局夜は怖くて、二段ベッドの上で寝ているのだ。

「ルーシャ。今日はここで寝てくださいね。上段に上がるのも心配ですし」
「もう元気よ。心配し過ぎよ」

 本当はまだフラフラしているのだが、これ以上心配をかけたくなかった。それに、この部屋で寝るのが嫌で、つい強気なことを言ってみたが、ヒスイには見破られていた。
 ヒスイはグッとルーシャに顔を近づけると、間近で瞳の中を覗き込んできた。

「顔色が悪いです。嘘は通用しませんよ。……何か、あったんですか?」
「ちょっと昔の事を思い出しちゃって……それでかな」
「昔のことですか?」
「ええ。昔、馬車で事故に遭ったの。その時の事を──ひ、ヒスイ?」

 ルーシャはヒスイに抱きしめられていた。ただでさえ近かった顔が、ルーシャの頬のすぐ隣にある。急なことに動揺したのか、胸がドキドキとうるさくなった。

「もう。あんな思いはさせませんから……」
「えっ?」
「ルーシャは、辛い記憶にばかり縛られているのですね。これからここで、もっと素敵な思い出を増やしていきましょうね」

 ヒスイはルーシャの頭を撫で、にっこりと微笑む。
 具合が悪いからだろうか、頬が火照る。
 何となく目のやり場に困って視線を巡らすと、鏡台に置かれたロウソクが目についた。

「う、うん。あ、アリスさんのアロマ……いい香りね」
「そうですか? 僕はあまり好きじゃないです。王都の女性達には人気だそうですよ。クレスさんから聞きました」
「クレスさん?」
「アリスさんと一緒にいた騎士の方ですよ。教会に男性は入れなかったので、二人で待っていた時に少し話したんです」

 教会に男性は入れない。すっかり忘れていた。
 ということは、アリスの連れの男性はいつも外で待っているのだろうか。パン屋にも入らず外で待っていたが、一緒にアップルパイを食べる二人は親しげで絵にカップルだな、と眺めてしまうほどだった。

「ふーん。アリスさんのご主人なのかしら?」
「さぁ? そこはなんとなく聞き流されて、逆に僕とルーシャの事を聞かれましたよ」
「へっ? な、何て答えたの?」
「何て答えて欲しかったんですか?」

 興味深そうに聞き返すヒスイに、ルーシャは戸惑った。執事も嘘。幼馴染みも嘘。二人を繋ぐ本当の事なんて何もないように思えた。

「あ! 同僚、かしら?」
「あー。なるほど、そう言えば良かったです」
「何て言ったの?」
「ん? 秘密です。さて、僕は寝ます。ルーシャも、おやすみなさい」
「えっ、待って。気になるじゃない。ねぇ。ヒスイったら──」

 慌ててベッドから降りようとしたら派手に転んでしまって、またヒスイに抱き上げてもらったついでに二段ベッドまで運んでもらった。
 結局、答えは教えてもらえなかったけれど、思い出した時に聞いてみようと思う。

 ◇◇◇◇

 翌週、アリスはまた店に訪れ、注文したアップルパイを買いに来た。ミールはこの前のお礼にとたくさんジャムをおまけしている。

「この前はありがとうございました。それから、明後日からまた王都へパンを売りに行くわ。よろしくね」
「あら。それは楽しみだわ。行くのはヒスイ君?」
「ええ。でも一人だと大変だから、ルーシャさんも一緒に」
「そう。じゃあ、また明後日会えるのね。楽しみにしているわ」

 アリスはルーシャに手を振り帰っていった。

「アリスさんって素敵だわ。優しいし綺麗」
「私もそう思うわ。ルーシャさん。王都へ売りに行く商品の準備、一緒にやりましょうね」
「はい!ジャム作りですよね。お手伝いします」
「それからルーシャさんのアップルパイもね。教会の方々からも人気だし、良かったわね」
「はい! そういえば、最近教会の人がよくお店に来るようになったような……」

 普段は外部から来ている講師や、週末にしかこなかった教会の女性達が、最近では毎日見かけるようになった。しかし、ルーシャのアップルパイが目当てといった雰囲気ではない。

「多分、ヒスイ君が目当てじゃないかしら?」
「えっ! どういうことですか?」
「ほら、この間私を教会まで運んでくれたでしょう? 帰る時に色んな子に聞かれたのよ。門で待ってる男の子は誰って」
「ヒスイ、見た目は格好いいですもんね」
「見た目だけ? とってもいい子だと思うのだけれど」
「そうですね。優しいし、頼りになるし、私より年上ですけど、ちょっと弟みたいな雰囲気ありますよね」
「あら。ルーシャさんは年上好み?」
「えっ? どうでしょう……」

 確かにテオドアに憧れていた時期があったし、そうかもしれない。

「もしそうなら、カルロと合うかもしれないわね」
「そうなんですか?」
「ええ。──あらあら、やっぱりヒスイ君は人気者ね。取られちゃってもいいの? あの子達に」
「ヒスイが取られる?」

 そんなこと考えたこともなかった。
 でも、もしヒスイに、お付き合いするような人が出来たとしたら、どう思うだろう。

 ただただ胸の辺りがモヤモヤする。
 ヒスイとルーシャはただの同僚なのに。

 そうしているうちに、いつの間にかヒスイは女性達に囲まれていた。営業スマイルを越えて苦笑いで接客中だ。

 ヒスイはルーシャの視線に気がつくと、女性達をすり抜けルーシャに直進してきた。

「皆さんがお好きなことアップルパイですが、こちらのルーシャさんがお作りになったんです。僕はパイ作りには詳しくありませんので、後は──ルーシャ。お願いします」

 ヒスイはルーシャに女性客を押し付けて厨房へと逃げていった。

「ねえ。住み込みで働いているんですか? ヒスイ君」
「えっ。ええ!?」
「お付き合いしてる人はいるのかしら?」
「さ、さぁ?」

 アップルパイではなく、ヒスイに関する質問責めがしばらく続いた後、ルーシャに救いの神が現れた。
 教会の指導員だ。自由時間外にも関わらず女性達は店に来ていたらしく、指導員に叱られ強制的に連れ戻されていった。女性達が帰ったら、店内は一気に静まり返った。

「暇になったし、お昼休憩にしましょう。先にヒスイ君と休憩してね」

 ミールがそう言うと、ヒスイは気まずそうな顔で、ひょこっと厨房から顔を出した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

猫に転生したらご主人様に溺愛されるようになりました

あべ鈴峰
恋愛
気がつけば 異世界転生。 どんな風に生まれ変わったのかと期待したのに なぜか猫に転生。 人間でなかったのは残念だが、それでも構わないと気持ちを切り替えて猫ライフを満喫しようとした。しかし、転生先は森の中、食べ物も満足に食べてず、寂しさと飢えでなげやりに なって居るところに 物音が。

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

この度、青帝陛下の番になりまして

四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。

ヤンデレ系暗黒乙女ゲームのヒロインは今日も攻略なんかしない!

As-me.com
恋愛
孤児だった私が、ある日突然侯爵令嬢に?!これはまさかの逆転シンデレラストーリーかと思いきや……。 冷酷暗黒長男に、ドSな変態次男。さらには危ないヤンデレ三男の血の繋がらないイケメン3人と一緒に暮らすことに!そして、優しい執事にも秘密があって……。 えーっ?!しかもここって、乙女ゲームの世界じゃないか! 私は誰を攻略しても不幸になる暗黒ゲームのヒロインに転生してしまったのだ……! だから、この世界で生き延びる為にも絶対に誰も攻略しません! ※過激な表現がある時がありますので、苦手な方は御注意してください。

勘違いストーカー野郎のせいで人生めちゃくちゃにされたけれど、おかげで玉の輿にのれました!

麻宮デコ@ざまぁSS短編
恋愛
子爵令嬢のタニアには仲のいい幼馴染のルーシュがいた。 このままなら二人は婚約でもするだろうと思われた矢先、ルーシュは何も言わずに姿を消した。 その後、タニアは他の男性と婚約して幸せに暮らしていたが、戻ってきたルーシュはタニアの婚約を知り怒り狂った。 「なぜ俺以外の男と婚約しているんだ!」 え、元々、貴方と私は恋人ではなかったですよね? 困惑するタニアにルーシュは彼女を取り返そうとストーカーのように執着していく。

そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ
恋愛
★第9回ネット小説大賞(なろうコン)二次選考通過作 どこか遠くに本当にある場所。オフィーリアという国での群像劇です。 本編:王道(定番)の古典恋愛風ストーリー。ちょっぴりダークメルヘン。ラストはハッピーエンドです。 外伝:本編の登場人物達が織りなす連作短編。むしろこちらが本番です。 シリアス、コメディ、ホラーに文学、ヒューマンドラマなどなど、ジャンルごった煮混沌系。 ■更新→外伝:別連載「劫波異相見聞録」と本作をあわせて年4回です。(2,5,8,11月末にどちらかを更新します) ■感想ページ閉じておりますが、下段のリンクからコメントできます。  検索用:そして二人でワルツを ※この作品は、他サイトにも投稿しています。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

Shadow★Man~変態イケメン御曹司に溺愛(ストーカー)されました~

美保馨
恋愛
ある日突然、澪は金持ちの美男子・藤堂千鶴に見染められる。しかしこの男は変態で異常なストーカーであった。澪はド変態イケメン金持ち千鶴に翻弄される日々を送る。『誰か平凡な日々を私に返して頂戴!』 ★変態美男子の『千鶴』と  バイオレンスな『澪』が送る  愛と笑いの物語!  ドタバタラブ?コメディー  ギャグ50%シリアス50%の比率  でお送り致します。 ※他社サイトで2007年に執筆開始いたしました。 ※感想をくださったら、飛び跳ねて喜び感涙いたします。 ※2007年当時に執筆した作品かつ著者が10代の頃に執筆した物のため、黒歴史感満載です。 改行等の修正は施しましたが、内容自体に手を加えていません。 2007年12月16日 執筆開始 2015年12月9日 復活(後にすぐまた休止) 2022年6月28日 アルファポリス様にて転用 ※実は別名義で「雪村 里帆」としてドギツイ裏有の小説をアルファポリス様で執筆しております。 現在の私の活動はこちらでご覧ください(閲覧注意ですw)。

処理中です...