14 / 65
第一章 新たな活路
011 アーネスト伯爵
しおりを挟む
アーネスト伯爵は、書斎の一番奥の机に肘を付き、ルーシャをじっと睨み付けながら腰かけている。
ルーシャはソファーへ座ることも許されることなく、机の前に立たされていた。
「良かったではないか。お前のような傷物で無能な人間でも、嫁に行くことが出来るのだ。式は一年後──。何だ、その顔は。男でもいるのか?」
「そんなことは──」
「ああ。お前の母親も、どこの馬の骨とも分からないような男と結婚したのだったな」
ルーシャの言葉など聞こうともせず、伯爵は実の姉を侮辱した。
伯爵は姉のことを良く思っていない。長年優秀な姉と比べられ、肩身の狭い思いをしてきたのだとレイスから聞いていた。
しかし、いくらルーシャでも、母を悪く言われることだけは、いつも許せなかった。
「お言葉が過ぎます。お父様は立派な騎士様でした」
「姉と同じ瞳でこちらを見るな! 私はそのは瞳が一番嫌いなのだ」
「きゃぁっ」
伯爵は机の上に置かれていた分厚い本を、怒りのままにルーシャに向かって投げつけた。
足元に本が落ちると同時にルーシャが悲鳴を上げると、裏庭へ通じるのドアが大きな音を立てて開き、雨風が中へと吹き込んできた。
「嵐か。あの日と同じだな。……何故、お前なんかが生き残ったのだろうな」
伯爵はルーシャを恨めしそうに睨んだ後、壁に掛けられた女性の肖像画に視線を伸ばした。
彼女は伯爵の妻。ルーシャの両親と一緒に事故で亡くなっている。
伯爵は、妻が命を落としたことをルーシャのせいだと思っていた。
だが、それはルーシャ自身も同じだ。
生きていたのは奇跡だと言われたが、そんなものは早々起きやしない。
土砂崩れに巻き込まれ、崖から馬車が落ちた時、ルーシャだけ生き残れたのは、きっと両親と叔母が、自らの命を犠牲にして助けてくれたからだと、そう思っていた。
「話は済んだ。出ていけ」
伯爵は開け放たれたままの裏庭へ続くドアに目をやった。
「裏庭を通った方が近道だろう。その汚いドレスも雨で洗い流すといい」
ルーシャの部屋は裏庭の先の離れの部屋だ。
近道と言えばそうかもしれないけれど、そこから追い出されるのは初めてだった。
ルーシャは伯爵に一礼し、降り注ぐ雨粒の中へ一歩踏み出そうとした時、後ろから背中を突き飛ばされた。
バランスを崩し、ルーシャはぬかるんだ地面に膝を突いた。
「きゃっ」
「何が不満だ! 生意気な顔をして……。その傲慢な心を清く洗い流すといい。戸籍上、お前は私の養女だ。お前の婚約者は私が決めて然るべき。自分にも存在する価値があったと思い、喜ぶがいい」
伯爵は憎しみのこもった瞳でルーシャを見下ろし激しく罵声を浴びせた。
「伯爵……様」
「お前は花嫁に選ばれたのだ。この国の未来を守る一人にな。とても名誉なことだ。お前の両親もさぞかし喜んでくれるだろうな。ふっ」
伯爵は鼻で嗤うと勢い良く扉を絞め、ルーシャは驚きと恐怖で動けなくなっていた。
伯爵は、この国の未来を守る一人と言った。
もしかしたら、伯爵は知っているのかもしれない。
ルーシャが、テオドアの花嫁ではなく、守護竜の花嫁に選ばれたことを。
「ルーシャっ」
微かに怒りを帯びた優しい声と共に、ルーシャの身体にローブが掛けられた。見上げるとそこには、雨で濡れたヒスイが立っていた。
「ヒスイ……。伯爵様は──」
「全て聞いていました。やはり、ここを出ていきましょう。今すぐにでも。……立てますか?」
差し伸べられた手は暖かく、震えは次第に収まっていく。
不思議と涙は出てなかった。
テオドアがルーシャを守護竜の花嫁に選んだことはショックだったが、伯爵なら迷わず差し出すことなど分かってた。
それにルーシャは、泣いている暇などない。
「ヒスイ。私、この屋敷を──」
「ルーシャ!?」
屋敷の方から声が響き、こちらへ向かうレイスの姿が見えた。
「遅いから様子を見に来たら……。早く中へ入ろう」
「お従兄様、私」
「話は中でしよう」
「いいえ。今、聞いてください」
「ルーシャ?」
レイスは真剣な眼差しを向けるルーシャに、戸惑いつつも見つめ返した。ルーシャが何を言おうとしているか、分かっているのかもしれない。
それでもルーシャは、自分の言葉で伝えたかった。
「私はこの屋敷から出て行きます」
「……分かった。だが、その前に着替えを済ませて私に事情を説明してからにしろ。──行くぞ」
「えっ。お従兄様っ」
レイスはルーシャの手を取ると、問答無用で屋敷へと足を進める。廊下を突き進みながら、レイスは小声でルーシャを勇気づけるように言った。
「婚約が嫌なら、私がテオドアに言ってぶち壊してくる。ルーシャは何も心配しなくていい」
「お従兄様。婚約は、お義父様とシェリクス公爵様とお決めになられたことだそうです」
その言葉を聞くと、レイスは急に足を止めて振り返った。
「何っ!? シェリクス公爵は、領地を持った侯爵家の令嬢をご所望のはずだ」
「それが公爵様の本意だと思います。ですが……私は、この国の未来を守る為に選ばれた……花嫁なのだそうです」
伯爵の言葉通りにルーシャはレイスへと伝えた。守護竜の花嫁と言っても、誰も理解できないと思っていたから。
しかし、レイスは表情を暗くさせ、微かに震える声で訪ねた。
「それは、まさか……守護竜の花嫁ということか?」
ルーシャはソファーへ座ることも許されることなく、机の前に立たされていた。
「良かったではないか。お前のような傷物で無能な人間でも、嫁に行くことが出来るのだ。式は一年後──。何だ、その顔は。男でもいるのか?」
「そんなことは──」
「ああ。お前の母親も、どこの馬の骨とも分からないような男と結婚したのだったな」
ルーシャの言葉など聞こうともせず、伯爵は実の姉を侮辱した。
伯爵は姉のことを良く思っていない。長年優秀な姉と比べられ、肩身の狭い思いをしてきたのだとレイスから聞いていた。
しかし、いくらルーシャでも、母を悪く言われることだけは、いつも許せなかった。
「お言葉が過ぎます。お父様は立派な騎士様でした」
「姉と同じ瞳でこちらを見るな! 私はそのは瞳が一番嫌いなのだ」
「きゃぁっ」
伯爵は机の上に置かれていた分厚い本を、怒りのままにルーシャに向かって投げつけた。
足元に本が落ちると同時にルーシャが悲鳴を上げると、裏庭へ通じるのドアが大きな音を立てて開き、雨風が中へと吹き込んできた。
「嵐か。あの日と同じだな。……何故、お前なんかが生き残ったのだろうな」
伯爵はルーシャを恨めしそうに睨んだ後、壁に掛けられた女性の肖像画に視線を伸ばした。
彼女は伯爵の妻。ルーシャの両親と一緒に事故で亡くなっている。
伯爵は、妻が命を落としたことをルーシャのせいだと思っていた。
だが、それはルーシャ自身も同じだ。
生きていたのは奇跡だと言われたが、そんなものは早々起きやしない。
土砂崩れに巻き込まれ、崖から馬車が落ちた時、ルーシャだけ生き残れたのは、きっと両親と叔母が、自らの命を犠牲にして助けてくれたからだと、そう思っていた。
「話は済んだ。出ていけ」
伯爵は開け放たれたままの裏庭へ続くドアに目をやった。
「裏庭を通った方が近道だろう。その汚いドレスも雨で洗い流すといい」
ルーシャの部屋は裏庭の先の離れの部屋だ。
近道と言えばそうかもしれないけれど、そこから追い出されるのは初めてだった。
ルーシャは伯爵に一礼し、降り注ぐ雨粒の中へ一歩踏み出そうとした時、後ろから背中を突き飛ばされた。
バランスを崩し、ルーシャはぬかるんだ地面に膝を突いた。
「きゃっ」
「何が不満だ! 生意気な顔をして……。その傲慢な心を清く洗い流すといい。戸籍上、お前は私の養女だ。お前の婚約者は私が決めて然るべき。自分にも存在する価値があったと思い、喜ぶがいい」
伯爵は憎しみのこもった瞳でルーシャを見下ろし激しく罵声を浴びせた。
「伯爵……様」
「お前は花嫁に選ばれたのだ。この国の未来を守る一人にな。とても名誉なことだ。お前の両親もさぞかし喜んでくれるだろうな。ふっ」
伯爵は鼻で嗤うと勢い良く扉を絞め、ルーシャは驚きと恐怖で動けなくなっていた。
伯爵は、この国の未来を守る一人と言った。
もしかしたら、伯爵は知っているのかもしれない。
ルーシャが、テオドアの花嫁ではなく、守護竜の花嫁に選ばれたことを。
「ルーシャっ」
微かに怒りを帯びた優しい声と共に、ルーシャの身体にローブが掛けられた。見上げるとそこには、雨で濡れたヒスイが立っていた。
「ヒスイ……。伯爵様は──」
「全て聞いていました。やはり、ここを出ていきましょう。今すぐにでも。……立てますか?」
差し伸べられた手は暖かく、震えは次第に収まっていく。
不思議と涙は出てなかった。
テオドアがルーシャを守護竜の花嫁に選んだことはショックだったが、伯爵なら迷わず差し出すことなど分かってた。
それにルーシャは、泣いている暇などない。
「ヒスイ。私、この屋敷を──」
「ルーシャ!?」
屋敷の方から声が響き、こちらへ向かうレイスの姿が見えた。
「遅いから様子を見に来たら……。早く中へ入ろう」
「お従兄様、私」
「話は中でしよう」
「いいえ。今、聞いてください」
「ルーシャ?」
レイスは真剣な眼差しを向けるルーシャに、戸惑いつつも見つめ返した。ルーシャが何を言おうとしているか、分かっているのかもしれない。
それでもルーシャは、自分の言葉で伝えたかった。
「私はこの屋敷から出て行きます」
「……分かった。だが、その前に着替えを済ませて私に事情を説明してからにしろ。──行くぞ」
「えっ。お従兄様っ」
レイスはルーシャの手を取ると、問答無用で屋敷へと足を進める。廊下を突き進みながら、レイスは小声でルーシャを勇気づけるように言った。
「婚約が嫌なら、私がテオドアに言ってぶち壊してくる。ルーシャは何も心配しなくていい」
「お従兄様。婚約は、お義父様とシェリクス公爵様とお決めになられたことだそうです」
その言葉を聞くと、レイスは急に足を止めて振り返った。
「何っ!? シェリクス公爵は、領地を持った侯爵家の令嬢をご所望のはずだ」
「それが公爵様の本意だと思います。ですが……私は、この国の未来を守る為に選ばれた……花嫁なのだそうです」
伯爵の言葉通りにルーシャはレイスへと伝えた。守護竜の花嫁と言っても、誰も理解できないと思っていたから。
しかし、レイスは表情を暗くさせ、微かに震える声で訪ねた。
「それは、まさか……守護竜の花嫁ということか?」
0
お気に入りに追加
389
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。


この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる