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第一章 ファビウス侯爵家
005 存在の否定
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「……し、失礼しました」
早速怒らせてしまった。セシルはその鋭い視線から逃れるようにしてうつむくが、アルベリクはそれが気に入らなかったのか、椅子から立ち上がると真っ直ぐにセシルの元へ歩み寄った。
そしてセシルの目の前で足を止めると、うつむくセシルの顎に手を添え、視線を上げさせた。
エメラルドの瞳にセシルの顔が映り込んだ。
息を吐けばアルベリクに届いてしまうだろう。
セシルは呼吸が、そして次第に大きくなる心臓の鼓動が、アルベリクに届かないようにと必死で祈った……次の瞬間──。
セシルの結い上げられた髪に、アルベリクがそっと手を触れた。髪を止めていたリボンをするりと引き抜かれ、セシルの水色の髪が薔薇の香りを振り撒きながら背中へと散った。
「レクトだな……」
「えっ?」
「こっちに来い」
アルベリクに手を引かれ、セシルはアルベリクに背を向けるようにして二人掛けソファーに座らされた。丁度、すぐ横の鏡にアルベリクと自分の姿が映っている。
神妙な面持ちでアルベリクはセシルの髪を掴み、どうやら三つ編みに結おうとしているようだ。その手はおぼつかず、セシルの柔らかい髪が指に絡まり苦戦を強いられている。
「痛っ」
「あ、すま……こほんっ」
アルベリクは咳払いして誤魔化したが……今、セシルに謝ろうとしていたような気がした。何だか、セシルが思い描いていたイメージと少し違う。
しかし、鏡に映るアルベリクは先程と変わらず眉間にシワを寄せて慌てた様子もない。やはり聞き間違いだったのかもしれない。
「よし。出来た……。これなら、レクトの手を煩わせずとも、自分でもできるだろう」
「あ、ありがとうございます」
まさかアルベリクに髪を結ってもらう日が来るとは思いもよらなかった。
ソファーから立ち上がり鏡に目を向けると、セシルはそこに映った自分の姿に驚いた。緩く結われた三つ編みが青いリボンで留められている。
この髪型は、聖女をしていた時と同じである。
この方が落ち着いていてしっくりとくる気がする。それにレクトみたいな結い方は出来ないけれど、これなら自分でも出来る。
「あの。アルベリク様。私はここで働くために連れてこられたのですか? それとも、どこかに売り飛ばされたり……」
「売り飛ばす……。そんなことするはずないだろう? お前は俺が引き取った。よってお前は俺の使用人――所有物だ」
「しょっ、所有物ですかっ」
真顔で言い切ったアルベリクに、セシルは驚きの声を上げた。
人使いの荒いアルベリクの使用人。しかも、所有物ということは、人として扱うつもりもなさそうだ。
しかし、使用人として働かせるのであれば、アルベリクにとって金にもならず、メリットがないのではないだろうか。
セシルが考え込み眉間にしわを寄せていると、アルベリクも眉をひそめ、セシルの顔を覗き込んだ。
「嫌か?」
アルベリクのエメラルドの瞳が切なく潤み、セシルを至近距離で見つめていた。この瞳は、処刑台で見たアルベリクを思い出させる。
もしかしたら、彼ならセシルを必要としてくれるのかもしれない。
不安と期待の入り交じったエメラルドの瞳で見つめ返され、返答を戸惑うセシルにアルベリクは短い溜め息を漏らした。
「お前、癒しの力を見せつけ、聖女にでもなれると思ったのか?」
「えっ?」
驚くセシルに、アルベリクは耳元に顔を近づけると冷たく囁いた。
「この国に異端者であるお前の居場所など存在しない。異端であることが知れれば、すぐに処刑されるだろう。ファビウス領からそんな人間を出すわけにはいかない。生きていたければ、お前はその力を誰にも悟られずに、存在を消して過ごせ」
存在を消して?
ああ、だから所有物などと言われ物扱いなのだろうか。
いい人かと思ったけれど、違う。
彼はファビウス家の保身の為に、セシルをここに連れて来たのだ。
「私は、存在すら認められないのね」
処刑台に立たされた時と同じ感覚が全身を襲う。
全ての人から白い目を向けられ、世界から色が失われていく。
あの時、たった一人だけ色を感じた彼からも、存在を否定された。
セシルは俯いたまま涙をじっと堪えようとしたが、溢れたそれは床へと零れ、締め付けられた胸の苦しみに、セシルは耐えきれずその場に崩れ落ちてしまった。
◇◇
「お、おい!? 大丈夫か?」
崩れ落ちたセシルをアルベリクは抱き上げ、短く荒い呼吸を繰り返すセシルにアルベリクは酷く戸惑いを見せた。
「ば、婆やっ? セシルがっ」
アルベリクの呼び声にメアリは直ぐ様レクトと共に駆けつけた。
「あらあら? 長湯しすぎてしまったせいかしら?」
「な、長湯だと?」
「顔も赤いし、のぼせてしまったみたいですね。レクト。セシルを部屋へ……」
「いや。いい、俺が運ぶ」
メアリの言葉をアルベリクは早口で遮り、セシルを抱いて立ち上がる。アルベリクのその態度に、メアリとレクトは目を丸くして顔を見合わせ、互いに頬を緩ませた。
「い、今、笑ったか!?」
「「いいえ。アルベリク様」」
深々とお辞儀をして顔を隠す二人に、アルベリクは小さく舌打ちをすると部屋を後にした。
早速怒らせてしまった。セシルはその鋭い視線から逃れるようにしてうつむくが、アルベリクはそれが気に入らなかったのか、椅子から立ち上がると真っ直ぐにセシルの元へ歩み寄った。
そしてセシルの目の前で足を止めると、うつむくセシルの顎に手を添え、視線を上げさせた。
エメラルドの瞳にセシルの顔が映り込んだ。
息を吐けばアルベリクに届いてしまうだろう。
セシルは呼吸が、そして次第に大きくなる心臓の鼓動が、アルベリクに届かないようにと必死で祈った……次の瞬間──。
セシルの結い上げられた髪に、アルベリクがそっと手を触れた。髪を止めていたリボンをするりと引き抜かれ、セシルの水色の髪が薔薇の香りを振り撒きながら背中へと散った。
「レクトだな……」
「えっ?」
「こっちに来い」
アルベリクに手を引かれ、セシルはアルベリクに背を向けるようにして二人掛けソファーに座らされた。丁度、すぐ横の鏡にアルベリクと自分の姿が映っている。
神妙な面持ちでアルベリクはセシルの髪を掴み、どうやら三つ編みに結おうとしているようだ。その手はおぼつかず、セシルの柔らかい髪が指に絡まり苦戦を強いられている。
「痛っ」
「あ、すま……こほんっ」
アルベリクは咳払いして誤魔化したが……今、セシルに謝ろうとしていたような気がした。何だか、セシルが思い描いていたイメージと少し違う。
しかし、鏡に映るアルベリクは先程と変わらず眉間にシワを寄せて慌てた様子もない。やはり聞き間違いだったのかもしれない。
「よし。出来た……。これなら、レクトの手を煩わせずとも、自分でもできるだろう」
「あ、ありがとうございます」
まさかアルベリクに髪を結ってもらう日が来るとは思いもよらなかった。
ソファーから立ち上がり鏡に目を向けると、セシルはそこに映った自分の姿に驚いた。緩く結われた三つ編みが青いリボンで留められている。
この髪型は、聖女をしていた時と同じである。
この方が落ち着いていてしっくりとくる気がする。それにレクトみたいな結い方は出来ないけれど、これなら自分でも出来る。
「あの。アルベリク様。私はここで働くために連れてこられたのですか? それとも、どこかに売り飛ばされたり……」
「売り飛ばす……。そんなことするはずないだろう? お前は俺が引き取った。よってお前は俺の使用人――所有物だ」
「しょっ、所有物ですかっ」
真顔で言い切ったアルベリクに、セシルは驚きの声を上げた。
人使いの荒いアルベリクの使用人。しかも、所有物ということは、人として扱うつもりもなさそうだ。
しかし、使用人として働かせるのであれば、アルベリクにとって金にもならず、メリットがないのではないだろうか。
セシルが考え込み眉間にしわを寄せていると、アルベリクも眉をひそめ、セシルの顔を覗き込んだ。
「嫌か?」
アルベリクのエメラルドの瞳が切なく潤み、セシルを至近距離で見つめていた。この瞳は、処刑台で見たアルベリクを思い出させる。
もしかしたら、彼ならセシルを必要としてくれるのかもしれない。
不安と期待の入り交じったエメラルドの瞳で見つめ返され、返答を戸惑うセシルにアルベリクは短い溜め息を漏らした。
「お前、癒しの力を見せつけ、聖女にでもなれると思ったのか?」
「えっ?」
驚くセシルに、アルベリクは耳元に顔を近づけると冷たく囁いた。
「この国に異端者であるお前の居場所など存在しない。異端であることが知れれば、すぐに処刑されるだろう。ファビウス領からそんな人間を出すわけにはいかない。生きていたければ、お前はその力を誰にも悟られずに、存在を消して過ごせ」
存在を消して?
ああ、だから所有物などと言われ物扱いなのだろうか。
いい人かと思ったけれど、違う。
彼はファビウス家の保身の為に、セシルをここに連れて来たのだ。
「私は、存在すら認められないのね」
処刑台に立たされた時と同じ感覚が全身を襲う。
全ての人から白い目を向けられ、世界から色が失われていく。
あの時、たった一人だけ色を感じた彼からも、存在を否定された。
セシルは俯いたまま涙をじっと堪えようとしたが、溢れたそれは床へと零れ、締め付けられた胸の苦しみに、セシルは耐えきれずその場に崩れ落ちてしまった。
◇◇
「お、おい!? 大丈夫か?」
崩れ落ちたセシルをアルベリクは抱き上げ、短く荒い呼吸を繰り返すセシルにアルベリクは酷く戸惑いを見せた。
「ば、婆やっ? セシルがっ」
アルベリクの呼び声にメアリは直ぐ様レクトと共に駆けつけた。
「あらあら? 長湯しすぎてしまったせいかしら?」
「な、長湯だと?」
「顔も赤いし、のぼせてしまったみたいですね。レクト。セシルを部屋へ……」
「いや。いい、俺が運ぶ」
メアリの言葉をアルベリクは早口で遮り、セシルを抱いて立ち上がる。アルベリクのその態度に、メアリとレクトは目を丸くして顔を見合わせ、互いに頬を緩ませた。
「い、今、笑ったか!?」
「「いいえ。アルベリク様」」
深々とお辞儀をして顔を隠す二人に、アルベリクは小さく舌打ちをすると部屋を後にした。
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