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第一章 ファビウス侯爵家
004 メイドと執事と御主人様
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「そう。貴女はセシルと言うのね」
メアリがセシルの髪を優しく湯で洗い流し、語りかけるように言った。
セシルは温かい湯に浸かり全身を伸ばし大きく出る息を吸い込んだ。薔薇の花びらが敷き詰められた湯は香りがよく、心が落ち着く。
メアリはアルベリクが産まれた時から世話をしている専属のメイドだそうだ。
こんなに優しい人がいて良かった、と一瞬錯覚してしまったが、よくよく考えると自分がここに連れてこられた意味を説明されていない。
急に、セシルは先の見えない現実を感じ、不安で胸が押し潰されそうになった。
「あの……。メアリさん。私はこれからどうなるのでしょうか?」
「あら? なにも聞いていないの?」
「はい……」
「ふふふっ。アル様らしいわ。──貴女は……うーん。これはアル様に直接聞いた方がいいわね!」
「ええっ!? 教えてくれないんですか?」
「大丈夫よ。アル様は優しくて素直なお方ですからね。それに……セシル。貴女の運命を変えられるのは、きっとアル様だけだもの」
「???」
メアリはそう言うと、セシルの頭からザブンっと桶の水をかけた。
「ぷはっ」
「はい。おしまい。お着替えしましょうね~」
結局、ここへ来た理由はあやふやなまま、セシルは名残惜しそうに湯から上がるのだった。
◇◇
セシルが着替えたのはエプロン付きの黒のメイド服だった。メアリのメイド服と違い、白いフリルのエプロンが可愛らしい。
しかしなんと言うか……胸元がブカブカである。
二年後の自分だったらぴったりだっただろうが、十三歳の自分には大きすぎる。
「昔、私が着ていた服なのだけれど、どうかしら?」
「メアリさんがですか? えっと……少し大きいですね……」
「あら? それなら、レクト? そこにいるでしょう?」
メアリが呼びかけると、脱衣所に執事の少年が入室してきた。
赤みがかった茶色い髪と瞳の少年。
レクトと呼ばれた少年は懐から小さなケースを取り出した。
セシルの胸元を見ると眉間にシワを寄せ、不機嫌そうに溜め息をつく。
「……ガキくさ」
「なっ、何ですって!?」
無作法な態度にセシルが言い返すと、レクトは小さな針を手にキッとセシルを睨みつけた。
「動くな針が刺さる」
「ちょっ……」
レクトは針と糸を巧みに操り服を詰めてくれた。その手さばきは見事なもので、セシルはつい見とれてしまった。
「はい。終わり」
「あ、ありがとう」
セシルか礼を述べると、レクトは意外そうな顔をし、そして直ぐに悪戯な笑みを浮かべた。タレ目の癖になんとも生意気そうな少年である。
「トロそうなガキだな。アル様は部屋にいる。ちゃんと挨拶してこいよ。あ、ちょっと待て……」
レクトはセシルの後ろに回ると、その細い指を軽いウェーブがかったセシルの髪に絡め、あっという間にアップに結い上げてしまった。
「よし。これならみすぼらしくないな」
「み、みすぼらしいだなんて、酷い!」
「ボロ雑巾呼ばわりされてたのは、どこのどいつだよ?」
「失礼ね!」
「新入りの癖に生意気だぞ」
「し、新入り?」
新入り……ということは、やはりセシルはこの屋敷のメイドになるのだろうか。レクトへの怒りとこの先の不安が入り交じり、セシルの頭の中は大混乱だった。
「まあまあ。レクトったら。セシルに意地悪しないの!」
「……申し訳ありません」
「さぁ。アル様へ挨拶しに行きましょう。部屋まで案内するわ」
意外と素直に謝罪したレクトに驚きつつ、セシルはメアリに背中を押され、書斎へと向かうことになった。
◇◇
アルベリクは書斎で机に向かい書類に目を通していた。セシルが部屋に入っても目も向けず作業に没頭している。
メアリが「後は若いお二人で~」等と言い残して退室したが、セシルは何をしていいのか分からず扉の前で戸惑っていた。
目の前にいるのはあの冷酷なアルベリクだ。
笑った顔など見たこともないし、会話をした記憶もほとんどない。
何しろ、セシルを金儲けの道具のように扱ってきた男なのだから。
しかし、セシルは聖女の仕事が好きだった。人に感謝されることも多く、誰かに必要とされているように思えて嬉しかったから。
でも、本当にセシルを必要としてくれた人はいなかったのかもしれない。助けた人々は、最期の瞬間、誰もセシルを救ってはくれなかった。セシルの死に涙を流してくれたのは……すぐそこにいる無愛想なアルベリクだけだったのだから。
アルベリクをじっと観察するも、彼は相変わらずこちらを見ようともしない。話しかける勇気もなく、セシルは小さく溜め息を漏らすと、アルベリクが不機嫌そうにセシルに視線を向けた。
「メイドの癖に御主人様の前で溜め息をつくとは……いいご身分だな?」
メアリがセシルの髪を優しく湯で洗い流し、語りかけるように言った。
セシルは温かい湯に浸かり全身を伸ばし大きく出る息を吸い込んだ。薔薇の花びらが敷き詰められた湯は香りがよく、心が落ち着く。
メアリはアルベリクが産まれた時から世話をしている専属のメイドだそうだ。
こんなに優しい人がいて良かった、と一瞬錯覚してしまったが、よくよく考えると自分がここに連れてこられた意味を説明されていない。
急に、セシルは先の見えない現実を感じ、不安で胸が押し潰されそうになった。
「あの……。メアリさん。私はこれからどうなるのでしょうか?」
「あら? なにも聞いていないの?」
「はい……」
「ふふふっ。アル様らしいわ。──貴女は……うーん。これはアル様に直接聞いた方がいいわね!」
「ええっ!? 教えてくれないんですか?」
「大丈夫よ。アル様は優しくて素直なお方ですからね。それに……セシル。貴女の運命を変えられるのは、きっとアル様だけだもの」
「???」
メアリはそう言うと、セシルの頭からザブンっと桶の水をかけた。
「ぷはっ」
「はい。おしまい。お着替えしましょうね~」
結局、ここへ来た理由はあやふやなまま、セシルは名残惜しそうに湯から上がるのだった。
◇◇
セシルが着替えたのはエプロン付きの黒のメイド服だった。メアリのメイド服と違い、白いフリルのエプロンが可愛らしい。
しかしなんと言うか……胸元がブカブカである。
二年後の自分だったらぴったりだっただろうが、十三歳の自分には大きすぎる。
「昔、私が着ていた服なのだけれど、どうかしら?」
「メアリさんがですか? えっと……少し大きいですね……」
「あら? それなら、レクト? そこにいるでしょう?」
メアリが呼びかけると、脱衣所に執事の少年が入室してきた。
赤みがかった茶色い髪と瞳の少年。
レクトと呼ばれた少年は懐から小さなケースを取り出した。
セシルの胸元を見ると眉間にシワを寄せ、不機嫌そうに溜め息をつく。
「……ガキくさ」
「なっ、何ですって!?」
無作法な態度にセシルが言い返すと、レクトは小さな針を手にキッとセシルを睨みつけた。
「動くな針が刺さる」
「ちょっ……」
レクトは針と糸を巧みに操り服を詰めてくれた。その手さばきは見事なもので、セシルはつい見とれてしまった。
「はい。終わり」
「あ、ありがとう」
セシルか礼を述べると、レクトは意外そうな顔をし、そして直ぐに悪戯な笑みを浮かべた。タレ目の癖になんとも生意気そうな少年である。
「トロそうなガキだな。アル様は部屋にいる。ちゃんと挨拶してこいよ。あ、ちょっと待て……」
レクトはセシルの後ろに回ると、その細い指を軽いウェーブがかったセシルの髪に絡め、あっという間にアップに結い上げてしまった。
「よし。これならみすぼらしくないな」
「み、みすぼらしいだなんて、酷い!」
「ボロ雑巾呼ばわりされてたのは、どこのどいつだよ?」
「失礼ね!」
「新入りの癖に生意気だぞ」
「し、新入り?」
新入り……ということは、やはりセシルはこの屋敷のメイドになるのだろうか。レクトへの怒りとこの先の不安が入り交じり、セシルの頭の中は大混乱だった。
「まあまあ。レクトったら。セシルに意地悪しないの!」
「……申し訳ありません」
「さぁ。アル様へ挨拶しに行きましょう。部屋まで案内するわ」
意外と素直に謝罪したレクトに驚きつつ、セシルはメアリに背中を押され、書斎へと向かうことになった。
◇◇
アルベリクは書斎で机に向かい書類に目を通していた。セシルが部屋に入っても目も向けず作業に没頭している。
メアリが「後は若いお二人で~」等と言い残して退室したが、セシルは何をしていいのか分からず扉の前で戸惑っていた。
目の前にいるのはあの冷酷なアルベリクだ。
笑った顔など見たこともないし、会話をした記憶もほとんどない。
何しろ、セシルを金儲けの道具のように扱ってきた男なのだから。
しかし、セシルは聖女の仕事が好きだった。人に感謝されることも多く、誰かに必要とされているように思えて嬉しかったから。
でも、本当にセシルを必要としてくれた人はいなかったのかもしれない。助けた人々は、最期の瞬間、誰もセシルを救ってはくれなかった。セシルの死に涙を流してくれたのは……すぐそこにいる無愛想なアルベリクだけだったのだから。
アルベリクをじっと観察するも、彼は相変わらずこちらを見ようともしない。話しかける勇気もなく、セシルは小さく溜め息を漏らすと、アルベリクが不機嫌そうにセシルに視線を向けた。
「メイドの癖に御主人様の前で溜め息をつくとは……いいご身分だな?」
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