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南東の島国2

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「おーい、俺を変な話に巻き込むのやめろよ」

 ちょうど予約客の見送りまで完了させたらしいイアンが、正面扉から店内に戻って来た。俺とクローイの間に割り込むように、俺の手から資材に関する書付けを奪って「おー、わかりやすくまとめてんじゃん」と満足気に頷いた。

「俺とイアンは本当に友達だよ。今は居候させてもらってるし、恩人でもあるかな。クローイが俺を好きだって思ってくれるのはすごく嬉しいけど、俺は誰とも恋人にはならないよ」

「えー…あっさりフるじゃん。少しくらい粘らせてくれたりしないの?」

「クローイは可愛いしいい子だから、俺より断然いい人いっぱいいるよ」

 本心から言った言葉だが、こういう時に言うとなんだか嘘くさく聞こえるものなんだな、と今後あまり役に立つ機会のなさそうな気付きを得た。
 俺の書いた書付けを持ったまま店内倉庫に入ろうとしていたイアンが、不意に足を止めてゆっくりとこちらを振り返った。

「…聞かねえようにしてたけどさあ。お前、騎士様と嫌い合って別れたわけじゃねえんだろ?そういうのはどっかで方付けとかねえと死ぬまで引きずるぞ」

 俺がイアンに恩を感じているのは、俺の膿んだ気持ちに不用意に触れないでくれていることも含まれてる。今だって俺から詳細を聞くつもりはないんだろう。ある程度事情がわかってるのに、俺の気持ちを優先して、ただ俺から求められている手助けだけしてくれる。なかなか出来ることじゃないと思う。
 イアンの気遣いの通り、まだ俺は“彼”のことを人に話せるほど心の整理がついてない。ただ、友人の優しさはありがたく思う。俺は何も言わずに曖昧に笑った。

「元カノ引きずってるの?なら尚更あたしと付き合うべきじゃない?新しい恋で忘れろっていうじゃん」

 イアンの話に、クローイは体が密着しそうなくらい前のめりになって食いついてきた。

「おい、クソガキ。そういうのはやめとけ。弱ってる人間に付け込む真似、若いうちから覚えたらろくなことねえぞ」

「店長邪魔しないでよー。やっぱ店長もハバトのこと好きなんじゃないの?」

「んなことあってたまるか」

 心底そう思っているんだろう。ゲラゲラ笑ったイアンは「もしそうだったら俺の存在は黙認されてねえだろうな」と意味深に言い残して倉庫に消えていった。苦笑いの俺と、事情がわからずきょとんとするクローイが残された。

「ハバトの忘れられない人ってどんな人なの?ハバトは優しいから相手は年下?」

 常連客の少女の容赦のない詮索に内心辟易する。「全部内緒」と愛想笑いで誤魔化した。

「そうだ。クローイにこの間借りた本、返そうと思って持ってきてるんだ。今渡してもいい?」

 あからさまな話題転換だったが、素直な少女は「うん。いいよ」とにっこり笑った。
 店のカウンター裏に置かせてもらっていた書籍を持って、足早に売り場に戻る。

「ハバトは本読むの早いね。おじいちゃんの本まで全部読み切りそうだもん」

「今は仕事もそんなにしてないし暇だからね。こんなに快く本を貸してくれる人なかなかいないから、クローイとクローイのご家族には感謝してるよ。お礼したいんだけど何がいい?」

 リャクマと大陸の民族伝承に関する本を手渡しで返すと、それをパラパラとめくりながら「あたしはこんな難しい本、暇でも読まないよ」とクローイはげんなりした顔をした。クローイにとっては興味の沸かないものらしい。バルデスの魔女が人を誑かして内臓を奪って薬にしたり、手のつけられない悪童を呪いで魔獣に変えたり、なかなか荒唐無稽で面白かったのに。
 クローイの手の中で意味なく繰られていくページを見つめていると、栞が挟まったページで止められた。

「ああ。ごめん。俺のだ。挟んだままだったか」

 そう言って本の合間から栞を拾い上げようとしたら、その本ごと遠ざけられてしまった。何事かとクローイを見れば、栞を右手の上に乗せてまじまじと見つめていた。

「この栞ってどうなってるの?本物の花っぽいのに黄ばんだりしてないんだね」

「魔法で加工してあるからだよ。表面も魔蛙の薄皮を魔法で研磨して貼り付けたからキレイに仕上がってるだろ?」

 栞の花は件の屋敷の裏庭で譲ってもらった、白い八重花弁の花だ。花弁が多い分水分も多い花だけど、魔法で急速乾燥させたら変色もほとんどなくうまく作れた。

「あたし、これがいい」

「え?」

「あたしこの栞が欲しいな。お礼をくれるならこれがいい。ねえ、ハバト。ダメ?」

 思うままに欲しいものを欲しいと言える素直さが羨ましくて、頬が緩んだ。クローイが愛されて真っ直ぐに育った証拠だと思う。

「ええと、ごめんね。それはあげられない。縁あって高貴な人の庭から譲ってもらった大事な花だから。代わりに、今度クローイの好きな花で作ってあげるよ。新しく作るなら栞以外のものにも出来るし。それでどう?」

 おねだり上手な少女は表情を綻ばせて大きく頷く。さっきまで渡すまいと握り締めていた栞を、クローイはあっさりと俺の手に返した。
 無事戻って来たことにほっと息をつく。この白い花はもう生花の時のように甘く優しく香ることはないが、甘くて優しいあの人のことを思い出させる。



「立派な木香薔薇だね」

 不意に背後から渋い声で話し掛けられた。振り返れば、見上げるほど背の高い初老の男がにこやかに微笑んで立っていた。

「お花、お詳しいんですね」

「私は専門外だからさして詳しくないさ。馴染みの造園士が育てやすい薔薇だと言っていたのを聞いたことはあるがね」

 初老の男は顎髭を片手で擦った。羽織っている暗藍色の旅装用マントの隙間から、重そうな幅広の直剣が覗く。確かに、造園業をしている人間の装いではないと思う。

「もしかして、何か探しものですか?」

「まあね。君は店の人間かい?」

「従業員ではないですが、手伝いの者です。俺で分かる範囲でしたら一緒にお探ししますよ」

 愛想笑いを浮かべて初老の男の前で姿勢を正すと、空気を読んだクローイが「またあとでね」と小声で囁いて俺たちから離れた。

「ああ。初めて来た店だから助かるよ」

 男は品のいい笑顔を更に深めて、店の台所周りの金物と陶器の売り場まで足を進めた。俺はそれに淀み無く従う。

「この店では調味料は取り扱っていないのかな?」

「数は多くないですが取り扱いありますよ。こちらの右手の棚です。どんなものをお探しですか?」

 俺がわかりそうな部類の探しものでよかった。難しい商品の話でもされたらイアンを呼びつけようと思っていたが、今のところその必要はなさそうだ。安堵して俺は、調味料が並ぶ棚を指し示した。普段使いのものというより、贈答用の高級品ばかりが並んでいる。この中に気に入るものがあればいいけど、ものによっては裏通りの米屋の方が種類が豊富かもしれない。
 そんなことを考えていると、初老の男はマントの下から、とても小さな小瓶を出した。男の大きな手では、一瞬で握り潰せてしまいそうだ。

「これに見覚えはないかな?」

 小瓶の中には、かすかに艶がある粉末が入っている。店内の照明を受けて、まるでザラメのようにキラキラと光って見えた。

 心臓が妙な打ち方をしている。
 その玩具菓子のような珍しい見た目のものを、俺は一度だけ作ったことがある。かつて、俺はそれを無事を願って“彼に渡した”はずだ。

 俺は無言で、恐る恐る視線を初老の男に戻した。

「今は作り手ではないのだな」

 男の瞳の焦茶色が、瞳孔の中に溶けるように掻き消えて、深く濃い緑に変わる。見間違えるわけもない、俺にとって唯一のエメラルドだ。

 でも、なぜ、彼がここに…?

「捜したよ、ハバト。可愛い、可愛い、私の魔女」

 俺が息を飲むと“彼”は喉で笑ったが、その目は射殺すように冷たく鋭く、微塵も笑っていなかった。
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