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南東の島国1
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バルダス王国の北東の果てで生まれ育った俺にとっては、海は冷たくて寒いものだ。その分穫れる魚は脂がのっていて美味いけど。
この街の海はとても温かくて、沸かしかけの風呂のようだし、凍えるような気温にもならないからほぼ一年中泳げる。島国だから、国のどこに行ってもたいてい海が見えるのもいいところだ。
あと、来てから知ったことだけど、この国は移民の国らしくとても多民族、多人種が暮らしてる。まさか俺と同じ動脈血みたいな髪色の人間を見られる日が来るなんて思わなかった。決して多くはないが、だからってこの国では驚かれるほどのことじゃない。「不気味」だなんて謗られることもない。それが何より嬉しい。
愛おしい人に嫌われ罵られることが怖いなんて、どうしようもない理由で勢いのままハービル村を飛び出し、おっかなびっくりここまでひとり旅をした少し前の自分が、こんなわかりやすい形で報われるなんて想像もしてなかった。
「ここの魚がもっと美味しかったら最高だったんだけどなあ」
「あ?んなもん調理の仕方次第なんじゃねえの?知らねえけど。それに、お前魚より肉派だろ」
「まあそうなんだけどさー」
店先で開店の準備をしながらイアンと他愛の無い話をする。まだ朝だというのに、日差しが強くて気温が高い。うっすらかいた汗が、風にさらわれていくのが心地いい。
天涯孤独の俺には頼れる縁なんてものはほぼなくて、ハービル村を出た俺の足はダメ元でここ、リャクマに向いた。赤毛の俺を唯一知る友人の赴任先だ。
「もうすぐ予約の客が来るから俺は中戻るわ。わりいけど、お前は裏手の資材整理もしといて。何回か俺とやったからひとりでもなんとかなるだろ。わかんなかったら、やれることを先に終わらせてからあとで聞け」
「はーい」
店内に戻ったイアンを横目でうっすら認識しながら、俺は店頭を掃いたほうきを持ったまま店の裏に回り込む。
イアンは仕事に関しても面倒見がよくて、指示もわかりやすい。お客さんに対しては愛想もとんでもなくいいし、新店の店長に抜擢された理由もわかる。
ここまでの道程では、あまりに世間知らずで要領の悪い自分が疎ましくて、ハービル村を飛び出したことを何度も後悔した。やっとの思いでディアス商会のリャクマ支店にたどり着いたのが今からひと月ほど前のことだ。急に現れた俺に酷く驚きつつも、イアンは何も聞かず、「お前やつれ過ぎだろ。本当にバカだなあ」と笑った。
それから、イアンの借家に居候しつつ、支店の手伝いも定期的にさせてもらっている。俺の友人はどこまでも面倒見がいい。
そろそろちゃんと仕事を見つけないといけないな、と思いつつも、出来ることがカゴ編みと調味料作りくらいの俺には悩ましい問題ではある。少しずつ初対面の人とも普通に話せるようになってきた気がするし、いつか支店で正式に雇ってもらえたりしないだろうか、と淡い期待があったりもする。でもその時はミラルダさんに会わなきゃいけないだろうし、なかなか気まずい。
店の裏も軽く掃いてキレイにしてから、届いたばかりの資材の箱を、中身を確認しながら仕分けていく。梱包資材や消耗備品はすぐに店内倉庫に種別毎にしまい、什器の関連は外箱に中身の子細を書き込んで庇の下に一旦積み直しておく。今日は細々とした梱包資材が多かったので、何が何個届いたのかを書付紙に書き込んでおく。それを渡せば、もしイアンの手が空かなくても引き継ぎが楽だからだ。
ひと通り仕分けて、一覧の記入をしながら裏口から店の中に入る。
「ハバト、見つけた」
友人のものとは全く違う、甘ったるい声に呼ばれて顔を上げる。
店内に、最近見慣れたバターブロンドの少女がいた。近所にある質屋の娘さんで、こうして時折世間話に付き合ってくれる。早足に近付いてきた彼女は、俺の手元を無邪気に覗き込む。身長がほとんど変わらないので顔が近い。
「ハバトの字はクセがあるけど読みやすいよね。なんかかわいい字であたし好きだな」
「そう?ありがとう」
褒められて悪い気はしないから、うっすら微笑んで礼を言ったのだが、相手はその反応が気に食わなかったらしい。形良い大きな口をとがらせた。
「あーもー。ホントにハバトって素っ気ないよねー。あたしに口説かれてるってわかってる?」
「え?そうなんだ?クローイは物好きだね」
率直な感想を述べたら、尚更機嫌を損ねたらしく、クローイは健康的に焼けた指で俺の頬をつついた。反射的に逃げてしまいそうになる体を、意識的に押し止める。最近は誰彼構わず怯えてしまうことも減ったし、びくつく体を抑え込めることも多い。
「そういうとこ!本当に脈ナシって感じ出すのやめてよー。もしかして好きな子いるとか?確か彼女はいないよね?まさか、店長とデキてるとか!?」
なぜか楽しそうにイアンとの仲の良さを勘繰り出すクローイに、俺は何とも言えない気持ちになる。もし本当に俺とイアンが付き合ってたら、クローイは悲しんだりするんだろうか。
俺は、“彼”の幸せを願ってはいるけど、“彼”が誰かと恋をすることを想像するだけでつらくて仕方ない。自分から逃げたくせに本当に身勝手だ。もしクローイのことを好きになれたら楽なのに、なんて酷く失礼なことすら思う。
でも、本当はわかってる。“彼”に想いを告げたあの日に感じた通り、俺はもう“彼”しか愛せない。
この街の海はとても温かくて、沸かしかけの風呂のようだし、凍えるような気温にもならないからほぼ一年中泳げる。島国だから、国のどこに行ってもたいてい海が見えるのもいいところだ。
あと、来てから知ったことだけど、この国は移民の国らしくとても多民族、多人種が暮らしてる。まさか俺と同じ動脈血みたいな髪色の人間を見られる日が来るなんて思わなかった。決して多くはないが、だからってこの国では驚かれるほどのことじゃない。「不気味」だなんて謗られることもない。それが何より嬉しい。
愛おしい人に嫌われ罵られることが怖いなんて、どうしようもない理由で勢いのままハービル村を飛び出し、おっかなびっくりここまでひとり旅をした少し前の自分が、こんなわかりやすい形で報われるなんて想像もしてなかった。
「ここの魚がもっと美味しかったら最高だったんだけどなあ」
「あ?んなもん調理の仕方次第なんじゃねえの?知らねえけど。それに、お前魚より肉派だろ」
「まあそうなんだけどさー」
店先で開店の準備をしながらイアンと他愛の無い話をする。まだ朝だというのに、日差しが強くて気温が高い。うっすらかいた汗が、風にさらわれていくのが心地いい。
天涯孤独の俺には頼れる縁なんてものはほぼなくて、ハービル村を出た俺の足はダメ元でここ、リャクマに向いた。赤毛の俺を唯一知る友人の赴任先だ。
「もうすぐ予約の客が来るから俺は中戻るわ。わりいけど、お前は裏手の資材整理もしといて。何回か俺とやったからひとりでもなんとかなるだろ。わかんなかったら、やれることを先に終わらせてからあとで聞け」
「はーい」
店内に戻ったイアンを横目でうっすら認識しながら、俺は店頭を掃いたほうきを持ったまま店の裏に回り込む。
イアンは仕事に関しても面倒見がよくて、指示もわかりやすい。お客さんに対しては愛想もとんでもなくいいし、新店の店長に抜擢された理由もわかる。
ここまでの道程では、あまりに世間知らずで要領の悪い自分が疎ましくて、ハービル村を飛び出したことを何度も後悔した。やっとの思いでディアス商会のリャクマ支店にたどり着いたのが今からひと月ほど前のことだ。急に現れた俺に酷く驚きつつも、イアンは何も聞かず、「お前やつれ過ぎだろ。本当にバカだなあ」と笑った。
それから、イアンの借家に居候しつつ、支店の手伝いも定期的にさせてもらっている。俺の友人はどこまでも面倒見がいい。
そろそろちゃんと仕事を見つけないといけないな、と思いつつも、出来ることがカゴ編みと調味料作りくらいの俺には悩ましい問題ではある。少しずつ初対面の人とも普通に話せるようになってきた気がするし、いつか支店で正式に雇ってもらえたりしないだろうか、と淡い期待があったりもする。でもその時はミラルダさんに会わなきゃいけないだろうし、なかなか気まずい。
店の裏も軽く掃いてキレイにしてから、届いたばかりの資材の箱を、中身を確認しながら仕分けていく。梱包資材や消耗備品はすぐに店内倉庫に種別毎にしまい、什器の関連は外箱に中身の子細を書き込んで庇の下に一旦積み直しておく。今日は細々とした梱包資材が多かったので、何が何個届いたのかを書付紙に書き込んでおく。それを渡せば、もしイアンの手が空かなくても引き継ぎが楽だからだ。
ひと通り仕分けて、一覧の記入をしながら裏口から店の中に入る。
「ハバト、見つけた」
友人のものとは全く違う、甘ったるい声に呼ばれて顔を上げる。
店内に、最近見慣れたバターブロンドの少女がいた。近所にある質屋の娘さんで、こうして時折世間話に付き合ってくれる。早足に近付いてきた彼女は、俺の手元を無邪気に覗き込む。身長がほとんど変わらないので顔が近い。
「ハバトの字はクセがあるけど読みやすいよね。なんかかわいい字であたし好きだな」
「そう?ありがとう」
褒められて悪い気はしないから、うっすら微笑んで礼を言ったのだが、相手はその反応が気に食わなかったらしい。形良い大きな口をとがらせた。
「あーもー。ホントにハバトって素っ気ないよねー。あたしに口説かれてるってわかってる?」
「え?そうなんだ?クローイは物好きだね」
率直な感想を述べたら、尚更機嫌を損ねたらしく、クローイは健康的に焼けた指で俺の頬をつついた。反射的に逃げてしまいそうになる体を、意識的に押し止める。最近は誰彼構わず怯えてしまうことも減ったし、びくつく体を抑え込めることも多い。
「そういうとこ!本当に脈ナシって感じ出すのやめてよー。もしかして好きな子いるとか?確か彼女はいないよね?まさか、店長とデキてるとか!?」
なぜか楽しそうにイアンとの仲の良さを勘繰り出すクローイに、俺は何とも言えない気持ちになる。もし本当に俺とイアンが付き合ってたら、クローイは悲しんだりするんだろうか。
俺は、“彼”の幸せを願ってはいるけど、“彼”が誰かと恋をすることを想像するだけでつらくて仕方ない。自分から逃げたくせに本当に身勝手だ。もしクローイのことを好きになれたら楽なのに、なんて酷く失礼なことすら思う。
でも、本当はわかってる。“彼”に想いを告げたあの日に感じた通り、俺はもう“彼”しか愛せない。
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