上 下
45 / 83

迂闊な少年1

しおりを挟む
 目元にひんやりとしたものが触れる感触で目が覚めた。しばらくうつらうつらと重いまぶたと戦う。目元に触れてみると、ひんやりの正体は水を含ませた布で、それを取って周りに目を巡らせた。視界の端に、愛おしい白金色が揺れているのを見つける。

「ああ。起こしてしまったか」

 昨日の純白の騎士服ではなく、濃紺の正装服を着たセブさんが眩しいくらいの笑顔を浮かべた。
 幸せな夢の続きを見ている心地で、ゆっくりとまばたきを繰り返していると、こちらへゆったりとした足取りで歩み寄ってきたセブさんが眉尻を下げた。

「まさか昨夜の記憶がないなんて言わないでくれよ」

「ん…と、覚えて、ます」

 昨晩自分が言った言葉たちが洪水みたいに一気に思い出されて、酒気の完全に抜けた今、羞恥心が湧き上がってたちまち俺の顔は熱くなる。半身を起こそうとすると、セブさんは俺をやんわり押し留めた。

「諸用があるので私はもう行くが、ハバトはもう少し寝ていていい。目が腫れているからこれを当てて冷やしておきなさい」

「…ありがとうございます」

 冷えた布を握らされて、優しい手が離れていった。

「私はまたしばらくここを空けることになるが、半月程で戻ると思う。今後のことを話したいが、ハバトは先にハービルに戻るか?」

「えっと、あの、そうですね。セブさんがいないなら、帰ります。元々、今日帰るつもりで家を出てきたので」

「そうか。見送りは出来ないが、目処が立ち次第、私もハービルに向かおう。今後の私の希望はその時に話す」

 今後の話、という言葉を、現実味のないまま受け入れる。まだ少し眠気の残る頭でぼんやりと眩い宝石の人を見上げる。微笑んだ彼は、「私だけの魔女だ」と誰に聞かせるわけでもなく囁くと、名残惜しいと言わんばかりに額と左手の指先に丁寧にキスを落としてからそっと体を離した。見慣れないプラチナの指輪が、俺と彼の薬指で光る。

「では、行ってくる」

「…はい。いってらっしゃいませ」



 愛おしい背中を見送って、俺は短くほう、と息を吐いた。
 優しくて精悍で非の打ち所のない鋼鉄の英雄が、俺にだけ愛を誓ってくれた。まだ夢の中のような浮ついた気分だが、俺は実際に彼の寝室の、しかもベッドの上にいる。昨晩はたくさんキスをしてくれて、いつもよりたくさん体に触れてもらえた。いつも通り優しくて、でもいつもよりえっちだった。
 昨日の彼を思い出しながら、眠気にまかせて目を閉じる。とても幸せだ。幸せだけど、何か心の隅に何かひっかかるものがある気がする…。



「……んっ!」

 とんでもなく大切なことに思い出して、眠気がふっ飛んだ。
 今の自分の髪が内に巻いたピンクベージュであることを確認して、次に自分の寝間着の乱れを確認して、昨晩彼がどこまで俺の体に触れたのか記憶を確認して、ぶわりと冷や汗が吹き出した。
 セブさんを、騙してしまった。
 昨日、俺の記憶が正しければ彼は俺の体を暴いてない。執拗なキスと、衣服越しに俺を撫でて抱き締めただけだ。なら、彼が俺の体に違和感を感じてなくても不思議じゃない。セブさんは俺が女だと思ったままだ。
 本当の姿どころか、本当の性別すら伝えないで結婚の申し出を受け入れるなんて、とんでもない不誠実だ。許されるわけがない。あれだけ愛を囁いた相手が酷く醜い男で、そんな騙すような大きな嘘をずっとついていたなんてきっと彼に軽蔑される。いっそ恨まれたっておかしくない。たぶんもう二度と、あの優しい笑顔は見られない。

 泣く権利なんて俺には無いのに、さっきまでの幸せはもう戻らないし、それこそ望んじゃいけないものだったんだと思うと涙が止まらなくなった。


 俺は体を起こすと、のそのそと這うようにして広過ぎて分不相応なベッドから降りた。
 俺の気持ちと正反対に、朝日を差し込む部屋は明るくて暖かい。ひとけを求めて、俺は寝室の先の応接室を抜けて、廊下に続く扉を開けた。そこには案の定護衛が二人立っていて、二人ともに見覚えがあった。俺の借りているこの部屋の警備を、ここに到着した初日にしてくれていた。あの時はてっきり俺を監視しているものと思って少し怯えてしまったが、今はとても頼もしいものに見えた。
 俺が泣きながら部屋から出てきたため、二人ともぎょっとした顔をしたが、俺が「セブさんはどこにいますか」と聞くとなぜか微笑んだ。

「大丈夫です。セバスチャン様は必ず帰ってきますから。元々騎士は月単位で家を不在にすることもザラです。ハバト様が心配することはないですよ」

 おっとりして見える女性の護衛がにこやかに説明してくれるが、どうやら俺の切実さは微塵も伝わっていないようだ。
 もう一人の真面目そうな男の護衛をちらりと見るが、そちらもうんうんと頷いているので、俺の逼迫した心境を理解してもらうことは簡単ではなさそうだ。

「わたし、セブさんにどうしても話さなきゃいけないことがあって、どこに行けば会えますか?」

 行儀が悪いが、涙を袖口で拭いながら言い募る。二人の護衛は顔を見合わせて少し困っている様子だった。

「それ、大事な話すか?セバスチャン様はヤリ捨てたりする男じゃねえですし、大事な話なら後でゆっくりした方がいいっすよ。そんなに急がなきゃいけないんすか?」

 真面目そうな護衛は意外にもあまり真面目じゃなさそうな話しぶりだったが、ありがたいことに俺の話を聞く素振りを見せてくれた。

「えっと、セブさんに黙ってたことがあって、話したらセブさんに嫌われちゃうんですけど、先延ばしにしたらセブさんにもっと嫌な思いさせちゃうと思うんで、早く話した方がいいなって…」

 真面目じゃなかった護衛は、うーん、と唸った。

「ハバト様がセバスチャン様に嫌われるほどの話ってなんすか?実はセバスチャン様とは遊びで、他に本命の男がいるとか?」

 そんなわけない。俺は首を振る。

「実は子供がいるとか?」

 もっとあり得ない。更に首を振る。

「実は他国の工作員だとか?」

 こんなどんくさい工作員がいてたまるか。「わたしには務まりません」と言うと「でしょうね」と鼻で笑われた。

「セバスチャン様がハバト様を嫌いになる話なんて本当にあるんすか?何も思い浮かばねえですけど」

「あります…」

「いっそハバト様が既婚者だったとしても、セバスチャン様のあの溺愛ぶりなら相手を消してでも奪うでしょう」

「ほんとそれな」

 二人の護衛は俺の言葉を全く信じてない風でケラケラと笑い、「とりあえず起きたならご飯食べましょ」と二人がかりで俺は部屋に押し戻されてしまった。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

メランコリック・ハートビート

おしゃべりマドレーヌ
BL
【幼い頃から一途に受けを好きな騎士団団長】×【頭が良すぎて周りに嫌われてる第二王子】 ------------------------------------------------------ 『王様、それでは、褒章として、我が伴侶にエレノア様をください!』 あの男が、アベルが、そんな事を言わなければ、エレノアは生涯ひとりで過ごすつもりだったのだ。誰にも迷惑をかけずに、ちゃんとわきまえて暮らすつもりだったのに。 ------------------------------------------------------- 第二王子のエレノアは、アベルという騎士団団長と結婚する。そもそもアベルが戦で武功をあげた褒賞として、エレノアが欲しいと言ったせいなのだが、結婚してから一年。二人の間に身体の関係は無い。 幼いころからお互いを知っている二人がゆっくりと、両想いになる話。

寂しい竜の懐かせ方

兎騎かなで
BL
ジルは貴重な宝石眼持ちのため、森に隠れて一人寂しく暮らしていた。ある秋の日、頭上を通りがかった竜と目があった瞬間、竜はジルを鋭い爪で抱えて巣に持ち帰ってしまう。 「いきなり何をするんだ!」 「美しい宝石眼だ。お前を私のものにする」 巣に閉じ込めて家に帰さないと言う竜にジルは反発するが、実は竜も自分と同じように、一人の生活を寂しがっていると気づく。 名前などいらないという竜に名づけると、彼の姿が人に変わった。 「絆契約が成ったのか」 心に傷を負った竜×究極の世間知らずぴゅあぴゅあ受け 四万字程度の短編です。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

きみをください

すずかけあおい
BL
定食屋の店員の啓真はある日、常連のイケメン会社員に「きみをください」と注文されます。 『優しく執着』で書いてみようと思って書いた話です。

何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない

てんつぶ
BL
 連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。  その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。  弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。  むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。  だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。  人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――

頑張って番を見つけるから友達でいさせてね

貴志葵
BL
大学生の優斗は二十歳を迎えてもまだαでもβでもΩでもない「未分化」のままだった。 しかし、ある日突然Ωと診断されてしまう。 ショックを受けつつも、Ωが平穏な生活を送るにはαと番うのが良いという情報を頼りに、優斗は番を探すことにする。 ──番、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは親友でαの霧矢だが、彼はΩが苦手で、好みのタイプは美人な女性α。うん、俺と真逆のタイプですね。 合コンや街コンなど色々試してみるが、男のΩには悲しいくらいに需要が無かった。しかも、長い間未分化だった優斗はΩ特有の儚げな可憐さもない……。 Ωになってしまった優斗を何かと気にかけてくれる霧矢と今まで通り『普通の友達』で居る為にも「早くαを探さなきゃ」と優斗は焦っていた。 【塩対応だけど受にはお砂糖多めのイケメンα大学生×ロマンチストで純情なそこそこ顔のΩ大学生】 ※攻は過去に複数の女性と関係を持っています ※受が攻以外の男性と軽い性的接触をするシーンがあります(本番無し・合意)

今日も武器屋は閑古鳥

桜羽根ねね
BL
凡庸な町人、アルジュは武器屋の店主である。 代わり映えのない毎日を送っていた、そんなある日、艶やかな紅い髪に金色の瞳を持つ貴族が現れて──。 謎の美形貴族×平凡町人がメインで、脇カプも多数あります。

愛しい番の囲い方。 半端者の僕は最強の竜に愛されているようです

飛鷹
BL
獣人の国にあって、神から見放された存在とされている『後天性獣人』のティア。 獣人の特徴を全く持たずに生まれた故に獣人とは認められず、獣人と認められないから獣神を奉る神殿には入れない。神殿に入れないから婚姻も結べない『半端者』のティアだが、孤児院で共に過ごした幼馴染のアデルに大切に守られて成長していった。 しかし長く共にあったアデルは、『半端者』のティアではなく、別の人を伴侶に選んでしまう。 傷付きながらも「当然の結果」と全てを受け入れ、アデルと別れて獣人の国から出ていく事にしたティア。 蔑まれ冷遇される環境で生きるしかなかったティアが、番いと出会い獣人の姿を取り戻し幸せになるお話です。

処理中です...