稀代の英雄に求婚された少年が、嫌われたくなくて逃げ出すけどすぐ捕まる話

こぶじ

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鋼鉄様の食客5

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 しばし無言で俺たちは馬車に揺られた。お互い無言である理由は違ったが。

 今は、セブさんに会いたくない。
 俺は、どう言い訳して馬車から降ろしてもらおうかをぼんやり考えていた。ただ、降りたとしても帰り道もわからない。いい歳をした迷子の完成だ。

「ねえ、貴方は有能な治療士なのよね?何故そんな下男のような格好をしているの?」

 俺自身は治療士として雇われているわけではないし、本職はしがないカゴ編みなのだから、下男とさして変わらないと思う。いっそ王都の下男の方が、俺より余程裕福だろう。

「有能なのはわたしの祖母です。わたしはその真似事をしているだけで、本来であれば治療士を名乗れるものではないです」

「あら。なら、セバス様の腕を治したのは貴方の実力じゃないってことなのね。あーあ。騙されちゃったわ。治療のお礼は、貴方じゃなくて貴方のお祖母様にすべきね」

 騙された、なんて表現をしているが、ベルさんは特段怒っている様子はなく、座席横に置かれたクッションを肘置き代わりに力を抜いて、扇をもう一度開いて口元を隠した。どうやら扇の内側で笑っているらしい。

「がっかりさせてしまったならすみません。恥ずかしながら、普段はもっとみすぼらしい格好をしています。きっと下男にも見えないでしょう。これはセブさんが厚意で一式揃えで買ってくださったものなので、質はとても上等なんです」

 肌当たり良いシャツの上等な生地を少しつまんで示す。

「セバス様が…?」

 上機嫌が一転、ベルさんの顔色が一気に曇った。笑顔から急激に表情を変える人の感情は、強くて恐ろしいものだと経験則から知っている。恐怖から、ひやりと自分の体内の血液が冷えたような気がした。

「あ、ごめんなさい…」

 何に対するものかわかっていない付け焼き刃の謝罪は、相手の怒りを更に買うこともわかっているのに、反射的に口からその言葉が漏れた。
 案の定、ベルさんの眦が釣り上がり、扇がぴしゃりと強い音を立てて閉じられた。

「男が女に衣服を贈る意味、貴方わかっている?」

「…いえ。無知で申し訳ありません」

 男だとか女だとか関係なくセブさんは贈ってくれたのだと思うが、今のベルさんにはそれを伝えてもわかってもらえなさそうだ。

「セバス様に取り入ったのね?」

「そんなことは…」

 ない、と口を開きかけて躊躇う。本当に全くないと言い切れるだろうか。彼からの善意を逆手に取って、キスをねだるような真似をしたのに。
 罪悪感がぶり返して、体が更に冷える。

「“セブさん”だなんて媚びた呼び方も、はしたなくて耳障りなの。不快だからやめて頂戴。貴方みたいな田舎娘ごときが阿ったところで、セバス様は懐に入れてなどくださらないでしょうに、一体どうやって取り入ったの?」

 一度言葉を切って、繊細な指先が白くなるほどベルさんは扇を強く握り締めた。怒りを堪えているのがありありとわかったが、それを鎮められる言葉が何一つ浮かばず、俺は「あの」とか「いえ」とか意味のないことをまごまごと口にしただけだった。

「まさか、体でも使った?卑しい身分の人間は、汚らしい手を容易く使うから本当に嫌いだわ。高貴なセバス様に、そんな穢らわしい体を触らせたの?ねえ!この売女!」

「ごめんなさい…」

 悪手だとわかっていても、俺に言える言葉はもうそれしかなかった。
 扇を持った彼女の右手が振り上げられたのがはっきり見えた。無意識に首をすくめて顔を腕で庇う。

「ふざけんじゃないわよ!」

 左手の甲に痛みが走る。

「あの人は私のものなのよ!」

 次に振り下ろされた扇は俺の手首を打った。
 怖い。でも、大丈夫。俺は男だし、か弱い女性に打ち据えられたくらいで死んだりしない。そう、自分に言い聞かせる。

「あんたみたいな価値のない下民が私のセバス様に触れて赦されると思っているの!?」

 俺の腕を強く打った扇が、たわんでひしゃげた気配がした。

「あんたなんて────死んでしまえばいいのよ!」

 折れかけた扇の先端が、俺の頭を強く掻き刺した。いくらか切れてしまったのだろうか。痛みより熱さを感じた。
 手応えに気を良くしたのか、同じ場所を二三抉られたところで、馬車が停まり、その扉が慌ただしく開けられた。

「ベル様!お止めください!」

 細身の護衛の声だった。俺を打つ手が止んで、しばらくベルさんが護衛を罵る声が聞こえた。
 恐る恐る、冷や汗を握っていた手を下ろしてベルさんを盗み見ると、たおやかな王女様の名残無く鬼気迫る視線に射抜かれる。

「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

 壊れた録音機のようにそれしか言葉が出てこない俺を、ベルさんは変わらず殺意を視線に込めて睨んでおり、護衛は無言で憐れむようにちらりと俺を見ただけだった。護衛は小さく嘆息すると、ベルさんに囁くように声を掛け、馬車の外に促した。俺の聞き間違いでなければ、「バルダッローダ様がこちらへ向かっております」と漏れ聞こえた。
 つい先程まで愛おしくて仕方無かったその名前が、急に恐ろしく忌避すべきものだと感じる。どくどくと心臓の音が嫌に速い。ここを離れなきゃ。

「ハバト様!」

 護衛の誘導に従って馬車を降りて行ったベルさんを見送った後、力のうまく入らない足に戸惑いながら腰を浮かせたところで、優しげなテノールが俺の名を呼んだ。

「オリヴィアさん」
 
 馬車の外から身を乗り入れ現れた黒髪の麗人に、俺はほっと安堵する。でも俺を見たオリヴィアさんは、何故か息を飲んで顔を青褪めさせた。

「おいたわしい…」

 オリヴィアさんは懐から生成りのハンカチを取り出すと、「こちらで傷口を押さえてください」と頭に当ててくれた。思っていたより血が滲んでいるらしい。ありがたくハンカチを借り血を拭うと、オリヴィアさんに促されるままに馬車を降りた。

 降りた先は、どうやら王城の前庭のようだった。“彼”は、この城の中にいるはずだ。

「オリヴィアさん、わたし、早く帰りたいです」

 オリヴィアさんの顔を見て必死に訴えるが、何故か俺のお目付け役は酷く難しい顔で首を横に振った。なんで?早くしないと彼が来ちゃうのに。
 焦る俺の肩を優しく叩くと、オリヴィアさんは俺を前庭内の白い長椅子に導いて、座るように促した。それを「嫌です。帰りたいです」と懸命に拒否する。視界の端にベルさんと、それを宥めている様子の細身の護衛の姿が映って、ふるりと背が震えた。
 俺の怯えているのが、ベルさんのせいばかりだと思っているのか、オリヴィアさんは俺の視界からベルさんを排除するように体で遮り、俺をやんわりと抱き締めてくれた。然程身長は変わらないのに、温かくて優しくて、不安と焦燥が少しだけ和らいだ。甘ったれた心が湧いて、ついその肩に頭を乗せてしまう。

 束の間安らかに呼吸を整えていた俺の耳に、石床を足早に叩く重みのある靴音が聞こえてきて、心臓が跳ね上がった。慌てて顔を上げてオリヴィアさんの体を振り払う。そのまま前門の方へ駆け出そうとしたが、足がもつれて無様にその場にへたり込んでしまった。

「ハバト」

 いつも通りの耳当たり良い低音が、俺の名を数ヶ月ぶりに呼んだ。でも、俺の心にはいつもの幸せな感情は湧かず、ただただ絶望と罪悪感で満たされた。
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