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鋼鉄様の食客2
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翌朝目覚めると、あまりに自分が包まっている布団が肌当たり良いので、まだ夢の中にいるんじゃないかと一瞬錯覚してしまった。こんないい布団で寝られる機会なんて、たぶん俺の人生でまたとないだろう。布団から出るのが本当に名残惜しいが、人さまの家でいつまでもごろごろしてるわけにもいかない。意を決してベッドから降り、出来るだけシーツ類をキレイに伸ばして、その上に脱いだ寝間着を畳んだ。
洗面所での用を済ませてから、愛用の鞄から服を取り出す。何枚かあるうちの一枚のワンピースを一度手に取るが、少し考えてやめた。鞄の更に奥に手を突っ込んで、こっそり持ってきた一番のお気に入りを取り出す。肌当たり柔らかな白いシャツと、暗青色のズボンは、強い朝日に照らされても粗がなく高級感がある。以前セブさんに買ってもらったものだ。見る度セブさんのことを思い出せて口元が緩む。
身支度をしていると、女中さんが朝食の知らせと共に、裏庭への立ち入り許可をくれた。嬉しくて礼を告げる声も弾む。朝食を手早く済ませた俺は、護衛という体の見張りの女性を一人伴って、足取り軽く裏庭に降りた。
「こんなに蜜薬草の花をまとめて咲かせられるなんて腕がいいなあ」
窓から見てそうかなと思っていたのだが、裏庭には観賞用の花木ばかりでなく、森山に自生する草花や薬草の類も多く植えられていた。素人目だけど、様々な草花が互いを邪魔しないように、よく気をつけられてるように見える。
「気に入るものがあれば、いくつか切って部屋にお持ち頂いて構いませんよ」
俺の三歩程後ろをついて来ていた護衛の女性が、テノールに近い優しげな声で提案してくれた。緩く波打つオリーブ掛かった黒の短髪が印象的な人で、名前はオリヴィアさんという。他の人に指示を出してるところを見たから、たぶん偉い人なんだと思う。
「いいんですか?」
「ハバト様が望むなら、例えこの庭の全てを刈り取ったとしても我らが主は全て喜んで許すでしょうね」
ゆっくり近付いてきたオリヴィアさんが、懐から出した短刀を膝を折って俺に掲げ手渡してくれる。屈んだ拍子に、オリヴィアさんの腰に佩いた細身の長剣の鞘先が、足元の石畳をコツリと叩いた。
あまり葉ぶりが変わらなそうなところを選んで、受け取った短刀で木香薔薇を小さく一枝落とした。白くて、丸く花びらを重ねた姿が可愛らしい。それをそっとポケットにしまって、短刀をオリヴィアさんに返した。
「それだけでいいのですか?」
「もちろん十分です。今日ここに来た記念に押し花にして残そうかと思います。魔法で仕上げたらきっとすごくキレイに残せます。こんな大振りでキレイな木香薔薇で栞を作ったらとても贅沢ですよ」
すごくすごく丁寧に作ろう。
ポケットの上からそろそろと花を撫でていると、隣に立ったオリヴィアさんがクスリと笑った気配がした。
「貴方のそういうところが、主は可愛くて仕方ないのでしょうね」
「…押し花は子供っぽいですか?セブさんには内緒にしておいてください」
「いえいえ。とても結構なことです。花を愛でることも貪汚から縁遠いことも」
そう言ってホホホと笑われた。気恥ずかしく思ってこっそり口をとがらせていると、大通りがあるだろう方向からかすかに軽快な音楽が聴こえてきた。俺がそれに気を取られて裏門の方に顔を向けると、オリヴィアさんが「楽団ですね」と教えてくれた。
「この先にある広場でしょう。叙爵式が迫ってますから、王都中どこもかしこも催しだらけですよ」
「そうなんですね」
見に行きたいなあ。そう思ってちらりとオリヴィアさんの顔色を伺うが、まだ何も言ってないのに首を横に振られた。酷い。
「拗ねないでください。ほら、あの奥に温室もあるんですよ。見に行きますか?」
「…行きます」
見事話をそらされたが、実際温室の存在は気になってたので素直に従う。
「士長!恐れ入ります!少々宜しいでしょうか!」
温室に足を向けた俺たちに、屋敷の方からの呼び止める鋭い声が掛けられた。振り返った先で騎士礼を取っている声の主は、真っ直ぐオリヴィアさんを見ている。
「ハバト様の護衛が最優先だ。私はここから離れられない。用件はここで聞こう」
足早に近付いてきた部下の人が、俺の存在を気にしているのがわかった。俺がいるせいで仕事が捗らないんだもんな。申し訳ない。
「わたしはひとりでも大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけがないでしょう」
「…はい」
せめてオリヴィアさんたちが仕事の話をする間だけでも離れておこうと、すみっこの花壇の前でしゃがみこむ。菫がキレイに咲いている。
「客人との面会を求めて近衛のエドワーズ様がいらしています」
「ベル様の差金か。荒事が得意な者を選んで連れてくるとは、本当に手段を選ばない姫君で困ったものだ。それで、今誰が対応している?」
「ノエルとセドリックが対しております。ただ、副長たちが出払っていて、私を含めましてもエドワーズ様を制圧するのは難しいかと思われます。こちらへ押し入られるのも時間の問題かと」
オリヴィアさんの特大の溜め息が聞こえた。そちらを見ると、ちょうどオリヴィアさんも俺を見たところだった。
「ハバト様。温室内で構いませんので、私が戻るまでひとりでお待ち頂けますか」
「はい。もちろん。お仕事大変でしょうが、どうかお怪我なく戻ってきてください」
ちらと目を見て言うと、オリヴィアさんは女性らしい淑やかな微笑みを浮かべ「手早く圧し折って参ります」と物騒なことを言い出した。
屋敷の中に消えていくオリヴィアさんと部下の人の背を見送ってから、俺は温室に向かって歩き始めた。
温室は裏庭の中央にあり、小ぶりなものだけど珍しい半円形をしていてお洒落だ。複雑なカットをされたガラスがキラキラ太陽の光を跳ね返している。中には暖かい地域の植物を置いているらしく、温室外から見ても色鮮やかなものが多いのがわかる。
わくわくしながら温室の扉に手をかけた時、遠くから聞こえる楽団の音色に混じって、不意に鈴のような声が聞こえた気がした。
洗面所での用を済ませてから、愛用の鞄から服を取り出す。何枚かあるうちの一枚のワンピースを一度手に取るが、少し考えてやめた。鞄の更に奥に手を突っ込んで、こっそり持ってきた一番のお気に入りを取り出す。肌当たり柔らかな白いシャツと、暗青色のズボンは、強い朝日に照らされても粗がなく高級感がある。以前セブさんに買ってもらったものだ。見る度セブさんのことを思い出せて口元が緩む。
身支度をしていると、女中さんが朝食の知らせと共に、裏庭への立ち入り許可をくれた。嬉しくて礼を告げる声も弾む。朝食を手早く済ませた俺は、護衛という体の見張りの女性を一人伴って、足取り軽く裏庭に降りた。
「こんなに蜜薬草の花をまとめて咲かせられるなんて腕がいいなあ」
窓から見てそうかなと思っていたのだが、裏庭には観賞用の花木ばかりでなく、森山に自生する草花や薬草の類も多く植えられていた。素人目だけど、様々な草花が互いを邪魔しないように、よく気をつけられてるように見える。
「気に入るものがあれば、いくつか切って部屋にお持ち頂いて構いませんよ」
俺の三歩程後ろをついて来ていた護衛の女性が、テノールに近い優しげな声で提案してくれた。緩く波打つオリーブ掛かった黒の短髪が印象的な人で、名前はオリヴィアさんという。他の人に指示を出してるところを見たから、たぶん偉い人なんだと思う。
「いいんですか?」
「ハバト様が望むなら、例えこの庭の全てを刈り取ったとしても我らが主は全て喜んで許すでしょうね」
ゆっくり近付いてきたオリヴィアさんが、懐から出した短刀を膝を折って俺に掲げ手渡してくれる。屈んだ拍子に、オリヴィアさんの腰に佩いた細身の長剣の鞘先が、足元の石畳をコツリと叩いた。
あまり葉ぶりが変わらなそうなところを選んで、受け取った短刀で木香薔薇を小さく一枝落とした。白くて、丸く花びらを重ねた姿が可愛らしい。それをそっとポケットにしまって、短刀をオリヴィアさんに返した。
「それだけでいいのですか?」
「もちろん十分です。今日ここに来た記念に押し花にして残そうかと思います。魔法で仕上げたらきっとすごくキレイに残せます。こんな大振りでキレイな木香薔薇で栞を作ったらとても贅沢ですよ」
すごくすごく丁寧に作ろう。
ポケットの上からそろそろと花を撫でていると、隣に立ったオリヴィアさんがクスリと笑った気配がした。
「貴方のそういうところが、主は可愛くて仕方ないのでしょうね」
「…押し花は子供っぽいですか?セブさんには内緒にしておいてください」
「いえいえ。とても結構なことです。花を愛でることも貪汚から縁遠いことも」
そう言ってホホホと笑われた。気恥ずかしく思ってこっそり口をとがらせていると、大通りがあるだろう方向からかすかに軽快な音楽が聴こえてきた。俺がそれに気を取られて裏門の方に顔を向けると、オリヴィアさんが「楽団ですね」と教えてくれた。
「この先にある広場でしょう。叙爵式が迫ってますから、王都中どこもかしこも催しだらけですよ」
「そうなんですね」
見に行きたいなあ。そう思ってちらりとオリヴィアさんの顔色を伺うが、まだ何も言ってないのに首を横に振られた。酷い。
「拗ねないでください。ほら、あの奥に温室もあるんですよ。見に行きますか?」
「…行きます」
見事話をそらされたが、実際温室の存在は気になってたので素直に従う。
「士長!恐れ入ります!少々宜しいでしょうか!」
温室に足を向けた俺たちに、屋敷の方からの呼び止める鋭い声が掛けられた。振り返った先で騎士礼を取っている声の主は、真っ直ぐオリヴィアさんを見ている。
「ハバト様の護衛が最優先だ。私はここから離れられない。用件はここで聞こう」
足早に近付いてきた部下の人が、俺の存在を気にしているのがわかった。俺がいるせいで仕事が捗らないんだもんな。申し訳ない。
「わたしはひとりでも大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけがないでしょう」
「…はい」
せめてオリヴィアさんたちが仕事の話をする間だけでも離れておこうと、すみっこの花壇の前でしゃがみこむ。菫がキレイに咲いている。
「客人との面会を求めて近衛のエドワーズ様がいらしています」
「ベル様の差金か。荒事が得意な者を選んで連れてくるとは、本当に手段を選ばない姫君で困ったものだ。それで、今誰が対応している?」
「ノエルとセドリックが対しております。ただ、副長たちが出払っていて、私を含めましてもエドワーズ様を制圧するのは難しいかと思われます。こちらへ押し入られるのも時間の問題かと」
オリヴィアさんの特大の溜め息が聞こえた。そちらを見ると、ちょうどオリヴィアさんも俺を見たところだった。
「ハバト様。温室内で構いませんので、私が戻るまでひとりでお待ち頂けますか」
「はい。もちろん。お仕事大変でしょうが、どうかお怪我なく戻ってきてください」
ちらと目を見て言うと、オリヴィアさんは女性らしい淑やかな微笑みを浮かべ「手早く圧し折って参ります」と物騒なことを言い出した。
屋敷の中に消えていくオリヴィアさんと部下の人の背を見送ってから、俺は温室に向かって歩き始めた。
温室は裏庭の中央にあり、小ぶりなものだけど珍しい半円形をしていてお洒落だ。複雑なカットをされたガラスがキラキラ太陽の光を跳ね返している。中には暖かい地域の植物を置いているらしく、温室外から見ても色鮮やかなものが多いのがわかる。
わくわくしながら温室の扉に手をかけた時、遠くから聞こえる楽団の音色に混じって、不意に鈴のような声が聞こえた気がした。
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